試譯 三島由紀夫『英靈之聲』、万葉集試訳

■試譯 三島由紀夫『英靈之聲』

二二六事件紀念 試譯 三島由紀夫『英靈之聲』

 淺春某夕,筆者列席木村先生歸神會、所受感銘,終生難忘。其夜種種,憚於筆誌者甚多,然竊以為,盡吾所能,忠實傳其記錄者,是為筆者之責務。
 歸神法,亦名幽齋法。普通神殿宮社祝詞供饌以齋祭神祇者,是為「顯齋法」。與之相對,幽齋法乃以靈對靈之法,故得此名。又歸神之中,亦有幽顯。幽性歸神,於本人不察之際,遁入靈境,以其精神集中而得靈感。況於他人,無由察其有樣。所謂藝術家之靈感等,蓋屬之也。
 與玆相對,顯性歸神,普稱懸神。神所憑依,無論本人,周遭眾人亦可明瞭觀見。
 又,無論幽顯,皆各有自感法、他感法之別。前者為獨自感合神靈之疇。筆者所以列席之會,無須贅述,實屬顯性歸神之他感法也。
 抑抑他感法者,當有審神者、有神主為靈媒,更為正式者尚有琴師,奏六絃琴以乞神靈來格,而審神者伺立其傍。木村先生嚴父天快翁,省廢琴師,審神者自吹石笛,鳴而興法。

 淺春の或る一夕、私は木村先生の歸神會に列席して、終生忘れる事の出來ない感銘を受けた。其夜に起きつた事には、筆にするのが憚られる點が多いが、能う限り忠實に其記錄を傳へる事が、私の務めであると思う。
 歸神法を、一名又幽齋法と云ふのは、普通の神殿宮社で、祝詞供饌有つて、神祇を齋祭る「顯齋法」に比して、靈を以て靈に對する法であるから、此名が有るのである。又、歸神の中にも幽顯が有り、幽の歸神と云ふのは、本人もお氣付かぬ內に靈境に入つて、其精神集中に以つて靈感を得る物で、況して他人には其有樣は讀め無いから、所謂藝術家のインスピレーション等も、茲に含まれると考えて良かろう。
 玆に對する顯の歸神は、普通に云ふ神懸の事で、神の憑坐した事は、本人は元より、周りの者にも明瞭に見て取れるのである。
 又、幽顯夫夫に、自感法、他感法の別があり。我獨神靈に感合するのが前者であるが、私が列席した會は、言ふ迄も無く、此顯の歸神の他感法に依る物であつた。
 抑抑他感法には、審神者(さには)が居り、靈媒たる神主が居り、更に正式には琴師が居て、六絃琴を奏でて神靈の來格を乞ひ、審神者が伺ひを立てるのであるが、木村先生の嚴父天快翁は琴師を廢され、審神者たる翁自ら、石笛を吹鳴らされる法を興された。


敢死僭述懸尊諱,畏慎誠惶復誠恐,伏奏天皇顯人神。
如今放眼望天下,四海雖非波濤穩,然顧扶桑大日本……

掛幕(かけまく)も、竒(あや)に畏(かしこ)き、天皇(すめらみこと)に伏して奏(まを)さく。今、四海必ずしも波穏やかならねど、日の本のやまとの國は……

如今放眼望天下,四海雖非波濤穩,然顧扶桑大日本,鼓腹擊壤歌康哉。
皆披皇澤仁德下、和穩盈世舞昇平,人等臉上現泰平,緩頰微笑交相見。
利害錯綜不單純,漢賊兩立夙交好,異國金錢鬼推磨,趨炎附勢此世間。
人厭戰爭愛卑劣,唯有邪諍蔭蔓延。夫婦朋友不能信,虛偽人本為便糧。
偽善團欒覆六合,眾貶強力蔑肉體。青壯咽喉為緊勒,怠惰麻藥闘爭間。
又往無望小志道,洽猶羔羊齊步進。快樂愉悅失其實,信義誠譽喪其力,
直魂悉腐靈僉蝕,渾渾噩噩度此生。年老之人復何求,卑屈我執與自保。
假借道德虛名目,蔓延天下泛世中。真實為隱蔽不見,真情已病將就木。
天下往來道行人,不履希望莫雀躍。茫然並排若走肉,浸潤癡呆笑談中,
直魂已死行屍等,透其印堂顯可見。無論歡愉或悲哀,石火須臾逝去矣。
清純為賈淫蕩衰、人心唯有念金貨,人之所沽劣於金、時勢如此難以止。
為世所背者何如?屈身背者流派間,貪生小賢圖苟活,一心唯營安住宿。
世我與者復何如?自我滿足貪酣寢,膨其鼻孔不可教。衰敗之美今再興,
風靡天下不可擋。唯陋劣真謂為實。車馬繁殖蹈街中,愚昧速度致魂斷。
高樓大廈雖廣建,大義崩壞不復存。其築窗窗露螢燈,輝照欲求之不滿。
每日每朝昇日者,煙霧迷漫曇所蔽。感情鈍磨鋭角滅,義烈雄魂盡掃地。
血潮悉汚凝成穢,淹滯澱濁平和間。清迸血潮不復在,枯槁乾涸如死灰。
翔天之人已折翼,不朽榮光何處去,昔日彌榮今衰竭,白蟻噬兮嗤嘲笑。

如斯絕望末法日,何以天皇竟成俗!

「 ......今、四海必ずしも波穏やかならねど、日の本のやまとの國は鼓腹擊壤(こふくげきじやう)の世をば現じ、
御仁德の下、平和は世に滿滿(みちみ)ち、人等(ら)泰平の緩(ゆる)き微笑みに顏見交はし、
利害は錯綜し、敵味方も相結び、外國の金錢は人らを走らせ
最早(もはや)戰ひを欲せざる者は卑劣をも愛し、邪まなる戦のみ陰に蔓延(はびこ)り、
夫婦朋友も信ずる能はず、偽(いつは)りの人間主義を方便(たつき)の糧と為(な)し偽善の團欒は世を覆(おほ)ひ、
力は貶せられ、肉は蔑され、若人等は咽喉元を締付けられつつ、怠惰と麻藥と闘爭に、
且又(かつまた)望み無き小志の道へ、羊の如(ごと)く步みを揃へ、
快樂も其實を失ひ、信義も其力を喪ひ、魂は悉く腐蝕せられ、
年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をば、道德の名の下に天下に擴(ひろ)げ、
真實は蔽隱(おほひかく)され、真情は病み、
道行(ゆ)く人の足は希望に躍る事(こと)嘗無(かつてな)く、 並(な)べてに癡呆の笑ひは浸潤し、
魂の死は行人の額に透かし見られ、歡(よろこ)びも悲しみも須臾(しゆゆ)にして去り清純は商はれ、淫蕩は衰(おとろ)へ、
唯(ただ)金よ金よと思ひ廻(めぐ)らせば、人の値打は金よりも卑しく成り行(ゆ)き、
世に背く者は背く者の流派に、生(い)かし賢(こ)げの安住の宿りを營み、
世に時めく者は自己滿足の寢污(いぎたな)き鼻孔を膨(ふく)らませ、
再(ふたた)び衰へたる美は天下を風靡し、陋劣なる真實のみ真實と呼ばれ、
車は繁殖し、愚かしき速度は魂を寸斷し、大ビルは建てども大義は崩壞し、
其窗窗は欲求不滿の螢光燈に輝き渡り、朝な朝な昇る日はスモッグに曇り、
感情は鈍磨し、鋭角は磨滅し、烈しきもの、雄雄しき魂は地を払ふ。血潮は悉(ことごと)く汚れて平和に澱み、
迸(ほとばし)る清き血潮は涸れ果てぬ。
天翔ける物(もの)は翼を折られ、不朽の榮光をば白蟻どもは嘲笑(あざわら)ふ。

斯(か)かる日に、何(な)どて天皇(すめろぎ)は人間と成賜(なりたま)ひし!

 一旦送神,竊想人等或可休遐片刻,筆者遂回應N氏之眼神,鼓起勇氣,詢問先生:「方才降神之靈,蓋為何神?如斯切實述詠現代世相,推測蓋為輓近神之籌乎?」
 木村先生徐徐開口道:「否,未必如此。」
 據先生所言葉,雖仍不識孰神為是,但可知其數眾多,又其神齡雖稚,神格高上無疑。按先考神傳秘書、列舉
  一、必伺過去、現在、未來。
  二、不可不辨真神、偽神。
  三、不可不知神之上、中、下品。
  四、不可不知其神功業。
  五、不可不辨荒魂、和魂、幸魂、奇魂。
  六、不可不知神為公憑、私憑。
 等等。竊思,不難推測,此諸神等,自為真神,並屬上品,功業可謂偉大荒魂,今夜公憑此處,堪稱明瞭。此夜過後,筆者得知先生推測,皆悉肯綮中的,是以對先生之敬愛,更添又新。於此紀錄,亦可證公憑,欣慰鼓舞之處甚多。
 木村先生娓道再三,「縱語今世之事,未必即為新神。斥責今世汙穢者,乃真知灼見而已。吾人以為奇異者,每聞此合唱,頻頻可嗅潮香。放眼遼闊海原,眺望明月照耀者,蓋為何神,神集何處,心欲自此伺見。」
 筆者如是澄淨心耳,恭聞先生再拾石笛吹奏聲之玲瓏。
 川崎君猶如聽聞主人呼喚之白犬,仰起垂首,筆者見其容貌既變。迥異於川崎君平日稍嫌柔弱之光儀,顯露凛凛決然之表情。眉間甚迫,目眥盡裂,柔唇閉塞。於茲如實地顯現臨戰年輕兵士之面容。
 木村先生放下石笛,以堅毅的口吻問道:「汝為孰神?願以賜答。」
 川崎君回答之聲紋,猶如發自雄壯男子咽喉之壯士之聲。
 「吾等是為遭逢背叛者之靈矣。」其聲明瞭。我等聞之,不覺慄然。
 木村先生不動如山,復以平靜口調探問:「蓋造何人背叛?」
 「於茲坦露,忌憚甚矣。待聞吾等物語,其答自明。」
 「如今神集何處?」
 「所名不可言之。於茲惟答,在月照海上。同志諸神,多集今宵海上。今日,拍打汝等屋頂、汝等門戶之春嵐,洽猶吾等之吐納,欲喚汝等,醒於睡夢。其嵐可謂吾等哀嘆之先驅矣。然而,此處海上,離陸甚遠,遍滿月光,海潮深暗,蜿蜒逡巡,不見浪華,可謂和凪。此處乃吾等安息之地。然而於今,心尚怨憤,難耐慨歎,撕心裂肺。何故如此?吾等乃遭背叛之靈也。」
 「汝等何遭背叛?」
 「其後將語,靜聞而可矣。君不見,自彼沖瀛,又有同志一人,揚帆乘風,越海前來。觀之可矣。帆色土埃,黃金之釦,為月光照耀,其肩之上,肩章放光。而見其軍服,胸部破敗,為血所濡。穿其胸者,非為銃彈之力,實乃無盡怨恚之功。今猶流血,淌淌不止...」

