補給物資、万葉集試訳

■補給物資

伊勢神宮 現代に生きる神話 』
萬物流轉。歷史總道光陰流逝,無情如是。縱為世界聖域,莫得倖存。Parthenon聖殿,神靈喪亡。大金字塔,所留唯謎。
兼勞造形、精神文化,隨時風化。然神宮雖以木草所築,其神殿、祭禮,絲毫不變。
解此悖論之鍵,是為萬象復始之美學。大和民族不與光陰對抗,選擇寄祈託念,造替神殿之道。

万葉集試訳

1492 橘歌一首 【遊行女婦。】
 君家乃 花橘者 成爾家利 花有時爾 相益物乎
 君(きみ)が家(いへ)の 花橘(はなたちばな)は 成(な)りにけり 花(はな)なる時(とき)に 逢(あ)は益物(ましもの)を
 君業宅邸間 花橘盛後實已成 顧思花謝者 早知諸行不久長 當惜花時來相見
遊行女婦 1492

「成(な)りにけり」,此云花落而果實方結,尚仍青澀之時。
「花(はな)なる時(とき)に」,或本原文「花乃有時爾=花(はな)の盛(さか)りに」,蓋受『古今集』125春歌下「蛙鳴く 井手の山吹 散りにけり 花の盛りに 逢は益物を」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk02.htm#125 之影響。
「逢(あ)は益物(ましもの)を」,此將橘花擬人化,以逢花為引,蘊含欲與君逢之意。
蓋與『萬葉集』10-1969互為贈答。

1493 大伴村上橘歌一首
 吾屋前乃 花橘乎 霍公鳥 來鳴令動而 本爾令散都
 我(わ)が宿(やど)の 花橘(はなたちばな)を 霍公鳥(ほととぎす) 來鳴響(きなきとよ)めて 本(もと)に散(ち)らしつ
 吾宿屋戶前 所植非時花橘者 杜鵑霍公鳥 其來鳴響震花謝 散落凋零落根源
大伴村上 1493

「來鳴響(きなきとよ)めて」,此云橘花因聲音之振動而散落。

1494 大伴家持霍公鳥歌二首
 夏山之 木末乃繁爾 霍公鳥 鳴響奈流 聲之遙佐
 夏山(なつやま)の 木末繁(こぬれのしげ)に 霍公鳥(ほととぎす) 鳴響(なきとよ)むなる 聲遙(こゑのはる)けさ
 盛暑夏山間 木梢枝末繁茂處 杜鵑霍公鳥 身踞枝頭啼鳴響 鳥囀之聲可遠聞
大伴家持 1494

「木末繁(こぬれのしげ)に」,「木末(こぬれ)」乃「木末(このうれ)」之略。末指草木之末端。
「鳴響(なきとよ)むなる」,「響(とよ)む」乃下二段活用。「なり」為傳聞推定語。

1495 【承前。】
 足引乃 許乃間立八十一 霍公鳥 如此聞始而 後將戀可聞
 足引(あしひき)の 木間立潛(このまたちく)く 霍公鳥(ほととぎす) 如此聞始(かくききそ)めて 後戀(のちこ)ひむ哉(かも)
 足曳勢險峻 山林木間所飛潛 穿梭霍公鳥 如是始聞其鳥囀 爾後念之發慕哉
大伴家持 1495

「足引(あしひき)の」,山之枕詞,此次借代為山之意,結合後句意指山之木間。
「木間立潛(このまたちく)く」,「潛(く)く」乃穿越狹窄之處。原文「八十一」乃借「九九(くく)八十一」之戲書用例。

1496 大伴家持石竹花歌一首
 吾屋前之 瞿麥乃花 盛有 手折而一目 令見兒毛我母
 我(わ)が宿(やど)の 撫子花(なでしこのはな) 盛也(さかりなり) 手折(たを)りて一目(ひとめ) 見(み)せむ兒(こ)もがも
 吾宿屋戶前 所植瞿麥撫子花 方今正欣盛 欲得手折能令見 知心佳人共賞翫
大伴家持 1496

「石竹(なでしこ)」,唐撫子。時與撫子通用。
「撫子花(なでしこのはな)」,撫子之借詞多用「が」字,此處用「の」為例外。
「見(み)せむ兒(こ)もがも」,「もが」為欲得,表假想內容之願望。若有可以折枝贈送之對象當有多好,之意。

1497 惜不登筑波山歌一首
 筑波根爾 吾行利世波 霍公鳥 山妣兒令響 鳴麻志也其
 筑波嶺(つくはね)に 我(わ)が行(ゆ)けりせば 霍公鳥(ほととぎす) 山彦響(やまびことよ)め 鳴(な)かましやそれ
 常陸筑波嶺 吾若得以行至者 杜鵑霍公鳥 可曾來鳴啼不斷 回響木靈山間歟
高橋蟲麻呂 1497
 右一首,高橋連蟲麻呂之歌中出。

