補給物資、万葉集試訳

■補給物資

■『神社百景』のナレーション

其れは日本の伝統、其れは日本人の心、
其れは古から受け継い、未来へと手渡す日本の宝。
神神が創るし、厳(おごそ)かなる悠遠な世界ヘ導かん、
神社百景、Grace of japan。
山に、海に、町に、信仰ある所に社が鎮在し、我々を守り続けてきました。
日本が誇る四季折々の美しき自然、幾千年大切にしてきた気高き真秀ろばへとご案内します。
さぁ、心を静め、微風に、木々のさわめきに、浪の音色に、神々を感じましょう。
イザ、八百万の神々へに迎え。

其処にお鎮まりに成る神神が、私達の声を聞き、祈りを聞き、
何時でも安らぎを、勇気を、感謝する気持ちを、与えてくれます。
そうこの地は、千代に護りたい輝ける真秀らば、子々孫々愛され続ける日本人の心の故郷。
神社百景、Grace of JAPAN。

鳥居を潜れば、心清まる静寂な世界。
差し込む木間陽射、鳥たちの歌声、踏みしめる玉砂利の音。
目を閉じれば動き出す古からの神々の物語、耳を澄ませば聞こえる未來永劫續く魂の調べ。
此處は、万物に宿る八百万の神々が鎮在する、私たち日本人の原点。
さぁ、ご一緒に參りましょう。
日本人が幾千年に渡り守り続けてきた神事の森へ、
八千代後世へと受け繼ぎたい、心の真秀ろばへ。

万葉集試訳

1558 【承前,第二。】
 鶉鳴 古鄉之 秋芽子乎 思人共 相見都流可聞
 鶉鳴(うづらな)く 古(ふ)りにし鄉(さと)の 秋萩(あきはぎ)を 思人共(おもふひとどち) 相見(あひみ)つるかも
 草深鶉鳥鳴 飛鳥舊京故鄉之 秋萩芽子矣 相思志同者與共 並見端翫賞其花
沙彌尼 1558

「鶉鳴(うづらな)く」,「古し」、「古る」之枕詞。以鶉習出沒草深荒漫之處而言。
「古(ふ)りにし鄉(さと)の」,故鄉。此云飛鳥舊京。
「思人共(おもふひとどち)」,志同道合之人。「共(どち)」乃表「與共」意思之連用修辭格。

1559 【承前,第三。】
 秋芽子者 盛過乎 徒爾 頭刺不插 還去牟跡哉
 秋萩(あきはぎ)は 盛過(さかりす)ぐるを 徒(いたづら)に 髻首(かざし)に插(さ)さず 歸(かへ)りなむと哉(や)
 芽花秋萩者 盛華之時既已過 是以徒來訪 不為髻首不插頭 無為歸去別離哉
沙彌尼 1559
 右二首,沙彌尼等。

「徒(いたづら)に」,空虛、無為。
「髻首(かざし)」,以花插頭為飾,暗喻男女相交。
「歸(かへ)りなむと哉(や)」,誘引1557作者丹比國人等之語。

1560 大伴坂上郎女跡見田庄作歌二首
 妹目乎 始見之埼乃 秋芽子者 此月其呂波 落許須莫湯目
 妹(いも)が目(め)を 始見崎(みそめのさき)の 秋萩(あきはぎ)は 此月頃(このつきごろ)は 散(ちり)こす莫努(なゆめ)
 吾妹目睛兮 始見之崎秋萩者 欲令佳人觀 還冀今月此頃間 莫輙散華莫凋零
坂上郎女 1560

「妹(いも)が目(め)を」,「始見(みそめ)」之枕詞。
「始見崎(みそめのさき)」,所在未詳。或書「跡見」者蓋訛。
「此月頃(このつきごろ)」,這陣子。時間感覺上較表最近數日之「此頃(このごろ)」更長。
「散(ちり)こす莫努(なゆめ)」,切莫急於散落。