 一先ず神は神上り、人間の休息の暇が与えられたやうに思はれたので、私はN氏の目配せに応へて、勇を鼓して、今神下りましたのは如何なる神でせうか、と先生に問うた。如何にも如實に現代の世相を歌つておられたから、輓近神となられた方であらうかと推測されたのである。
 木村先生は徐に口を開かれ、「否、私は必ずしもさうは思ひません。」と言われた。
先生のお言葉に拠れば、如何なる神とも知れないが、其數が多である事、又、若い神神であるらしく思はれるが、高い神格は疑ひが無い事、先考の神傳秘書中にも、
 一、過去現在未來を伺うべし。
 二、真神なるや偽神なるや辨せずばあるべからず。
 三、神の上中下の品位を知らざるべからず。
 四、神の功業を知らざるべからず。
 五、荒魂、和魂、幸魂、奇魂を知らざるべからず。
 六、神に公憑私憑あるを知らざるべからず。
 等等とあるが、密かに思うに、此神神あ真神たるは勿論、上品に屬され、功業は大なる荒魂であり、しかも今夜は此處に公憑として憑られたのだと推測されると云ふ事、が明らかに成つた。此一夜が過ぎた後、私は先生の最初の推測が悉く肯綮に中(あた)つてゐたのを知つて、今更ながら先生に対する敬愛を新たにしたが、この紀錄も其が公憑であると判つて鼓舞された點が多い。
 木村先生が重ねて言はれるには、「今世の事を語られても、必ずしも新しい神神とは云はれない。今世を汚れたり謗り給ふのは、何もかもお見透しだからである。私が奇異に思ふのは、此合唱を聞く間、頻りに潮香が嗅がれ、一望遙かなる海上に、月の照るのが眺められたが、如何なる神神であり、如何なる場所に神集うておられるのか、これから伺つて見やうと思ふ。」
 私は、如是て、心耳を澄まして、再び石笛を取り上げられた先生の、玲瓏たる吹奏を聴いた。
 川崎君は、主人の呼び聲を耳にした白い犬の樣に、項垂れてゐた面を上げたが、既に其顏は顔變りがして、普段の川崎君の稍柔弱な面輪とは違った、凛凛しい決然とした表情を浮かべてゐるのに私は氣付ゐた。眉は迫り、眥を裂き、その優しい唇さへきりりと結ばれて、其處には戰いに臨んだ若い兵士の樣な面差しが如實に顯われてゐた。
 木村先生は石笛を口から離され、「如何なる神に坐しますか、答へ給へ」と確りした語調で言われた。
 これに答える川崎君の聲も、太い男らしい咽喉から出す益荒男の聲に成つてゐた。
 「我等は裏切られた者達の靈だ。」とその聲は明瞭に言つた。
 私どもは慄然とした。
 木村先生は少しも動ぜずに、同じ平靜な口調で、重ねて問はれた。
 「何者が裏切つたのでありますか?」
 「それは今言うは憚りがある。我等の物語を聞いて後、自ずから明らかに成らう。」
 「今何処に神集うて坐しますか?」
 「所の名は言えぬ。月の海上であるとだけ答へやう。志を同じくする者が、今宵は海の上に數多く集うてゐる。今、御身等(おんみら)の家の屋根を打ち、戸を打つてゐる春の嵐は、我等の息吹が御身等の眠りを覺まさうとして、早駈けてゐるのである。然し、此處の海上は陸から遠く離れ、月光は遍滿す、黒い畝(うね)りを帯びて巡る潮は、笹立つ浪頭も見せずに和いでゐる。此處は我等の安息の場所だ。然し今尚心は怨みと憤りと、耐へ難い慨きに引裂かれてゐる。何故なら我等は裏切られた靈だからだ。」
 「何故裏切られ給うたのでありますか?」
 「其は追追語る所を聞くが良い。そら、彼方の沖からも、同志の一人が、海上を風を孕んだ帆のやうに進んで來る。見るが良い。其帆はカーキ色であり、黃金の色の釦が月に光り、肩には肩章が光つてゐる。そして其軍服の胸は破れ、血に濡れてゐる。其胸は銃彈を以て破れたのでは無い。盡きせぬ怨みに以て破れ、今も猶血を流してゐるのである...」
 此時私は、今宵の歸神が容易ならぬ事態を招いたのを思った。
 木村先生は表は平靜さを変へられぬが、其額に滲む汗を見ても、靈の瞋恚の火明りを受けて、躊(たじ)らいで居られるのが察せられる。
 然し一旦招請された神靈を、如何に荒い御魂とは言へ、此方の勝手で神上りし賜ふやうに願ふ事は、後後の禍の元でもあり、御先代の神傳秘書の固く戒める所である。先生が既に決意を以て、此荒魂を迎へやうとされてゐる事は、私には良く判つてゐた。
 一方、川崎君の顔も徐徐に紅潮し、言葉は次次と、神神しい威嚴を以て其口から出て、最早止める術も無いやうに見えた。
 先生が、「海上の神遊びの御心をお聞かせ下さい。」と問はれると、
 「神遊びか。」と靈の言葉には、嘲けるやうな、又、聴き樣によっては自ら嘲けてゐる時も聞こえる響きが籠つてゐた。

吾等逃離陸上之虛偽奧津城,舉眾聚集月夜海上,相語今世總總,復論往世總總,以之為習。所以酒宴,壽祝者何?狂拂騷捲之海風,便是我等之祝酒。
所以神集者,非僅吾等同志而已。時有幾千幾萬、數十萬之兵士。
其靈相覷,毀謗訕罵今世之污穢,和聲高歌,相唱戲鬧之曲。然而吾等知悉,此儔喧囂之聲,早已不入世俗眾人之耳。

在此周回日本之海上,尚有汩汩血潮,經巡不斷。過去,無數青年所淌之血,化作海潮之核。
汝等可曾見之?月夜海上,吾等歷歷在目。徒然碧血,一時之間將黒潮變作血色,赤潮呻吟、叫喚,猶如猛獸,圍繞此褊小島國,那徘徊彷徨,悲哀詰吼之姿!
觀覽此儔,便是吾等之神遊!束手旁觀,便是吾等之神遊!遙遙彼方,日本本土,縱令夜深,數多燈火無盡之集團,泛於海上,以熔鑛燈之光,舐照夜空。
於彼,有一億蒼生,吐納寢息。或沉溺淫樂,以吾等不識之冷淡厭倦之興,濡濕被褥。
汝可視哉?

吾等所欲顯現真姿之國體,既為糟蹋蹂躪,蕩然無存!失喪國體之日本,漂蕩彼處,洽猶浮標,渾渾噩噩,隨波逐流之狀!
汝可視哉?

是今闡明言我身。吾等即三十年前,興起義軍,反蒙叛亂汙名,含冤身死者也。卿等莫忘。

「我等(われら)は陸(くが)の偽(いつは)りの奧津城を逃出(のがれいで)て、月夜には海上に集(つど)ふて、今の世の事、又過(す)ぎし世の事を語合ふのを習(ならは)しとしてゐるが、此酒祝(さかほが)ひには、吹騷(ふきさや)ぐ海風が我等(われら)の酒だ。
神集ふのは我等(われら)の同志のみでは無い。時には幾千幾萬、何十萬の兵(つはもの)の靈が相見(あひみ)え、今世の汚れを謗(そし)る戲れの歌に聲を合はせる。しかし其声さへ、人人の耳に最早(もはや)届かぬ事を我等(われら)は知つてゐる。
此の日本を迴(めぐ)る海には、尚(なほ)血が經巡(へめぐ)つてゐる。嘗(かつ)て無數の若者の流した血が海潮の核心を成してゐる。其を見た事があるか。月夜の海上に、我等(われら)はありありと見る。徒(あだ)に流された血が其時黑潮を血色に變へ、赤い潮(うしほ)は唸り、喚び、猛獸の如く此小さい島國の周(まわ)りを彷徨し、悲しげに吼える姿を。其を見る事が我等(われら)の神遊びなのだ。手を束ねて唯(ただ)見守る事が我等(われら)の遊びなのだ。彼方(かなた)、日本本土は、夜も盡きぬ燈火の集團の幾(いく)つかを海上に泛ばせ、熔鑛燈の光は夜空を舐めてゐる。あそこには一億の民が寢息を立て、或(ある)ひは我等(われら)の知ら無かつた、冷たい飽き果てた快樂に褥を濡らしてゐる。あれが見えるか。我等(われら)がその真姿を顯現せうとした國體は既(すで)に踏躙(ふみにじ)られ、國體無き日本は、かしこに浮標のやうに心元無(もとな)げに浮んでゐる。あれが見えるか。今こそ我が本體を明かさう。我等(われら)は三十年前に義軍を起し、叛亂の汚名を蒙つて殺された者である。卿等( おんみら)は我等(われら)を忘れてはいまい。」

嗚呼惜哉復哀哉,悲嘆不已激憤甚!
嗚呼!嗚呼!
抑抑、所謂綸言如汗者,此其何處詞藻哉?
若為神者依勅死,若為神勅納皇軍。稜威御力何所以,實非天皇個人力,皇祖皇宗所致矣!
嗚呼!嗚呼!
若云往世皆架空,今世方為現實者。捨生殞命義烈者,其當何去復何從?
奉為赴死英靈等,何故陛下唯一人,不護辛苦彼架空,逕自惜身圖苟活!

萬歲陛下詔如茲,己寔凡人同世俗。宸旨晴天霹靂時,
爲神殞命英靈等,一世忠名遭褫奪,當祭祠社不復在。
今尚空虛胸懷中,碧血汩汩流不止。雖在神界莫安寧。

日本破敗無不可,農地改革情可原。
社會主義世所好,改革行之莫不可。
吾等祖國敗北者,一肩悉荷負其罪,縱雖鼎鑊甘如飴。
我輩國民良可耐,經歷試煉力尚存。雖嘗屈辱亦可也。
無理要求不可抗,潔身受容亦可之。
然而凡事孰可忍,唯一孰其不可忍。唯一孰其不可忍。
縱令身之不由己,如何強制受彈壓,縱令遭逢死脅迫,
陛下不當作此言,豈可云己人間也。
縱遭世誹受人侮,唯有陛下御一人,當保御身顯人神。
莫云其寔乃架空,莫宣其寔乃虛偽。(縱令御心深奧處,思其然也不當言。)

身著祭服裹玉體,夜晝夢現朦朧時,
宮中賢所奧深處,叩首皇宗御靈前,齋祭為神殞命者。
若得唯祈讚彼勳,何等尊貴幾美談。
何以天皇竟成俗!
何以天皇竟成俗!
何以天皇竟成俗!

嗚呼、嗚呼、嘆かはし、憤ろし!嗚呼!嗚呼!
抑抑、綸言(りんげん)汗の如し、とは、何處(いづこ)の言葉でありますか!
神なれば勅により死に、神なれば勅により軍(いくさ)を納める。其御力は天皇御個人の御力に非ず、皇祖皇宗の御力でありますぞ!
嗚呼!嗚呼!
もし過ぎし世が架空であり、今世が現実であるならば、死したる者の為、何故(なにゆゑ)陛下唯御一人は、辛く苦しき架空を護らせ玉はざりしか!
陛下がただ人間と仰せ出されしし時、神の爲に死したる靈は名を剝脫せられ、祭らるべき社も無く、今も尚虚ろなる胸より血潮を流し、神界に在りながら安らいは非ず。
日本の破れたるは良し。農地の改革せられたるは良し。社會主義的改革も行はれるが良し。我が祖國は敗れたれば、敗れたる負目を悉く肩に荷うは良し。
我が國民はよく負荷に耐へ、試煉を潛りて尚力あり。屈辱を嘗めしは良し。抗すべからざる要求を潔く受容れしは良し。
然れど、唯一つ、唯一つ、如何なる強制、如何なる彈壓、如何なる死の脅迫有りとても、陛下は人間也と仰せられるべからざりし。
世の誹り、人の侮りを受けつつ、ただ陛下御一人、神として御身を保たせ賜ひ、其を架空、其を偽りとは努宣はず。(縱令、御心の裏深く、然也と思すとも。)
祭服に玉體を包み,夜晝朧氣に、宮中賢所のなほ奥深く、皇祖皇宗の御靈の前に額衝き、
神の御為に死したる者等の靈を祭りて唯齋き,唯祈りてましまさば、何程か尊かりしならむ。

何(な)どで天皇(すめろぎ)は人間(ひと)と成り賜ひし!
何(な)どで天皇(すめろぎ)は人間(ひと)と成り賜ひし!
何(な)どで天皇(すめろぎ)は人間(ひと)と成り賜ひし!



 吾等以死,得悉通盤。此身既歿,復無外力,能禁吾語。我等朋輩,能論悉數,資格備矣。何以?吾等已抛頭顱、淌赤心之血也。憶及昔日,赴刑場之途上,一上尉雄詰怒吼之語,今日再度,甦於胸膛。『我眾若死,必得以染血之姿,赴天皇陛下御前矣。如是,縱然身死形滅,仍是奉為聖君,鞠躬盡瘁而已。天皇陛下萬歲!大日本帝國萬歲!』然而吾等雖然如斯殞命,魂魄可曾躬赴陛下之許哉?
 我等之所欲語者,恰為其事。洞悉一切之後,神語相論者,便是其事。然而首先,我等先議熱戀。相語其戀慕之激烈,其戀慕之至純!

