拾遺和歌集、万葉集試訳

拾遺和歌集 卷十七 雜秋歌
https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/syuui/syuui17.htm
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万葉集試訳

4399 【承前,短歌其一。】
 宇奈波良爾 霞多奈妣伎 多頭我禰乃 可奈之伎與比波 久爾弊之於毛保由
 海原(うなはら)に 霞棚引(かすみたなびき) 鶴(たづ)が音(ね)の 悲(かな)しき宵(よひ)は 國邊(くにへ)し思(おも)ほゆ
 滄溟海原間 霞霧瀰漫飄霏 鶴音盪哀愁 悲情更催此宵晚 不覺懷土偲家鄉
大伴家持 4399

「鶴(たづ)が音(ね)の」,鶴之鳴聲。
「國邊(くにへ)」,防人故鄉一帶。

4400 【承前,短歌其二。】
 伊弊於毛負等 伊乎禰受乎禮婆 多頭我奈久 安之弊毛美要受 波流乃可須美爾
 家思(いへおも)ふと 眠(い)を寢(ね)ず居(を)れば 鶴(たづ)が鳴(な)く 葦邊(あしへ)も見(み)えず 春霞(はるのかすみ)に
 每逢思故土 哀傷輾轉不得眠 憂鶴雖悲鳴 所啼葦邊不得見 匿在瀰漫春霞中
大伴家持 4400
 右十九日,兵部少輔大伴宿禰家持作之。

「鶴(たづ)が鳴(な)く」,「葦邊(あしへ)」之連體修飾語,與帶有朦朧不可依之意的「たづがなし」雙關。

4401 【信濃國防人部領使進歌。】
 可良己呂武 須宗爾等里都伎 奈苦古良乎 意伎弖曾伎怒也 意母奈之爾志弖
 韓衣(からころむ) 裾(すそ)に取付(とりつ)き 泣子等(なくこら)を 置(お)きてそ來(き)ぬや 母無(おもな)しにして
 韓服軍衣袴 緊攫其袖淚涕下 哭喊泣子等 吾置其身獨自來 無母可怙父又離
他田舍人大嶋 4401
 右一首,國造小縣郡他田舍人大嶋。

「韓衣(からころむ)」,作者所著之軍衣袴。「衣(ころむ)」為「衣(ころも)」之訛。
「泣子等(なくこら)を」,「子等(こら)」為孩子。
「置(お)きてそ來(き)ぬや」,係助詞「そ」之後接終止形「ぬ」屬違例。「や」為詠嘆終助詞。
「母無(おもな)しにして」,「母(おも)」為孩子的母親,即作者之妻子。由於母親去世,孩子由父親撫養,而父親又受命遠赴海西為防人。


[戲仿]諸君 私は古文が好きだ

諸君 私は古文が好きだ
諸君 私は古文が好きだ
諸君 私は古文が好きだ
諸君 私は古文が大好きだ

漢文が好きだ
和文が好きだ
和歌が好きだ
宣命が好きだ
侯文が好きだ
ヲシテが好きだ
オペラが好きだ
ラテンが好きだ
エッダが好きだ

紀伝で 物語で
詩賦で 詔敕で
論表で 奏狀で
序辞で 記銘で
祭文で 咒願で


この地上で付梓されるありとあらゆる古文が大好きだ

卅一字を並べたよろずの言の葉のが人の心と共に詠まされるのが好きだ

諸蕃より来られた使人と漢文で応答し合った時など心が躍る

万葉仮名を借りていにしえ言挙げぬ国の古事を表記するのが好きだ

悲鳴を上げて変体假名を解読する学生を見た時など胸がすくような気持ちだった

乎古止點を持って、人々が漢文を訓読語に解読するのを見るが好きだ

恐慌状態の新人が既に訓読した文面を何度も何度も修正している様など感動すら覚える

終末の豫言を述べる巫女の狂乱なる様などはもう堪らない

百王の運、既に過半を及ぶご託宣を下ろした斎王と共に

金切り声を上げる文武百官の八十伴緒が、恐懼の色を浮かばれ畏まる樣も最高だ

哀れな鞍作臣(くらつくりのおみ)が、「臣、罪を知らず!」と額突く審察を乞うのを、

「天宗を盡滅して、日位を傾けむ」と宣賜われて、首を斬らるる時など絶頂すら覺える。

続く


元ネタ

http://www.asahi-net.or.jp/~zh6s-ingw/hellsing.html

[試譯] GARM WARS MAIN THEME

「Spéir toirneach / 雷の鳴る空に」 (Celtic languages)

作詞/作曲:川井憲次

Tá na h-éin ag eitilt sna spéir toirneach (雷の鳴る空に鳥は舞う)

Fad a bhfuil na fathach ina chodladh isteach 'sna garrán an Síog (精靈の宿る森に巨人は眠る)

Tá na dia ag teacht síos go dti an Domhan nua (新たなる大地に神々が降臨し)

Go luath, beidh an aois nua ag gealadh. (やがて新世紀は訪れる)

「Lean teagasc an Dia / 神の教えに従え」 (Celtic languages)

作詞/作曲:川井憲次

Lean teagasc an Dia, (神の教えに従え)

Lean treoireacht naofa an Dia freisin (神の導きに従え)

Ta na fhirinne bhunta do chruthuchan go leir, (遠い大地の果てに)

I chodladh ciuin ag deireadh an tír i bhfad gécin (萬象の真實は靜に眠る)


雷の鳴る空に 鳥は舞う

精靈の宿る森に 巨人は眠る

新たなる大地に 神々が降臨し

やがて新世紀は 訪れる

神の教えに従え

遠い遠い 大地の果てに

神の教えに従え

萬象の真實は 靜に眠る

神の教えに従え

遠い遠い 大地の果てに

神の教えに従え

萬象の真實は 靜に眠る

===

雷鳴虛空中 群鳥舞翱翔

精靈宿森間 巨人陷沉眠

嶄新大地上 諸神群降臨

是以新世紀 於今揭序幕

悉聽神誨

遙遠無邊 大地盡堺

悉聽神誨

萬象真實 寂靜永眠

悉聽神誨

遙遠無邊 大地盡堺

悉聽神誨

萬象真實 寂靜永眠

[摘譯]GARM WARS 名詞手帳

とりあえずGARM WARSの名詞 を整理してみた。



※アンヌ  Annwn  他界

※ガイア  Gaia   大地

※ガルム  Garm   地獄番犬

※クムタク KUMTAK  聖櫃

※コルンバ COLUMBA 鳩

※ブリカ  BRIGA   山岡

ドルイド Druid   祭司

※マラーク MALAK  使者・傳言者

※グラ   GULA   母・豐穰

※ウィド  WYDD    知識

※カラ   KHARA   浮舟

※スケリグ SKELLIG   山・岩

※ナシャン NASCIEN   再生・誕生

※スカアハ SCATHÁCH  影

※デルガ         死色之赤

※カレハ         時間

※ブレク         虛偽

※ヌァダ         幸運

GARM WARS MAIN THEME

雷の鳴る空に 鳥は舞う

精靈の宿る森に 巨人は眠る

新たなる大地に 神々が降臨し

やがて新世紀は 訪れる

神の教えに従え

遠い遠い 大地の果てに

神の教えに従え

萬象の真實は 靜に眠る

神の教えに従え

遠い遠い 大地の果てに

神の教えに従え

萬象の真實は 靜に眠る

[摘譯]慟哭の巨人(映画『鉄人28号』)

