補給物資、万葉集試訳

■補給物資
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万葉集試訳

3397 【承前,七六卌五。】
 比多知奈流 奈左可能宇美乃 多麻毛許曾 比氣波多延須禮 阿杼可多延世武
 常陸(ひたち)なる 浪逆海(なさかのうみ)の 玉藻(たまも)こそ 引(ひ)けば絕(た)えすれ 何(あど)か絕(た)えせむ
 若為衣袖漬 常陸國間浪逆海 生息玉藻者 汝若扯之絮將絕 然吾情者豈斷哉
佚名 3397

 右十首,常陸國歌。

「引(ひ)けば絕(た)えすれ」,逆接比喻。若為海藻,受到撕扯則將被扯斷。
「何(あど)か絕(た)えせむ」,反語,表示無論受到怎麼阻礙,都不會斷絕與對方的情分、關係。

3398 【承前,七六卌六。】

 比等未奈乃 許等波多由登毛 波爾思奈能 伊思井乃手兒我 許登奈多延曾禰
 人皆(ひとみな)の 言(こと)は絕(た)ゆとも 埴科(はにしな)の 石井手兒(いしゐのてご)が 言勿絕(ことなた)えそね
 縱為人疏離 不復言語不往來 吾與植科之 天香石井手兒間 交誼睦語豈絕哉
佚名 3398

「人皆(ひとみな)の 言(こと)は絕(た)ゆとも」,受人排擠,與眾人絕交,斷絕言與往來。比喻因獨佔村中最為美麗之美人而遭人嫉妒。
「石井手兒(いしゐのてご)が」,石井乃以石枠圍繞之井口,此蓋指地名。手兒為年輕娘子之呼稱,指少女。

3399 【承前,七六卌七。】
 信濃道者 伊麻能波里美知 可里婆禰爾 安思布麻之奈牟 久都波氣和我世
 信濃道(しなぬぢ)は 今墾道(いまのはりみち) 刈刎(かりばね)に 足踏(あしふ)ましむ莫(な) 沓履(くつは)け我(わ)が背(せ)
 水薦苅薙兮 信濃道者新墾道 汝今行去者 莫令刈株傷馬足 當令履沓吾夫子
佚名 3399

信濃道(しなぬぢ)は」,前往信濃國之道路。此蓋指花了十二年而在和銅六年開通之聯絡美濃、信濃的岐蘇路。
「今墾道(いまのはりみち)」,剛剛開墾完成之新路。
「刈刎(かりばね)」,以鐮刀等劈砍雜木而剩下之刈株。
「足踏(あしふ)ましむ莫(な)」,「足踏(あしふ)ましむ」指用力踩下而受傷。警戒丈夫不要讓馬兒的腳踏傷。
「沓履(くつは)け我(わ)が背(せ)」,指示丈夫讓馬穿上馬沓。

3400 【承前,七六卌八。】
 信濃奈流 知具麻能河泊能 左射禮思母 伎彌之布美弖婆 多麻等比呂波牟
 信濃(しなぬ)なる 千曲川(ちぐまのかは)の 細石(さざれし)も 君(きみ)し踏(ふ)みてば 玉(たま)と拾(ひろ)はむ
 水薦苅薙兮 綜為信濃千曲川 河間細石類 若為我君嘗踏者 拾而珍藏猶珠玉
佚名 3400

「細石(さざれし)」,「細石(さざれいし)」之略。
「君(きみ)し踏(ふ)みてば」,「て」為完了助動詞「つ」之未然型。用以表現假定事實。

3401 【承前,七六卌九。】
 中麻奈爾 宇伎乎流布禰能 許藝弖奈婆 安布許等可多思 家布爾思安良受波
 中麻奈(なかまな)に 浮居(うきを)る舟(ふね)の 漕出(こぎで)なば 逢事難(あふことかた)し 今日(けふ)にし非(あら)ずは
 若乘中麻奈 泛河浮居扁舟而 漕出榜去者 別離兩地相逢難 今日不聚待何時
佚名 3401