 於大演習黃塵之彼方,天皇御旗飄揚之下,大元帥陛下騎乘白馬之姿,遙遠渺小。是乃吾等當為其死,顯人神之真影,永銘於心。其神彌遠,其姿細微,其形麗美,其狀清朗,光華明彩,照徹六合。我等蒙賜之軍帽,其星芒徽章,仍與昔日無異。

 我等(われら)には、死んで總(すべ)てが判(わか)つた。死んで今や、我等(われら)の言葉を禁(とど)める力は何一つ無(な)い。我等(われら)は總(すべ)てを言ふ資格が有る。何故なら我等(われら)は、真心(まごころ)の血を流したからだ。今再(ふたた)び、刑場へ赴く途中、一大尉が叫んだ言葉が胸に甦(よみがへ)る。『皆死んだら血の付(つ)いた儘(まま)、天皇陛下の所(ところ)に行くぞ。而(しかう)して死んでも大君の為に盡すんだぞ。天皇陛下萬歲。大日本帝國萬歲』そして死んだ我等(われら)は天皇陛下の所(ところ)へ行つたか?
 我等(われら)の語らうと思ふ事(こと)は其事(そのこと)だ。總(すべ)てを知つた今、神語りに語らうと思ふのは其事(そのこと)だ。然(しか)し先(ま)づ、我等(われら)は戀について語るだらう。あの戀の激(はげ)しさと、あの戀の至純について語るだらう。

 大演習の黃塵の彼方(かなた)、天皇旗の閃(ひらめ)く下に、白馬に跨られた大元帥陛下の御姿は、遠く小さく、我等(われら)が其(そ)の為(ため)に死すべき現人神の御形(おんすがた)として、我等(われら)が心に燒付(やきつ)けられた。神は遠く、小さく、美しく、清らかに光つて居(ゐ)た。我等(われら)が賜はつた軍帽の徽章の星を其(そ)の儘(まま)に。


 吾等之國體,是即心與血之聯繫,單戀莫得成就,實乃戀闕之劇烈喜悅也。然而映於吾等眼簾者,遙遙陛下,正遭醜陋怪獸所幽閉,龍體清廉而寂寞,苦為奸臣所囚。

 吾等遂憤然興起義軍。爾等思之。
 其大雪紛飛之日,潛藏歷史深處之維新之力,奉為聖君與蒼生、顯神與人民、高居十善御位之御方與忠勇之青年,備齊稀有對話之機會。
 爾等思之。
 其時,千五百秋玉穗瑞穗之國,化作荒蕪之地。蒼生泣於飢餓,女兒遭逢賣身,聖君所治之王土,為死亡所充滿。眾神計量神謀,汲取歷史深井中至潔之清水,將其澆注吾等頭上,代替伏身荒地之啜泣蒼生,暗自安排與現人神之對話。
 吾度其成就之時,神國倏然顯現,狹蠅厭魅、災厄禍亂之疇,盡皆祓除。我等國體,必如水晶澄明,國中當為至福之所滿溢。

 我等(われら)が國體とは心と血の繫(つなが)り、片戀の有(あ)り得(え)ぬ戀闕(れんけつ)の劇烈な悅(よろこ)びなのだ。然(さ)れば我等(われら)の目に、遙(はる)か陛下は、醜き怪獸共(ども)に幽閉されて御座(おは)します、清らにも淋しい囚はれの御身と映つた。

 我等(われら)は遂(つひ)に義兵を舉げた。思ひみよ。其(そ)の雪の日に、我(わ)が歷史の奧底に潛(ひそ)む維新の力は、大君と民草、神と人、十善の御位に坐(ましま)す御方(おんかた)と忠勇の若者との、稀なる對話を用意してゐた。
 思ひみよ。
 其時(そのとき)玉穗為(な)す瑞穗國(みづほのくに)は荒蕪の地と化し、民は餓ゑに泣き、女兒は賣られ、大君の治(しろしめ)す王土は死に充ちてゐた。神神は神謀りに謀賜(はかりたま)ひ、我(わ)が歷史の井戶の尤(もつと)も清らかな水を汲上(くみあ)げ、其(それ)を我等(われら)が頭(かうべ)に注いで、荒地に身を伏して泣く蒼氓に代らしめ、現人神との對話を竊(ひそか)に用意された。其時(そのとき)こそ神國は顯現し、狹蠅為(な)す禍津日共(まがつびども)は吹拂(ふきはら)はれ、我(わ)が國體は水晶の如(ごと)く澄渡(すみわた)り、國には至福が漲る筈だつた。


三島由紀夫『辭世』

益荒男(ますらを)が 手挾(たばさ)む太刀(たち)の 鞘鳴(さやな)りに 幾歲耐(いくとせた)へて 今日(けふ)の初霜(はつしも)

 壯士英豪之 所以手挾劍太刀 令其鞘鳴而 苦耐隱忍幾春秋 今日終於降初霜

散(ち)るを厭(いと)ふ 世(よ)にも人(ひと)にも 先驅(さきが)けて 散(ち)るこそ花(はな)と 吹(ふ)く小夜嵐(さよあらし)

 縱令此世間 人人忌避厭凋零 然能為先驅 散落不餘是真華 如斯吹拂小夜嵐

万葉集試訳

3647 【承前,百卌五三十。悽惆作歌。】
 和伎毛故我 伊可爾於毛倍可 奴婆多末能 比登欲毛於知受 伊米爾之美由流
 我妹子(わぎもこ)が 如何(いか)に思(おも)へか 烏玉(ぬばたま)の 一夜(ひとよ)も落(お)ちず 夢(いめ)にし見(み)ゆる
 愛也吾妹子 汝之戀慕念何如 漆黑烏玉兮 夜夜無欠未嘗闕 悉會汝命在夢中
遣新羅使 3647

「如何(いか)に思(おも)へか」,疑問條件,與「如何(いか)に思(おも)へばか」同。
「一夜(ひとよ)も落(お)ちず」,夜夜如此,未嘗欠缺。
古俗以為,斯念伊人,則生靈入夢。作者夜夜夢見妻子,想來妻子思念當深。

3648 【承前,百卌五七一。悽惆作歌。】
 宇奈波良能 於伎敝爾等毛之 伊射流火波 安可之弖登母世 夜麻登思麻見無
 海原(うなはら)の 沖邊(おきへ)に燈(とも)し 漁(いざ)る火(ひ)は 明(あ)かして燈(とも)せ 大和島見(やまとしまみ)む
 滄溟大海原 瀛津遠處點點在 漂乎漁火矣 還願灯之更明亮 光照令見大和島
遣新羅使 3648

「漁(いざ)る火(ひ)は」,夜間藉由魚類之趨光性之漁獵法。
「明(あ)かして」,「明(あ)かくして」之略。期待漁火更明,能令作者清看日本。

3649 【承前,百卌五七二。悽惆作歌。】
 可母自毛能 宇伎禰乎須禮婆 美奈能和多 可具呂伎可美爾 都由曾於伎爾家類
 鴨(かも)じ物(もの) 浮寢(うきね)をすれば 蜷腸(みなのわた) 手黑髮(かぐろきかみ)に 露(つゆ)そ置(お)きにける
 似鴨而非鴨 漂蕩浮寢海原者 蜷腸卷貝兮 青絲烏玉濡黑髮 不覺置露霑漬髮濕
遣新羅使 3649

「鴨(かも)じ物(もの) 浮寢(うきね)をすれば」,「じ物(もの)」表似是而非者。雖非水鴨,卻猶水鴨般浮寢水上。
「蜷腸(みなのわた)」,黑髮之枕詞。

3650 【承前,百卌五七三。悽惆作歌。】
 比左可多能 安麻弖流月波 見都禮杼母 安我母布伊毛爾 安波奴許呂可毛
 久方(ひさかた)の 天照(あまて)る月(つき)は 見連(みつ)れども 我(あ)が思妹(もふいも)に 逢(あ)はぬ頃(ころ)かも
 遙遙久方兮 照臨大空此明月 雖然連日見 然吾朝思且暮想 愛妻此頃不得逢
遣新羅使 3650

「天照(あまて)る月(つき)は 見連(みつ)れども」,發向以來,每晚見得明月自新月漸漸經上弦、滿月,變為下弦。「は」於此有「をば」之意,以天天望見月亮,與無法會面的戀人對比。

3651 【承前,百卌五七四。悽惆作歌。】
 奴波多麻能 欲和多流月者 波夜毛伊弖奴香文 宇奈波良能 夜蘇之麻能宇倍由 伊毛我安多里見牟【旋頭歌也。】
 烏玉(ぬばたま)の 夜渡(よわた)る月(つき)は 早(はや)も出(いで)ぬかも 海原(うなはら)の 八十島上(やそしまのうへ)ゆ 妹(いも)が邊見(あたりみ)む【旋頭歌也(せどうかなり)。】
 漆黑烏玉兮 越渡暗夜明月者 一心冀其早出矣 欲藉彼光明 越渡海原八十島 早日得見妹家許
遣新羅使 3651

「八十島上(やそしまのうへ)ゆ」,蓋指宇佐之分間浦。作者追憶至今渡過之點點島嶼而言。

3652 至筑紫館,遙望本鄉,悽愴作歌四首 【承前,百卌五七五。筑紫館望鄉悽愴作歌。】
 之賀能安麻能 一日毛於知受 也久之保能 可良伎孤悲乎母 安禮波須流香母
 志賀海人(しかのあま)の 一日(ひとひ)も落(お)ちず 燒鹽(やくしほ)の 辛戀(からきこひ)をも 我(あれ)はするかも
 志賀海人之 日日勤奮無所闕 燒鹽之所如 辛酸悲毀焚身焦 如斯苦戀將為哉
遣新羅使 3652

「志賀海人(しかのあま)」,志賀島之漁民。
「燒鹽(やくしほ)の」,以上乃「辛(から)」之序。
類歌2742、3932。2742「志賀海人の 火氣燒立てて 燒鹽の 辛戀をも 我はするかも」 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m11.htm#2742

3653 【承前,百卌五七六。筑紫館望鄉悽愴作歌。】
 思可能宇良爾 伊射里須流安麻 伊敝妣等能 麻知古布良牟爾 安可思都流宇乎
 志賀浦(しかのうら)に 漁(いざり)する海人(あま) 家人(いへびと)の 待戀(まちこ)ふらむに 明(あ)かし釣(つ)る魚(うを)
 海童所庇護 漁獵志賀浦海人 恰如家人之 苦待吾歸之所如 徹夜所釣彼魚矣
遣新羅使 3653

「志賀浦(しかのうら)」,志賀島在福岡西北十公里之海上,有祭祀綿津見三神志賀海神社
「家人(いへびと)の 待戀(まちこ)ふらむに」,此「に」表時間。
「明(あ)かし釣(つ)る魚(うを)」,徹夜釣魚直至天明。如家人等待自己一樣,海人徹夜等待漁獲上鉤。

3654 【承前,百卌五七七。筑紫館望鄉悽愴作歌。】
 可之布江爾 多豆奈吉和多流 之可能宇良爾 於枳都之良奈美 多知之久良思母
 可之布江(かしふえ)に 鶴鳴渡(たづなきわた)る 志賀浦(しかのうら)に 沖(おき)つ白波(しらなみ) 立(た)ちし來(く)らしも
 吾見橿生江 白鶴鳴渡越大虛 不知志賀浦 沖津白浪今何如 湧起濤天捲來哉
遣新羅使 3654

 一云:「美知之伎奴良思。」
 一云:「滿(み)ちし來(き)ぬらし。」 一云:「高湧盈滿捲來哉。」

「可之布江(かしふえ)に」,所在未詳。或云「橿生(かしふ)」,或云「香椎(かしひ)」之訛。
「立(た)ちし來(く)らしも」,「し」表強調。

3655 【承前,百卌五七八。筑紫館望鄉悽愴作歌。】
 伊麻欲理波 安伎豆吉奴良之 安思比奇能 夜麻末都可氣爾 日具良之奈伎奴
 今(いま)よりは 秋付(あきづ)きぬらし 足引(あしひき)の 山松蔭(やままつかげ)に 蜩鳴(ひぐらしな)きぬ
 自於今以後 時節更迭早秋至 足曳勢險峻 巍峨山崗松蔭間 暮蜩始鳴聲蕭瑟
遣新羅使 3655

「秋付(あきづ)きぬらし」,「付(づ)き」為增添秋意之意。
雖然曆法上立秋未至,但聞暮蜩之鳴,可知秋臨。

3656 七夕仰觀天漢,各陳所思作歌三首 【承前,百卌五七九。七夕觀天漢陳思作歌。】
 安伎波疑爾 爾保敝流和我母 奴禮奴等母 伎美我美布禰能 都奈之等理弖婆
 秋萩(あきはぎ)に 匂(にほ)へる我(わ)が裳(も) 濡(ぬ)れぬとも 君(きみ)が御船(みふね)の 綱(つな)し取(と)りてば
 此藉秋萩之 匂染我命赤裳者 何以為漬濡 為君七夕相逢日 御船執綱所致矣
安倍繼麻呂 3656

