拾遺和歌集、万葉集試訳

拾遺和歌集 卷十一 戀歌一
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万葉集試訳

4239 詠霍公鳥歌一首
 二上之 峯於乃繁爾 許毛里爾之 彼霍公鳥 待騰來奈賀受
 二上(ふたがみ)の 峰上繁(をのうへのしげ)に 隱(こも)りにし 彼霍公鳥(そのほととぎす) 待(ま)てど來鳴(きな)かず
 潛藏匿二上 山峰之巔繁茂間 杜鵑霍公鳥 冀汝出谷以喧歌 無奈久待不來鳴
大伴家持 4239
 右四月十六日,大伴宿禰家持作之。

「峰上繁(をのうへのしげ)」,峰上之草叢。
「隱(こも)りにし」,原文「許毛爾之」蓋脫「里」字,依『萬葉集略解』補之。

4240 春日祭神之日,藤原太后御作歌一首即賜入唐大使藤原朝臣清河 【參議從四位下遣唐使。】
 大船爾 真梶繁貫 此吾子乎 韓國邊遣 伊波敝神多智
 大船(おほぶね)に 真楫繁貫(まかぢしじぬ)き 此我子(このあご)を 唐國(からくに)へ遣(や)る 齋(いは)へ神達(かみたち)
 雄偉大船間 真楫繁貫滿軸艫 愛也此吾子 將令渡海遣唐國 敬齋神祇祈冥貺
光明皇后 藤原安宿媛 4240

「春日」,此云春日大社
「真楫繁貫(まかぢしじぬ)き」,光明皇后亦自行參與出航之準備。
「此我子(このあご)を」,雖然光明皇后僅年長其甥藤原清河五歲,仍以表對其親愛之情。
「齋(いは)へ神達(かみたち)」,「齋(いは)へ」為清淨潔齋,奉求神祇,祈禱出航者一路平安。「神達(かみたち)」指春日大社之祭神,武甕槌神、經津主神、天兒屋根命、比賣命等。

4241 大使藤原朝臣清河歌一首
 春日野爾 伊都久三諸乃 梅花 榮而在待 還來麻泥
 春日野(かすがの)に 齋(いつ)く三諸(みもろ)の 梅花(うめのはな) 榮(さか)えてあり待(ま)て 歸來(かへりく)る迄(まで)
 寧樂春日野 齋祭三諸神奈備 社間梅花矣 冀汝長榮咲不絕 直至有朝歸來時
藤原清河 4241

「春日野(かすがの)に 齋(いつ)く三諸(みもろ)の」,此云春日大社。原本「三諸」專指出雲系神祭場之神奈備山,此則以三笠山三輪山形似而將位於三笠山麓之春日大社視為其祭場而言。



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拾遺和歌集、万葉集試訳

拾遺和歌集 卷第十 神樂歌
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万葉集試訳

4230 【介內藏忌寸繩麻呂館宴樂時,大伴家持作歌。】
 落雪乎 腰爾奈都美弖 參來之 印毛有香 年之初爾
 降雪(ふるゆき)を 腰(こし)に滯(なづ)みて 參(まゐ)て來(こ)し 驗(しるし)も有(ある)か 年初(としのはじ)めに
 降雪積幾重 曳足滯腰礙跋涉 仍不遠千里 參來拜禮有驗矣 在茲新禧年初時
大伴家持 4230
 右一首,三日會集介內藏忌寸繩麻呂之館宴樂時,大伴宿禰家持作之。

「腰(こし)に滯(なづ)みて」,「滯(なづ)み」為受到阻礙而難涉之意。此云豪雪積降至腰,難以前行。
「參(まゐ)て來(こ)し」,「參(まゐ)」為敬語,以示對主人內藏繩麻呂之敬意。
「驗(しるし)も有(ある)か」,效驗、價值。詠大雪之中嘆跋涉而來,雖然路途艱險,卻物超所值。

4231 于時,積雪彫成重巖之起,奇巧綵發草樹之花。屬此,掾久米朝臣廣繩作歌一首
 奈泥之故波 秋咲物乎 君宅之 雪巖爾 左家理家流可母
 撫子(なでしこ)は 秋咲(あきさ)く物(もの)を 君(きみ)が家(いへ)の 雪巖(ゆきのいはほ)に 咲(さ)けりける哉(かも)
 石竹撫子花 本當逢秋盛咲者 然在君苑間 縱然積雪彫重巖 非時綻放常絢爛
久米廣繩 4231

「積雪彫成重巖之起」,雕刻積雪,以為岩山之造型。內藏繩麻呂以雪雕、造花裝飾宅邸,而諸人以非時之花褒之。「綵」為施加色彩。
「秋咲(あきさ)く物(もの)を」,本來應該是在秋季綻開之花。「物(もの)を」為逆接用法。
「咲(さ)けりける哉(かも)」,本當用「咲(さ)きぬ」,而此用「咲(さ)けり」者,蓋因其非真花兒為造花故也。

4232 遊行女婦蒲生娘子歌一首
 雪嶋 巖爾殖有 奈泥之故波 千世爾開奴可 君之插頭爾
 雪山齋(ゆきのしま) 巖(いはほ)に植(う)ゑたる 撫子(なでしこ)は 千代(ちよ)に咲(さ)かぬか 君(きみ)が髻首(かざ)しに
 積雪飾山齋 重巖所植綵奇巧 石竹撫子花 願汝常咲綻千代 永為吾君髻首矣
遊行女婦蒲生 4232