 右四首,信濃國歌。

「中麻奈(なかまな)」,河川名,但未詳孰是。編纂者蓋以為與前曲「千曲川」同,而併錄一處哉。
「浮居(うきを)る舟(ふね)の」,蓋男性作者將乘而出行之舟。

3402 【承前,七六五十。】
 比能具禮爾 宇須比乃夜麻乎 古由流日波 勢奈能我素低母 佐夜爾布良思都
 日暮(ひのぐ)れに 碓冰山(うすひのやま)を 越(こ)ゆる日(ひ)は 背(せ)なのが袖(そで)も 清(さや)に振(ふ)らしつ
 薄日夕暮際 巍峨碓冰之山頭 翻越徃之日 親親吾夫我君之 衣袖揮舞顯可見
佚名 3402

「日暮(ひのぐ)れに」,以「薄日(うすひ)」以為「碓冰(うすひ)」之枕詞。
「清(さや)に振(ふ)らしつ」,「清(さや)に」表清晰、明瞭可見。

3403 【承前,七六五一。】
 安我古非波 麻左香毛可奈思 久佐麻久良 多胡能伊利野乃 於久母可奈思母
 我(あ)が戀(こひ)は 正處(まさか)も愛(かな)し 草枕(くさまくら) 多胡入野(たごのいりの)の 奧(おく)も愛(かな)しも
 吾人之所戀 非但當下甚愛憐 草枕在異地 縱在多胡入野間 奧處將來亦可怜
佚名 3403

「我(あ)が戀(こひ)は」,此指作者之戀人。
「正處(まさか)も愛(かな)し」,「正處(まさか)」指當下、現在之意。
草枕(くさまくら)」,「旅(たび)」之枕詞,此與地名「多胡(たご)」雙關。
「入野(いりの)」,深入山間之平原。以上為「奧(おく)」之序文。
「奧(おく)も愛(かな)しも」,「奧(おく)」本指空間上的深處,亦引伸為時間上的未來。原文「奧(おく)」或作「於父」,按『萬葉代匠記』則「於久」之訛。

3404 【承前,七六五二。】
 可美都氣努 安蘇能麻素武良 可伎武太伎 奴禮杼安加奴乎 安杼加安我世牟
 上毛野(かみつけの) 安蘇真麻群(あそのまそむら) 搔抱(かきむだ)き 寢(ぬ)れど飽(あ)かぬを 何(あど)か我(あ)が為(せ)む
 洽猶上毛野 安蘇真麻群所如 雖然強抱擁 縱然相寢貪無厭 吾將何去復何從
佚名 3404

「安蘇真麻群(あそのまそむら)」,「真麻群(まそむら)」為群生之麻。麻高約一至二公尺之間,苅麻之際,抱取之姿態,與男女抱擁類似,故云。

3405 【承前,七六五三。】
 可美都氣努 乎度能多杼里我 可波治爾毛 兒良波安波奈毛 比等理能未思弖
 上毛野(かみつけの) 乎度多杼里(をどのたどり)が 川路(かはぢ)にも 兒等(こら)は逢(あ)はなも 一人(ひとり)のみして
 嗚呼上毛野 乎度所居多杼里 縱在川路間 若可一逢何其善 無奈形單隻影孤
佚名 3405

 或本歌曰:「可美都氣乃,乎野乃多杼里我,安波治爾母,世奈波安波奈母,美流比登奈思爾。」
 或本歌曰(あるぶみのうたにいふ):「上毛野(かみつけの)、小野多杼里(をののたどり)が、、淡路(あはぢ)にも、背(せ)なは逢(あ)はなも、見(み)る人無(ひとな)しに。」
 嗚呼上毛野 小野所居多杼里 縱在淡路間 若可逢兄何其善 無奈無緣會伊人

「乎度多杼里(をどのたどり)」,「乎度」、「多杼里」皆未詳,按文意則「多杼里」蓋為人名。
「兒等(こら)は逢(あ)はなも」,反事實希求。
「淡路(あはぢ)」,「川路(かはぢ)」之音轉。
類想歌3463。


