元亨釋書、万葉集試訳

■元亨釋書 卷十三 明戒
https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/mokuroku/genkou/genkou13.htm
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万葉集試訳

4353 【承前,十三第七。】
 伊倍加是波 比爾比爾布氣等 和伎母古賀 伊倍其登母遲弖 久流比等母奈之
 家風(いへかぜ)は 日(ひ)に日(ひ)に吹(ふ)けど 我妹子(わぎもこ)が 家言持(いへごとも)ちて 來(く)る人(ひと)も無(な)し
 雖然家風者 日日吹拂不曾歇 然而為我妻 持來家書慰情者 至今未嘗有之也
丸子大歲 4353
 右一首,朝夷郡上丁丸子連大歲。

「家風(いへかぜ)は」,自家鄉吹來之風。
「家言持(いへごとも)ちて」,家書、家人之傳言。

4354 【承前,十三第八。】
 多知許毛乃 多知乃佐和伎爾 阿比美弖之 伊母加己己呂波 和須禮世奴可母
 立鴨(たちこも)の 發(た)ちの騷(さわ)きに 相見(あひみ)てし 妹(いも)が心(こころ)は 忘(わす)れせぬかも
 立鴨搏翅兮 兵荒馬亂啟程日 交枕共寢之 吾妻真誠鍾情者 雖然遠別必不忘
丈部與呂麻呂 4354
 右一首,長狹郡上丁丈部與呂麻呂。

「立鴨(たちこも)の」,鴨將起飛,慌亂搏翅之狀。「鴨(こも)」乃「鴨(かも)」之訛。
「相見(あひみ)てし」,「相見(あひみ)」為夫婦共寢雲雨之狀。

4355 【承前,十三第九。】
 余曾爾能美 美弖夜和多良毛 奈爾波我多 久毛為爾美由流 志麻奈良奈久爾
 餘所(よそ)にのみ 見(み)てや渡(わた)らも 難波潟(なにはがた) 雲居(くもゐ)に見(み)ゆる 島(しま)なら無(な)くに
 唯得在餘所 眺望遠觀而渡哉 嗚呼難波潟 分明其非天際邊 雲居渺遠離島矣
丈部山代 4355
 右一首,武射郡上丁丈部山代。

「餘所(よそ)にのみ」,雖然舉目可見,卻與自己無緣之遙遠存在。
「見(み)てや渡(わた)らも」,雖然難波潟之美景就在前,但此深卻將遠行而無暇前往欣賞。
類歌3166「我妹子を 外のみや見む 越海の 子難海の 島なら無くに」。 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m12.htm#3166

4356 【承前,十三第十。】
 和我波波能 蘇弖母知奈弖氐 和我可良爾 奈伎之許己呂乎 和須良延努可毛
 我(わ)が母(はは)の 袖以(そでも)ち撫(な)でて 我(わ)が故(から)に 泣(な)きし心(こころ)を 忘(わす)らえのかも
 恩育垂乳根 慈母以袖輕撫而 心疼吾身故 所以愴然淚下者 縱令遠離不能
物部乎刀良 4356
 右一首,山邊郡上丁物部乎刀良。

「我(わ)が母(はは)の」,持續至「泣(な)きし心(こころ)」。
「袖以(そでも)ち撫(な)でて」,「以(も)ち」為使用。「撫(な)で」無指定受詞時多指撫摸頭部。
「我(わ)が故(から)に」,此云母親對自身之情深。

4357 【承前,十三十一。】
 阿之可伎能 久麻刀爾多知弖 和藝毛古我 蘇弖母志保保爾 奈伎志曾母波由
 葦垣(あしかき)の 隈處(くまと)に立(た)ちて 我妹子(わぎもこ)が 袖(そで)もしほほに 泣(な)きしそ思(も)はゆ
 閉目沉思者 立身葦垣蔭隈處 愛也吾妻之 愴然淚下沾袖濕 涕泣之狀映眼簾
刑部千國 4357
 右一首,市原郡上丁刑部直千國。