慟哭の巨人(舞臺『鉄人28号』、映畫『28 1/2 妄想の巨人』)

作曲 : 川井憲次 作詞 : 児島由美 唄 : 池田成志

鐵人矣 鐵人矣 耀於曉日

榮光矣 榮光矣 難以忘懷

騰空飛翔,去不復還

慟哭巨人,令人眷戀

榮映之命,深懷胸中

托付明日,永久之友



鐵人矣 鐵人矣 裂空奔去,直至千里

少年矣 少年矣 吾等奇蹟,究在何方

翱翔空中 不復返者
帝國巨人 令人嚮往
正義邪惡 盡皆湮滅
誰人手折 方為堕去

今獨一人 落魄襤褸

背叛之風 窶貧唯爾

====

慟哭の巨人(舞臺『鉄人28号』、映畫『28 1/2 妄想の巨人』)

作曲 : 川井憲次 作詞 : 児島由美 唄 : 池田成志

*鉄人よ 鉄人よ あかつきに照らし出せ

栄光よ 栄光よ この胸を去りがたん

空に飛び立ち還らぬは

慟哭の巨人恋しけり

はえある命を胸に抱く

明日をたくした永久の友

*鉄人よ 鉄人よ 千里まで空を裂け

少年よ 少年よ 我が奇跡いずこなり

空に飛び立ち 還らぬは

帝国の巨人 いとしけり

正義も悪もともに消え

誰が手折りしか堕ちゆかし

~今はひとりの落魄に

裏切りの風 窶すだけ~

[摘譯]Cogito, ergo sum

身負使命而活,是幸抑或不幸?

雖不知其答,以下卻是灼然自明:

我的人生,自屬於我。活下去的目的,由自身決定。決不犯下不抱疑惑地走上他人鋪好的軌道上之誤。

因為,豪傑眾皆如此。我所眼見的六個時代、六種世界,即便各有個迥異的法則,其根底的自負卻儼然一貫。



我思故我在。(Cogito ergo sum.)


全身全靈地叫喚著:我即如此,吾人如是!


尋獲自己的人生,相信、貫徹,不惜豁出性命。


其即是人類,彼即是世界。

在綜合眾人之色所描繪,名為森羅萬象的萬花筒。

人類有所歷史,有所故事。與身分地位,階級權力無關,人人皆是自我人生的主角。

所以我也期望如此,認為應當如是。

在這一無所有之處,形單影孤,觀測他人的人生,開始思考自己的劇本。

作為主角,想要成為可以讓自己抬頭挺胸、問心無愧的自我。


在那個時代,善惡的定義絕非受制於學者所思量的框架。

不過是精神上水火不容之性之陣營,個別以善、惡自稱,而吾亦從之而已。


然而就傾向而言,自負善者往往荒暴而危殆。面貌醜陋、汙穢,心中為憎惡與怨念所盈滿。

與敵人玉石俱焚,破壞殆盡,唯有詛咒永傳後世。

相較於「善」,「惡」卻往往綺麗而絢爛。

光彩奪目的俊男美女,優雅地微笑著,任情恣意,怡然自得。

縱使殺害數億蒼生,創造噬星魔獸。亦無絲毫無邪氣可言。

諸如破滅工房、殺人姬之疇,君臨極惡頂點之七尊魔王,縱被冠諸如是懾人渾名,卻一貫始終地優雅華麗。

Dies Irae 〜AA〜 Pantheon Prologue “神なる座に列し傳わる救世主"』より

[試譯] EKOEKO AZARAK

「聽好了?悪魔、邪悪的力量、或是黒魔術、這些名詞確實是存在的。然而,我可以斷定。悪魔根本不存在。既然悪魔不存在,那做為其產生物之邪悪力量,自然也不存在。如果其像是存在般的眼見、耳聞,那就是人心創造所致。」

「一切都是幻想?」

「是的,腦中的妄想,會驅使人們。其結果便是,雖然悪魔並不存在,卻存在著言行舉止宛如悪魔般的人類。」

===

「いいですか?悪魔、邪悪な力、或いは黒魔術、こういものが言葉としてあるとして知って認めます。でもね、断言できる。悪魔なんで存在しない。悪魔が存在しない以上、その發生物である邪悪なパワーみたいなものも存在しない。存在するように見えたり、聞こえたりするのは、人の心の中が作り出したなんだ。」
「全ては幻想?」
「そう、頭の中の妄想が、人にある行動を取り合わせるのです。その結果、悪魔は存在しないが、悪魔のように振る舞う人間は存在するのです。」

[試譯]髪は黒ロング。

髪は黒ロング。漸う畳なづく深窓、少し流れて行き、射干玉(うばたま)なる濡烏糸を打ち靡く。

続く。

==

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。

秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。

冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。

[試譯]大淫婦/聖娼女 Babylon Magdalena Riza Brenner

■蒼褪死面 (Pallida Mors)

生命之泉― (Puteus aquarum viventium)

所謂雨自天降,靈與身動,(Das sich die Himmel regen Und Geist und Korper sich bewegen)

此皆上帝躬赴汝許,幾度遣使,呼喚招汝(Gott selbst hat sich zu euch geneiget Und ruft durch Boten ohne Zehl)。

起身兮,參詣之,臨來吾人愛之晩宴(Auf,kommt zu meinem Liebesmahl)─

形成(Yetzirah)──蒼褪死面 (Pallida Mors)

■蒼褪死面 (Pallida Mors)/屍衣

嗚呼,Jochanaan、所愛之人,吾為汝獻上熱吻(Ah! Ich habe deinen Mund geküsst, Jochanaan)。

是矣。吾吻與汝,唇齒相接。(Ah! Ich habe ihn geküsst, deinen mund)

汝之口唇,其味甚苦。(es war ein bitterer geschmack auf deinen Lippen)

此蓋血味?(Hat es nach Blut geschmeckt)

非矣。其或苦戀之味哉。(Nein? doch es schmeckte vielleicht nach Liebe)

嗚呼!Jochanaan、Jochanaan(Ah! Jochanaan, Jochanaan, ),

何以唯汝美麗如此!(Ah! Jochanaan, Jochanaan, du warst schön.)