「雪山齋(ゆきのしま)」,「山齋(しま)」為林泉、園池之類。
「君(きみ)が髻首(かざ)しに」,「君(きみ)」指內藏繩麻呂。

4233 于是,諸人酒酣,更深雞鳴。因此,主人內藏伊美吉繩麻呂作歌一首
 打羽振 雞者鳴等母 如此許 零敷雪爾 君伊麻左米也母
 打羽振(うちはふ)き 雞(とり)は鳴(な)くとも 如此許(かくばか)り 降敷(ふりし)く雪(ゆき)に 君坐(きみいま)さめやも
 雖然雞振羽 搏翼高啼報曉至 然在如此許 降敷八重積雪間 實在不得令君歸
內藏繩麻呂 4233

「打羽振(うちはふ)き」,鳥類張翅揮舞之狀。
「君坐(きみいま)さめやも」,無法令以家持為首之賓客歸去。「坐(いま)す」於此為「行く」之敬語型。

4234 守大伴宿禰家持和歌一首
 鳴雞者 彌及鳴杼 落雪之 千重爾積許曾 吾等立可氐禰
 鳴雞(なくとり)は 彌頻鳴(いやしきな)けど 降雪(ふるゆき)の 千重(ちへ)に積(つ)めこそ 我(わ)が立難(たちかて)ね
 雖然雄雞者 頻頻報曉告歸時 然以零雪之 層層降敷積千重 留吾在此不得發
大伴家持 4234

「彌頻鳴(いやしきな)けど」,頻頻高啼。
「千重(ちへ)に積(つ)めこそ」,與「千重(ちへ)に積(つ)めばこそ」同。
「我(わ)が立難(たちかて)ね」,無法啟程。

4235 太政大臣藤原家之縣犬養命婦奉天皇歌一首
 天雲乎 富呂爾布美安太之 鳴神毛 今日爾益而 可之古家米也母
 天雲(あまくも)を ほろに踏(ふ)みあだし 鳴神(なるかみ)も 今日(けふ)に勝(まさ)りて 恐(かし)けめやも
 縱為劈天闕 蹴散踏破碎雲路 霹靂鳴神者 稜威豈能勝今日 誠惶誠恐可畏哉
縣犬養三千代 4235
 右一首,傳誦掾久米朝臣廣繩也。

「ほろに踏(ふ)みあだし」,「ほろ」乃四散破碎之狀。「あだし」或為碎散之意。
「今日(けふ)に勝(まさ)りて」,拜謁天皇,受到天皇、皇后之關愛的言語。
「恐(かし)けめやも」,對於天皇之敬畏,遠超過對雷神之恐懼。

4236 悲傷死妻歌一首 并短歌。【作主未詳】
 天地之 神者无可禮也 愛 吾妻離流 光神 鳴波多妗嬬 攜手 共將有等 念之爾 情違奴 將言為便 將作為便不知爾 木綿手次 肩爾取挂 倭文幣乎 手爾取持氐 勿令離等 和禮波雖禱 卷而寐之 妹之手本者 雲爾多奈妣久
 天地(あめつち)の 神(かみ)は無(な)かれや 愛(うつく)しき 我(わ)が妻離(つまさか)る 光神(ひかるかみ) 鳴(な)りはた娘子(をとめ) 攜(たづさは)り 共(とも)に在(あ)らむと 思(おも)ひしに 心違(こころたが)ひぬ 言(い)はむ術(すべ) 為術知(せむすべし)らに 木綿襷(ゆふたすき) 肩(かた)に取懸(とりか)け 倭文幣(しつぬさ)を 手(て)に取持(とりも)ちて 勿放(なさ)けそと 我(われ)は祈(いの)れど 枕(ま)きて寢(ね)し 妹(いも)が手本(たもと)は 雲(くも)に棚引(たなびく)
 蓋是六合間 天神地祇無存哉 愛也哀憐哉 吾妻物化辭世去 雷霆萬鈞兮 光神鳴動娘子矣 願執子之手 與汝同在共偕老 雖然誓此念 無奈天不從人願 無語問蒼天 一籌莫展手無措 恭持木綿襷 惶恐取懸披肩上 敬執倭文幣 雙手取持齋仕奉 願得常相在 雖禱熱切烈如此 嗚呼共纏綿 依偎所枕吾妻腕 倏化煙雲飄霏霺
佚名 4236

「神(かみ)は無(な)かれや」,悲嘆妻子之死,欷歔莫非天地之間沒有神佛,才致此事發生。
「愛(うつく)しき」,哀憐。
「我(わ)が妻離(つまさか)る」,「離(さか)る」為遠離人世,遠赴黃泉。
「光神(ひかるかみ) 鳴(な)りはた娘子(をとめ)」,「光神(ひかるかみ)」表發出雷光之神。「はた」或為雷動之狀。未詳。
「攜(たづさは)り」,攜手。
「心違(こころたが)ひぬ」,與希望相反,不如預期。
「木綿襷(ゆふたすき)」,神事之際掛於肩上,以木綿所置之襷。
「倭文幣(しつぬさ)」,「倭文(しつ)」為日本自古以來固有紋樣之織物。
「枕(ま)きて寢(ね)し」,以手為枕而眠。
「妹(いも)が手本(たもと)は」,「手本(たもと)」於此為上膊,待指妻子之肉體。
「雲(くも)に棚引(たなびく)」,化作煙雲飄霏空中,描寫火葬之飄煙。

4237 反歌一首 【承前。】
 寤爾等 念氐之可毛 夢耳爾 手本卷寐等 見者須便奈之
 現(うつつ)にと 思(おも)ひてしかも 夢(いめ)のみに 手本卷寢(たもとまきぬ)と 見(み)れば術無(すべな)し
 縱雖有所思 願得相伴在現世 嗚呼哀哉矣 唯於夜夢得共枕 此外無由會伊人
佚名 4237
 右二首,傳誦遊行女婦蒲生是也。