1561 【承前。】
 吉名張乃 豬養山爾 伏鹿之 嬬呼音乎 聞之登聞思佐
 吉隱(よなばり)の 豬養山(ゐかひのやま)に 伏鹿(ふすしか)の 妻呼(つまよ)ぶ聲(こゑ)を 聞(き)くが羨(とも)しさ
 初荑吉隱之 豬養山間伏鹿矣 切切啼高鳴 吾聞彼鹿喚妻聲 不覺稱羨怨獨寢
坂上郎女 1561

「伏鹿(ふすしか)」,伏乃藏身之意。鹿之習性,白日匿身草叢之後。
「聞(き)くが羨(とも)しさ」,作者深居莊園孤寢,獨守空閨,想像伏鹿呼妻,自然稱羨。

1562 巫部麻蘇娘子鴈歌一首
 誰聞都 從此間鳴渡 鴈鳴乃 嬬呼音乃 乏知在乎
 誰聞(たれき)きつ 此(こ)ゆ鳴渡(なきわた)る 雁(かり)が音(ね)の 妻呼(つまよ)ぶ聲(こゑ)の 羨(とも)しくもあるを
 誰人可曾聞 飛雁經此越鳴渡 所啼喚妻聲 吾聞彼聲響切切 不覺興感盼君來
巫部麻蘇娘子 1562

「誰聞(たれき)きつ」,此有「君可聞哉」之意。
「羨(とも)しくもあるか」,原文「乏知在乎」諸本作「之知左守」難訓,案『萬葉集略解』引本居宣長說則為「乏蜘在可」之訛。然詠嘆文末助詞「か」之主語連接詞採「の」者,稍微悖理。此從宣長說而將「守」視為「乎」之訛。又「知」乃「蜘」之省劃借訓。
此曲,借雁聲期待家持來訪,指謫其不來誂訕之歌。

1563 大伴家持和歌一首 【承前。】
 聞津哉登 妹之問勢流 鴈鳴者 真毛遠 雲隱奈利
 聞(き)きつやと 妹(いも)が問(と)はせる 雁(かり)が音(ね)は 真(まこと)も遠(とほ)く 雲隱(くもがく)る也(なり)
 汝問可聞哉 鳴雁之音誠渺遠 十里霧之後 雲隱發鳴聲難辨 不知真心作何想
大伴家持 1563

「真(まこと)も遠(とほ)く 雲隱(くもがく)る也(なり)」,相較前曲,此云雁聲渺遠不清,更匿雲端之後,難以分辨。承前之可聞雁聲之問,回答或嫌冷漠,然亦可解作家持難知麻蘇娘子真心,故怯步不前,不敢輕易造訪。

1564 日置長枝娘子歌一首
 秋付者 尾花我上爾 置露乃 應消毛吾者 所念香聞
 秋付(あきづ)けば 尾花(をばな)が上(うへ)に 置露(おくつゆ)の 消(け)ぬべくも我(あれ)は 思(おも)ほゆるかも
 每逢時值秋 尾花置露將消散 吾身猶水露 虛渺無常近毀滅 念君我心若刀割
日置長枝娘子 1564

「日置長枝娘子」,傳未詳。按『新撰姓氏錄』「日置朝臣」當『古事記』「幣岐君」。
「秋付(あきづ)けば」,秋色已添,表環鏡呈現秋日之樣貌。
「置露(おくつゆ)の」,以上乃引出「消」字之序文。
「消(け)ぬべくも我(あれ)は」,心痛至極,寧願消亡之情。
類歌錄於2246秋相聞。文中有「消(け)ぬべく思(おも)ほゆ」者皆屬相聞曲。

1565 大伴家持和歌一首 【承前。】
 吾屋戶乃 一村芽子乎 念兒爾 不令見殆 令散都類香聞
 我(わ)が宿(やど)の 一群萩(ひとむらはぎ)を 思(おも)ふ兒(こ)に 見(み)せず殆(ほとほと) 散(ち)らしつるかも
 吾宿屋戶間 群簇秋萩芽子花 雖欲示伊人 未及令人翫見間 殆將零落盡消散
大伴家持 1565