「葦垣(あしかき)の」,苅葦編成之簡易牆垣。
「隈處(くまと)」,物蔭處。
「しほほ」,為眼淚所濡濕之狀。

4358 【承前,十三十二。】
 於保伎美乃 美許等加志古美 伊弖久禮婆 和努等里都伎弖 伊比之古奈波毛
 大君(おほきみ)の 命恐(みことかしこ)み 出來(いでく)れば 我取付(わぬとりつ)きて 言(い)ひし兒(こ)なはも
 大君敕命重 誠惶誠恐遵聖慮 啟程將發向 緊攫吾身淚涕下 哀嘆惜別娘子矣
物部龍 4358
 右一首,種淮郡上丁物部龍。

「我取付(わぬとりつ)きて」,「我(わぬ)」為「我(われ)」之東國語形。
「言(い)ひし兒(こ)なはも」,「言(い)ひ」於此為懇請、哀願之狀。離別之際,女子不願分離抓住作者,祈求其莫啟行,或哀怨其帶自身一同前往。

4359 【承前,十三十三。】
 都久之閇爾 敝牟加流布禰乃 伊都之加毛 都加敝麻都里弖 久爾爾閇牟可毛
 筑紫邊(つくしへ)に 舳向(へむ)かる船(ふね)の 何時(いつ)しかも 仕奉(つかへまつ)りて 國(くに)に舳向(へむ)かも
 今指筑紫處 舳向赴任此船者 當至於何時 可以遂其所仕侍奉 舳向本國復命哉
若麻續部羊 4359
 右一首,長柄部上丁若麻續部羊。
 二月九日,上總國防人部領使少目從七位下茨田連沙彌麻呂進歌數十九首。但拙劣歌者不取載之。


4360 陳私拙懷一首 并短歌。
 天皇乃 等保伎美與爾毛 於之弖流 難波乃久爾爾 阿米能之多 之良志賣之伎等 伊麻能乎爾 多要受伊比都都 可氣麻久毛 安夜爾可之古志 可武奈我良 和其大王乃 宇知奈妣久 春初波 夜知久佐爾 波奈佐伎爾保比 夜麻美禮婆 見能等母之久 可波美禮婆 見乃佐夜氣久 母能其等爾 佐可由流等伎登 賣之多麻比 安伎良米多麻比 之伎麻世流 難波宮者 伎己之乎須 四方乃久爾欲里 多弖麻都流 美都奇能船者 保理江欲里 美乎妣伎之都都  安佐奈藝爾 可治比伎能保理 由布之保爾 佐乎佐之久太理 安治牟良能 佐和伎伎保比弖 波麻爾伊泥弖 海原見禮婆 之良奈美乃 夜敝乎流我宇倍爾 安麻乎夫禰 波良良爾宇伎弖 於保美氣爾 都加倍麻都流等 乎知許知爾 伊射里都利家理 曾伎太久毛 於藝呂奈伎可毛 己伎婆久母 由多氣伎可母 許己見禮婆 宇倍之神代由 波自米家良思母
 皇祖(すめろき)の 遠御代(とほきみよ)にも 押照(おして)る 難波國(なにはのくに)に 天下(あめのした) 治食(しらしめ)しきと 今緒(いまのを)に 絕(た)えず言(い)ひつつ 掛幕(かけまく)も 文(あや)に畏(かしこ)し 惟神(かむながら) 我(わ)ご大君(おほきみ)の 打靡(うちなび)く 春初(はるのはじめ)は 八千種(やちくさ)に 花咲匂(はなさきにほ)ひ 山見(やまみ)れば 見羨(みのとも)しく 川見(かはみ)れば 見清(みのさや)けく 物每(ものごと)に 榮(さか)ゆる時(とき)と 見(め)し賜(たま)ひ 明(あき)らめ賜(たま)ひ 敷坐(しきま)せる 難波宮(なにはのみや)は 聞(き)こし食(を)す 四方國(よものくに)より 奉(たてまつ)る 御調舟(みつきのふね)は 堀江(ほりえ)より 水脈引(みをび)きしつつ 朝凪(あさなぎ)に 楫引上(かぢひきのぼ)り 夕潮(ゆふしほ)に 棹差下(さをさしくだ)り 味鴨群(あぢむら)の 騷競(さわききほ)ひて 濱(はま)に出(いで)て 海原見(うなはらみ)れば 白波(しらなみ)の 八重折(やへを)るが上(うへ)に 海人小舟(あまをぶね) 散(はらら)に浮(う)きて 大御食(おほみけ)に 仕奉(つかへまつ)ると 彼方此方(をちこち)に 漁釣(いざりつ)りけり 爾許(そきだく)も 甚大(おぎろな)きかも 此許(こきばく)も 豐(ゆた)けきかも 此處見(ここみ)れば 宜(うべ)し神代(かむよ)ゆ 始(はじ)めけらしも
 無論太古之 皇祖皇宗遠御代 抑或於今日 鎮座押照難波國 天下六合間 御宇治賜統八紘 時值至今緒 口耳相傳不絕言 僭述冒揚言 忌懼誠惶復誠恐 惟神隨神性 稜威聖嚴我大君 搖曳隨風動 向榮新春初來者 撩亂八千種 百花爭咲匂綻矣 若望見山者 見之此情更羨矣 若眺覽川者 覽之此情更清矣 森羅萬象之 物物欣欣向榮時 可以觀覽矣 可以玩味慰情矣 掩八紘為宇 敷坐押照難波宮 聞食治天下 自於六合四方國 赤誠所恭奉 貢進御調舟者也 發船自堀江 依循水脈順澪而 每當朝凪間 引划楫檝操梶上 又於夕潮中 指刺篙棹執竿下 洽猶味鴨群 競相騷鬧盡喧囂 一旦出濱而 覽望凔溟海原者 白浪濤不盡 八重折兮寄岸邊 海人小舟之 點點散浮泛水上 奉為大御食 將呈御膳以仕奉 彼方此方間 勞碌漁釣奮不懈 無論於爾許 所獲望外甚大哉 抑或於此許 所收繁盛甚豐哉 詳觀此處者 理宜遠自遠神代 曩古肇京傳今世
大伴家持 4360