「我(わ)が行(ゆ)けりせば」,「せば」乃反事實假定條件。對登筑波山聞杜鵑鳴者之回應。
「鳴(な)かましやそれ」,「まし」乃假想反語。以諧謔語氣稱,正因自身未登筑波岳,眾人方得聞霍公鳥之啼。若自已登山,或許杜鵑惜聲無響。

1498 大伴坂上郎女歌一首
 無暇 不來之君爾 霍公鳥 吾如此戀常 徃而告社
 暇無(いとまな)み 來(こ)ざりし君(きみ)に 霍公鳥(ほととぎす) 我如此戀(あれかくこ)ふと 行(ゆ)きて告(つ)げこそ
 其以無暇故 不來相會吾君矣 杜鵑霍公鳥 願汝翔往我君處 告吾焦戀戀如是
坂上郎女 1498

「暇無(いとまな)み」,「暇無(いとま)を無(な)みと」之略。
「行(ゆ)きて告(つ)げこそ」,「こそ」乃表希求之終助詞。

1499 大伴四繩宴吟歌一首
 事繁 君者不來益 霍公鳥 汝太爾來鳴 朝戶將開
 言繁(ことしげ)み 君(きみ)は來坐(きま)さず 霍公鳥(ほととぎす) 汝(なれ)だに來鳴(きな)け 朝戶開(あさとひら)かむ
 流言蜚語繁 吾君避嫌不來會 杜鵑霍公鳥 但願汝至解吾寂 遂開朝戶盼來鳴
大伴四繩 1499

「言繁(ことしげ)み」,「人言を繁みと」之略。本歌蓋擬苦待男方之女性所作。
「汝(なれ)だに來鳴(きな)け」,「だに」表「至少」。

1500 大伴坂上郎女歌一首
 夏野之 繁見丹開有 姫由理乃 不所知戀者 苦物曾
 夏野(なつのの)の 繁(しげ)みに咲(さ)ける 姫百合(ひめゆり)の 知(し)らえぬ戀(こひ)は 苦(くる)しき物(もの)そ
 夏野繁茂間 埋沒漫草匿咲之 妍花姬百合 單戀心中無人知 此情甚苦令人狂
坂上郎女 1500

「姫百合(ひめゆり)の」,以上以被埋沒於荒煙漫草中孤芳自賞之姫百合,帶出下文單戀之苦。
「知(し)らえぬ戀(こひ)は」,無法令對方知曉之戀情。
「苦(くる)しき物(もの)そ」,原文「苦物曾」或本云「苦物乎」。蓋曾字為古形。

1501 小治田朝臣廣耳歌一首
 霍公鳥 鳴峯乃上能 宇乃花之 猒事有哉 君之不來益
 霍公鳥(ほととぎす) 鳴(な)く尾上(をのうへ)の 卯花(うのはな)の 憂事有(うきことあ)れや 君(きみ)が來坐(きま)さぬ
 杜鵑霍公鳥 所鳴稜線峰尾上 卯花綻憂容 蓋有猒事不快哉 所以君之不來晤
小治田廣耳 1501

「尾上(をのうへ)」,或云尾根,群山相連之稜線,山背。
「卯花(うのはな)の」,以上三句,以同音引出後文「憂」之序。
「憂事有(うきことあ)れや」,疑問條件語。不愉快,無幹勁之狀。
類歌1988,以女性立場所詠之曲。

1502 大伴坂上郎女歌一首
 五月之 花橘乎 為君 珠爾社貫 零巻惜美
 五月(さつき)の 花橘(はなたちばな)を 君(きみ)が為(ため) 玉(たま)にこそ貫(ぬ)け 散(ち)らまく惜(を)しみ
 五月端午之 花橘綻開將結實 欲執長命縷 為君貫以作藥玉 吾惜花散徒凋零
坂上郎女 1502

「玉(たま)にこそ貫(ぬ)け」,橘之開花、結實,並在五月。然待節實,則其花既落。蓋在含苞之時,先取其花,貫其花萼,爾後與實並穿於ㄧ縷。原文「珠爾社貫」,或本云「玉爾貫」則當訓「玉(たま)に貫(つらぬ)く」,但上代無此訓例,遂按京大本有「社」字訓之。

1503 紀朝臣豐河歌一首
 吾妹兒之 家乃垣內 佐由理花 由利登云者 不欲云二似
 我妹子(わぎもこ)が 家垣內(いへのかきつ)の 小百合花(さゆりばな) 後日(ゆり)と言(い)へるは 否(いな)と言(い)ふに似(に)る
 親親吾妹子 汝家垣內小百合 猶彼花之名 所應百合後日者 似於言否拒門前
紀豐河 1503

「垣內(かきつ)」,「垣處(かきと)」之轉。為牆垣所包圍之地。
「後日(ゆり)」,改天之意。