「現(うつつ)にと」,以為在現實中共枕。
「思(おも)ひてしかも」,「てしかも」為表願望之終助詞。
類歌2880。「現にも 今も見てしか 夢のみに 手本枕寢と 見るは苦しも」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m12.htm#2880

4238 二月二日,會集于守館宴作歌一首
 君之徃 若久爾有婆 梅柳 誰與共可 吾縵可牟
 君(きみ)が行(ゆ)き もし久(ひさ)に有(あ)らば 梅柳(うめやなぎ) 誰(たれ)と共(とも)にか 我(わ)が縵(かづら)かむ
 君此之徃京 相去別離日久者 梅花柳絮者 孰人可以與共賞 誰得共遊與冠縵
大伴家持 4238
 右,判官久米朝臣廣繩以正稅帳,應入京師。仍守大伴宿禰家持作此歌也。但越中風土,梅花柳絮三月初咲耳。

「君(きみ)が行(ゆ)き」,久米廣繩為稅帳使,當上京報告。此云其啟程。
「我(わ)が縵(かづら)かむ」,以梅枝、柳絮編織為縵以遊樂。此云廣繩上京,無人可以同遊。

拾遺和歌集、万葉集試訳

拾遺和歌集 卷第九 雜歌下
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万葉集試訳

4224 【幸芳野宮時藤原皇后御作。】
 朝霧之 多奈引田為爾 鳴鴈乎 留得哉 吾屋戶能波義
 朝霧(あさぎり)の 棚引(たなび)く田居(たゐ)に 鳴雁(なくかり)を 留得(とどめえ)む哉(かも) 我(わ)が宿萩(やどのはぎ)
 拂曉朝霧之 霏霺棚引田居間 經此鳴雁者 可否令彼駐足哉 吾宿所咲秋萩矣
光明皇后 4224
 右一首歌者,幸於芳野離宮之時,藤原皇后御作。但年月未審詳。
 十月五日,河邊朝臣東人傳誦云爾。

「朝霧(あさぎり)の 棚引(たなび)く田居(たゐ)に」,「田居(たゐ)」為田畝。「居(ゐ)」乃將水堰止之處,此為水田。
「留得(とどめえ)む哉(かも)」,秋萩開花之際,較秋雁來鳴稍早或近乎同時,此蘊含希望萩花慰留飛雁不令其離去之希求。
「我(わ)が宿萩(やどのはぎ)」,蓋云平城京內或皇后宮庭院所咲之萩花

4225 【大伴家持餞朝集使秦石竹作歌。】
 足日木之 山黃葉爾 四頭久相而 將落山道乎 公之超麻久
 足引(あしひき)の 山黃葉(やまのもみち)に 雫合(しづくあ)ひて 散(ち)らむ山路(やまぢ)を 君(きみ)が越(こ)えまく
 足曳勢險峻 深山黃葉織錦紅 其與時雨雫 交混零落彼山路 汝今起程將越哉
大伴家持 4225
 右一首,同月十六日,餞之朝集使少目秦伊美吉石竹時,守大伴宿禰家持作之。

「山黃葉(やまのもみち)に 雫合(しづくあ)ひて」,山上紅葉與時雨一同散落。
「散(ち)らむ山路(やまぢ)」,「山路」指自越中經越前、近江、山城而至平城之道。
「君(きみ)が越(こ)えまく」,「越(こ)えまく」為「越(こ)えむ」之く句法。詠嘆終止形。

4226 雪日作歌一首
 此雪之 消遺時爾 去來歸奈 山橘之 實光毛將見
 此雪(このゆき)の 消殘(けのこ)る時(とき)に 去來行(いざゆ)かな 山橘(やまたちばな)の 實照(みのて)るも見(み)む
 當趁此雪之 尚未消融仍殘時 去來赴彼處 觀望朱紅山橘之 結實輝耀映皓雪
大伴家持 4226
 右一首,十二月大伴宿禰家持作之。

「去來行(いざゆ)かな」,「去來(いざ)」為邀請人時自身亦率先行動而發之感嘆詞。「な」有勸誘、意志兩用法,此為前者。
「實照(みのて)るも見(み)む」,「照(て)る」同「照(て)らる」。家持自詠之4471亦為類似語境。

4227 【三形沙彌贈左大臣歌。】
 大殿之 此迴之 雪莫踏禰 數毛 不零雪曾 山耳爾 零之雪曾 由米緣勿 人哉 莫履禰 雪者
 大殿(おほとの)の 此迴(このもとほり)の 雪莫踏(ゆきなふ)みそね 屢(しばしば)も 降(ふ)らぬ雪(ゆき)そ 山(やま)のみに 降(ふ)りし雪(ゆき)そ 努寄(ゆめよ)る莫(な) 人(ひと)や 莫踏(なふ)みそね 雪(ゆき)は
 北卿大殿之 緣際周遭此迴間 所以積雪願莫踏 其雪非常有 亦非屢屢可降也 為在深山中 方得易遇零雪也 願人切莫輙近之 願勿輙踏此雪矣
三形沙彌 4227

「大殿(おほとの)」,蓋云北卿藤原房前宅邸。
「此迴(このもとほり)の」,周邊。
「雪莫踏(ゆきなふ)みそね」,「そね」表希求。歌中七音句連續實屬特例,或為歌謠之特有自由詩式。
「山(やま)のみに」,此云降雪稀有可貴,就算偶爾下雪也多半在深山之中。