Dies irae ~Interview with Kaziklu Bey~

女史夢想誕生而抱擁死亡。

乃是除懷抱屍體之外,無以感受愛之女性。洽如 Salome 之流。

接吻則與斷頭,化妝當以亡骸。盛飾則當以屍衣。

論及翻雲覆雨,則以墓穴之被褥堪稱相應。

生息男子,無論相交幾度,女史之子宮必然無以納之。

「嗚呼,Yōḥānān、Yōḥānān!汝屍何以如此美麗!」吟詠此曲,交媾而可矣。

Zwei Wirklichkeit

我的孩子們在此。

希望能給予他們力量、給予他們心靈、

讓他們能擁有名字、以及人生……

私の子供達は此處に居る。

彼らに力を與えたくて、彼らに心を與えたくて、

名前も、そして人生も ……

[試譯]相州戰神館學園 八命陣 序章


【相州戰神館學園 八命陣 序章】


喜歡強大的男性。

這麼想的女孩,究竟有多少呢?

不論根據來源,單就主觀論斷,恐怕有七、八成。不,就我看來,或許超過九成也未可知。

對此,一定有許多反對的意見吧。

我不在意強大與否,溫柔之人、風趣之人、在一起能令人安心之人……

沒錯,更重視此類資質之女性,肯定亦不在少數。

我覺得這沒什麼不好,也無法否定。

溫柔、風趣、安心感,甚至單純地相貌姣好,皆是讓人喜歡上他者的重要因素。

但在此稍為轉換一下思路。

不是喜歡怎麼樣的人,而是無法喜歡上怎麼樣的人呢?

想必這又有莫衷一是的答案。但請先容我在此一問。

喂,各位,有誰喜歡弱小的男性嗎?

若以人生即戦場之比擬,能愛上在求生、戰鬥能力顯然劣於自身的男性嗎?

結論是「否」。縱然時代進步,價值觀多元,唯此便是女性萬古不變的真理。

現在是女強人的時代。你是十分傑出的女性。

啊啊,是啊,被如此恭維的確令人高興。但是縱然如此,我卻絲毫沒有要取代男性的願望。

我是女性。女性即是女性。

冀望強大之人、可恃之人、可守護自身與孩子的雄健男性。

這是本能。雌性之性,所以──

正如我是女性,他也自然是男性,

這理所當然的立場,為何當時卻無法顧及呢。

我說了,自己喜歡強大的男性。

簡單、自私地,以女性之思惟與精神,道出屬於女性的道理。

是以女性無法體會。男性是如何地憧憬強大,如何地渇望強大。

男性賭上「強大」的思念,是為瘋狂。

其程度,女流之身終究無由理解。

他們不惜一切,全力地追求名為強大之稱號。羞恥、憎恨弱小的自我,宛若要扼殺己身一般。

如果這就是男性的本質,我對那無法挽回的失言深惡痛嫉,後悔不已。

當時為何會說出「喜歡強大的男性」這般話呢。

對比任何人都渴望強大的他,竟無所顧忌地叫他變強。

愚蠢──膚淺。

對他而言,這樣的話語便與直說你太弱小無異。

事實上,要說我也心中毫無一絲這般想法,也是騙人的。

喜歡強大的男性,要變得更強,弱小者不配稱作男性。

強大、強大,那有如詛咒般的言語。

不,這不經意的話語,無異在當下化作萬劫之詛咒。

他變了。變強了。

但作為其代價,他的優點接二連三地消逝無蹤。

諸如溫柔、風趣,

以及在悠閒的午後,于艷陽高照之下笑談風生,那令人心胸為之一暖的幸福色彩……

不惜犠牲一切,他將雙手伸向那唯一的渴求。

在這樣的他之前,我究竟該作何反應……

笑著感到歡喜是不可能的,我做不到。

因為內心被罪惡感與苦痛折磨,儼然要被壓潰一般。

哭著求他住手更是不可能、我做不到。

畢竟,讓他如此的不是別人,就是我自己啊。

我自己也覺得,這是極為過分的背叛。

出張嘴叫他變強,當他要變強時卻在那裡悲傷,這分明是矛盾的,一點都不合邏輯。

對他而言,這就與忽然扯開梯子般地攻之不武沒有差別。

是以在此,正因如此而必然存在的儼然齟齬。

我是女性,而他是男性。

即便同為人類,根本上卻必定質異的異性之差。

因為,讓身為男性的他焦身亂狂的飢餓之深,女性的我是無論如何都無法感同身受的……

喜歡強大的男人云云,這話無論如何都不該說出口。

是的,我後悔至今,未曾稍寧。

其悔恨之念,有如求死。若能重來,甚至可以拿命來換。

是男性無論如何都無法想像地焦悔潰絕……

現在,被無盡的悔恨之渦所苛責的少女,自夢中浮出。

不,或許,一切都不過是南柯一夢也說不定

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好きな男の人のタイプは強い人――

そんな風に思っている女の子は、いったいどれくらいいるんだろう。

なんのソースも出せないただの主観で語ることを許して貰えるなら、恐らく七割。もしくは八割。いいや九割を超える率で皆が思っているんじゃないかというのが私の考え。

それについて、きっと反論はあるだろう。強さなんか気にしていない。優しい人、面白い人、一緒に居てほっとする人……そう言った資質のほうがずっと大事だという女たちも、間違いなく沢山居るに違いない。

それはいいし、否定できない事だと思う。優しさも面白さも安心感も、單に外見が格好いいという事さえも、人が人を好きになるには重要なファクターだ。

だけど、ここで少し考え方を変えてみる。

どういう人を好むかではなく、どういう人を好まないか。

これも又、幾らだって答えが出てくるだろうけど、まず一つ問わせて欲しい。

ねえ皆、弱い人って有り?

人生は戦いだというフレーズに倣うなら、そこで生き、戦う力が自分より明らかに劣っている男の人を好きになる?

