元亨釋書卷十、万葉集試訳

■元亨釋書 卷十 感進
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万葉集試訳

4248 以七月十七日,遷任少納言。仍作悲別之歌,贈貽朝集使掾久米朝臣廣繩之館二首
 既滿六載之期,忽值遷替之運。於是別舊之悽,心中欝結,拭涕之袖,何以能旱。因作悲歌二首,式遺莫忘之志。其詞曰。
 荒玉乃 年緒長久 相見氐之 彼心引 將忘也毛
 新(あらたま)の 年緒長(としのをなが)く 相見(あひみ)てし 彼心引(そのこころひ)き 忘(わす)らえめやも
 物換星移兮 日新月異年緒長 相見昵親交 友好溫厚彼盛情 縱令別去豈能忘
大伴家持 4248

「相見(あひみ)てし」,て乃完了助動詞つ之連用形。し為回想助動詞き之連體形。
「彼心引(そのこころひ)き」,自己的心靈為對方所吸引。此云廣繩對家持所投以之盛情。

4249 【承前。】
 伊波世野爾 秋芽子之努藝 馬並 始鷹獦太爾 不為哉將別
 石瀨野(いはせ)に 秋萩凌(あきはぎしの)ぎ 馬並(うまな)めて 初鷹獵(はつとがり)だに 為(せ)ずや別(わか)れむ
 越洲石瀨野 來回踏靡凌秋萩 並馬共驅馳 今年還未初鷹獵 竟然倏忽將別哉
大伴家持 4249
 右,八月四日贈之。

「秋萩凌(あきはぎしの)ぎ」,「凌(しの)ぎ」為踏伏之狀。
「初鷹獵(はつとがり)だに」,鷹獵之時節多在晚秋、初冬之際。
「為(せ)ずや別(わか)れむ」,詠嘆疑問。今年尚未依同鷹獵,竟然就要別去歸京。

4250 便附大帳使,取八月五日應入京師。因此,以四日,設國廚之饌於介內藏伊美吉繩麻呂館餞之。于時,大伴宿禰家持作歌一首
 之奈謝可流 越爾五箇年 住住而 立別麻久 惜初夜可毛
 繁離(しなざか)る 越(こし)に五年(いつとせ) 住住(すみす)みて 立別(たちわか)れまく 惜(を)しき宵哉(よひかも)
 遠離隔繁山 住居北陸越中洲 春秋歷五載 今日別去應還京 寂悵悲惜此宵哉
大伴家持 4250

「住住(すみす)みて」,久住於此,已生親昵之情。

4251 五日平旦上道。仍國司、次官已下諸僚,皆共視送。於時,射水郡大領安努君廣嶋,門前之林中預設餞饌之宴。于此,大帳使大伴宿禰家持和內藏伊美吉繩麻呂捧盞之歌一首
 玉桙之 道爾出立 徃吾者 公之事跡乎 負而之將去
 玉桙(たまほこ)の 道(みち)に出立(いでた)ち 行(ゆ)く我(われ)は 君(きみ)が事跡(ことと)を 負(お)ひてし行(ゆ)かむ
 玉桙石柱兮 啟程歸途康莊道 我命所負何 身攬公之事蹟而 覆奏治勛徃京師
大伴家持 4251

「君(きみ)が事跡(ことと)を」,「事跡(ことと)」為業績、治績、成果。因家持已卸任國守而將要歸京,是以說其所覆奏之治績屬於國介之內藏繩麻呂。
「負(お)ひてし行(ゆ)かむ」,背負繩麻呂之治績昂首闊步,踏上歸途。

4252 正稅帳使掾久米朝臣廣繩事畢退任。適遇於越前國掾大伴宿禰池主之館,仍共飲樂也。于時,久米朝臣廣繩矚芽子花作歌一首
 君之家爾 殖有芽子之 始花乎 折而插頭奈 客別度知
 君(きみ)が家(いへ)に 植(う)ゑたる萩(はぎ)の 初花(はつはな)を 折(をり)て髻首(かざ)さな 旅別(たびわか)る共(どち)
 君家庭院間 所植秋萩芽子花 可憐初華咲 不如折枝髻首餝 即將旅別同志矣
久米廣繩 4252

「君(きみ)が家(いへ)に」,此云越前國掾大伴池主之館。
「萩(はぎ)の 初花(はつはな)を」,八月五日自越中出發,行至越前國府之際,蓋為初萩綻放之際。
「折(をり)て髻首(かざ)さな」,「な」表勸誘。
「旅別(たびわか)る共(どち)」,「共(どち)」表志同道合之知己。久米廣繩將往越中,而家持將歸京,兩者遂道逢於越前。

4253 大伴宿禰家持和歌一首
 立而居而 待登待可禰 伊泥氐來之 君爾於是相 插頭都流波疑
 立(た)ちて居(ゐ)て 待(ま)てど待兼(まちか)ね 出(いで)て來(こ)し 君(きみ)に於是(ここ)に逢(あ)ひ 髻首(かざ)しつる萩(はぎ)
 坐立皆難安 雖欲俟汝誠難待 出戶步來者 意外於茲逢汝命 折枝髻首秋萩矣
大伴家持 4253

「立(た)ちて居(ゐ)て」,坐立難安之狀。原本打算等廣繩歸越而後上京,卻迫不及待。

摘譯 三島由紀夫『癩王のテラス』

■摘譯 三島由紀夫『癩王のテラス』

肉体の崩壊と共に、大伽藍が完成してゆくと云ふ、

その恐ろしい対照が、恰も自分の全存在を芸術作品に移譲して滅びてゆく芸術家の人生の比喩のやうに思はれた。

生がすべて滅び、バイヨンのやうな無上の奇怪な芸術作品が、圧倒的な太陽の下に、静寂をきはめて存続してゐるアンコール・トムを訪れたとき、人は芸術作品といふものの、或る超人的な永生のいやらしさを思はずにはゐられない。壮麗であり又不気味であり、きはめて崇高であるが、同時に、嘔吐を催されるやうなものがそこにあつた。

三島由紀夫『癩王のテラス』

隨著肉體的崩壞,大伽藍 (सँघाराम)漸趨完臻。
那恐怖的對照,洽如將自身一切存在委讓于藝術作品而毀滅的藝術家人生之比喻。
有生殄滅之餘,如巴戎(Bayon)之無上奇怪的藝術作品,在壓倒的太陽下,極其靜寂而存續。
當人訪問吳哥窟時,不得不體感其藝術作品上、或超人永生之厭嫌,為其所震撼。
壯麗而詭異。極盡崇高的同時,亦寓有令人作噁的特質。


三島由紀夫『癩王之台』

「――カンボジャのバイヨン大寺院のことを、かつて『癩王のテラス』といふ芝居に書きましたが、この小説(『豊饒の海』をさす――室谷注)こそ私にとつてのバイヨンでした」
「――有關柬埔寨的巴戎大寺院,雖然我一度在戲曲『癩王之台』言及,但這部小說(『豐饒之海』)才是我的巴戎。」
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「――有關柬埔寨的巴戎大寺院,雖然我一度在戲曲『癩王之台』言及,但這部小說(『豐饒之海』)才是我的巴戎。」