4228 反歌一首 【承前。】
 有都都毛 御見多麻波牟曾 大殿乃 此母等保里能 雪奈布美曾禰
 在(あり)つつも 見(め)し給(たま)はむそ 大殿(おほとの)の 此迴(このもとほり)の 雪莫踏(ゆきなふ)みそね
 願能留此景 得以久觀常翫矣 由衷有所願 北卿大殿此迴間 積降零雪莫踏之
三形沙彌 4228
 右二首歌者,三形沙彌承贈左大臣藤原北卿之語作誦之也。聞之傳者,笠朝臣子君。復後傳讀者,越中國掾久米朝臣廣繩是也。

「在(あり)つつも」,希望維持此一狀態,此云不欲積雪消融,願其久存。
「見(め)し給(たま)はむそ」,「見(め)し」為「見(み)る」之敬語型。

4229 天平勝寶三年
 新 年之初者 彌年爾 雪踏平之 常如此爾毛我
 新(あらた)しき 年初(としのはじめ)は 彌年(いやとし)に 雪踏平(ゆきふみなら)し 常如是(つねかく)に欲得(もが)
 一元更復始 紫氣東來萬象新 每逢新年初 踏平積雪迎春暖 欲得歲歲常如是
大伴家持 4229
 右一首歌者,正月二日,守館集宴。於時,零雪殊多,積有四尺焉。即主人大伴宿禰家持作此歌也。

「常如是(つねかく)に欲得(もが)」,「如是(かく)」指聚集國司郡司宴飲,眾人踏平積雪之盛狀。


[趣味雑談]摘譯三島由紀夫

■[摘譯] 三島由紀夫

猫。あの憂鬱な獸が好きでせうが無いのです。藝を覺えないのだつて、覺えられないのでは無く、そんな事は莫迦らしいと思つてゐるので、あの小賢しい拗ねた顔付き、綺麗な歯並、冷たい媚、何んとも言へず私は好きです。

貓。我無可自拔地愛著那憂鬱的野獣。其不學藝,絕非學之不來,實視該類愚蠢而已。那的狡頡的容貌,美麗的瑞齒,冷淡的媚態,無一不令我莫名地為之著迷。

私は猫が大好きです。理由は猫といふヤツが、実に淡々たるエゴイストで、忘恩の徒であるからで、しかも猫は概して忘恩の徒であるにとどまり、悪質な人間のやうに、恩を仇で返すことなどありません。

吾好貓者甚也。何以?凡貓之疇,實皆利己主義,而忘恩之徒矣。然吾有所思,貓者皆止於忘恩,而未有恩將仇報如人類者。

私は書斎の一隅の椅子に眠つてゐる猫を眺める。私はいつも猫のやうでありたい。
その運動の巧緻、機敏、無類の柔軟性、絶対の非妥協性と絶妙の媚態、絶対の休息と目的に向かつて駈出す時の恐るべき精力、
卑しさを物ともせぬ優雅と、優雅を物ともせぬ卑しさ、いつも卑却である事を怖れない勇気、
高貴であつて野蠻、野性に対する絶対の誠実、完全な無関心、残忍で冷酷……
これら様々の猫の特性は、芸術家がそれをそのまま座右銘にして少しもおかしくない。

三島由紀夫【裸體與衣裳】

我眺望著睡在書齋一隅的椅子上的猫兒。我總是希望能和貓一樣。
其運動之巧緻、機敏、無以倫比之柔軟性、絕對的非妥協性與絕妙的媚態,朝向絕對休憩與目的而馳騁之時那令人生畏的精力,
無視卑俗的優雅,與無視優雅的卑俗,往往不畏卑怯的勇気。
高貴而野蠻,對於野性的絕對誠實,完全的事不關己,殘忍而冷酷……
以上種種貓的特性,作為藝術家之座右銘,沒有絲毫不妥。

猫は何を見ても猫的見地から見るでせうし、床屋さんは映画を見てもテレビを見ても、人の頭ばかり気になるさうです。世の中に、絶対公平な、客観的な見地などといふものが あるわけはありません。われわれはみんな色眼鏡をかけてゐます。

無論觀看何事,貓皆以貓之視點觀之。一如美髮師無論觀看電影、電視,都不免在意人頭一般。世中必無絕對公平、客観的見地。吾等咸皆帶著有色的眼鏡。

私はあくまで黒い髪の女性を美しいと思ふ。洋服は髪の毛の色によつて制約されるであらうが、女の黒い髪は最も派手な、華やかな色であるから、かうして黒い服を着た黒い髪の女は、世界中で一番派手な美しさと言へるだらう。

無論如何,我認為黒髮的女性是最為美麗的。儘管洋服將受髪色制約,女性的黑髮卻是最為華麗、鮮豔的顏色。如是,身穿黑服的黑髮女性,便堪稱世上最為奢華的美吧。

竊以為,濡烏黑髮之女性,最為美麗。縱令洋服受髪色所制,女性黑髮卻為殊麗之豔色。如斯,身著黑裳,頭戴烏絲之女性,堪稱世上殊美而可哉。

法律が私の恋文になり牢屋が私の贈物になる。

「法律即為吾之戀文,囹圄洽作我之餽贈。」

「武」とは花と散る事であり、「文」とは不朽の花を育てる事だ(…)不朽の花とは即ち造化である。
三島由紀夫『太陽と鐵』

隨花殞落為「武」,育花不朽為「文」。不朽之花,是即造化。

決定されてゐるが故に僕らの可能性は無限であり、止められてゐるが故に僕らの飛翔は永遠である。

吾等之可能,因受侷定而化作無限。吾等之飛翔,因逢阻止而化作永遠。

精神を凌駕する事の出來るのは習慣と云ふ怪物だけなのだ。

得以凌駕精神者,唯有名喚習慣之怪物爾。

我々男性は少年時代から、女よりも遥かに自由な自我の世界に住んでゐるが、その癖持前の社会適応性から、却つて女よりも盲目的な服従に陥る事が多い。
三島由紀夫『男というものは』