答えは否。どれだけ時代が進み、どれだけ価値観が多様化しても、それだけは変わらない女の真実。

今は女が強い時代。君はとても強い女。ええ、そうね、言われて惡い気は確かに全然しないけど、だからといって自分が男性の役に取って代わろうなんて思わない。

私は女。女は女。強い人、頼りになる人、自分が子供を守ってくれる雄雄しい男性を望んでいる。

それが本能。雌性の性、だから──

私が女であるように、彼もまた男であるはずだという当たり前のことを、何故慮るいことが出來なかったのか。

強い人が好きだと私は言う。簡単に、自分勝手に、女の頭と魂で、女の理屈を口にする。

故に女は分かっていない。男がどれだけ強さに憧れ、それを渇望していたかを。

強さにかける男の人の思いは狂気だ。

女の身では到底理解できない域で、彼らは強いという称号を全身全霊求めている。弱い自分を殺したいほど恥じ、憎んでいる。

それが男の人というものだから、私は取り返しの付かない失言を悔いるのだ。

強い人が好きだなんて、何故私は言ったのだろう。

誰よりも強くなりたいと思っていたあの人に、強くあれだなんてよくもぬけぬけと、馬鹿──浅はかな。

そんな事、彼にしてみればあなたが弱いといわれたも同然。事實私も、そうした認識をしていなかったなんて大嘘はつけない。

強い人が好き、強くなって、強くなければ男じゃない。

強さ、強さ、呪にも似たその言葉。いいや、あれは間違いなく、あの時呪いと化したのだ。

彼は変わる。強くなる。だけどそれと引き換えに、彼の素晴らしい所が消えて行く。

優しさだったり、面白さだったり、ふと気の抜けた午後、陽だまりで笑って語り合えるような、暖かい幸せの色彩……

あらゆるものを犠牲にして、彼は唯一の望みに手を伸ばす。

それを前に、私はどんな反応をすればよかったのか……

笑って喜ぶなんて無理、出来ない。

罪悪感と痛ましさに、胸が潰れそうだったから。

泣いて止めるなんて無理、出来ない。

だって彼にそうさせたのは、他ならぬ私自身なのだから。

酷い裏切りだと自分でも思う。強くなれと言っておいて、強く成ろうとすれば悲しむなんて、矛盾しているし理屈が立たない。彼にしてみれば、いきなり梯子をはずされた様な騙まし討ちでしかないだろう。

だからきっと、それこそが厳然たる齟齬なのだ。

私は女で、彼は男。同じ人間でも、根本の質が異なる異性の違い。

男(かれ)の身を焦がす狂おしい飢餓の深さを、女(わたし)はどうしたって同等に感じることが出来ないから……

強い男の人が好きだなんて、何があっても言ってはいけなかったのだ。

そう、今でも絶えず悔いている。

死にたい程に。やり直せるなら命も要らないと思う程に。

男の人では、どうしたって理解出来ない程狂おしく……

そして今、尽きせぬ悔恨の渦に苛まれながら少女は夢から浮上した。

いいや、もしかしたら、すべてが夢なのかもしれない。

[試譯] Dies irae -Acta est Fabula- PV ver.4


黃金之代行者,Christof Lohengrin。
雖然他藉此超越痛苦,但他越是狂信著步上此途的自身,
作為其代價的孩子們之死,亦越為必然。

嗚呼。也就是只要他越認為自己是個人渣,就只能一再重複人渣的結果。
他是個人渣,也正因他是人渣,可愛的孩子們因而死去。
真是個人渣啊。

愛著。愛著。愛著。愛著──
其結果所導致的死亡。
看似矛盾的因果。
那猶若砂糖菓子般甘甜,宛如麻藥般令人無以自拔的薄桃色瘋狂。
==

黄金の代行、クリストフ・ローエングリーン。
彼はそう成る事で痛みを超えたが、そう成った自分を狂信すればする程に、
その代償である子供達の死は必然になる。

ああ。つまり本当の自分は屑だと思っている限り、屑な結果が繰り返されるって云う事だよ。
こいつは屑で屑だから、可愛い子供等が死んじゃうのさ。
屑だねえ。

愛してる。愛してる。愛してる。愛してる──
その結果に生まれる死。
矛盾している原因と結果。
それは砂糖菓子のように甘やかで、麻藥のように断ち難い薄桃色の狂氣。

==

以故汝等,不應誤解。
此實為祝福。
汝等應知,此係為授予汝等之嘆願,
創造而生,本應無由可得之奇蹟(黃金)。

汝等冀求斷崖之盡,仍有道路。
汝等焦願於茲拾起墬入萬豁深淵之人。

亦即,汝等嫌惡既有之法則。
唾棄之、不予承認,心欲化外之理。

不予否定。

汝等祈求名為死後之概念。

汝當歡喜狂舞。此即為汝等所求之解。

==


ゆえにおまえ達、勘違いをしてはいけない。

これは祝福だ。
おまえ達が望むものを授かるように創造された、
本来有り得ぬ黄金(キセキ)と知れ

断崖より先にも道が欲しい。
転げ落ちた者らをその上に拾い上げたい。

ああつまり、おまえ達は今ある法則を嫌がっている。
それを唾棄し、認めようとせず、別の法則(もの)を欲しているのだ。

否定はすまい。

おまえ達は、死後という概念に答えを求めている

歓喜しろよ。城(ここ)が死後(それ)だ。

====

算我求你,窩囊一點好嗎。

逃啊,有何不可?
不會有人抱怨的。抱怨的人腦袋有問題。

我知道你會過意不去,也知道這不合你的作風。
但是,別為了身不由己之類的理由,而一頭淌入這莫名其妙的渾水。

只要努力就能戰勝?這個世界可沒有那麼天真……

別像個孩子般地逞強。

首先,閉上雙眼。
塞耳、噤口,止息,絲毫不動。
心若頑石……
不願感受之事物過多。
不願察覺之事實過剩。
即便是留置於閉塞環中,亦無不可。
持續於其外側迴繞之物,絲毫不去感知,亦不想去察覺。


お願いだから、格好悪くなってよ

逃げてよ。いいじゃない。
誰も文句なんか言わないし、言う人頭おかしいんだよ

バツが悪いのは分かるけど、キミらしくないのも分かるけど、
退くに退けないとかそんな理由で、こんな馬鹿な話に関わらないで

頑張れば勝てるだなんで、世の中甘くないんだから……

子供みたいな意地、張らないでよ

まず、第一に目を閉じよう。
耳を塞いで、口を噤んで、呼吸を止めて微動しない。
心は石みたいに頑ななま…… 感じたくないものが多すぎて。 気づいちゃいけない事実も多すぎて。 閉じた環の中だけでいい。その外側で回り続けていたモノなんで、 ほんの少しだって感知しないし、したくない。

天魔夜刀:「人等厭惡愁悶,忌諱停滞。恐懼未知,卻同時切望不已。可知何矣?其乃既知尋死之証矣。海水之魚,正渴求著淡水!」
天魔夜刀:「人は退屈を厭ふ,停滞を忌む。未知を恐れると同時に切望する。この意味が分かるかな。 既知が死にたがつてゐる証なのだよ。海の魚が淡水を求めてゐる。」