 右一首,大使。

「秋萩(あきはぎ)に 匂(にほ)へる我(わ)が裳(も)」,萩乃秋草七種,秋分之時綻開紫赤色花朵。「匂(にほ)へる」意指染作赤色。雖然實際上萩花不適作染料,然以代表邱添枝花草,以為織女衣色,藉此襯托七夕之物語。
「綱(つな)し取(と)りてば」,替牛郎划越銀河之舟取綱拉近。日本習俗,以為七夕之時,牛郎乘船渡銀漢而來。

3657 【承前,百卌五四十。七夕觀天漢陳思作歌。】
 等之爾安里弖 比等欲伊母爾安布 比故保思母 和禮爾麻佐里弖 於毛布良米也母
 年(とし)に在(あり)て 一夜妹(ひとよいも)に逢(あ)ふ 彥星(ひこほし)も 我(われ)に勝(まさ)りて 思(おも)ふらめやも
 縱令一年間 唯有一夜與妻逢 牛郎彥星者 縱令其人憂思者 戀慕豈能勝我哉
遣新羅使 3657

「年(とし)に在(あり)て」,一整年皆如此。此云牛郎織女一年之間無法相見。
「思(おも)ふらめやも」,「らめや」乃現在推量反語。就算是牛郎,思念之情未必會勝過自己。

3658 【承前,百卌五八一。七夕觀天漢陳思作歌。】
 由布豆久欲 可氣多知與里安比 安麻能我波 許具布奈妣等乎 見流我等母之佐
 夕月夜(ゆふづくよ) 影立寄合(かげたちよりあ)ひ 天川(あまのがは) 漕(こ)ぐ舟人(ふなびと)を 見(み)るが羨(とも)しさ
 七夕月夜間 雙星寄合姿可見 銀河天之川 漕渡舟人彥星矣 吾每望之總稱羨
遣新羅使 3658

「影立寄合(かげたちよりあ)ひ」,「影」指牛郎、織女二星之姿。如1517「彥星し 妻迎へ舟 漕出らし 天川原に 霧立てるは」有女郎驅舟迎接織女之說。 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m08.htm#1527
「見(み)るが羨(とも)しさ」,對比自身與妻子分隔兩地,見到牛郎織女相逢令人羨慕。

3659 海邊望月作歌九首 【承前,百卌五八二。海邊望月。】
 安伎可是波 比爾家爾布伎奴 和伎毛故波 伊都登加和禮乎 伊波比麻都良牟
 秋風(あきかぜ)は 日(ひ)に異(け)に吹(ふ)きぬ 我妹子(わぎもこ)は 何時(いつ)とか我(われ)を 齋待(いはひま)つらむ
 蕭瑟秋風者 與日俱增吹寂寥 愛也吾妹妻 懸想吾命何日還 齋戒物忌守空閨
安倍繼麻呂次男 3659

 大使之第二男。

「日(ひ)に異(け)に」,日日不同,與日俱增。
「何時(いつ)とか」,推量作者何時歸京。
「大使之第二男」,未詳孰人。或云安倍繼人。

3660 【承前,百卌五八三。海邊望月。】
 可牟佐夫流 安良都能左伎爾 與須流奈美 麻奈久也伊毛爾 故非和多里奈牟
 神古(かむさぶ)る 荒津崎(あらつのさき)に 寄(よ)する波(なみ) 間無(まな)くや妹(いも)に 戀渡(こひわた)りなむ
 洽猶神古兮 稜威滿溢荒津崎 寄浪之所如 相思濤濤無所絕 時時刻刻戀妻哉
土師稻足 3660

 右一首,土師稻足。

「神古(かむさぶ)る 荒津崎(あらつのさき)に」,「神古(かむさぶ)」指歷時久遠,蘊含神威之狀。按荒津之中,蓋有祈求旅途安平之神。卷十二3217有「荒津海 我幣奉り 齋ひてむ 早歸坐せ 面變りせず」之語。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m12.htm#3217
「寄(よ)する波(なみ)」,以上為「間無(まな)く」之序。自身之思念恰如海浪一波一波毫無間斷。
「戀渡(こひわた)りなむ」,詠嘆疑問。難道無法會面只能一直想念妻子嗎?

3661 【承前,百卌五八四。海邊望月。】
 可是能牟多 與世久流奈美爾 伊射里須流 安麻乎等女良我 毛能須素奴禮奴
 風共(かぜのむた) 寄來(よせく)る波(なみ)に 漁(いざり)する 海人娘子等(あまをとめら)が 裳裾濡(ものすそぬ)れぬ
 隨風與共而 所寄緣來波濤間 勤奮為漁獵 妍哉海人娘子等 衣裳既濕裾已濡
遣新羅使 3661

 一云:「安麻乃乎等賣我,毛能須蘇奴禮濃。」
 一云:「海人娘子(あまのをとめ)が,裳裾濡(ものすそぬ)れぬ。」
 蜑女海人之娘子 衣裳既濕裾已濡

「風共(かぜのむた)」,「共(むた)」表與之相共、伴隨而來。
「漁(いざり)する」,漁獵。在此蓋指晝間淺海之作業。

3662 【承前,百卌五八五。海邊望月。】
 安麻能波良 布里佐氣見禮婆 欲曾布氣爾家流 與之惠也之 比等里奴流欲波 安氣婆安氣奴等母
 天原(あまのはら) 振放見(ふりさけみ)れば 夜(よ)そ更(ふ)けにける 良(よ)しゑやし 獨寢(ひとりぬ)る夜(よ)は 明(あ)けば明(あ)けぬとも
 久方高天元 翹首遙望仰見者 時光流逝夜深去 縱橫任隨矣 既是隻身獨寢夜 縱雖將明不足惜
遣新羅使 3662

 右一首,旋頭歌也。

「振放見(ふりさけみ)れば」,仰首遙望遠方之狀。
「良(よ)しゑやし」,任由事態發展。放棄抵抗之狀。既然隻身獨寢,也不惜夜短,天之將明亦無妨。

3663 【承前,百卌五八六。海邊望月。】
 和多都美能 於伎都奈波能里 久流等伎登 伊毛我麻都良牟 月者倍爾都追
 大海原(わたつみ)の 沖繩海苔(おきつなはのり) 來(く)る時(とき)と 妹(いも)が待(ま)つらむ 月(つき)は經(へ)につつ
 滄溟大海原 瀛津海底繩海苔 牽繰之所如 吾妻盼吾歸來者 不覺俟待已經月
遣新羅使 3663

「沖繩海苔(おきつなはのり)」,此「沖(おき)」意指海底。「繩海苔(なはのり)」乃繩狀之海藻。此以拉扯繩狀物之「繰(く)る」與「來(く)る」雙關。
「來(く)る時(とき)と」,是丈夫將歸來之時。
「妹(いも)が待(ま)つらむ 月(つき)は經(へ)につつ」,「らむ」為連體形。在等待之間,時間流逝未嘗駐足。

3664 【承前,百卌五八七。海邊望月。】
 之可能宇良爾 伊射里須流安麻 安氣久禮婆 宇良未許具良之 可治能於等伎許由
 志賀浦(しかのうら)に 漁(いざり)する海人(あま) 明來(あけく)れば 浦迴漕(うらみこ)ぐらし 楫音聞(かぢのおとき)こゆ
 周迴志賀浦 夜漁海人白水郎 天之將明時 蓋榜浦迴歸來哉 檝梶之音聲可聞
遣新羅使 3664

「明來(あけく)れば」,夜之將明拂曉之際。
「浦迴漕(うらみこ)ぐらし」,去遠洋捕魚之船,蓋已結束夜漁而歸至岸邊。

3665 【承前,百卌五八八。海邊望月。】
 伊母乎於毛比 伊能禰良延奴爾 安可等吉能 安左宜理其問理 可里我禰曾奈久
 妹(いも)を思(おも)ひ 寐寢(いのね)らえぬに 曉(あかとき)の 朝霧隱(あさぎりごも)り 雁音(かりがね)そ鳴(な)く
 相思慕吾妹 輾轉孤寢甚難眠 晨曦拂曉時 隱於朝霧不可見 飛雁鳴泣聲可聞
遣新羅使 3665

「寐寢(いのね)らえぬに」,「寐寢(いのね)らえぬ時に」之略。「らえ」乃「らゆ」之未然型。
「曉(あかとき)」,「曉(あかつき)」之古形。
「雁音(かりがね)そ鳴(な)く」,於此「雁音(かりがね)」借貸表飛雁本身。此歌所詠,約在陰曆七月中旬,較京師更早一個月聽聞雁聲,感慨異鄉秋之早臨。

3666 【承前,百卌五八九。海邊望月。】
 由布佐禮婆 安伎可是左牟思 和伎母故我 等伎安良比其呂母 由伎弖波也伎牟
 夕去(ゆふさ)れば 秋風寒(あきかぜさむ)し 我妹子(わぎもこ)が 解洗衣(ときあらひごろも) 行(ゆ)きて早著(はやき)む
 每逢夕暮時 倍感秋風寒刺骨 愛也吾妹妻 所以解洗繕裳者 誠欲速歸早著矣
遣新羅使 3666

「解洗衣(ときあらひごろも)」,將穿舊的衣服拆線、清洗,再度縫紉、修繕之衣裳。

3667 【承前,百卌五九十。海邊望月。】
 和我多妣波 比左思久安良思 許能安我家流 伊毛我許呂母能 阿可都久見禮婆
 我(わ)が旅(たび)は 久(ひさ)しくあらし 此我(このあ)が著(け)る 妹(いも)が衣(ころも)の 垢付(あかつ)く見(み)れば
 感慨此羈旅 草枕離鄉日久哉 觀我身所著 愛也吾妻所饋鎮 肌身裏裳垢付矣
遣新羅使 3667

「久(ひさ)しくあらし」,「久(ひさ)しくあるらし」之略。
「妹(いも)が衣(ころも)の」,古俗伴侶相別之時互相交換貼身衣物著之,怎可早日相逢。作者見其妻子所贈之衣生垢,感慨相別日久。

3668 到筑前國志麻郡之韓亭,舶泊經三日。於時夜月之光,皎皎流照。奄對此華,旅情悽噎。各陳心緒,聊以裁歌六首 【承前,百卌五九一。各陳心緒。】
 於保伎美能 等保能美可度登 於毛敝禮杼 氣奈我久之安禮婆 古非爾家流可母
 大君(おほきみ)の 遠朝廷(とほのみかど)と 思(おも)へれど 日長(けなが)くしあれば 戀(こひ)にけるかも
 聖明大君之 遙遙天邊遠朝庭 雖自負如此 然而羈旅時日久 難免懷土憂情矣
安倍繼麻呂 3668

 右一首,大使。

「大君(おほきみ)の 遠朝廷(とほのみかど)と」,遠離首都之天皇行政官廳,亦指被派遣之使人。3688有「天皇の 遠の朝廷と」云云。通常「大君(おほきみ)」指當今聖上,「天皇(すめろき)」則指皇祖皇宗。於本歌則無多大差異。
「日長(けなが)くしあれば」,「日(け)」指日數。出旅日久。

3669 【承前,百卌五九二。各陳心緒。】
 多妣爾安禮杼 欲流波火等毛之 乎流和禮乎 也未爾也伊毛我 古非都追安流良牟
 旅(たび)にあれど 夜(よ)は火燈(ひとも)し 居(を)る我(われ)を 闇(やみ)にや妹(いも)が 戀(こ)ひつつあるらむ
 雖然旅異地 夜夜燈火此身矣 何以如此者 不忍吾妻暗闇間 寂寞消沉苦相思
壬生宇太麻呂 3669

 右一首,大判官。

「旅(たび)にあれど」,雖然在諸多不便之旅途上。
「居(を)る我(われ)を」,接續第五句。本歌採明暗之對比。
「闇(やみ)にや」,此闇並非僅指夜晚之昏暗,亦臆測妻子獨守空閨,苦於相思,陰暗消沉之情緒。

3670 【承前,百卌五九三。各陳心緒。】
 可良等麻里 能許乃宇良奈美 多多奴日者 安禮杼母伊敝爾 古非奴日者奈之
 韓亭(からとまり) 能許浦波(のこのうらなみ) 立(た)たぬ日(ひ)は 有(あ)れども家(いへ)に 戀(こ)ひぬ日(ひ)は無(な)し
 雖云韓亭之 能許浦浪時不起 縱然如此者 吾人懷土此慕情 源源不絕無止時
遣新羅使 3670