4361 【承前,短歌其一。】
 櫻花 伊麻佐可里奈里 難波乃海 於之弖流宮爾 伎許之賣須奈倍
 櫻花(さくらばな) 今盛也(いまさかりなり) 難波海(なにはのうみ) 押照(おして)る宮(みや)に 聞食(きこしめ)す上(なへ)
 木花開耶兮 櫻花於今盛咲也 押照難波海 美輪美奐此宮闕 統御天下治六合
大伴家持 4361

4359 【承前,十三十三。】
 都久之閇爾 敝牟加流布禰乃 伊都之加毛 都加敝麻都里弖 久爾爾閇牟可毛
 筑紫邊(つくしへ)に 舳向(へむ)かる船(ふね)の 何時(いつ)しかも 仕奉(つかへまつ)りて 國(くに)に舳向(へむ)かも
 今指筑紫處 舳向赴任此船者 當至於何時 可以遂其所仕侍奉 舳向本國復命哉
若麻續部羊 4359
 右一首,長柄部上丁若麻續部羊。
 二月九日,上總國防人部領使少目從七位下茨田連沙彌麻呂進歌數十九首。但拙劣歌者不取載之。

「舳向(へむ)かる船(ふね)の」,「舳(へ)」為船首。「向(む)かる」乃「向(む)ける」之訛。
「仕奉(つかへまつ)りて」,此云完成使命。
「舳向(へむ)かも」,「舳向(へむ)かむ」之訛。