「是矣勇者也,相互毀壞,銘記死亡。飛翔斷崖之盡!汝等咸為失喪刹那之袍袂,眼前乃唯一同胞,愛之、毀之、擁之而可也。其後必有卿等所求之解。嗚呼、寡人自不強制,然想卿等自不能抑。寡人悉之。卿等正因英魂之士,而為此城所選。若有不服之處,則當將唯屬卿等之Walhalla,掌握、示之而可也。」
「故にだ、勇者よ、壞し合ひ。死を思へ。斷崖の果てを飛翔せう!共に至高の刹那を見失つた袂同士、目の前にある唯一の同胞を愛し、壞し、抱きしめるが良い。その先に、卿らが求める答へがある。嗚呼、無論、強制などはしておらぬが、抑へられまい。分かつてゐる。さう云ふ魂の持ち主故に、卿らがこの城に選ばれたのだ。それが気に喰はぬと云ふのなら、卿らだけのヴァルハラを、見事掴んで見せるが良い。」

「在世上黃金律之間,有被稱做金字塔之型態。其頂點孤高,不能勝寒。所謂究極,便是如斯。竊以為,閣下當有所自覺。」(『Dies irae』Special Drama「Anfang」)

「この世の黄金律の一形態に、ピラミッドというものがありましょう。その頂点は、誰も横におらぬということ。 一番とはそういうモノです、ご自覚なさるがよろしいかと。」(『Dies irae』Special Drama「Anfang」)

[試譯]Dies irae -Acta est Fabula- PV ver.1


混合雜處。

吾等相混,盡失原型,化作皆非之物。

已然僉無所解。

無論光影、音聲、氣味、痛楚、歡愉,

此等之疇,不復知曉、感動,無以理解。

唯徒存爾。

存在於此,受此唯一事項束縛,永劫不復之殘骸。

曾經擁有愛意。

曾經知曉希望。

曾經傲於信念。

然而此時,皆無所感,咸無所有。

猶斯悲哀,不足一提,理當唯有空虛而已。

然而,吾人為何憶起早在夙昔被奪去之愛,無法忘懷已然毀壞之希望,慟哭於無以成就之夢想。

是以,正因此故,

元來定命一無所獲之此身,於此將唯一之物收諸吾掌。

是即──

吾尚記得,仍未忘懷,刻骨銘心之物,是為悔恨。

全我一我,一切共通之情念,乃為懊悔。

此一不復鼓動之屍體,於今是及以之形成之殘骸,以之幻化之咒詛。

離溶入於此一混沌,化作無間渦漩之日,相去不遠。

既然化作獸之一部,乃難以動搖之定命者,

嗚呼,至少我等當一雪此一悔恨!

吾主,黃金之混沌!

汝命可將聽察吾等之切望哉...

憑恃恐懼,必無以擊斃寡人。
歡喜、哀絕、以及昂揚……飾花之物,僅此而足矣。
恐怖與憤怒之疇,不過是身陷泥濘的匹夫之業。
寡人寵愛一切。其愛不論孰何,皆盡平等。
寡人之業(愛)者,是即破壞。破壞一切。
無論天國、地獄,神或惡魔,森羅萬象、三千大千世界之一切。
嗚呼,直至尋獲無以毀壞之物矣。
卿又何如?可曾為寡人之所毀(擁)歟?誠欲知之……
卿既為震怒之日之奏者,今當熟習鳴奏樂器之法也。查拉圖斯特拉。
恐れで私は斃せぬよ。
歡喜、哀絕、そして昂揚……花を飾るのはそれだけでよい 。
恐怖や憤怒などという物は,所詮泥濘をのたうつ匹夫の業に他ならん。
私は總てを愛している。それが何者であれ差別はなく平等に。
私の業(愛)とは、輙ち破壞だ。總て壞す。
天國も地獄も神も惡魔も,森羅萬象、三千大千世界の悉くを。
ああ、壞した事がない物を見つけるまでな。
卿はどうだ、私に壊(抱)されたことがあったかね?
知りたいな……
卿も怒りの日の奏者なら,楽器の鳴らせ方は心得ることだ。ツァラトゥストラ

[MEMO]『The Sky Crawlers』再鑒賞


押井守The Sky Crawlers』再鑒賞。(原作:森博嗣

https://youtu.be/s07b8kh9Ido

肢解作品為元素以再構築之方法論,早在1995劇場版『攻殼機動隊』有所嘗試。

(不用解離而用肢解,乃因其手法具相當暴力性。劇場版攻殼將塑膠味拍成金屬味,2.0有修改。)

然相較於『攻殼』借此在短短八十五分間以魁儡師事件為中心體現了原作之全貌與中心思想,

『Sky Crawlers』則大幅地限縮、偏離了原作主旨與寓意,猶如欲與原作激盪之二次創作。

竊想,這點上押井近年之心境變化與新生代劇本家伊藤ちひろ皆有份。

在『イノセンス』中不難窺見,相較於『Patlabor2』、『攻殼機動隊』創作者綿密的安排與記號羅列,

導演有其既定的(即便開放解釋)世界觀,亦即東浩紀所謂舊時代作品背後所露見之「大物語」。

縱然『イノセンス』維持縝密的創作方法論,各場面卻更重於「讀者在此有何感興」。

畫面元素之本質從「埋設的線索」一定程度轉化作「觸發Inspired之事件」。

再者,「脫韁野馬」早在企劃之初便刻意安排的預定調和(Prästabilierte Harmonie)。

不難在各訪談中看到「獻給年輕人」、「搞不懂年輕人的想法」、「過去逃避描寫年輕人」等發言,

更決定性的恐怕是「女兒(押井友繪)對本作若有所思,是接下此工作的主因。」 其向量洽與『うる星やつら』到『御先祖様萬萬歳』或『攻殻機動隊』到『イノセンス』背道而馳。

『御先祖様萬萬歳』脱胎於對『うる星やつら』中ラム一角之無法諒解,故導出理論臭的思辯。

イノセンス』則移除了一切(ドクサ之外)導演所無法共鳴的角色,只是更重於感性。

至於『Sky Crawlers』,則是演出「難以理解」之事物的一種控制失墬(Controlled Crash)。

至於伊藤ちひろ,其擔當劇本的行定勲『春雪』(原作:三島由紀夫)與本作在性質上猶如雙生兒。

有可圈點之處,但難逃背叛原作之機。藉由原作元素激發出創新思論,

但原作意涵已遭斷章,並非詮釋而是致敬(Hommage)。

再度回到東浩紀動物化するポストモダン』的論點,後現代作品在其背後已不存在正解之世界觀,

透過作品所窺見的是大量的資料庫,被歸類又離散的各種創作元素。

讀者不再藉由視聽去重組、完善「大物語」,而是經由散射而激發出更多的二次創作。

正田崇『相洲戰神館學園 萬仙陣』中黃錦龍所言「若你以為如是,其便為真實。──在你的心中。」

或許就是近代作品的通則吧。

[試譯] 片戀艷花

片戀艷花

作詞 : 畑亜貴 / 作曲 : YORI / 編曲 : 樫原伸彦 / 歌 : 藤乃静留 (進藤尚美)

「夜夢或現寔難辨 春日臨兮萬象始 櫻花舞散零紛紛

 然後,妾身陷入戀之深淵。

 思念之戀、隱忍之戀、蛇炎之戀,何錯之有哉?」

 悄悄地,將唇寄於濕潤的青絲,閉上雙眼。

 秋波泛淚,豈稱罪虐?