3406 【承前,七六五四。】
 可美都氣野 左野乃九久多知 乎里波夜志 安禮波麻多牟惠 許登之許受登母
 上毛野(かみつけの) 佐野莖立(さののくくたち) 折(を)り生(は)やし 我(あれ)は待(ま)たむゑ 來年來(ことしこ)ずとも
 手首折上毛野 摘取佐野莖立而 折之而復生 獨守空閨待君來 縱令今年猶不至
佚名 3406

「莖立(くくたち)」,折取小松菜、高菜之類,尚未含苞前之莖。可食用。『正倉院文書』有「莖立十把卅文」。
「折(を)り生(は)やし」,摘取卻仍持續生長。
「我(あれ)は待(ま)たむゑ」,「ゑ」為心情不快之時,所發之間投助詞。

3407 【承前,七六五五。】
 可美都氣努 麻具波思麻度爾 安佐日左指 麻伎良波之母奈 安利都追見禮婆
 上毛野(かみつけの) 真妙窗(まぐはしまと)に 朝日射(あさひさ)し 眩(まきら)はしもな 在(あり)つつ見(み)れば
 洽猶上毛野 真桑島門真妙窗 燦爛朝日射 光彩眩目難直視 久瞻伊人光儀者
佚名 3407

「真妙窗(まぐはしまと)に」,未詳。或云「真妙窗」,或云「真桑島門」。
「朝日射(あさひさ)し」,以上蓋為「眩(まきら)はし」之序文。
「眩(まきら)はし」,讚美美人容姿之語。


3408 【承前,七六五六。】  爾比多夜麻 禰爾波都可奈那 和爾余曾利 波之奈流兒良師 安夜爾可奈思母
 新田山(にひたやま) 嶺(ね)には付(つ)か莫(な)な 我(わ)に寄(よ)そり 端(はし)なる兒等(こら)し 文(あや)に愛(かな)しも
 上野新田山 其嶺孤高無連峰 雖未嘗相寢 竟傳浮名可人兒 按捺莫名可怜矣
佚名 3408

「新田山(にひたやま)」,孤立於上毛野國,周圍無它山鄰接。
「嶺(ね)には付(つ)か莫(な)な」,以「嶺(ね)」、「寢(ね)」雙關,意旨未嘗共寢。
「我(わ)に寄(よ)そり」,傳出與作者過從甚密之謠言。
「端(はし)なる」,不上不下的狀態,並未因而接近作者,但也無法視而不見的狀態。

3409 【承前,七六五七。】
 伊香保呂爾 安麻久母伊都藝 可奴麻豆久 比等登於多波布 伊射禰志米刀羅
 伊香保(いかほ)ろに 天雲(あまくも)い繼(つ)ぎ 鹿沼繼(かぬまづ)く 人(ひと)と呼(おたは)ふ 去來寢(いざね)しめ刀羅(とら)
 伊香保嶺上 天雲嘗懸續不斷 鹿沼所繼兮 人矣呼喊常此喚 去來相寢刀羅女
佚名 3409

「天雲(あまくも)い繼(つ)ぎ」,い為接頭語。以上藉天雲常懸嶺上,以為帶出三四句之序文。
鹿沼繼(かぬまづ)く」,未詳,蓋為「人」之修飾語。
「人(ひと)と呼(おたは)ふ」,類歌351有「人(ひと)そ呼(おたは)ふ」。と或為そ之訛。語意未詳,或云呼喚。
「去來寢(いざね)しめ刀羅(とら)」,「寢(ね)しめ」為「寢(ね)させよ」之意,「刀羅(とら)」未詳,或云女性名,刀羅賣之疇。

3410 【承前,七六五八。】
 伊香保呂能 蘇比乃波里波良 禰毛己呂爾 於久乎奈加禰曾 麻左可思余加婆
 伊香保(いかほ)ろの 沿(そ)ひの榛原(はりはら) 懃(ねもころ)に 奧(おく)を勿豫(なかね)そ 正處(まさか)し良(よ)かば
 伊香保嶺之 近鄰榛原根所如 慇懃誠懇而 莫惱將來豫如此 只須當下多幸者
佚名 3410