「思(おも)ふ兒(こ)」,作者大伴家持所思念之人,此云日置長枝娘子。
「殆(ほとほと) 散(ち)らしつるかも」,期望在花散之前可令佳人觀看。或在散盡之前終於令人觀之。

1566 大伴家持秋歌四首
 久堅之 雨間毛不置 雲隱 鳴曾去奈流 早田鴈之哭
 久方(ひさかた)の 雨間(あまま)も置(お)かず 雲隱(くもがく)り 鳴(な)きそ行(ゆ)くなる 早稻田雁(わさだかり)が音(ね)
 遙遙久方兮 頻雨綿綿無息時 雲隱匿鳴去 早稻田雁發聲泣 朦朧渺遠苅田
大伴家持 1566

「早稻田雁(わさだかり)が音(ね)」,翱翔早稻田上之飛雁。「雁(かり)」與「苅(かり)」字雙關。

1567 【承前,第二。】
 雲隱 鳴奈流鴈乃 去而將居 秋田之穗立 繁之所念
 雲隱(くもがく)り 鳴(な)くなる雁(かり)の 行(ゆ)きて居(ゐ)む 秋田穗立(あきたのほたち) 繁(しげ)くし思(おも)ほゆ
 隱身匿雲後 啼鳴越虛飛雁者 去而將居之 秋田穗立繁所猶 吾念伊人頻如斯
大伴家持 1567

「秋田穗立(あきたのほたち)」,豎於秋田中之稻穗。引出「繁」字之序。
「繁(しげ)くし思(おも)ほゆ」,此云思念伊人之濃情密密,頻繁無間斷之狀。

1568 【承前,第三。】
 雨隱 情欝悒 出見者 春日山者 色付二家利
 雨隱(あまごも)り 心欝悒(こころいぶせ)み 出見(いでみ)れば 春日山(かすがのやま)は 色付(いろづ)きにけり
 避雨隱家中 此心不快情欝悒 出門望見者 寧樂奈良春日山 既染秋色織錦紅
大伴家持 1568

「雨隱(あまごも)り」,因連雨不停,故滯居家中。
「心欝悒(こころいぶせ)み」,鬱悶不快。

1569 【承前,第四。】
 雨𣋠而 清照有 此月夜 又更而 雲勿田菜引
 雨晴(あめは)れて 清(きよ)く照(て)りたる 此月夜(このつくよ) 亦更(またさら)にして 雲莫棚引(くもなたなび)き
 久盼雨方晴 清冽照臨此月夜 吾惜彼宵景 還願叢雲能識趣 莫更棚引遮明月
大伴家持 1569
 右四首,天平八年丙子秋九月作。

「雨晴(あめは)れて」,「晴(は)れ」原文「𣋠」者,不見於漢籍。蓋混「霽」、「晴」而成。

1570 藤原朝臣八束歌二首
 此間在而 春日也何處 雨障 出而不行者 戀乍曾乎流
 此間在(ここにあ)りて 春日(かすが)や何處(いづち) 雨障(あまつつ)み 出(いで)て行(ゆ)かねば 戀(こ)ひつつそ居(を)る
 身居在此間 春日山者在何方 雨障囚屋內 閉門戶中不得出 唯有思慕盡終日
藤原八束 1570

「此間(ここ)」,蓋指作者近於平城京之宅邸。此間乃漢籍俗語之用法。
「春日(かすが)や何處(いづち)」,「何處(いづち)」乃有關方角之疑問代名詞。春日山為雨雲遮蔽,不知在何方。
「雨障(あまつつ)み」,擔心被雨零濕而避居家中。
「戀(こ)ひつつそ居(を)る」,對象語乃春日山之景色。