我等男性自少年時代起,即棲身於遠較女性自由且自我之世界。然而,卻因那社會適應性之故,反而遠較女性更容易陷入盲目的服従

無智者は、自ら美しくもなく、善くもなく、聡明でもないくせに、それで自ら十分だと満足している。自ら欠乏を感じていないから、その欠乏を感じていないものを、欲求する筈がないのである。

三島由紀夫『芸術にエロスは必要か』

無智者,自身不美、不善、不慧,卻自以為十分而滿足。以己不感闕乏,自無其所欲求。

人體が美しく無く成つたのは、男女の人體が自然の與へた機能を逸脱し、或いは文明の進歩に依つて、さう云ふ機能を必要とし無く成つたからである。

三島由紀夫『機能と美』

人體之所以不復美麗,乃因男女之人體已然逸脱自大自然所賦予之機能,或因文明之進步,而此類機能不復需要所致。

人間の政治、いつも未来を女の太腿のように猥褻にちらつかせ、夢や希望や『よりよいもの』への餌を、馬の鼻面に人参をぶらさげるやり方でぶらさげておき、未来の暗黒へ向って人々を鞭打ちながら、自分は現在の薄明の中に止まろうとするあの政治、……


三島由紀夫『美しい星』

人類的政治,往往讓人猥褻地瞥見未來,洽如見到女性大腿走光一般。以夢、希望、「更好」為餌,彷若在馬前懸吊蘿蔔,鞭打眾人航向未來之黑暗,自分則停留於現在薄明之間的政治……

皮肉な事に愛の背理は、待たれてゐるものは必ず来ず、望むだ物は必ず得られず、しかも來無い事得られぬ事の原因が、正に待つ事・望む事自体に在ると云ふ構造を持つてゐる。

三島由紀夫『美しい星』

諷刺也矣,愛之悖論者,所俟必不至,所望必不得,然就其構造原理論,不至、不得者,恰為所以苦待、切望之因。

其時、私は蛇を見たのだ。地球を取巻いてゐる白い雲の、繋がり繋がつて自らの尾を嚥んでゐる、巨大と云ふも愚かな蛇の姿を。

三島由紀夫『太陽と鉄』

方時,我見到了蛇。那包圍著地球的白雲,延延不絕地交聯而銜尾。那即便用巨大來形容亦難以言喻的碩蛇之姿。

老人と若者の違ひは簡單な事で、老人は此世中が変はる事を知つてゐるから、強ひて變へやうともし無いし、若者は此世中が變はら無いと思ひ詰めてゐるから、性急に變へやうと努力する。

[世の中は]老人が考へるやうに「自然に」変はつたのでも無ければ、若者の考へるやうに革新の力によつて変はつたのでも無い。両者の力が程程に働いて、希望は裏切られ、目的は逸らされ、老人にとつても若者にとつても、百パーセント満足と云ふ結果には決してならずに、変はるのである。

三島由紀夫『文学的予言』

老稚之差,顯然易見。老人悉知世間無常,不強求變。稚少以為世間永恆,汲汲求易。

娑婆世中,既不若老人心中自然變異,亦不猶稚以為非藉革新之力而不動。
兩者之力,相互拉扯。希望遭叛,目的脫逸。
或老或稚,世之遞嬗者,必以咸皆遺憾之結果而改易。

男たちの漠然としたニヒリズムは何處から来るのでせうか?男は一度女に自分の種子を植ゑつけたが最後、もう種族の使命を終はつたやうなものですから、その時から、男の、永い永い、得体の知れぬニヒリズムが始まるのです。


三島由紀夫『反貞女大学』

男性漠然之虛無主義源自何處?男性一旦將自身之精種播於女體,其基於物種之使命業已完遂。是以,自方時起,男性亙久無涯而莫名之虛無主義,遂油然而生。

愛国心」というのは筋が通らない。なぜなら愛国心とは、国境を以て閉ざされた愛だからである。
三島由紀夫愛国心

「愛國心」無以理喻。何以?夫愛國之心,即是藉國境自限之愛也。

太宰治氏「斜陽」第三回も感銘深く読みました。滅亡の叙事詩に近く、見事な芸術的完成が予見されます。しかし未だ予見されるに留まつております。感性の一歩手前で崩れて了ひさうな太宰氏一流の妙な不安が未だこびり付いてゐます。
三島由紀夫川端康成宛書簡」

太宰治氏「斜陽」,第三回亦深受銘感而閱畢。近於滅亡之叙事詩,其卓越藝術之完遂已可預見。然而,卻止步於得以預見之次。在感性之前功虧一簣,太宰氏那一流的詭異不安,依舊形影不離。

血が必要なんだ!人間の血が!そうしなくちゃ、この空っぽの世界は蒼ざめて、枯れ果ててしまうんだ。僕たちはあの男の生きのいい血を絞り取って、死にかけている宇宙、死にかけている空、死にかけている森、死にかけている大地に輸血してやらなくちゃいけないんだ。今だ!今だ!今だ!-午後の曳航-


三島由紀夫『午後の曳航』

血是必要的!人類的血!非茲不可。這空虛的世界,蒼褪憔悴,枯竭將盡。吾等當擰取該男子活力充沛之血液,替那瀕死之宇宙,彌留之穹空,大漸之森林、残喘之大地輸血不可。現在!現在!現在!