「沿(そ)ひの榛原(はりはら)」,「沿(そ)ひ」為近鄰、緊貼著。以上,藉榛原之「根(ね)」以為「懃(ねもころ)」之序。
「奧(おく)を勿豫(なかね)そ」,「奧(おく)」指未來。「豫(かね)」乃預測,思量。
「正處(まさか)し良(よ)かば」,「正處(まさか)」為現在。「良(よ)かば」為「良(よ)けば」之東國語。

3411 【承前,七六五九。】
 多胡能禰爾 與西都奈波倍弖 與須禮騰毛 阿爾久夜斯豆之 曾能可抱與吉爾
 多胡嶺(たごのね)に 寄(よ)せ綱延(つなは)へて 寄(よ)すれども あ憎(にく)やしづし 其顏良(そのかほよ)きに
 在於多胡嶺 張設寄綱令長延 雖欲牽其近 可憎竟不為所動 惜哉端正美人兒
佚名 3411

「寄(よ)せ綱延(つなは)へて」,「寄せ綱」乃用以將物體拉近之繩索。「延(は)へ」指長延。欲討好女性之比喻。
「あ憎(にく)やしづし」,意未詳。蓋可恨之意。雖然努力想讓女方與自己走近,卻絲毫不為所動。
「其顏良(そのかほよ)きに」,容貌端正、姣好。


3412 【承前,七六六十。】
 賀美都家野 久路保乃禰呂乃 久受葉我多 可奈師家兒良爾 伊夜射可里久母
 上毛野(かみつけの) 久路保嶺(くろほのね)ろの 葛葉蔓(くずはがた) 愛(かな)しけ兒等(こら)に 彌離來(いやざかりく)も
 洽猶上毛野 久路保嶺所生息 葛葉蔓所如 吾步漫漫此長道 彌離伊人至於茲
佚名 3412

「葛葉蔓(くずはがた)」,「蔓(がた)」為古語,意指植物之藤蔓,或以之所採集之纖維、絲絮。以上乃用以比喻旅行路遙之序文。
「愛(かな)しけ」,「愛(かな)しき」之東國語。

3413 【承前,七六六一。】
 刀禰河泊乃 可波世毛思良受 多太和多里 奈美爾安布能須 安敝流伎美可母
 利根川(とねがは)の 川瀨(かはせ)も知(し)らず 直渡(ただわた)り 波(なみ)に遭(あ)ふのす 逢(あ)へる君(きみ)かも
 身處利根川 不識水淺川瀨處 莽撞直度而 倏遭波襲之所如 突然相逢吾君矣
佚名 3413

「波(なみ)に遭(あ)ふのす」,「のす」為表如此這般之「なす」的東國語。

3414 【承前,七六六二。】
 伊香保呂能 夜左可能為提爾 多都努自能 安良波路萬代母 佐禰乎佐禰弖婆
 伊香保(いかほ)ろの 清堰堤(やさかのゐで)に 立虹(たつのじ)の 現(あら)はろ迄(まで)も 小寢(さね)を小寢(さね)てば
 上野伊香保 清爽八咫堰堤間 現虹之所如 舉目昭彰眾人知 幾夜相寢共纏綿
佚名 3414

「清堰堤(やさかのゐで)」,「堰堤(ゐで)」表堤堰、水壩之類。此蓋指人工池的堤防。「清」或為地名,或為修飾堤防之高的「八咫」。
「立虹(たつのじ)の」,「虹(のじ)」為「虹(にじ)」之古形或東國語。『登古呂言葉』有「のじ」,『仙覺抄』有「のず」,『日本書紀』天武紀有「ぬじ」。
「現(あら)はろ迄(まで)も」,「現(あら)はろ」為「現(あら)はる」之東國語。「まで」於茲表程度、地步。
「小寢(さね)を小寢(さね)てば」,其下省略不顧後果云云。一再相寢,以至於兩人的關係如彩虹般為眾所皆知。