「能許浦波(のこのうらなみ)」,筑前能古島一帶之浦浪。然而韓亭位於能古島西方六公里,歌之所詠地理位置並不精確。其後3673亦有詠韓亭而語「能許泊」之語。
類想歌3422。「伊香保風 吹く日吹かぬ日 有と言へど 我が戀のみし 時無かりけり」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m14.htm#3422 又『古今和歌集』0489有「駿河なる 田子の浦波 立たぬ日は 有れども君を 戀ひぬ日ぞ無き」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk11.htm#489

3671 【承前,百卌五九四。各陳心緒。】
 奴婆多麻乃 欲和多流月爾 安良麻世婆 伊敝奈流伊毛爾 安比弖許麻之乎
 烏玉(ぬばたま)の 夜渡(よわた)る月(つき)に 有(あ)らませば 家(いへ)なる妹(いも)に 逢(あ)ひて來(こ)ましを
 漆黑烏玉兮 越度闇夜明月矣 若吾為之者 可以騰空翔大虛 前去與妻相逢來
遣新羅使 3671

「夜渡(よわた)る月(つき)に 有(あ)らませば」,反事實假定。要自自身如畫渡夜空的明月就好了。

3672 【承前,百卌五九五。各陳心緒。】
 比左可多能 月者弖利多里 伊刀麻奈久 安麻能伊射里波 等毛之安敝里見由
 久方(ひさかた)の 月(つき)は照(て)りたり 暇無(いとまな)く 海人漁(あまのいざり)は 燈合(ともしあ)へり見(み)ゆ
 遙遙久方兮 月讀壯士雖照臨 忙碌總無暇 漁獵海人白水郎 點點漁火今可見
遣新羅使 3672

「久方(ひさかた)の」,天、月之枕詞。
「月(つき)は照(て)りたり」,與文末氣氛逆接。
「海人漁(あまのいざり)は」,或以「漁(いざり)する海人(あま)は」更貼切後文「暇無(いとまな)く」。

3673 【承前,百卌五九六。各陳心緒。】
 可是布氣婆 於吉都思良奈美 可之故美等 能許能等麻里爾 安麻多欲曾奴流
 風吹(かぜふ)けば 沖白波(おきつしらなみ) 恐(かしこ)みと 能許泊(のこのとまり)に 數多夜(あまたよ)そ寢(ぬ)る
 狂風吹拂者 瀛津白浪濤天高 恐其海象險 今在韓亭能許泊 滯留數晚寢多夜
遣新羅使 3673

「沖白波(おきつしらなみ) 恐(かしこ)みと」,陽曆八月下旬,玄界灘波高海險。為期慎重,渡航多伺機而動。

3674 引津亭舶泊之作歌七首 【承前,百卌五百五七。泊引津亭作歌。】
 久左麻久良 多婢乎久流之美 故非乎禮婆 可也能山邊爾 草乎思香奈久毛
 草枕(くさまくら) 旅(たび)を苦(くる)しみ 戀居(こひを)れば 可也山邊(かやのやまへ)に 小雄鹿鳴(さをしかな)くも
 草枕在異地 慢慢旅途甚艱苦 懷土戀鄉時 筑前可也山邊之 雄鹿悲鳴映吾情
壬生宇太麻呂 3674

「戀居(こひを)れば」,偶然確定句法。正當想與位於奈良京的妻子相逢之時。
「小雄鹿鳴(さをしかな)くも」,公鹿亦在此時戀妻哀鳴,猶如替作者之內心代辯一般。

3675 【承前,百卌五九八。泊引津亭作歌。】
 於吉都奈美 多可久多都日爾 安敝利伎等 美夜古能比等波 伎吉弖家牟可母
 沖波(おきつなみ) 高(たか)く立日(たつひ)に 遭(あ)へりきと 都人(みやこのひと)は 聞(き)きてけむかも
 遭逢瀛津之 駭浪洶湧滔天日 不幸難破事 不知留居在京都 吾妻可嘗聞矣哉
壬生宇太麻呂 3669

 右二首,大判官。

「高(たか)く立日(たつひ)に 遭(あ)へりきと」,「遭(あ)へり」指意外遭逢幸運或是不幸之災害。此云3644所述「佐婆海中忽遭逆風,漲浪漂流。」之事。
「都人(みやこのひと)は」,此云留居奈良京之妻子。

3676 【承前,百卌五九九。泊引津亭作歌。】
 安麻等夫也 可里乎都可比爾 衣弖之可母 奈良能彌夜故爾 許登都氣夜良武
 天飛(あまとぶ)ぶや 雁(かり)を使(つかひ)に 得(え)てしかも 奈良都(ならのみやこ)に 言告遣(ことつげや)らむ
 比來有所思 願得飛天雁使矣 若可有之者 遠遠天邊奈良都 得以遣使傳書信
遣新羅使 3676

「天飛(あまとぶ)ぶや」,や乃間投助詞。
「雁(かり)を使(つかひ)に 得(え)てしかも」,「てしかも」為願望終助詞。以雁為信使者,典出前漢武將蘇武之故事。
「言告遣(ことつげや)らむ」,代為傳達消息。

3677 【承前,百卌五一百。泊引津亭作歌。】
 秋野乎 爾保波須波疑波 佐家禮杼母 見流之留思奈之 多婢爾師安禮婆
 秋野(あきのの)を 匂(にほ)はす萩(はぎ)は 咲(さ)けれども 見(み)る驗無(しるしな)し 旅(たび)にしあれば
 點綴其秋野 增添色彩秋荻者 雖然咲其華 然而於我無所益 羈旅無人可共賞
遣新羅使 3677

「匂(にほ)はす萩(はぎ)は」,「匂(にほ)はす」乃染為赤色之意。
「見(み)る驗無(しるしな)し」,「驗(しるし)」表效果。徒有美景,卻無人共賞,反添寂寥。

3678 【承前,百卌五百一。泊引津亭作歌。】
 伊毛乎於毛比 伊能禰良延奴爾 安伎乃野爾 草乎思香奈伎都 追麻於毛比可禰弖
 妹(いも)を思(おも)ひ 寐寢(いのね)らえぬに 秋野(あきのの)に 小雄鹿鳴(さをしかな)きつ 妻思兼(つまおもひか)ねて
 憂於相思苦 慕妻輾轉不能眠 蕭瑟秋野間 雄鹿悲鳴喚不止 思妻難耐情更切
遣新羅使 3678

「妻思兼(つまおもひか)ねて」,此妻指鹿妻,但作者以自身投射於雄鹿。

3679 【承前,百卌五百二。泊引津亭作歌。】
 於保夫禰爾 真可治之自奴伎 等吉麻都等 和禮波於毛倍杼 月曾倍爾家流
 大船(おほぶね)に 真楫繁貫(まかぢしじぬ)き 時待(ときま)つと 我(われ)は思(おも)へど 月(つき)そ經(へ)にける
 雄偉大船上 真楫繁貫萬事備 只欠潮時至 吾雖思之待發向 不覺日久已經月
遣新羅使 3679

「時待(ときま)つと」,等待風坡平靜可以安全出航之時日。
「月(つき)そ經(へ)にける」,七月結束,進入八月。當於陽曆九月十四左右。

3680 【承前,百卌五百第三。泊引津亭作歌。】
 欲乎奈我美 伊能年良延奴爾 安之比奇能 山妣故等余米 佐乎思賀奈君母
 夜(よ)を長(なが)み 寐寢(いのね)らえぬに 足引(あしひき)の 山彥響(やまびことよ)め 小雄鹿鳴(さをしかな)くも
 孤寢恨夜長 輾轉反覆難眠時 足曳勢險峻 山彥木靈迴聲響 雄鹿呼妻喚悲鳴
遣新羅使 3680

「山彥響(やまびことよ)め」,「山彥」乃回音。「響(とよ)め」為發鳴、震響。

3681 肥前松浦郡狛嶋亭舶泊之夜,遙望海浪各慟旅心作歌七首 【承前,百卌五百第四。泊狛嶋亭舶慟旅心。】
 可敝里伎弖 見牟等於毛比之 和我夜度能 安伎波疑須須伎 知里爾家武可聞
 歸來(かへりき)て 見(み)むと思(おも)ひし 我(わ)が宿(やど)の 秋萩芒(あきはぎすすき) 散(ち)りにけむかも
 心中自期許 歸來之後欲賞觀 平城吾宿間 妍哉秋萩與芒者 今殆花散零落哉
秦田麻呂 3681

 右一首,秦田麻呂。

「見(み)むと思(おも)ひし」,出發之際,認為秋日以前可以歸京,心想回來後要好好觀賞。
「我(わ)が宿(やど)の」,作者位於平城京之家中庭院。
「散(ち)りにけむかも」,主語為秋荻。

3682 【承前,百卌五百第五。泊狛嶋亭舶慟旅心。】
 安米都知能 可未乎許比都都 安禮麻多武 波夜伎萬世伎美 麻多婆久流思母
 天地(あめつち)の 神(かみ)を祈(こ)ひつつ 我待(あれま)たむ 早來坐(はやきま)せ君(きみ) 待(ま)たば苦(くる)しも
 齋戒物忌而 奉祈天神地祇矣 妾守在空閨 只願吾君早日歸 苦待無期甚難耐
娘子 3682

 右一首,娘子。

「早來坐(はやきま)せ君(きみ)」,早日完成派遣新羅之任務歸來。

3683 【承前,百卌五百第六。泊狛嶋亭舶慟旅心。】
 伎美乎於毛比 安我古非萬久波 安良多麻乃 多都追奇其等爾 與久流日毛安良自>
 君(きみ)を思(おも)ひ 我(あ)が戀(こ)ひまくは 新(あらたま)の 立(た)つ月每(つきごと)に 避(よ)くる日(ひ)も有(あ)らじ
 念君懸心頭 吾所戀慕相思者 每逢日更新 圓缺月異朔望間 此情莫有稍息時
遣新羅使 3683

「君(きみ)を思(おも)ひ」,此君蓋指前曲之娘子。一般「君(きみ)」為對男性之呼稱,但亦有例外。
「新(あらたま)の」,年月之枕詞。原型為「荒玉」,引申為嶄新、更新。
「避(よ)くる日(ひ)も有(あ)らじ」,「避(よ)く」乃迴避、怠惰。此云未嘗放下相思之情。

3684 【承前,百卌五百第七。泊狛嶋亭舶慟旅心。】
 秋夜乎 奈我美爾可安良武 奈曾許許波 伊能禰良要奴毛 比等里奴禮婆可
 秋夜(あきのよ)を 長(なが)みにかあらむ 何(な)ぞ此(こ)こば 寐寢(いのね)らえぬも 獨寢(ひとりぬ)ればか
 可是因秋夜 漫漫夜長之故哉 何以如此許 反覆輾轉不能眠 蓋因獨寢所致哉
遣新羅使 3684

「秋夜(あきのよ)を 長(なが)みにかあらむ」,み語法之疑問條件語,「寐寢(いのね)らえぬ」之原因推量。
「獨寢(ひとりぬ)ればか」,「寐寢(いのね)らえぬ」原因之別案推量。

3685 【承前,百卌五百第八。泊狛嶋亭舶慟旅心。】
 多良思比賣 御舶波弖家牟 松浦乃宇美 伊母我麻都倍伎 月者倍爾都都
 足日女(たらしひめ) 御船泊(みふねは)てけむ 松浦海(まつらのうみ) 妹(いも)が待(ま)つべき 月(つき)は經(へ)につつ
 人云神功后 息長足姬尊御船 嘗泊松浦海 吾妻苦待守空閨 期月既過日已經
遣新羅使 3685

「足日女(たらしひめ)」,神功皇后,息長足姬尊。
「松浦海(まつらのうみ)」,肥前松浦郡之海邊。此蓋以唐津灣為中心之一帶。以上乃藉「松(まつ)」帶出「待(まつ)」之序文用法。

3686 【承前,百卌五百第九。泊狛嶋亭舶慟旅心。】
 多婢奈禮婆 於毛比多要弖毛 安里都禮杼 伊敝爾安流伊毛之 於母比我奈思母
 旅為(たびな)れば 思絕(おもひた)えても 有(あり)つれど 家(いへ)に在(あ)る妹(いも)し 思悲(おもひがな)しも
 吾旅在外者 或可藉景暫分神 稍緩相思苦 然度吾妻守空閨 唯有悲慕度終日
遣新羅使 3686

「思絕(おもひた)えても」,放下思念。旅外雜事多忙,或有美景可觀,得以分神,不致時時受相思情苦。
「家(いへ)に在(あ)る妹(いも)し 思悲(おもひがな)しも」,在家中痴痴等待,唯有悲慕度日。