我々は出来れば何でも打明けられる友達が欲しい。どんな秘密でも頒つ事の出来る友達が欲しい。しかしさう云ふ友達こそ、相手の尻尾も確り掴んでゐ無ければ危険である。相手の尻尾を完全に掴んだと判る迄、自分の全部を曝出す事は、常に危険である。

三島由紀夫『私の嫌いな人』

可能的話,我們希望能有披肝瀝膽、推心置腹的朋友。然而這類友人,若非抓住其辮子,則危險異常。在尚未透析其一切,而貿然開誠布公,往往是極度危險的。

「文学だらうと、何だらうと、簡明が美徳でないやうな世界など、犬に食はれてしまふがいい。」

文學也好,其餘也罷。不以簡明為美德之世,為犬噬之而可矣。

われわれの古典文学では、紅葉や桜は、血潮や死のメタフォアである。

吾等古典文學之間,紅葉與櫻,便是血潮與死之隱喻。

「犯罪が近づくと夜は生き物になるのです。僕はかういふ夜を沢山知つてゐます。夜が急に脈を打ちはじめ、温かい体温に充ち……とどのつまりは、その夜が犯罪を迎へ入れ犯罪と一緒に寝るんです。時には血を流して……」

「每當犯罪逼近,晚夜則仿若受生。如斯之夜,我悉知之甚。晚夜倏然鼓動其脈搏,體溫俄然為溫熱之血潮所充盈……最終,晚夜迎納犯罪入門,與之共寢。時而流血……」

知的なものは、たえず対極的なものに身をさらしてゐないと衰弱する。自己を具体化し 肉化する力を失ふのである。

屬智者,若非常時曝於對極之事物,則衰弱亡逝。其已然喪失了將己身具體化、肉化之力。

かつて太陽を浴びていたものが日蔭に追いやられ、かつて英雄の行為として人々の称賛を博したものが、いまや近代ヒューマニズムの見地から裁かれるようになった。

三島由紀夫『革命哲学としての陽明学

過去萬眾矚目者,被驅逐至陰闇之間。過往被視作英雄的行為而博得眾人稱讚者,如今在近代人本主義之視角下遭到責難。

三島由紀夫『作為革命哲學之陽明學』

救はれないと云ふ安心は何と云ふ救ひだ!

三島由紀夫『幸福といふ病気の療法』

名為無藥可救的安心感,是遠勝於萬物的救贖。

三島由紀夫『幸福病之療法』

 微笑が、西洋人には、實に氣味の悪い、謎に充ちた物に見える言は定評がある。しかし我我にとつては単純な問題である。悲しいから微笑する。困惑するから微笑する。腹が立つから微笑する。

三島由紀夫アメリカ人の日本神話』

 微笑看在西洋人眼裡,常有詭譎難懂,晦澀不明的論斷。然而對我等而言,卻是至極單純的問題。因悲傷而微笑,因困惑而微笑,因憤怒而微笑。

三島由紀夫『美利堅人的日本神話』

 若者の腕は、少女の体をすつぽりと抱き、二人はお互ひの裸の鼓動を聞いた。永い接吻は、充たされない若者を苦しめたが、或る瞬間から、この苦痛が不思議な幸福感に転化したのである。

三島由紀夫潮騒

 青年以手腕緊抱少女的身軀,相互聽聞對方赤裸的鼓動。悠永的接吻,令無以滿足的青年感到煎熬。這份煎熬,卻在某個瞬間轉化為難以理解的幸福感。

三島由紀夫潮騒

そこで母親が、失敗した善行のお陰で、孤獨に成つた。

三島由紀夫潮騒

於茲,母親藉善行失敗之功,獲得了孤獨。

これが恋であろうか?一見純粋な形を保ち、その後幾度となく繰り返されたこの種の恋にも、それ独特の堕落や頽廃がそなわっていた。それは世にある愛の堕落よりももっと邪悪な堕落であり、頽廃した純潔は、世の凡ゆる頽廃のうちでも、一番悪質の頽廃だ。

三島由紀夫仮面の告白

這可堪稱戀情?這種一見保有純粹之形,往後幾度反覆之戀,具備著獨特的墮落與頹廢。其為遠較世間愛意之墮落更為邪悪之墮落。頹廢的純潔,在世間種種頹廢之中,堪稱最為悪質之頹廢。

が、唯一つ鮮やかな物が、私を目覺かせ、切無くさせ、私の心を故知らぬ苦しみを以て充たした。其は神輿の担手達の、世にも淫らな・あからさまな陶酔の表情だつた。……

三島由紀夫仮面の告白

然而,唯一鮮烈的事物,讓我覺醒、懊惱,令我的心胸為苦痛所充斥。就是擔負神輿之男子們,那舉世無雙的淫靡、灼然露骨的陶醉神情。……

 勿論、私は他の子供らしい物をも十分に愛した。アンデルセンで好きなのは「夜鶯」であり、又、子供らしい多くの漫画の本を喜んだ。しかしともすると私の心が、死と夜と血潮へ向かつて徃くのを、礙げる事は出来無かつた。

三島由紀夫仮面の告白

 當然,我也十分喜愛許多童趣之物。安徒生童話中,最喜歡的作品是「夜鶯」。而孩童項的漫畫,亦得我心。然而即便如此,這並不妨礙我的真情,那心向死亡、闇夜與血潮,豬突猛進的胸懷。

「その絵を見た刹那、私の全存在は、或る異教的な歓喜に押しゆるがされた。私の血液は奔騰し、私の器官は憤怒の色を湛へた。この巨大な・張り裂けるばかりになつた私の一部は、今までに無く激しく私の行使を待つて、私の無知を詰り、憤ろしく息衝いてゐた。私の手は知らず知らず、誰にも教へられぬ動きを始めた。私の内部から暗い輝やかしいものの足早に攻め昇つて来る気配が感じられた。と思ふ間に、それはめくるめく酩酊を伴つて迸つた。」
三島由紀夫仮面の告白