 心焦如焚,奔赴追逐,

 被髮追逐,猶若魍魎。

 還望有朝一日,得以相死與共。

 嗚呼,為夢操控,飛舞散落之熱戀徒花。

 遭風輕拂,隨即凋散。倘若命定如是,

 還願在互相擁抱之日,燃燒殆盡。

 由如鮮紅之色漸漸褪去,

 欲在愛人懷中,化作灰燼。

 無法決心之悲哀,

 無以傳達之哀默,

 妾身若死,君可將落淚?

 嗚呼,稍加探問,隨即枯萎之單戀櫻花。

 群星若凜凜鳴響,

 變將照亮夜道。

 思念難抑,燃燒殆盡。

 此次必當不復放手,

 縱令身死殞滅,不遁此情。

「飛蛾撲火中 身死徒滅曾無惜 捨生所為何 惟欲一全慕君情 此由之外復何求

 此乃古今集之戀歌。誠然如是,妾亦相去不遠。

 深愛火焰,率身撲入炎中之夏蟲。

 吾亦欲為如此思念之蛇炎所燃盡,不惜捨身。」

 遭風輕拂,隨即凋散。縱然命運如茲,

 思念難抑,燃燒殆盡。

 此次必當不復放手,

 縱令身死殞滅,不遁此情。

 醉於幻影,今宵迷亂。

「戀愛之色云何?映照秋海,明月之色。

 雅雪化粧,純白心色。群櫻吹雪之回憶,少女之色。

 妾將一切,盡染汝色。

 吾愛汝命,世間之人莫能勝之。縱令須與世界為敵…

 誠然,縱與閻魔、神祇對峙,亦無所忌憚。妾身必當守護無懈。」

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「夢か現か 春立ちて 桜花散る そして、うちは恋に落ちました。

 想う恋、忍ぶ恋、燃える恋、いけずな覚えないや」

 濡れた髮にそっと 唇寄せて目を閉じて 涙ぐんだらあかん?

 胸を焦がして追いかけた あやかしみたいに追いかけた

 いつか一緒に死にたいわ あゝ夢に操られ 儛う恋の花

 風が吹いただけで 散りゆく運命(さだめ)なら

 抱きあったその日に燃えてしまいたい

 そして紅(べに)の色が褪せてゆくように

 愛しい人のなか灰になりたいの

 思い切れない侘びしさと 伝えそびれた侘びしさと

 うちが死んだら泣きはるの?

 あゝ聞けば枯れそうな 片恋桜

 星が凛と鳴れば 夜道を照らすから

 想いは止まらない燃えて燃え尽きて

 今度こそ逃がさない この身が消えても逃がさない

「夏蟲の 身を徒に なすことも 一つ思ひに よりてなりけり

 これは古今集から恋の歌。せやな、うちも似たようなもんどす。 

 火を愛して炎に飛び込む夏の虫。 

 うちがそないな想いの炎によって身を滅ぼしたい思います。」 

 風が吹いただけで 散りゆく運命(さだめ)でも

 想いはとまらない燃えて燃え尽きて

 今度こそ逃がさない この身が消えても逃がさない

 面影に醉うほど 今宵乱れます...

「戀の色ってなんやろね、秋の海に映っているお月さん色。

 はんなり雪化粧、真白い心色。 桜散る散る思い出、乙女色。

 うちは全部あんたの色に染めてみせますわ。

  この世の誰よりもあんたのことが好きどす。 例え世界を敵に回しても…

 そう、閻魔さんや神さんだって構しません。うちが守ってみせます。」

[試譯] 能「羽衣和合之舞」

未經幾時,天女羽衣,隨浦風飄盪,冉冉昇天。
天人騰雲,自三保松原,至浮島之雲,經愛鷹山,陞富士高嶺,
更詣天闕,幽渺難見,終紛虛空雲霞之間,不復得見。


==

時移つて。天の羽衣。浦風にたなびきたなびく。
三保の松原、浮島が雲の。愛鷹山や富士の高嶺。
かすかになりて。天つ御空の。霞にまぎれて。失せにけり。

[試譯] 井荻麟『月の繭』

山の端 月は満ち 息衝く 貴方の森
夏草浴びて眠る 愛おしい 横顔
おぼろな 此の星 大地に 銀の雨
繭たる 蛹たちは 七たび 身を変える

青に LaLaLu LaLaLu
染まる 恋し繭玉
揚羽の蝶になる
やがて宇宙をつつむ 無限の翅模様
いのち輝かせよ

あの月 あなたなら
悲しみを写さずに
世の揺らぎ見つめて
嘆かずに飛んでみる

風にLaLaLu LaLaLu唄え 翅に月うつし
揚羽の蝶になる
揺らぐ夜に生まれ 銀河をわたる蝶よ
いのち輝かせよ

青にLaLaLu LaLaLu染まる 恋し繭玉
揚羽の蝶になる
やがて宇宙をつつむ 無限の翅模様
いのち輝かせよ

山之端,月滿盈。吐生息,汝之森。
浴夏草,陷沉眠。惹人憐,君橫顏。
儚朦朧,此星體。大地間,銀之淚。
繭珠之,群蛹者,計七度,化其身。

為群青,LaLaLu,LaLaLu,所沁染。
戀慕兮,繭珠者,化蝶身,成揚羽。
終包攝,懷宇宙。猶無限,翅模様。
生命矣,當輝耀。

若其月,為汝者。悲與哀,莫映照。
世搖曳,詳觀見。莫憂嘆,展翼翔。

乘風中,LaLaLu,LaLaLu,詠小唄。
於翅間,映月影。化蝶身,成揚羽。
搖曳夜,受其生。銀河間,渡蝶矣。
生命矣,當輝耀。

為群青,LaLaLu,LaLaLu,所沁染。
戀慕兮,繭珠者,化蝶身,成揚羽。
終包攝,懷宇宙。猶無限,翅模様。
生命矣,當輝耀。

[試譯] 『相洲戰神館學園 八命陣』 (我堂線/辰宮邸)