1571 【承前。】
 春日野爾 鍾禮零所見 明日從者 黃葉頭刺牟 高圓乃山
 春日野(かすがの)に 時雨降(しぐれふ)る見(み)ゆ 明日(あす)よりは 黃葉髻首(もみちかざ)さむ 高圓山(たかまとのやま)
 今見春日野 野間時雨降雰雰 蓋自明日起 紅葉髻首插頭飾 高圓山兮妝韓紅
藤原八束 1571

「黃葉髻首(もみちかざ)さむ」,主語乃高圓山。擬人句法。

1572 大伴家持白露歌一首
 吾屋戶乃 草花上之 白露乎 不令消而玉爾 貫物爾毛我
 我(わ)が宿(やど)の 尾花上(をばながうへ)の 白露(しらつゆ)を 消(け)たずて玉(たま)に 貫物(ぬくもの)にもが
 吾庭屋戶間 尾花上白露矣 願汝莫易散 珠玉晶瑩更剔透 冀能貫之作數珠
大伴家持 1572

「白露(しらつゆ)を」,此乃「消(け)たずて玉(たま)に 貫物(ぬくもの)にもが」欲求之對象。此類句法多用「は」字,用「を」者唯1878與此曲爾。

1573 大伴利上歌一首
 秋之雨爾 所沾乍居者 雖賎 吾妹之屋戶志 所念香聞
 秋雨(あきのあめ)に 濡(ぬ)れつつ居(を)れば 賤(いや)しけど 我妹(わぎも)が宿(やど)し 思(おも)ほゆるかも
 秋雨降紛紛 萬物沾濡寂侘時 此心之所至 吾妹之宿雖卑賤 令人相思慕不止
大伴利上 1573

「大伴利上」,傳不詳。「利上」讀音有「としかみ」與「とかみ」等說,或云「大伴村上」之訛。
「濡(ぬ)れつつ居(を)れば」,此歌蓋幽居自宅所詠贈哉。
「賤(いや)しけど」,「賤(いや)しけ」乃形容詞「賤(いや)し」之已然形。此概引用對方謙遜之言。
「思(おも)ほゆるかも」,望能在戀人家中一同相過。

1574 右大臣橘家宴歌七首 【七首第一。】
 雲上爾 鳴奈流鴈之 雖遠 君將相跡 手迴來津
 雲上(くものうへ)に 鳴(な)くなる雁(かり)の 遠(とほ)けども 君(きみ)に逢(あ)はむと 迂迴來(たもとりき)つ
 吾猶雲之上 所鳴越度飛雁矣 路途雖遙遠 為得拜眉與君逢 不辭曲折參來也
高橋安麻呂 1574

「雲上(くものうへ)に 鳴(な)くなる雁(かり)の」,引出「遠(とほ)」之序。「なる」乃傳聞推定語「なり」。
「君(きみ)」,此云橘諸兄
「迂迴來(たもとりき)つ」,「迂迴(たもとり)」乃迂迴、停滯、難涉之意。

1575 【承前,七首第二。】
 雲上爾 鳴都流鴈乃 寒苗 芽子乃下葉者 黃變可毛
 雲上(くものうへ)に 鳴(な)きつる雁(かり)の 寒(さむ)きなへ 萩下葉(はぎのしたば)は 黃變(もみち)ぬるかも
 吾聞雲之上 鳴雁飛度虛空間 其聲實冽寒 不覺秋芽萩下葉 已然黃變染韓紅
高橋安麻呂 1575
 右二首。【闕文。】

「鳴(な)きつる雁(かり)の」,此句「雁」有「雁が音」之意。
「黃變(もみち)ぬるかも」,「ぬ」乃表現象開始作用之語法。

1576 【承前,七首第三。】
 此岳爾 小壯鹿履起 宇加埿良比 可聞可聞為良久 君故爾許曾
 此岡(このをか)に 雄鹿踏起(をしかふみおこ)し 竊狙(うかねら)ひ 左右(かもか)もすらく 君故(きみゆゑ)にこそ
 此崗丘之上 踏蹴以驚雄鹿起 竊狙望聲色 如此奮努所以者 皆為慕君思汝故
巨曾倍津嶋 1576
 右一首,長門守巨曾倍朝臣津嶋。