「見到那幅畫的刹那,我的全存在,皆受到某種異教般的歡喜所推動、震撼。血液奔騰,器官精湛著憤怒之色。我那巨大,宛如撐破的部分,破天荒地等待著我去行使。斥責我的無知,義憤填膺地呼吸著。我的手在不知不覺間,無師自通地開始了激烈的舉動。我感受到來自身體深奧之處,那黑暗而光輝的東西,急速昇起攻訐之氣息。轉瞬之間,其隨著暈眩的酩酊,激越噴發。」

「その上まるで豊かな秋の収穫のやうに、私のぐるりにある夥しい死、戦災死、殉職、戦病死、戦死、轢死、病死のどの一群かに、私の名が予定されてゐない筈はないと思はれた。死刑囚は自殺をしない。どう考へても自殺には似合はしからぬ季節であつた。私は何ものかが私を殺してくれるのを待つてゐた。ところがそれは、何ものかが私を生かしてくれるのを待つてゐるのと同じことなのである。」

自己欺瞞が今や私の頼みの綱だつた。傷を負つた人間は間に合はせの繃帯が必ずしも清潔である事を要求し無い。私はせめても使ひ慣れた自己欺瞞で出血を取押へて、病院へ向つて駈けて行きたいと思つた。」

三島由紀夫仮面の告白

「自我欺瞞,是我現在賴以維生的生命線。就適合傷者的繃帯而言,清潔絕非必要條件。我忙著以熟悉的自我欺瞞抑制出血,向醫院急馳。」

「私は彼女の唇を唇で覆った。一秒経った。何の快感もない。二秒経った。同じである。三秒経った。──私には全てがわかった。」

三島由紀夫《假面の告白》

「我以嘴唇捺上園子的香唇。一秒經過,索然無味。二秒逝去,依然如故。三秒之後,我洞悉了一切。」

バカという病気の厄介なところは、人間の知能と関係があるようでありながら、一概にそうともいいきれぬ点であります。-不道徳教育講座-

三島由紀夫『不道徳教育講座』

笨病麻煩之處,在於其似與人類智能有關,卻又難以一概論之之處。

仮面の告白」という拙作を読んだ方はご承知と思うが、私は病弱な少年時代から、自分が、生、活力、エネルギ—、夏の日光、等々から決定的に、あるいは宿命的に隔てられていると思い込んできた。この隔絶感が私の文学的出発点になった。
『ボクシングと小説』

想來讀過拙作『假面的告白』的各位應已了然。筆者自病弱的少年時代開始,就自命與生命、活力、能量、盛夏日光等等,存在著決定的或稱宿命的隔絕。此份隔絕感,便成為吾人文學的出発點。

三島由紀夫『拳擊與小說』

「およそ人間的な烈しい憎悪、嫉妬、怨恨、情熱の種々相は、氏の関知しないところであるかのようだ」 嘘である! 嘘である! 嘘である! -禁色-

三島由紀夫『禁色』

「舉凡人類激烈之憎惡、嫉妬、怨恨、情熱等諸相,好似皆盡坐落於與氏無關之境般。」謊言!誑語!虛說!

「それは精神によって築かれた顔というよりは、むしろ精神によって蝕まれた顔である。」

三島由紀夫『禁色』

「 與其稱之為由精神所構築的容貌,毋寧說是為精神所侵蝕的面龐。 」

愛してくれる女を幸福にしてやれない以上、不幸にしてやる事がせめてもの思い遣りであり精神的な贈物でもあると考える逆説に熱中した結果、何ものへ向かってとも知れぬ復讎の情熱を、仮に目前の恭子へ向けることに、露ほども道徳的呵責を感じないで居た。

三島由紀夫『禁色』

既然無法給予愛著自己的女性幸福,反過來令其不幸不啻是一種體諒與精神性的贈與。在熱中於此逆説之結果,將不知向何處抒發之復讎情熱,傾注於眼前的恭子身上,悠一絲毫不感到任何道徳的呵責。

渡辺稔:「……女なんて、何だい。股の間に不潔なポケットを仕舞い込んでやがるだけじゃないか。ポケットに貯まるのは塵芥ばっかりだ。」

三島由紀夫『禁色』

渡辺稔:「……女人算什麼?不過就是在跨下裝了個汙穢的口袋罷了。會積在口袋中的,只有垃圾而已。」

「愛する者はいつも寛大で、愛される者はいつも残酷さ。」

三島由紀夫『禁色』

「愛人者,恆常寬大。被愛者,始終殘酷。」

齡五十にして、河田の望む幸福は、生活を蔑視する事である。

齡方五十,河田所求之幸者,無非蔑視生活而已。

「悠一君、この世には最高の瞬間というものがる」——と俊輔は言った。「この世における精神と自然との和解、精神と自然との交合の瞬間だ」-禁色-

三島由紀夫『禁色』

「悠一,世間有所謂至上之瞬。」俊輔說。「精神與自然所以和解、交合之瞬間。」「死無非事實。行為之死,或稱自殺。人無由依自身意志而生,卻得以依之而死。乃古來自然哲學之根本命題。無疑的,死得以藉由名為自殺之行為,展現與全生表現之同時性。表現至上之瞬,非俟死而不可。」
三島由紀夫『禁色』

私はといえば、目ばたきもせずに、有為子の顔ばかりを見つめていた。彼女は捕われの狂女のように見えた。月の下に、その顔は動かなかった。私は今まで、あれほど拒否にあふれた顔を見たことがない。私は自分の顔を、世界から拒まれた顔だと思っている。しかるに有為子の顔は世界を拒んでいた-金閣寺-