4360 陳私拙懷一首 并短歌。
 天皇乃 等保伎美與爾毛 於之弖流 難波乃久爾爾 阿米能之多 之良志賣之伎等 伊麻能乎爾 多要受伊比都都 可氣麻久毛 安夜爾可之古志 可武奈我良 和其大王乃 宇知奈妣久 春初波 夜知久佐爾 波奈佐伎爾保比 夜麻美禮婆 見能等母之久 可波美禮婆 見乃佐夜氣久 母能其等爾 佐可由流等伎登 賣之多麻比 安伎良米多麻比 之伎麻世流 難波宮者 伎己之乎須 四方乃久爾欲里 多弖麻都流 美都奇能船者 保理江欲里 美乎妣伎之都都  安佐奈藝爾 可治比伎能保理 由布之保爾 佐乎佐之久太理 安治牟良能 佐和伎伎保比弖 波麻爾伊泥弖 海原見禮婆 之良奈美乃 夜敝乎流我宇倍爾 安麻乎夫禰 波良良爾宇伎弖 於保美氣爾 都加倍麻都流等 乎知許知爾 伊射里都利家理 曾伎太久毛 於藝呂奈伎可毛 己伎婆久母 由多氣伎可母 許己見禮婆 宇倍之神代由 波自米家良思母
 皇祖(すめろき)の 遠御代(とほきみよ)にも 押照(おして)る 難波國(なにはのくに)に 天下(あめのした) 治食(しらしめ)しきと 今緒(いまのを)に 絕(た)えず言(い)ひつつ 掛幕(かけまく)も 文(あや)に畏(かしこ)し 惟神(かむながら) 我(わ)ご大君(おほきみ)の 打靡(うちなび)く 春初(はるのはじめ)は 八千種(やちくさ)に 花咲匂(はなさきにほ)ひ 山見(やまみ)れば 見羨(みのとも)しく 川見(かはみ)れば 見清(みのさや)けく 物每(ものごと)に 榮(さか)ゆる時(とき)と 見(め)し賜(たま)ひ 明(あき)らめ賜(たま)ひ 敷坐(しきま)せる 難波宮(なにはのみや)は 聞(き)こし食(を)す 四方國(よものくに)より 奉(たてまつ)る 御調舟(みつきのふね)は 堀江(ほりえ)より 水脈引(みをび)きしつつ 朝凪(あさなぎ)に 楫引上(かぢひきのぼ)り 夕潮(ゆふしほ)に 棹差下(さをさしくだ)り 味鴨群(あぢむら)の 騷競(さわききほ)ひて 濱(はま)に出(いで)て 海原見(うなはらみ)れば 白波(しらなみ)の 八重折(やへを)るが上(うへ)に 海人小舟(あまをぶね) 散(はらら)に浮(う)きて 大御食(おほみけ)に 仕奉(つかへまつ)ると 彼方此方(をちこち)に 漁釣(いざりつ)りけり 爾許(そきだく)も 甚大(おぎろな)きかも 此許(こきばく)も 豐(ゆた)けきかも 此處見(ここみ)れば 宜(うべ)し神代(かむよ)ゆ 始(はじ)めけらしも
 無論太古之 皇祖皇宗遠御代 抑或於今日 鎮座押照難波國 天下六合間 御宇治賜統八紘 時值至今緒 口耳相傳不絕言 僭述冒揚言 忌懼誠惶復誠恐 惟神隨神性 稜威聖嚴我大君 搖曳隨風動 向榮新春初來者 撩亂八千種 百花爭咲匂綻矣 若望見山者 見之此情更羨矣 若眺覽川者 覽之此情更清矣 森羅萬象之 物物欣欣向榮時 可以觀覽矣 可以玩味慰情矣 掩八紘為宇 敷坐押照難波宮 聞食治天下 自於六合四方國 赤誠所恭奉 貢進御調舟者也 發船自堀江 依循水脈順澪而 每當朝凪間 引划楫檝操梶上 又於夕潮中 指刺篙棹執竿下 洽猶味鴨群 競相騷鬧盡喧囂 一旦出濱而 覽望凔溟海原者 白浪濤不盡 八重折兮寄岸邊 海人小舟之 點點散浮泛水上 奉為大御食 將呈御膳以仕奉 彼方此方間 勞碌漁釣奮不懈 無論於爾許 所獲望外甚大哉 抑或於此許 所收繁盛甚豐哉 詳觀此處者 理宜遠自遠神代 曩古肇京傳今世
大伴家持 4360