『相洲戰神館學園 八命陣』

淳士と宗冬がぶつかり合う事で、きっと自分だけの本物が手に入る。
そうに違いないと思うから、先ずは勝者を労わなくてはならなかった・首と成った宗冬と向き合ってその頬を優しく撫でる。

「褒美を授けましょう。次もどうか、わたくしを喜ばせて下さいね。」

交されたのは血濡れの口付け。
これにて一先ず愛憎劇は幕を閉じる。
妖艶な真紅に染まった口紅が、闇の中で退廃的に輝いていた。

借由淳士與宗冬的激突,必可獲得僅屬自身的真實。
正因百合香堅信如此,首先非慰勞勝者不可。面向化作首級的宗冬,溫柔地輕撫其臉頰。

「令我授予褒賞吧。下次也務必令妾身歡愉。」

相交的是染血的深吻。
愛憎劇藉此一旦閉幕。
為妖豔朱赤所染的口紅,在暗闇中頹廢地閃耀著。

[嘘記事]三逆古墳群から神代文字の石板が出土、山海経の原本か(2015年1月10日)

三逆古墳群から神代文字の石板が出土、山海経の原本か(2015年1月10日)

10日、嵯峨崎市武方三逆古墳群の第廿三次発掘調査においで、謎の文字が書かれた石板が発見された。第一発見者は嵯峨崎大学人文学部歴史文化学科の助研究員・大多喜比良浩(32)氏である。一見では韓国の諺文に酷似するものの、ハングルに詳しい調査隊員によって諺文ではないことがすぐ分かった。

人文学部歴史学科の団聖治(67)教授によると、この文字は「阿比留文字」と言い、国学者平田篤胤氏の『神字日文伝』は、「日本古来の太占(フトマニ)の兆形から発生し、唯一正統なる日文(ヒフミ)である。他に『釈日本紀』に見られた「肥人字」もこれに当たる。」と述べた。但し、国学者伴信友氏らは阿比留文字がハングルを基本とした偽作と論じ、平田氏が寧ろハングルこそ阿比留文字を複雑化して作られた見方を示した。

文字自体の真偽はともかく、神代文字を暗号として使われた例は日本各地で散見される事は明らかの事実であり、内容を解読する價値があると団教授もこれから解読に参加する。ちなみに、阿比留文字以外に「物部文字」とも呼ばれた「阿比留草文字」も石板の最後に書かれた。前者はルーン文字のような石か金属に篆刻に適す物で、後者は草紙もしく木簡に書き易い性質である。同時期に木簡・紙片の遺物がある可能性を示唆した。木簡らは保存し難い嫌いもあるが、今度発見された石板は放射性炭素による年代測定はほぼ不可能である故、木簡らが発見できれば文書の年代推定も可能になる。

解読が始まったばかりで不確定な物も多いが、「くむやむ(ママ)南...淵,深三百仞...るゐゑのしろ。その君獸形九首...翼蝠(かはほり)が如く...」等の記述が分かった、それは中国『山海經』海内西經:「崑崙南渕深三百仞。開明獣身大類虎而九首,皆人面,東向,立崑崙上。(昆侖の南の淵は深さ三百仞。開明獣は身が大きく虎に似て、九つの首、みな人面、東を向いて昆侖の上に立つ。 )」と異常に似て非なる文言である事は学者の興味を掻き立てる。同歴史文化学科の吉田貞治(48)教授によると文書は『山海経』の原本である可能性が高い。また、嵯峨崎大学考古学上の交流を持つ米国ミスカトニック大学にも本件に強烈な関心を示し、学者を派遣し調査に参加したいとの要望を持ち出したという。

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非常に興味深い発見であり発掘調査及び解読の進捗次第、続報を続きたい所存である。実に、締め切りの後で幾つ釈明しない箇所があって、民俗棟と渾名された嵯峨崎大学人文学部研究棟へ足を伸ばしてきた。

個人的に齟齬を感じた箇所は二つあり。先ず、『山海経』は中国先秦時代の書物であり、日本で発見された似非ものを『山海経』の原本とするのは早取りである。逆に『山海経』を元に作られた方が合理ではないか。そして、交流ありとは言え日本の一地方が発見した石板が米国の名門大学がわざわざ学者を派遣したいまで関心を示した事にも妙な話である。神代文字が贋作と言う学界の常識では今度発見された石板をまるで史前の本物のように扱う態度は聊か不可解な所がある。

民俗棟の主こと吉田教授が親切にも私の疑問を答えてくれた。実は今度発見された石板の内容は、中国夏王朝時代の『螺湮城本伝』、つまり後程数多の言語に翻訳された『ルルイエ異本』と極めて類似しており、中身は大いなる九頭龍(クトゥルフ)とその眷属や領地である螺湮城(ルルイエ)について記述されている。ミスカトニック大学の哲学教授ラバン・シュリュズベリイ博士が「An Investigation Into the Mythpatterns of Latterday Primitives With Especial Reference to the R'lyeh Text」という論文で『螺湮城本伝』こそ『山海経』の原本であることを論考したという。

学者らの推論は正しければ、この石板は正しく史前の物か、その人類以前の神々を信じ続けた宗教団体の所為のどちらに違いない。吉田教授は本件について余り踏み入れないよう、文学家ラブクラフトの名言、「この世で最も慈悲深き事は、人間がありとあらゆる事を関連づけられずにゐる事だらう。我々は無限に広がる暗黒の海中、無知と云ふ名の平穏な島に住んでおり、遥かな航海に乗り出すべからず。」を私に贈った。

また、吉田教授に訪れ、唖然とした事実が分かった。例の石板は嵯峨崎大学人文学部研究棟で厳重に保管されたものの、今朝未明、人目に触れずに紛失した事が分かった。盗難の可能性もあるが、大学・警察側は混亂を招かないように事情が明確するまで公表しない方針でいる。それを聞いて、居ても立っても居られない私は石板の第一発見者である大多喜氏に聞き込みを試したが連絡は一向付かない。同僚に聞き回ったら昨夜から行方不明になったようで、その前にどこか死んだ魚を思わせる奇妙な容姿の男との接触が目撃された。もしかして大多喜氏こそ石板を持ち出した犯人ではないかとの噂もあるだそうだ。但し、私は行方不明直前の妙な目撃証言に胸騒ぎを覚えた。

浦木裕記者からの寄稿

[嘘記事]神代文字石板紛失事件、発見者大多喜氏が変死(2015年9月3日)