3687 【承前,百卌五百第十。泊狛嶋亭舶慟旅心。】
 安思必奇能 山等妣古由留 可里我禰波 美也故爾由加波 伊毛爾安比弖許禰
 足引(あしひき)の 山飛越(やまとびこ)ゆる 鴈音(かりがね)は 都(みやこ)に行(ゆ)かば 妹(いも)に逢(あ)ひて來(こ)ね
 足曳勢險峻 高山飛越騰虛空 翔天鳴鴈矣 汝若徃去平城者 願逢吾妻傳信來
遣新羅使 3687

「妹(いも)に逢(あ)ひて來(こ)ね」,「ね」乃希求終助詞。藉蘇武雁信之典故而言。

3688 到壹岐嶋,雪連宅滿忽遇鬼病死去之時,作歌一首 并短歌。【承前,百卌五百十一。悼雪連宅滿。】
 須賣呂伎能 等保能朝庭等 可良國爾 和多流和我世波 伊敝妣等能 伊波比麻多禰可 多太未可母 安夜麻知之家牟 安吉佐良婆 可敝里麻左牟等 多良知禰能 波波 爾麻乎之弖 等伎毛須疑 都奇母倍奴禮婆 今日可許牟 明日可蒙許武登 伊敝妣等波 麻知故布良牟爾 等保能久爾 伊麻太毛都可受 也麻等乎毛 登保久左可里弖 伊波我禰乃 安良伎之麻禰爾 夜杼理須流君
 天皇(すめろき)の 遠朝廷(とほのみかど)と 韓國(からくに)に 渡(わた)る我(わ)が背(せ)は 家人(いへびと)の 齋待(いはひま)たねか 正身(ただみ)かも 過(あやま)ちしけむ 秋去(あきさ)らば 歸坐(かへりま)さむと 垂乳根(たらちね)の 母(はは)に申(まを)して 時(とき)も過(す)ぎ 月(つき)も經(へ)ぬれば 今日(けふ)か來(こ)む 明日(あす)かも來(こ)むと 家人(いへびと)は 待戀(まちこ)ふらむに 遠國(とほのくに) 未(いま)だも著(つ)かず 大和(やまと)をも 遠離(とほくさか)りて 岩根(いはがね)の 荒島根(あらきしまね)に 宿(やどり)する君(きみ)
 聖明大君之 遙遙天邊遠朝庭 以為使節而 遠渡韓國吾君矣 蓋是汝家人 待祈齋戒有怠哉 或是汝正身 不重養生有過哉 本在秋臨時 當可歸來還故鄉 呵護垂乳根 與母告別離京師 時過如逝水 日日累積已經月 今日將還乎 抑或明日將歸哉 分明汝家人 引領期盼待汝歸 無奈遠韓國 依然未至不得著 此去大和者 依舊遠離天邊處 在此岩磐據 荒磯遼絕島根間 嗚呼永眠吾君矣
遣新羅使 3688

「鬼病」,疫癘、惡病之疇。或云雪宅死於天花
天皇(すめろき)の 遠朝廷(とほのみかど)と」,此云天皇派遣海外之使節
「渡(わた)る我(わ)が背(せ)は」,「我(わ)が背(せ)」此云雪宅。
「齋待(いはひま)たねか」,難道是家人沒有好好齋戒祈禱雪宅平安歸來?
「正身(ただみ)かも 過(あやま)ちしけむ」,抑或是自身有所失誤,導致患病而死?
「岩根(いはがね)の 荒島根(あらきしまね)に」,荒指人跡罕至,荒涼虛無之處。島根即島,此云壹岐。
「宿(やどり)する君(きみ)」,以雪宅自身意志決定住在此島之表現,隱喻雪宅因惡病永眠於此。

3689 反歌二首 【承前,百卌五百十二。悼雪連宅滿反歌。】
 伊波多野爾 夜杼里須流伎美 伊敝妣等乃 伊豆良等和禮乎 等波婆伊可爾伊波牟
 石田野(いはたの)に 宿(やどり)する君(きみ) 家人(いへびと)の 何處(いづら)と我(われ)を 問(と)はば如何(いか)に言(い)はむ
 壹岐石田野 旅宿長眠在此地 若君家人等 問我汝今在何方 吾當何以答之哉
遣新羅使 3689

「何處(いづら)と我(われ)を」,「何處(いづら)」本意為詢問某人在何處,但亦常引申為現今如何、可否無恙。

3690 【承前,百卌五百十三。悼雪連宅滿反歌。】
 與能奈可波 都禰可久能未等 和可禮奴流 君爾也毛登奈 安我孤悲由加牟
 世間(よのなか)は 常如是(つねかく)のみと 別(わか)れぬる 君(きみ)にや元無(もとな) 我(あ)が戀行(こひゆ)かむ
 世間總無常 往往虛渺如是矣 陰陽兩隔後 不覺相思慕乳命 唯得悲哀度日哉
遣新羅使 3690

 右三首,挽歌。

「世間(よのなか)は 常如是(つねかく)のみと」,人之一生總是如此虛渺無常。直面宅滿之死,感嘆生命之脆弱。
「君(きみ)にや元無(もとな)」,「元無(もとな)」乃莫名之意。

3691 【承前,百卌五百十四。葛井子老作挽歌。】
 天地等 登毛爾母我毛等 於毛比都都 安里家牟毛能乎 波之家也思 伊敝乎波奈禮弖 奈美能宇倍由 奈豆佐比伎爾弖 安良多麻能 月日毛伎倍奴 可里我禰母 都藝弖伎奈氣婆 多良知禰能 波波母都末良母 安佐都由爾 毛能須蘇比都知 由布疑里爾 己呂毛弖奴禮弖 左伎久之毛 安流良牟其登久 伊低見都追 麻都良牟母能乎 世間能 比登乃奈氣伎波 安比於毛波奴 君爾安禮也母 安伎波疑能 知良敝流野邊乃 波都乎花 可里保爾布伎弖 久毛婆奈禮 等保伎久爾敝能 都由之毛能 佐武伎山邊爾 夜杼里世流良牟
 天地(あめつち)と 共(とも)に欲得(もがも)と 思(おも)ひつつ ありけむ物(もの)を 愛(は)しけやし 家(いへ)を離(はな)れて 波上(なみのうへ)ゆ 滯來(なづさひき)にて 新(あらたま)の 月日(つきひ)も來經(きへ)ぬ 雁音(かりがね)も 繼(つ)ぎて來鳴(きな)けば 垂乳根(たらちね)の 母(はは)も妻等(つまら)も 朝露(あさつゆ)に 裳裾漬(ものすそひづ)ち 夕霧(ゆふぎり)に 衣手濡(ころもでぬ)れて 幸(さき)くしも 有(あ)るらむ如(ごと)く 出見(いでみ)つつ 待(ま)つらむ物(もの)を 世中(よのなか)の 人嘆(ひとのなげき)は 相思(あひおも)はぬ 君(きみ)にあれやも 秋萩(あきはぎ)の 散(ち)らへる野邊(のへ)の 初尾花(はつをばな) 假廬(かりほ)に葺(ふ)きて 雲離(くもばな)れ 遠國邊(とほきくにへ)の 露霜(つゆしも)の 寒山邊(さむきやまへ)に 宿為(やどりせ)るらむ
 雖願人長久 欲得天地可與共 縱然作此思 常常胸懷有此念 熟稔愛憐兮 背井離鄉去故土 遠蹈滄溟波滔上 艱辛浮海滯來而 粗玉之所如 日新月異來經矣 鳴雁之音者 繼而來鳴聲不斷 恩育垂乳根 慈也母堂與妻等 在於朝露間 迷茫徘徊漬裳裾 復於夕霧中 凄迷踟躕濡衣手 齋戒恭祈君 無恙有幸之所如 每每出門見 引領期盼待君歸 空蟬憂世間 顯見蒼生喟嘆者 汝不復相思 君既仙遊離世俗 故在秋萩之 所散零落野邊間 手執初尾花 以葺假廬為幽居 天邊雲離兮 在此遼絕遠國邊 露霜之所置 蕭瑟無人寒山邊 永為旅宿入長眠
葛井子老 3691

「天地(あめつち)と 共(とも)に欲得(もがも)と」,希望能與天地長生。
「愛(は)しけやし」,懷念、憐愛。
「滯來(なづさひき)に」,路途坎坷,艱苦跋涉之狀。
「雁音(かりがね)も」,飛雁來鳴,是在秋頃。
「裳裾漬(ものすそひづ)ち」、「衣手濡(ころもでぬ)れて」,家人難待宅滿之歸來,幾度出門而將裳裾、衣袖弄濕。
「幸(さき)くしも」,無恙。
「世中(よのなか)の 人嘆(ひとのなげき)は」,「世中」即「憂世」,死者眼中活人所生息的世界。世間的憂嘆已與宅滿無關。
「初尾花(はつをばな) 假廬(かりほ)に葺(ふ)きて」,旅先權設之假屋,此云喪屋。
「雲離(くもばな)れ」,遠之枕詞。
「露霜(つゆしも)の」,露之雅語。

3692 反歌二首 【承前,百卌五百十五。葛井子老作挽歌。】
 波之家也思 都麻毛古杼毛母 多可多加爾 麻都良牟伎美也 之麻我久禮奴流
 愛(は)しけやし 妻(つま)も子供(こども)も 高高(たかたか)に 待(ま)つらむ君(きみ)や 島隱(しまがく)れぬる
 悲也哀憐兮 所居故鄉妻與小 引領期盼而 汲汲等待俟汝歸 無奈君隱島不還
葛井子老 3692

「愛(は)しけやし」,此云對遺族之哀憐。
「高高(たかたか)に」,伸直體勢、引領期盼之狀。
「待(ま)つらむ君(きみ)や 島隱(しまがく)れぬる」,隱匿於島間不可得見。對於宅滿身死外島之隱喻表現。

3693 【承前,百卌五百十六。葛井子老作挽歌。】
 毛美知葉能 知里奈牟山爾 夜杼里奴流 君乎麻都良牟 比等之可奈之母
 黃葉(もみちば)の 散(ち)りなむ山(やま)に 宿(やど)りぬる 君(きみ)を待(ま)つらむ 人(ひと)し悲(かな)しも
 人跡所罕至 黃葉零落深山間 旅宿不復返 殷殷期盼待汝歸 故里家人可悲矣
葛井子老 3693

 右三首,葛井連子老作挽歌。

「黃葉(もみちば)の 散(ち)りなむ山(やま)に」,墳墓周遭之樹木蓋在不久後化作紅葉散落。非仙覺系古本中,原文「爾(に)」字或作「乎(を)」。

3694 【承前,百卌五百十七。六鯖作挽歌。】
 和多都美能 可之故伎美知乎 也須家口母 奈久奈夜美伎弖 伊麻太爾母 毛奈久由可牟登 由吉能安末能 保都手乃宇良敝乎 可多夜伎弖 由加武等須流爾 伊米能其等 美知能蘇良治爾 和可禮須流伎美
 大海原(わたつみ)の 恐道(かしこきみち)を 安(やす)けくも 無(な)く惱來(なやみき)て 今(いま)だにも 喪無(もな)く行(ゆ)かむと 壹岐海人(ゆきのあま)の 秀手卜部(ほつてのうらへ)を 肩燒(かたや)きて 行(ゆ)かむとするに 夢如(いめのごと) 道空路(みちのそらぢ)に 別(わか)れする君(きみ)
 滄溟大海原 荒波狂瀾恐海道 未嘗獲安寧 惱苦跋涉泛海來 還願自今後 得以無恙復命來 令壹岐海人 老練秀手卜部氏 燒肩占成否 以期好去又好來 怎知在如夢 虛渺忐忑道空路 陰陽永別吾君矣
六人部鯖麻呂 3694

「恐道(かしこきみち)を」,海象險惡之海路。
「今(いま)だにも」,希望至少從現在開始、盡快。
「喪無(もな)く行(ゆ)かむと」,「喪(も)」乃兇事。
「壹岐海人(ゆきのあま)の 秀手卜部(ほつてのうらへ)を」,出身壹岐,以海人為生業之老練卜部。卜部參畫官方祭祀,『延喜式』臨時祭亦有壹岐卜部五人云云。
「肩燒(かたや)きて」,燒肩骨,觀其裂痕以戰凶吉之兆。
「行(ゆ)かむとするに」,無事行進。
「道空路(みちのそらぢ)に」,猶如懸空般足不履地,不安之旅途。