「皇祖(すめろき)」,此云建都難波高津宮之仁德帝。
「押照(おして)る」,難波之枕詞。
「難波國(なにはのくに)」,「國(くに)」表支配者所統御之地域。
「今緒(いまのを)」,現在。蓋家持發展自「年緒(としのを)」之造語。
「掛幕(かけまく)も」,揚言,說出口。
「我(わ)ご大君(おほきみ)」,當時天皇孝謙天皇,但於諒闇中且無難波行幸之實。蓋指神龜二年之聖武天皇行幸
「見羨(みのとも)しく」,心思為所吸引、願望。
「見清(みのさや)けく」,令心情明朗。
「敷坐(しきま)せる」,以之為都,治理天下。此云天皇留置難波治天下。
「聞(き)こし食(を)す」,統治。以下描述難波港繁盛之狀,用以張揚皇威之榮盛。
「御調舟(みつきのふね)」,諸國將調供運來難波之船。
「堀江(ほりえ)」,難波堀江。
「楫引上(かぢひきのぼ)り」,全力划槳之狀。
「味鴨群(あぢむら)の」,「騷(さわ)き」之枕詞。
「騷競(さわききほ)ひて」,眾多舟人爭相划槳之狀。
「八重折(やへを)るが上(うへ)に」,海浪靠近岸邊而曲折之狀。
「散(はらら)に」,散亂。
「大御食(おほみけ)に 仕奉(つかへまつ)ると」,將供進天皇之御膳。
「甚大(おぎろな)きかも」,『欽明紀』有「造丈六佛,功德甚大(おぎろなり)。」之語。
「豐(ゆた)けきかも」,讚揚海之寬廣與物產豐榮。
「此處見(ここみ)れば」,由此觀之。
「宜(うべ)し神代(かむよ)ゆ 始(はじ)めけらしも」,遠自神代便於此建都,乃是合情合理。於當代看來,仁德帝世已近於神代。

4361 【承前,短歌其一。】
 櫻花 伊麻佐可里奈里 難波乃海 於之弖流宮爾 伎許之賣須奈倍
 櫻花(さくらばな) 今盛也(いまさかりなり) 難波海(なにはのうみ) 押照(おして)る宮(みや)に 聞食(きこしめ)す上(なへ)
 木花開耶兮 櫻花於今盛咲也 押照難波海 美輪美奐此宮闕 統御天下治六合
大伴家持 4361

「押照(おして)る宮(みや)に」,「押照(おして)る」本為難波之枕詞,此指光輝壯麗之難波宮
「聞食(きこしめ)す上(なへ)」,統治之時。

4362 【承前,短歌其二。】
 海原乃 由多氣伎見都都 安之我知流 奈爾波爾等之波 倍奴倍久於毛保由
 海原(うなはら)の 豐(ゆた)けき見(み)つつ 葦(あし)が散(ち)る 難波(なには)に年(とし)は 經(へ)ぬべく思(おも)ほゆ
 每望綿津見 滄溟海原有所思 蘆葦散亂兮 押照難波此美地 願能久居滯經年
大伴家持 4362
 右,二月十三日,兵部少輔大伴宿禰家持。

「年(とし)は 經(へ)ぬべく思(おも)ほゆ」,為難波海之浩瀚所震攝,甚至希望能長年留居以觀賞其絕景。

4363 【常陸國部領防人使大目息長國嶋進歌,十首第一。】
 奈爾波都爾 美布禰於呂須惠 夜蘇加奴伎 伊麻波許伎奴等 伊母爾都氣許曾
 難波津(なにはつ)に 御船下据(みふねおろす)ゑ 八十梶貫(やそかぬ)き 今(いま)は漕(こ)ぎぬと 妹(いも)に告(つ)げこそ
 難波御津間 御船進据泛水上 八十真梶貫 今將榜之槽船去 願傳茲事予吾妻
若舍人部廣足 4363

「御船下据(みふねおろす)ゑ」,官船之下水式,將上陸之船緩緩移入水中。御船乃天皇派遣脂肪人所乘之船。
「妹(いも)に告(つ)げこそ」,「こそ」表希求。希望能把自己出發之事,告訴家中的妻子。
類想歌4365。

