中朝事實、万葉集試訳

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万葉集試訳

3761 【承前,六三卅九。宅守作歌。】
 與能奈可能 都年能己等和利 可久左麻爾 奈里伎爾家良之 須惠之多禰可良
 世中(よのなか)の 常理(つねのことわり) 如斯樣(かくさま)に 成來(なりき)にけらし 据(す)ゑし種(たね)から
 空蟬此世間 倫常律令掟理故 所以此身者 淪落如此流越前 自業自得己蒔種
中臣宅守 3761

「世中(よのなか)の 常理(つねのことわり)」,藉律令制度所維持秩序之現實社會理法。
「如斯樣(かくさま)に」,如此田地。此云宅守配流越前之事。
「据(す)ゑし種(たね)から」,「据(す)ゑ」乃定置之意與此云自己所播下之種。自食其果。
宅守流配原因不明,本歌則云所以配流是自作自受,有諦觀之感。

3762 【承前,六三四十。宅守作歌。】
 和伎毛故爾 安布左可山乎 故要弖伎弖 奈伎都都乎禮杼 安布余思毛奈之
 我妹子(わぎもこ)に 逢坂山(あふさかやま)を 越(こ)えて來(き)て 泣(な)きつつ居(を)れど 逢由(あふよし)も無(な)し
 愛也吾妹兮 雖然越來逢坂山 望能與一會 然恨虛名無逢由 唯得啜泣度終日
中臣宅守 3762

「我妹子(わぎもこ)に」,「逢坂山(あふさかやま)」之枕詞。
逢坂之名,似可與戀人相逢。然而有名無實,相會無由,只得孤單啜泣。

3763 【承前,六三卌一。宅守作歌。】
 多婢等伊倍婆 許登爾曾夜須伎 須敝毛奈久 久流思伎多婢毛 許等爾麻左米也母
 旅(たび)と云(い)へば 言(こと)にそ易(やす)き 術(すべ)も無(な)く 苦(くる)しき旅(たび)も 言(こと)に勝(まさ)めやも
 所謂羈旅者 空口白話甚容易 縱令手無措 顛沛流離苦旅者 一言蔽之亦旅也
中臣宅守 3763

「言(こと)に勝(まさ)めやも」,「勝(まさ)」為勝過之意。「めやも」表反語。按此則當解為「現實痛苦之旅路,較抽象概念之旅更為輕鬆。」於意不合。通說以為宅守誤用。

3764 【承前,六三卌二。宅守作歌。】
 山川乎 奈可爾敝奈里弖 等保久登母 許己呂乎知可久 於毛保世和伎母
 山川(やまかは)を 中(なか)に隔(へな)りて 遠(とほ)くとも 心(こころ)を近(ちか)く 思(おも)ほせ我妹(わぎも)
 中隔山川在 兩隔異地不相逢 肉身雖遠離 然而我倆心可近 還願吾妹常念我
中臣宅守 3764

「心(こころ)を近(ちか)く 思(おも)ほせ」,「心(こころ)を思(おも)ふ」與「心(こころ)を持ち」同。雖然物理距離極遠,但心思可以貼近。

3765 【承前,六三卌三。宅守作歌。】
 麻蘇可我美 可氣弖之奴敝等 麻都里太須 可多美乃母能乎 比等爾之賣須奈
 真十鏡(まそかがみ) 懸(か)けて偲(しぬ)へと 獻出(まつりだ)す 形見物(かたみのもの)を 人(ひと)に示(しめ)す莫(な)
 無曇真十鏡 願汝懸心偲吾身 所以獻出之 寄情形見信物者 切勿莫令他人視
中臣宅守 3765

「真十鏡(まそかがみ))」,「懸(か)け」之枕詞。以懸掛明鏡為思念他人之比喻。
「懸(か)けて偲(しぬ)へと」,藉由信物思念心上人。
「形見物(かたみのもの)を」,信物為何並未明言,然以下曲「下紐(したびも)に 結付持(ゆひつけも)ちて」,則蓋為小鈴之類。

3766 【承前,六三卌四。宅守作歌。】
 宇流波之等 於毛比之於毛波婆 之多婢毛爾 由比都氣毛知弖 夜麻受之努波世
 愛(うるは)しと 思(おも)ひし思(おも)はば 下紐(したびも)に 結付持(ゆひつけも)ちて 止(や)まず偲(しの)はせ
 汝若思吾命 海枯石爛愛慕者 今結此下紐 繫情長伴不離身 還願情念無所止
中臣宅守 3766
 右十三首,中臣朝臣宅守。

「思(おも)ひし思(おも)はば」,持續思念不斷的話。「し」乃強調。
「下紐(したびも)に」,內衣之衣紐。
此云如果女方願意持續思念著作者的話,請將其信物(蓋為小鈴之疇。)常繫於內衣之衣紐之上,莫淡忘作者。