 3日早朝、岐之戸神社境内の紅鯉洲滝にで、嵯峨崎大学人文学部歴史文化学科の助研究員・大多喜比良浩(32)氏の変死体が発見された。大多喜氏は、先月三逆古墳群の神代文字石板の第一発見者で、30日深夜から行方不明になり、家族から捜索願が2日から出された。
 また、嵯峨崎大学人文学部研究棟で厳重に保管された神代文字石板が、31日未明、人目に触れずに紛失して、未だに見つからずという。盗難の疑いが深いが、大多喜氏との聯絡が付かず上に疑点も多くあり、大学及び警察側は混亂を招かないように一旦公表しない方針を取ったものの、大多喜氏の遺体が発見された以上、事件の早期解決を図り、情報解禁へと方針転換したという。ミスカトニック大学の調查団に関して、一時は期派遣中止との声も上げたが、最終的に人数を減らしたものの派遣が継続とのこと。
 大多喜氏の死体について、水死体として発見されたが、検死報告では生活反応により死後落水だと判明した。死体の特徴として、首には刃物に刻まれた鰓状の深い傷があり、致死傷で見立て殺人の意匠を伺えた。腕に拘束跡が見られ、手には擦り傷多数な上指の爪の中に砂や泥が入っている。なお、皮膚には死斑が見られ、水浸した影響をも含めて死亡推定時刻は2日の21時から22時くらいだと思われる。目が丸くなって、非常に恐怖と驚愕な表情を示している。検死報告により総括判斷は、死前は別の場所で拘束され、刃物で首に動脈に至る鰓状の傷を刻まれ放置、死ぬ直前は極度なパニック状態に陥ちたに違いないとの事。死後、遺体が岐之戸神社に移され、紅鯉洲滝に投棄したと思われる。
 また、目撃報告によると、大多喜氏が失踪する前に妙な容姿の男との接触があり、目撃者はは男子の風貌は東北地方の漁村・蔭洲升(いんすます)人特有のインスマス面だと強調していた。大多喜氏の遺体は人為的にインスマス面に作り変える功夫をしたのではないかと疑われているという。現在、大多喜氏の変死及び石板の探索の爲に、警察が例の男子の行方を至極調査しているとのこと。
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 此度、取材をおこなった際に、実は数多の情報を貰ってきたが、大学側の意向を汲んで公表しない事が多くあり実際、社会大衆に晒すに憚る物が多く、自主規制の意味を含む、ここでで記す。
 まず、ミスカトニック大学調查団の発見継続に関して、民俗棟で石板がなくす前に、実は団聖治教授により拓本を取っており、釈文も最近完成したという。石板の釈文は以下となる。
#くむやむがみなみ、みちのりおほよひよむちふもなり、わたなかさらにふちあれど、ふかさみもひろ、るゐゑのしろありし。そのきみ、すがたししかたなり、たつににたりしくびこまたあり、つばさかはほりがことく。るゐゑにひむかきいねつつこととこしへなりや。(以上、阿比留文字を平仮名へ転写したもの。)
#まらうと・すくな。(以上、阿比留草文字を平仮名へ転写したもの。)
 それを漢文へ復文した場合、以下の文面の通りだ。
#崑央(くむやむ)南一萬六千二百里(みちのりひよむちふも),海中(わたなか)更有淵,深三百仞,有螺湮城(るゐゑのしろ)。其君獸形(そのきみすがたししかたなり),類龍而九首,有翼若蝠(かはほり),東嚮長眠螺湮中。
  稀人・少彦名
 団教授によれば『山海経』では崑崙という仙界を冒頭に載せたものの、今度の石板に書かれた崑央はどうも、クン・ヤン(クシナイアンの説もあり)と呼ばれた米国オクラホマ州にある、不吉な伝承の残る、忘れ去れた広大な地下世界だそうだ。また、「ルルイエ(るゐゑ)に東(ひむか)き眠(いね)つつ事(こと)、永久(とこしへ)なりや」という末文は、クトゥルフの崇拝者の間に伝われてきた祈祷文「Ph'nglui mglw'nafh Cthulhu R'lyeh wgah'nagl fhtagn (死せるクトゥルー、ルルイエの館にて、夢見るままに待ちいたり)」に通じる、前期『螺湮城本伝』の可能性が極めて高いという。
 もっとも興味深いのは「稀人・少彦名」という阿比留草文字による属名である。稀人はもしく客人と書き、なまはげから始め、日本各地に客神信仰の変形が殘っている。少彦名も『古事記』『日本書紀』では海から来訪神として書かれており、通説ではないが渡来人と見做す説もあり。阿比留草文字は物部文字草体・古代物部文字とも呼ばれ、古史古伝の『物部文書』、『竹内文書』や『九鬼文書』で用いられている。物部氏は武人及び排仏のイメージが強いかもしれないが、本当は祭祀や渡来人の管理にも深く関わっていた。近年、物部氏領地内で渋川廃寺の発掘で仏教崇拝抗争や古代の仏教を再検討すべきの話が出たが、見方を変えれば物部氏管理下の渡来人による物の可能性が無きにして非ず。物部氏の役職の一つとして鎮魂を上げられるし、異神・蕃神を鎮め、また渡来人を安撫する意味で、朝庭の三宝崇敬を反対するものの渡来人の宗教には許容的な方針を取ったかもしれないと団教授の薀蓄を示した。
 但し、クトゥルフの信者はかなり危険な性質を持つゆえ、ミスカトニック大学調查団も含めて本件はなるべく新聞に載らず水面下で調査し続けたいとの要求を受けた。
 大多喜氏の変死体について「共感呪術の類だ。深きものの似姿による生贄の身代わりと成りうるではないか。」と吉田貞治教授がコメントした。なお、蔭洲升は東北地方の漁村であるが、アメリマサチューセッツ州エセックス郡に属す港町インスマスと極めて相似な特性を持っている。蔭洲升の近くに赤牟、王港、壇宇市という地名があり、それぞれインスマス周辺のアーカム、キングスポート、ダニッチと名称や地理關係の類似性が吉田教授によって指摘された。「邪馬台国東遷論」で筑紫と畿内には地名や位置相関性を度々取り上げたが如く、故郷を偲ぶ意味合いで蔭洲升周辺には旧きインスマスからの渡来人によってそういう地名にしたのではないか──いいえ、もしくアメリインスマス自体もまた、永劫とり失われた地の名残という可能性を否めず.....と吉田教授はその話を一段やめて、「良いか、石板の話も含めこの件は新聞で載るべからざる事をお分かりでしょう、それも君の身のためだ。」と忠告した。
 ジャーナリストとして真実を報告すべきか、大局を見て隠すべきか、今になってもなお苦悩しつつある。
浦木裕記者からの寄稿