3695 反歌二首 【承前,百卌五百十八。六鯖作挽歌。】
 牟可之欲里 伊比祁流許等乃 可良久爾能 可良久毛己許爾 和可禮須留可聞
 昔(むかし)より 言(い)ひける諺(こと)の 韓國(からくに)の 辛(から)くも此處(ここ)に 別(わか)れするかも
 遠遠自宿昔 言傳諺語之所如 韓旅甚艱辛 如是苦難亦於茲 往後相各別去哉
六人部鯖麻呂 3695

「言(い)ひける諺(こと)の」,此藉「韓(から)」與「辛(から)」同音,隱喻韓旅之艱辛。
「辛(から)くも此處(ここ)に」,「辛(から)く」表與宅滿離別之辛酸。

3696 【承前,百卌五百十九。六鯖作挽歌。】
 新羅奇敝可 伊敝爾可加反流 由吉能之麻 由加牟多登伎毛 於毛比可禰都母
 新羅(しらき)へか 家(いへ)にか歸(かへ)る 壹岐島(ゆきのしま) 行(ゆ)かむ方便(たどき)も 思兼(おもひか)ねつも
 無論往新羅 抑或回師歸京畿 名負壹崎島 今後將行方便者 不知何去復何從
六人部鯖麻呂 3696

 右三首,六鯖作挽歌。

「壹岐島(ゆきのしま)」,以地名「壹岐(ゆき)」為「行(ゆ)き」之枕詞。
「行(ゆ)かむ方便(たどき)も」,前往新羅之方法。
「思兼(おもひか)ねつも」,無法思量。前途多難之旅程,令人茫然失所,不知該何去何從。

3697 到對馬嶋淺茅浦舶泊之時,不得順風,經停五箇日。於是瞻望物華,各陳慟心作歌三首。 【承前,百卌五百二十。各陳慟心。】
 毛母布禰乃 波都流對馬能 安佐治山 志具禮能安米爾 毛美多比爾家里
 百船(ももふね)の 泊(は)つる對馬(つしま)の 淺茅山(あさぢやま) 時雨雨(しぐれのあめ)に 黃葉(もみ)たひにけり
 百船之所泊 名負津嶼對馬島 淺茅山之間 時雨紛降催葉黃 盡染一片織錦紅
遣新羅使 3697

「泊(は)つる對馬(つしま)の」,以「對馬(つしま)」與船所停泊之「津島(つしま)」雙關。
「黃葉(もみ)たひにけり」,「黃葉(もみ)たふ」表綠葉轉黃轉紅之狀。

3698 【承前,百卌五百廿一。各陳慟心。】
 安麻射可流 比奈爾毛月波 弖禮禮杼母 伊毛曾等保久波 和可禮伎爾家流
 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にも月(つき)は 照(て)れれども 妹(いも)そ遠(とほ)くは 別來(わかれき)にける
 天離日已遠 縱令鄙夷遠邊疆 明月仍照臨 自吾與妻別去來 已步旅路長如是
遣新羅使 3698

「天離(あまざか)る」,「鄙(ひな)」之枕詞。
「妹(いも)そ遠(とほ)くは 別來(わかれき)にける」,「妹(いも)そ」乃「妹(いも)をそ」之略。

3699 【承前,百卌五百廿二。各陳慟心。】
 安伎左禮婆 於久都由之毛爾 安倍受之弖 京師乃山波 伊呂豆伎奴良牟
 秋去(あきさ)れば 置露霜(おくつゆしも)に 堪(あ)へずして 都山(みやこのやま)は 色付(いろづ)きぬらむ
 時值秋日臨 難堪所置露霜催 內日照臨兮 平城京都野山者 蓋為黃葉織錦紅
遣新羅使 3699

「置露霜(おくつゆしも)に 堪(あ)へずして」,無法忍耐露之摧殘而葉色轉紅。

3700 竹敷浦舶泊之時,各陳心緒作歌十八首 【承前,百卌五百廿三。泊竹敷浦歌。】
 安之比奇能 山下比可流 毛美知葉能 知里能麻河比波 計布仁聞安流香母
 足引(あしひき)の 山下光(やましたひか)る 黃葉(もみちば)の 散(ち)りの亂(まが)ひは 今日(けふ)にもあるかも
 足曳勢險峻 山陰日蔭曖含光 鮮豔黃葉之 飄零散落亂紛飛 光彩炫目今日矣
阿倍繼麻呂 3700
 右一首,大使。

「山下光(やましたひか)る」,「山下(やました)」乃山間太陽無法直接照到的日蔭之處。仍因紅葉反射而為日光所照耀。
「散(ち)りの亂(まが)ひは」,飄舞散亂,或指其時節。

3701 【承前,百卌五百廿四。泊竹敷浦歌。】
 多可之伎能 母美知乎見禮婆 和藝毛故我 麻多牟等伊比之 等伎曾伎爾家流
 竹敷(たかしき)の 黃葉(もみち)を見(み)れば 我妹子(わぎもこ)が 待(ま)たむと言(い)ひし 時(とき)そ來(き)にける
 今見竹敷之 青葉逢秋轉黃變 不覺有所念 昔日我妻嘗誓言 待吾歸日已至矣
大伴參中 3701

 右一首,副使。

「我妹子(わぎもこ)が 待(ま)たむと言(い)ひし」,離別之際,作者承諾秋日當歸,而妻子誓言將等待歸日。然而,期日已至,卻仍未到達目的,誑論歸京。

3702 【承前,百卌五百廿五。泊竹敷浦歌。】
 多可思吉能 宇良未能毛美知 和禮由伎弖 可敝里久流末低 知里許須奈由米
 竹敷(たかしき)の 浦迴黃葉(うらみのもみち) 我行(われゆ)きて 歸來(かへりく)る迄(まで) 散(ち)りこす莫努(なゆめ)
 對馬竹敷之 妍哉浦迴黃葉矣 待吾去新羅 復歸此地觀賞前 還望常保莫散盡
壬生宇太麻呂 3702

 右一首,大判官。

「我行(われゆ)きて」,吾去新羅而。
「散(ち)りこす莫努(なゆめ)」,「努(ゆめ)」為呼應禁止「莫(な)」之祝詞

3703 【承前,百卌五百廿六。泊竹敷浦歌。】
 多可思吉能 宇敝可多山者 久禮奈為能 也之保能伊呂爾 奈里爾家流香聞
 竹敷(たかしき)の 宇敝可多山(うへかたやま)は 紅(くれなゐ)の 八入色(やしほのいろ)に 成(な)りにけるかも
 對馬竹敷之 宇敝可多上形山 奉為秋來而 染作八入朱紅色 繽紛鮮豔可奪目
大藏麻呂 3703

 右一首,小判官。

「紅(くれなゐ)の 八入色(やしほのいろ)に」,「紅(くれなゐ)」指菊科多年草本植物「紅花(べにばな)」。「八入色(やしほのいろ)」乃一再浸染,工法繁複之漂色法。藉此散出濃豔朱紅之色。

3704 【承前,百卌五百廿七。泊竹敷浦歌。】
 毛美知婆能 知良布山邊由 許具布禰能 爾保比爾米低弖 伊低弖伎爾家里
 黃葉(もみちば)の 散(ち)らふ山邊(やまへ)ゆ 漕船(こぐふね)の 匂(にほひ)に愛(めで)て 出來(いでてき)にけり
 自於黃葉之 零落對馬山邊處 淺茅灣溺谷 榜來船餝朱艷華 吾為所魅參上來
玉槻 3704

「散(ち)らふ山邊(やまへ)ゆ」,「散(ち)らふ」乃「散合(ちりあ)ふ」之略。「ゆ」表經由點。船自對馬山邊之淺茅灣經溺谷航入之狀。
「匂(にほひ)に愛(めで)て」,「匂(にほひ)」表赤朱之顏色。船體上紅殼之塗裝顯目耀眼,亦是暗喻朝廷使人服裝優美之意。「愛(めで)」表內心受其吸引。

3705 【承前,百卌五百廿八。泊竹敷浦歌。】
 多可思吉能 多麻毛奈婢可之 己藝低奈牟 君我美布禰乎 伊都等可麻多牟
 竹敷(たかしき)の 玉藻靡(たまもなび)かし 漕出(こぎで)なむ 君(きみ)が御船(みふね)を 何時(いつ)とか待(ま)たむ
 對馬竹敷之 玉藻隨波靡蕩漾 聲勢極浩大 如是榜出君御船 妾身不禁引領盼
玉槻 3705

 右二首,對馬娘子。名玉槻。

「玉藻靡(たまもなび)かし」,船行之際,玉藻受其波浪影響而蕩漾之狀。形容使船聲勢浩大。
「何時(いつ)とか待(ま)たむ」,期待歸來之日。
「對馬娘子」,蓋為遊行女婦之疇。或云,『和名抄』有「上縣郡玉調鄉。」該處出珍珠,而玉槻或為當地海女。

3706 【承前,百卌五百廿九。泊竹敷浦歌。】
 多麻之家流 伎欲吉奈藝佐乎 之保美弖婆 安可受和禮由久 可反流左爾見牟
 玉敷(たましけ)る 清渚(きよきなぎさ)を 潮滿(しほみ)てば 飽(あ)かず我行(われゆ)く 歸(かへ)るさに見(み)む
 洽猶敷珠玉 怡然清渚竹敷濱 因為潮已滿 雖然惜別吾當去 還期歸際復來見
阿倍繼麻呂 3706

 右一首,大使。

「玉敷(たましけ)る」,讚嘆竹敷濱風光明媚,如鋪設了寶玉之般。
「潮滿(しほみ)てば 飽(あ)かず我行(われゆ)く」,因為到了該發船之時,雖然意猶未盡但仍必須踏上旅路。
「歸(かへ)るさに見(み)む」,歸來之際。「さ」表時節。

3707 【承前,百卌五百三十。泊竹敷浦歌。】
 安伎也麻能 毛美知乎可射之 和我乎禮婆 宇良之保美知久 伊麻太安可奈久爾
 秋山(あきやま)の 黃葉(もみち)を髻首(かざ)し 我(わ)が居(を)れば 浦潮滿來(うらしほみちく) 未飽(いまだあ)か無(な)くに
 手折對馬之 秋山黃葉以髻首 餝髮翫之間 浦潮滿來當發向 意猶未盡有所憾
壬生宇太麻呂 3707

 右一首,副使。

「黃葉(もみち)を髻首(かざ)し」,「髻首(かざ)し」乃「髮插(かみざ)し」之略。插花或枝葉於髮上以為裝飾。此云醉心於對馬之秋景而忘記公務之繁忙。
「浦潮滿來(うらしほみちく)」,淺茅灣漲潮之時,便是發船之際。

3708 【承前,百卌五百卅一。泊竹敷浦歌。】
 毛能毛布等 比等爾波美要緇 之多婢毛能 思多由故布流爾 都奇曾倍爾家流
 物思(ものも)ふと 人(ひと)には見(み)えじ 下紐(したびも)の 下(した)ゆ戀(こ)ふるに 月(つき)そ經(へ)にける
 此身陷相思 不欲人見憂鬱色 下紐之所如 隱忍焦慕胸懷中 不覺經月曠時日
阿倍繼麻呂 3708

 右一首,大使。

「物思(ものも)ふと 人(ひと)には見(み)えじ」,不想讓人察覺自己正因懷念故鄉而顯得感傷。
「下紐(したびも)の」,「下(した)」之枕詞。古俗夫妻離別之際,互結下紐,以期再會。
「下(した)ゆ戀(こ)ふるに」,「下(した)」指內心深處。

3709 【承前,百卌五百卅二。泊竹敷浦歌。】
 伊敝豆刀爾 可比乎比里布等 於伎敝欲里 與世久流奈美爾 許呂毛弖奴禮奴
 家苞(いへづと)に 貝(かひ)を拾(ひり)ふと 沖邊(おきへ)より 寄來(よせく)る波(なみ)に 衣手濡(ころもでぬ)れぬ
 欲裹贈家人 屈身拾取濱貝者 自於瀛沖邊 緣來擊岸浪不斷 漬濕吾裳濡衣袖
遣新羅使 3709

「家苞(いへづと)に」,帶給家人之土產。
「貝(かひ)を拾(ひり)ふと」,此貝指珍貴的貝玉。
「衣手濡(ころもでぬ)れぬ」,感嘆羈旅在外,衣袖為浪所漬濕,而無人為己晾衣。