3767 【承前,六三卌五。娘子作歌。】
 多麻之比波 安之多由布敝爾 多麻布禮杼 安我牟禰伊多之 古非能之氣吉爾
 魂(たましひ)は 朝夕(あしたゆふへ)に 賜振(たまふ)れど 我(あ)が胸痛(むねいた)し 戀繁(こひのしげ)きに
 汝命真摯情 雖然朝夕無所闕 時時令感銘 然我胸懷痛刻骨 難忍思慕情泉湧
狹野弟上娘子 3767

「魂(たましひ)」,宅守思念弟上娘子之真情。
「賜振(たまふ)れど」,賜與之謙讓動詞。隨時都可以感受到對方愛慕自身的情念。

3768 【承前,六三卌六。娘子作歌。】
 己能許呂波 君乎於毛布等 須敝毛奈伎 古非能未之都都 禰能未之曾奈久
 此頃(このころ)は 君(きみ)を思(おも)ふと 術(すべ)も無(な)き 戀(こひ)のみしつつ 音(ね)のみしそ泣(な)く
 比日此頃時 每逢思君心抑鬱 手足皆無措 唯有戀慕度終日 放聲號泣淚涕下
狹野弟上娘子 3768

「君(きみ)を思(おも)ふと」,「と」為表示動作目的意圖之狀態、原因。
「音(ね)のみしそ泣(な)く」,放聲大哭。3777亦有同句。

3769 【承前,六三卌七。娘子作歌。】
 奴婆多麻乃 欲流見之君乎 安久流安之多 安波受麻爾之弖 伊麻曾久夜思吉
 烏玉(ぬばたま)の 夜見(よるみ)し君(きみ)を 明(あ)くる朝(あした) 逢(あ)はず間(ま)にして 今(いま)そ悔(くや)しき
 漆黑烏玉兮 逢瀨闇夜吾君矣 翌朝天明後 未會之間既別去 如今後悔已莫及
狹野弟上娘子 3769

「明(あ)くる朝(あした)」,翌朝。
「逢(あ)はず間(ま)にして」,「間(ま)」為表狀態之接尾語。宅守於出發前夜與娘子共度一晚,卻在翌朝不別而去。

3770 【承前,六三卌八。娘子作歌。】
 安治麻野爾 屋杼禮流君我 可反里許武 等伎能牟可倍乎 伊都等可麻多武
 味真野(あぢまの)に 宿(やど)れる君(きみ)が 歸來(かへりこ)む 時迎(ときのむか)へを 何時(いつ)とか待(ま)たむ
 越前味真野 長滯久宿吾君矣 朝暮引領盼 妾身當待迄何許 終可迎汝歸期哉
狹野弟上娘子 3770

「時迎(ときのむか)へを」,等待(歸國)時期到來之意。
「何時(いつ)とか待(ま)たむ」,要等到何時方能相逢相依。

3771 【承前,六三卌九。娘子作歌。】
 宮人能 夜須伊毛禰受弖 家布家布等 麻都良武毛能乎 美要奴君可聞
 宮人(みやひと)の 安眠(やすい)も寢(ね)ずて 今日今日(けふけふ)と 待(ま)つらむ物(もの)を 見(み)えぬ君(きみ)かも
 殿上大宮人 輾轉難眠不安寢 今日且今日 引領期盼待君歸 不得一見汝命矣
狹野弟上娘子 3771

「宮人(みやひと)」,或指同情宅守遭遇之友人。
「今日今日(けふけふ)と」,期盼早日歸來之狀。
「見(み)えぬ君(きみ)かも」,「見(み)ゆ」為「來(く)」之意。輕微敬體。

3772 【承前,六三五十。娘子作歌。】
 可敝里家流 比等伎多禮里等 伊比之可婆 保等保登之爾吉 君香登於毛比弖
 歸來(かへりけ)る 人來(ひとき)れりと 言(い)ひしかば 殆(ほとほ)と死(し)にき 君(きみ)かと思(おも)ひて
 聽聞逢大赦 流人得許早歸來 雀躍往迎者 不覺失望殆將死 期吾君歸不得叶
狹野弟上娘子 3772

「歸來(かへりけ)る 人來(ひとき)れり」,「歸來(かへりけ)る」為「「歸來(かへりき)ある」」之略。蓋云天平十二年六月大赦,穗積老等入京之事。
「殆(ほとほ)と死(し)にき」,「殆(ほとほ)と」乃「殆(ほとん)ど」之古形。幾乎將死。
聽聞有流人逢赦歸京,以為夫君歸來,前往迎接卻不見宅守。因為自己錯誤的期盼而更加失落,傷心欲死之狀。