4364 【承前,十首第二。】
 佐伎牟理爾 多多牟佐和伎爾 伊敝能伊牟何 奈流弊伎己等乎 伊波須伎奴可母
 防人(さきむり)に 立(た)たむ騷(さわ)きに 家妹(いへのいむ)が 業(な)るべき事(こと)を 言(い)はず來(き)ぬかも
 將赴任防人 發向之日慌忙故 未得與家妻 細說農桑生業而 倉促啟程來此矣
若舍人部廣足 4364
 右二首,茨城郡若舍人部廣足。

「防人(さきむり)」,「防人(さきもり)」之訛。
「立(た)たむ騷(さわ)きに」,即將啟程之慌忙紊亂。
「家妹(いへのいむ)」,「妹(いむ)」為「妹(いも)」之訛。
「業(な)るべき事(こと)を」,「業(なり)」乃農業、產業。有關自己外出時該照料之農桑之疇。

4365 【承前,十首第三。】
 於之弖流夜 奈爾波能都由利 布奈與曾比 阿例波許藝奴等 伊母爾都岐許曾
 押照(おして)るや 難波津(なにはのつ)ゆり 船裝(ふなよそ)ひ 我(あれ)は漕(こ)ぎぬと 妹(いも)に告(つ)ぎこそ
 日光押照兮 自於難波御津間 艤裝備發而 今將榜之槽而去 願傳茲事予吾妻
物部道足 4365

「押照(おして)るや」,「難波(なには)」之枕詞。
「難波津(なにはのつ)ゆり」,「ゆり」同「より」。
「船裝(ふなよそ)ひ」,裝飾船身準備出發。
「告(つ)ぎこそ」,「告(つ)げこそ」之訛。

[摘譯] 三島由紀夫 『輕王子與衣通姬』

 嘗て王子は狩競の他に樂しみを思はぬ少年であつた。朝霧の野を眠りを驚かされた鹿の群が軽やかに逃れ去り、露けき蜘蛛の巣が辺りに亂れて虚しいのを見ると、王子の心には悔しいと共に故知れぬ苛立たしさが疼いた。獲物は何時も王子の手から逃れやうとしてゐた。捕はれた後でさへも。──血に染み狩手の前に項垂れた動か無く成つた時は、それは「死」で狩手に抗ひ、「死」を楯として永久に狩手から逃れて行かうとしてゐた。

 過去,王子是未嘗於狩競以外感到歡愉之少年。然而,每當眼觀眠於朝霧野間受驚而輕盈逃去之鹿群、露濕之蜘蛛巢致使一帶徒留紛亂空虛之際,王子心中除了悔恨,更同時為一股莫名的挫折感所苛責。無論何時,獲物皆欲自王子手中逃去。縱然遭到捕獲之後亦然。──為鮮血沾染,倒臥獵人之前而不再活動之時,那是以「死」對抗獵人,以「死」為楯而永久地自獵人手中逃去之狀。

[摘譯] 三島由紀夫『獅子』

圭輔とても壽雄の愛情に何割かの將来の打算が入つてゐるとは知つてゐたが、打算のない愛情ほど信頼の置けない物はない訳だから、却つてその点で彼は安堵してゐるのだつた。
對圭輔而言,他很清楚壽雄對女兒(恒子)的愛情中有一定比例是含有對將來的打算的。然而,這世上沒有比不含打算的愛情更不值得信賴的事物,所以這點反倒令他安堵。

就圭輔而言,他很清楚壽雄對其女兒的愛情,參雜了幾分對於將來的算計。然而,世上豈有比毫無算計的愛情更不可信之物?是以,這點反而令其安堵。
三島由紀夫『獅子』

 壽雄は項垂れて繁子の沈著な一語一語を聞いてぬた。突然低い悲痛な叫びを洩らした。「あ、やっぱりお前だな。お前が毒を盛つたのだな。」

 「ええ、あたくしよ。貴方のお苦しみになつてゐるその顔を見たさの一念でした事です。」

 「惡魔め。お前は女ではないぞ。人の顔をした牝獅子だ。何といふ禍ひを私は花嫁と呼んだりした事だらう。お前は罪のない善良な人達を殺して置いて、そんな高慢な落著き顏で納まり返つてゐる。お前こそ地上の惡の根源だ。お前を憎む。ああ百萬遍繰返してもこの憎しみは盡きない位だ。」