3710 【承前,百卌五百卅三。泊竹敷浦歌。】
 之保非奈婆 麻多母和禮許牟 伊射遊賀武 於伎都志保佐為 多可久多知伎奴
 潮干(しほひ)なば 復(また)も我來(われこ)む 去來行(いざゆ)かむ 沖潮騷(おきつしほさゐ) 高立來(たかくたちき)ぬ
 待此潮退時 吾必覆命而再臨 去來將發向 瀛津潮騷浪滂渤 吟聲高鳴催啟程
遣新羅使 3710

「潮干(しほひ)なば 復(また)も我來(われこ)む」,相對於現在漲潮必須啟程,有朝一日完成任務退潮之際歸來之時必當再訪。
「沖潮騷(おきつしほさゐ)」,沖潮乃浪與風相擊所發出之聲響。

3711 【承前,百卌五百卅四。泊竹敷浦歌。】
 和我袖波 多毛登等保里弖 奴禮奴等母 故非和須禮我比 等良受波由可自
 我(わ)が袖(そで)は 手本通(たもととほ)りて 濡(ぬ)れぬとも 戀忘貝(こひわすれがひ) 取(と)らずは行(ゆ)かじ
 縱然吾衣手 漬濡通透沾手腕 濕漉至幾許 嗚呼未拾戀忘貝 無物慰情豈行哉
遣新羅使 3711

「手本通(たもととほ)りて」,手本為手腕,此指袖口。
「戀忘貝(こひわすれがひ)」,單片之貝,古俗以為拾之可以忘情解憂,舒緩相思之苦。
「取(と)らずは行(ゆ)かじ」,「取(と)らずは行(ゆ)くことはせじ」之意,承接前曲「去來行(いざゆ)かむ」而言。

3712 【承前,百卌五百卅五。泊竹敷浦歌。】
 奴婆多麻能 伊毛我保須倍久 安良奈久爾 和我許呂母弖乎 奴禮弖伊可爾勢牟
 烏玉(ぬばたま)の 妹(いも)が乾(ほ)すべく 有(あ)ら無(な)くに 我(わ)が衣手(ころもで)を 濡(ぬ)れて如何(いか)に為(せ)む
 漆黑烏玉兮 黑髮吾妻不在此 無人為乾衣 今濡衣袖漬如此 濕漉通透當奈何
遣新羅使 3712

「漆黑烏玉兮」,黑、夜之枕詞。用以修飾「妹(いも)」則為異例。或云妻子之黑髮,或云於夜晚相會之戀人。
「我(わ)が衣手(ころもで)を」,呼應末句的「如何(いか)に為(せ)む」。
「濡(ぬ)れ」,承接前曲「戀忘貝(こひわすれがひ) 取(と)らずは行(ゆ)かじ」而言。

3713 【承前,百卌五百卅六。泊竹敷浦歌。】
 毛美知婆波 伊麻波宇都呂布 和伎毛故我 麻多牟等伊比之 等伎能倍由氣婆
 黃葉(もみちば)は 今(いま)は移(うつろ)ふ 我妹子(わぎもこ)が 待(ま)たむと言(い)ひし 時經行(ときのへゆ)けば
 秋日山黃葉 今已零落殆盡矣 愛也吾妹妻 誓言相待所期日 既過時久未得逢
遣新羅使 3713

「今(いま)は移(うつろ)ふ」,「移(うつろ)ふ」為凋零散落之意。
「我妹子(わぎもこ)が 待(ま)たむと言(い)ひし」,3701有同語。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m15.htm#3701

3714 【承前,百卌五百卅七。泊竹敷浦歌。】
 安伎佐禮婆 故非之美伊母乎 伊米爾太爾 比左之久見牟乎 安氣爾家流香聞
 秋去(あきさ)れば 戀(こひ)しみ妹(いも)を 夢(いめ)にだに 久(ひさ)しく見(み)むを 明(あ)けにけるかも
 時值秋日臨 惆悵更慕倍思妻 縱令在夢中 仍欲相見伴長久 何奈夜短天將明
遣新羅使 3714

「秋去(あきさ)れば 戀(こひ)しみ」,蓋是想起出發前嘗約定到秋日便可再會之約定。『懷風藻』等漢詩中常見悲秋之詩,但『萬葉集』中鮮有直結秋愁之曲。
「夢(いめ)にだに」,至少希望可在夢中與愛妻相會。

3715 【承前,百卌五百卅八。泊竹敷浦歌。】
 比等里能未 伎奴流許呂毛能 比毛等加婆 多禮可毛由波牟 伊敝杼保久之弖
 獨(ひとり)のみ 著寢衣(きぬるころも)の 紐解(ひもと)かば 誰(たれ)かも結(ゆ)はむ 家遠(いへどほ)くして
 形單影孤而 所以獨眠著寢衣 若今解其紐 孰可為我復結哉 家遠吾妻在天邊
遣新羅使 3715

「獨(ひとり)のみ 著寢衣(きぬるころも)の」,「著寢」蓋指「襖衾」之疇。當時庶民常脫下日間所著衣服以為被褥。
「紐解(ひもと)かば 誰(たれ)かも結(ゆ)はむ」,出旅在外沒有妻子替自己繫上結紐,決意相逢之前不解其紐。

3716 【承前,百卌五百卅九。泊竹敷浦歌。】
 安麻久毛能 多由多比久禮婆 九月能 毛未知能山毛 宇都呂比爾家里
 天雲(あまくも)の 搖盪來(たゆたひく)れば 九月(ながつき)の 黃葉山(もみちのやま)も 移(うつろ)ひにけり
 天雲之所如 搖曳漂蕩來此者 暮秋九月之 朱紅似錦黃葉山 既已凋零散落矣
遣新羅使 3716

「天雲(あまくも)の」,「搖盪(たゆた)ひ」之枕詞。如雲朵動盪不安定之狀態。
「搖盪來(たゆたひく)れば」,海路途上,一者使船隨波漂泊,再者同僚死喪於心不寧,時程亦大幅延遲,充滿不確定之要素。

3717 【承前,百卌五百四十。泊竹敷浦歌。】
 多婢爾弖毛 母奈久波也許登 和伎毛故我 牟須妣思比毛波 奈禮爾家流香聞
 旅(たび)にても 喪無(もな)く早來(はやこ)と 我妹子(わぎもこ)が 結紐(むすびしひも)は 馴(な)れにけるかも
 祈求羈旅間 好去無恙早歸來 愛也吾妹妻 所以手結此紐者 已然馴褻襤褸
遣新羅使 3717

「旅(たび)にても」,「も」指非但在家中,縱是在旅途之間...
「喪無(もな)く早來(はやこ)と」,「喪(も)」指兇事、噩耗。「來(こ)」乃「來(く)」之命令形。
「馴(な)れにけるかも」,「馴(な)れ」或書「褻(な)れ」,衣舊破爛、垢污之狀。

3718 迴來筑紫,海路入京,到播磨國家嶋之時作歌五首 【承前,百卌五百卌一。家嶋作歌。】
 伊敝之麻波 奈爾許曾安里家禮 宇奈波良乎 安我古非伎都流 伊毛母安良奈久爾
 家島(いへしま)は 名(な)にこそ有(あ)けれ 海原(うなはら)を 我(あ)が戀來(こひき)つる 妹(いも)も有(あ)ら無(な)くに
 所謂家島者 嗟乎有名無實也 遠道渡滄瀛 慕名泛海來此者 愛也吾妻不在茲
遣新羅使 3718

「名(な)にこそ有(あ)けれ」,有名無實,混淆視聽。抱怨既然以家為名,當有妻子在茲。
「我(あ)が戀來(こひき)つる」,「來(き)つる」表為了達成某目的而滿心期待而來。此云希望早日與妻相會。

3719 【承前,百卌五百卌二。家嶋作歌。】
 久左麻久良 多婢爾比左之久 安良米也等 伊毛爾伊比之乎 等之能倍奴良久
 草枕(くさまくら) 旅(たび)に久(ひさ)しく 有(あ)らめやと 妹(いも)に言(い)ひしを 年經(としのへ)ぬらく
 草枕在異地 銜命羈旅豈久長 須臾必相逢 雖然與妻述如是 誰知不覺已經年
遣新羅使 3719

「旅(たび)に久(ひさ)しく 有(あ)らめやと」,出發之際,向妻子稱述旅途為期不長,不久便將歸來之語。
「年經(としのへ)ぬらく」,「經(へ)ぬらく」乃「經(へ)ぬ」之く句法。詠嘆文末形式之一,此云已過一年,時值天平九年。

3720 【承前,百卌五百卌三。家嶋作歌。】
 和伎毛故乎 由伎弖波也美武 安波治之麻 久毛為爾見延奴 伊敝都久良之母
 我妹子(わぎもこ)を 行(ゆ)きて早見(はやみ)む 淡路島(あはぢしま) 雲居(くもゐ)に見(み)えぬ 家付(いへづ)くらしも
 愛也吾妹矣 只願早歸拜妻眉 逢兮淡路島 遙遙可見雲居處 蓋是當近故里哉
遣新羅使 3720

「淡路島(あはぢしま)」,以「淡(あは)」與「逢(あは)む」雙關。
「雲居(くもゐ)」,雲所謂在之天邊。
「家付(いへづ)くらしも」,離家已近。淡路既為逢路之象徵,則想必離家不遠之語。

3721 【承前,百卌五百卌四。家嶋作歌。】
 奴婆多麻能 欲安可之母布禰波 許藝由可奈 美都能波麻末都 麻知故非奴良武
 烏玉(ぬばたま)の 夜明(よあ)かしも船(ふね)は 漕行(こぎゆ)かな 三津濱松(みつのはままつ) 待戀(まちこ)ひぬらむ
 漆黑烏玉兮 縱令徹夜榜不停 驅船蹈滄洺 三津濱邊植松者 戀慕苦待已多時
遣新羅使 3721

「夜明(よあ)かしも」,「夜(よ)を明(あ)かしも」之略。
「三津濱松(みつのはままつ)」,「三津(みつ)」乃大伴三津。而「松(まつ)」與「待(まつ)」雙關。

3722 【承前,百卌五百卌五。家嶋作歌。】
 大伴乃 美津能等麻里爾 布禰波弖弖 多都多能山乎 伊都可故延伊加武
 大伴(おほとも)の 三津泊(みつのとまり)に 船泊(ふねは)てて 龍田山(たつたのやま)を 何時(いつ)か越行(こえい)かむ
 難波大伴之 御湊三津船著場 泊船於此地 河內大和龍田山 何時可越歸平城
遣新羅使 3722

「三津泊(みつのとまり)に 船泊(ふねは)てて」,「泊(とま)り」乃船隻停泊處。此句與末句「何時(いつ)か」呼應,整首皆為疑問推量語氣。
「何時(いつ)か越行(こえい)かむ」,何時可以泊船難波大伴三津,經龍田道越過龍田回到大和之平城京呢?
「龍田山(たつたや)」,自難波經河內歸平城京,需利用龍田山南麓之龍田道。

中臣宅守與狹野弟上娘子贈答歌

3723 中臣朝臣宅守與狹野弟上娘子贈答歌 【六三第一。娘子臨別。】
 安之比奇能 夜麻治古延牟等 須流君乎 許許呂爾毛知弖 夜須家久母奈之
 足引(あしひき)の 山道越(やまぢこ)えむと する君(きみ)を 心(こころ)に持(も)ちて 安(やす)けくも無(な)し
 足曳勢險峻 強越關山涉危道 所徃吾君矣 妾懷汝命在心中 忐忑不安手無措
狹野弟上娘子 3723

「山道越(やまぢこ)えむと する君(きみ)を」,將要越過山路前行的戀人。
「心(こころ)に持(も)ちて」,懷抱於心中挽留之。

3724 【承前,六三第二。娘子臨別。】
 君我由久 道乃奈我弖乎 久里多多禰 也伎保呂煩散牟 安米能火毛我母
 君(きみ)が行(ゆ)く 道長手(みちのながて)を 繰疊(くりたた)ね 燒滅(やきほろ)ぼさむ 天火欲得(あめのひもがも)
 吾君之所向 漫漫長旅路途矣 願有繰疊而 一再燒滅駐其足 如是天火欲得也
狹野弟上娘子 3724

道長手(みちのながて)を」,漫長的旅途。
「繰疊(くりたた)ね」,「疊(たた)ね」乃重疊、一再之意。
「天火欲得(あめのひもがも)」,「天火(あめのひ)」為天意所生之火災。『漢書』有云「天火燒城門。」
中臣宅守遭配流越前,其妻狹野弟上娘子望得天火,毀其旅路,阻止其遠去云云。