「竊狙(うかねら)ひ」,埋伏等待獵物出現與時機到來。與「伺う」同源,注意觀察對方顏色、動向,以察其心意。以上乃引出「左右(かもか)もすらく」之序。
「左右(かもか)もすらく」,「左右(かもか)も」原文或作「可聞可開」,此依『萬葉代匠記』校之。

1577 【承前,七首第四。】
 秋野之 草花我末乎 押靡而 來之久毛知久 相流君可聞
 秋野(あきのの)の 尾花(をばな)が末(うれ)を 押靡(おしな)べて 來(こ)しくも著(しる)く 逢(あ)へる君(きみ)かも
 跋涉秋野間 押靡芒草尾花梢 翻山闢路來 不辭足勞有所報 得與君逢見紅顏
阿倍蟲麻呂 1577

「押靡(おしな)べて」,推開漫草,踏破闢路之狀。
「來(こ)しくも著(しる)く」,「著(しる)く」指努力有所回報、效驗。

1578 【承前,七首第五。】
 今朝鳴而 行之鴈鳴 寒可聞 此野乃淺茅 色付爾家類
 今朝鳴(けさな)きて 行(ゆ)きし雁(かり)が音(ね) 寒(さむ)みかも 此野淺茅(このののあさぢ) 色付(いろづ)きにける
 蓋以今朝聞 鳴行大空飛雁音 其聲冷冽故 此野淺茅上秋妝 始著暮色褪黃變
阿倍蟲麻呂 1578
 右二首,阿倍朝臣蟲麻呂。

「此野淺茅(このののあさぢ) 色付(いろづ)きにける」,茅草於晚秋轉為赤褐色。

1579 【承前,七首第六。】
 朝扉開而 物念時爾 白露乃 置有秋芽子 所見喚雞本名
 朝戶開(あさとあ)けて 物思(ものおも)ふ時(とき)に 白露(しらつゆ)の 置(お)ける秋萩(あきはぎ) 見(み)えつつ故無(もとな)
 晨曦開朝戶 沉浸物念憂思時 瞥見白玉露 所置秋萩入眼簾 矇矓無由令人惱
文馬養 1579

「見(み)えつつ故無(もとな)」,「故無(もとな)」表無故、無由,用於對對方不故本身感受而困惑之表現。無論對象是人或景物,依觀者情緒有不識時務之感皆可使用。「つつ」原文「喚雞」乃借由呼雞之聲與朝戶相映之戲書表現。

1580 【承前,七首第七。】
 棹壯鹿之 來立鳴野之 秋芽子者 露霜負而 落去之物乎
 小壯鹿(さをしか)の 來立鳴(きたちな)く野(の)の 秋萩(あきはぎ)は 露霜負(つゆしもお)ひて 散(ち)りにし物(もの)を
 小壯牡雄鹿 來佇喚妻啼鳴響 野間秋荻矣 其芽子花負露霜 不堪凋零散去也

文馬養 1580
 右二首,文忌寸馬養。
天平十年戊寅秋八月廿日。

「露霜(つゆしも)」,露之雅語。
「散(ち)りにし物(もの)を」,「物(もの)を」乃逆接接續助詞。或用於文末詠嘆,而此則用為接序上二句之氣氛。

1581 橘朝臣奈良麻呂結集宴歌十一首 【十一第一。】
 不手折而 落者惜常 我念之 秋黃葉乎 插頭鶴鴨
 手折(たを)らずて 散(ち)りなば惜(を)しと 我(あ)が思(おも)ひし 秋黃葉(あきのもみち)を 髻首(かざし)つるかも
 吾常有所思 紅葉當折直須折 不手折之間 飄散零落令人惜 故攀秋紅以髻首
橘奈良麻呂 1581

「手折(たを)らずて」,此有與志同道合者共攀紅葉,設宴風流之意。
主人對來宴者招呼之曲。