 「あたくしも貴方が憎い。ただ貴方と違ふ所は、一度憎いと申し上げただけで、一生心に憎しみの滿足が得られるやうな、さういふ願つてもない機會に今あたくしがゐる事ですわ。」

 壽雄は叫ぶ氣力も失つて立ち盡くしてゐた。或る更に痛ましい懸念が彼の腦裡を過ぎつた。「親雄に會つて來る。手燭を寄越せ。」

 ──繁子は真闇の廊下の壁に凭れてゐた。彼女の胸には歡ぴの鼓動が高鳴つた。この瞬間の為にこそ彼女は生きたのだつた。

 親雄の寢室には永い沉默があつた。暫くして、初めは静かな、次第に募る號泣が聞こえて來た。──彼女が待つてゐた。

 兩手で顏を覆うて幸雄がよろめき出た。老人としか見えない姿だつた。繁子の前まで来るとへたへたと床に崩折れた。暫く動か無かつた。良人の手が彼女の足に縋りつくのを繁子は感じた。

 「お願ひだ。直ぐ私を殺してくれ。私にはもう自分を殺すだけの餘力は無いのだ」

 「私は貴方を苦しめました。それで目的は達してをります。お死になさるには及びません。」

 力尽きた男は最後の尤も痛烈な侮辱を込めた逆說を投掛けてそれに酬いた。「繁子、それでも私が心から愛してぬたのはお前ただ一人だったと云ふ事に気が付かなかつたのか。」

 ──繁子は暗闇の中でもそれと分かる百合のやうに美しい齒を見せて微笑した。その晴れやかな聲音が答へた。「あたくしもそれを知つてをりました。一度たりともあたくしはそれを疑つた事は無かつたのです。」

 壽雄垂頭喪志地鈴聽繁子冷靜沉著的一言一語。突然,宣洩出低沉悲痛的哀鳴。「啊,果然是妳。是妳下的毒吧。」

 「沒錯,是我。全是一心為了能見到您痛苦的表情而為。」

 「惡魔。妳根本不算女性。妳是批著人皮的牝獅!我娶了何等禍害為妻。妳殺了無罪善良的人們,卻面露出如此高慢沉著的表情,自以為滿。妳才是地上罪惡的根源。我恨妳。啊啊,就算重複個百萬遍也無法消彌這份恨意啊。」

 「我也恨著您。不過和您不同的是,我現在擁有只要一度表明憎恨,便能讓心中為憎惡滿足一生那般求之不得的機會。」

 壽雄失去吶喊的力氣,呆然佇立。他腦中閃過了更為痛烈的不安。「我要去看看親雄,給我蠟燭。」

 ──在黑闇的走廊中,繁子倚著牆壁。歡愉的鼓動在胸中高鳴。她彷彿是為了這一瞬間而生。

 親雄的寢室是永恆的沉默。片刻之後,起初是静悄悄地,而次第傳出號泣。──這便是她一心所苦待的場景。

 幸雄兩手摀臉,舉步闌珊地走出,姿態猶若老人。來到繁子面前,便跌跌撞撞地攤在地上,毫無動靜。良久,繁子感受到到丈夫的手正抓著自己的腳。

 「求求妳,快殺了我!我已經連自殺的餘力都沒了!」

 「我為您帶來痛苦。這樣目的便達成了。沒有讓您一死的必要。」

 最後,男子精疲力竭,以蘊含了最為痛烈侮辱之逆說,拋向妻子:「繁子,妳難道沒有察覺?事實是即便如此,我真正打從心裏所愛的,只有妳一個人嗎?」

 繁子微笑著露出那百合般美齒──縱在暗闇之中,亦顯著異常──以明朗的聲音回答:「妾身清楚的很。我未曾對其有過絲毫懷疑。」