三島由紀夫金閣寺

我毫不轉瞬地凝視著有為子的容貌。她看似被拿捕的狂女。明月之下,面龐毫不動搖。我至今未嘗見聞如此充溢拒絕之表情。竊以為,自己的容貌為世界所拒絕。然而有為子的容貌則拒絕著世界。

鈍感な人たちは、血が流れなければ狼狽しない。が、血の流れたときは、悲劇は終ってしまったあとなのである。

三島由紀夫金閣寺

鈍感的人們,非遇流血而不覺狼狽。然而,流血之際,已在悲劇終焉之後。

「美は……」と言いさすなり、私は激しく吃つた。埒も無い考へではあるが、其時、私の吃りは私の美の観念から生じた物では無いかと云ふ疑ひが脳裡を過つた。
「美は……美的な物はもう僕にとつては怨敵なんだ。」

三島由紀夫金閣寺

「所謂美……」正要啟口,卻為強烈地口吃所遮攔。雖然荒誕不經,但於此時,莫非我的口吃是源自己身對於美的概念之疑問,在腦中閃過。

「美……對我而言,麗美已是怨敵!」

「今迄遂ぞ思ひもし無かつた此の考へは、生れると同時に、忽ち力を増した。寧ろ私が其れに包まれた。其の想念とは、斯うであつた。 『金閣を焼かねばならぬ』」

三島由紀夫金閣寺

「至今為止,未嘗湧起之思緒,在降誕的同時,倏然大增其力。毋寧說,我為其所包攝。其想念者、如斯。 『非將金閣燒卻不可。』」

孤独が始まると、其に私は容易く馴れ、誰とも口を効かぬ生活は、私にとつて尤も努力の要らぬ物だと云ふ事が、改めて判つた。生への焦躁も私から去つた。死んだ毎日は快かつた。

三島由紀夫金閣寺

一旦陷入孤獨,我宛若如魚得水。我再度體會到,與人斷絕言語之生活,對我而言是最不需努力的事物。生活之焦躁離我遠去,槁木死灰的日日令人舒適無比。

私の足は捗ら無く成つた。思倦ねた末には、一體金閣を燒く為に童貞を捨てやうとしてゐるのか、童貞を失ふ為に金閣を燒かうとしてゐるの判ら無く成つた。其時、意味も無しに「天歩艱難」と云ふ高貴な單語が心に浮び、「天歩艱難天歩艱難」と繰返し呟きながら歩ひた。

三島由紀夫金閣寺

我的腳步不覺停滯。在反覆苦惱之末,究竟是為了燒卻金閣而將捨去童貞,抑或是為了捨去童貞而將燒卻金閣,已然無由辨知。方時「天歩艱難」這高貴的單語無由地在心中閃過。「天歩艱難、天歩艱難」如是反覆呢喃而漫然走著。

われわれはすべて幻のなかに生きている。幻がだんだん現実のなかへしみこんで来て、明日をも知れぬ世にわれわれは生きている。ついそこまでが幻なら、今だって幻だといえるのだ。-朱雀家の滅亡-

三島由紀夫『朱雀家の滅亡』

吾等吾輩,咸生息虛幻之間。虛幻漸漸侵入現實,吾等生息,在於不知明日之世。既然虛幻如斯,則現今亦堪稱虛幻。

もしかすると清顕と本多は、同じ根から出た植物の、まったく別のあらわれとしての花と葉であったかもしれない。-春の雪-

三島由紀夫 豊饒の海(一)『春雪』

也許,清顯與本多,恰是同根所生,表現卻殊然迥異之花與葉也說不定

彼は優雅の棘だ。しかも粗雑を忌み、洗煉を喜ぶ彼の心が、実に徒労で、根無し草のやうなものである事をも、清顕はよく知つてゐた。蝕もうと思つて蝕むのではない。犯さうと思つて犯すのではない。

三島由紀夫 豊饒の海(一)『春雪』

其乃優雅之棘。而且其忌諱粗雜,喜好洗煉之心,莫過徒勞無根草之疇,清顯亦有自知之明。既非心欲侵蝕而蝕之,亦非心欲侵犯而犯之。

別れていることが苦痛なら、逢っていることも苦痛でありうるし、逢っていることが歓びならば、別れていることも歓びであってならぬという道理はない。-春の雪-

三島由紀夫 豊饒の海(一)『春雪』

既然離別苦痛,相逢亦可為苦痛。若相逢是為歡愉,離別自無不可為歡愉之道理。

……高い喇叭の響きのようなものが、清顕の心に湧きのぼった。 『僕は聡子に恋している』  いかなる見地からしても寸分も疑わしいところのないこんな感情を、彼が持ったのは生れてはじめてだった。 『優雅というものは禁を犯すものだ、それも至高の禁を』と彼は考えた。 -春の雪-

三島由紀夫 豊饒の海(一)『春雪』

……宛如高亮喇叭之響徹,自清顯之內心湧上。
『我愛上聰子了。』
此般如何審視,亦毫無疑問之情感,乃其受生以來所未嘗有之經驗。
『優雅是即犯禁,殊以至高之禁忌為尚。』清顯如斯思量。

……海は直ぐ其の目前で終る。 波の果てを見て居れば、其が如何に長い果てし無い努力の末に、今其處で敢へ無く終つたかが判る。其處で世界を廻る全海洋的規模の、一つの雄大極まる企図が徒労に終るのだ。
三島由紀夫 豊饒の海(一)『春雪』

……大海倏於其眼前告終。一旦見得滄溟之盡,便知亙久無涯努力之末,於今毫不猶豫地畫下句點。於茲那環繞世界全海洋規模,極其雄大之企圖,徒勞落幕。

「今、夢を見てゐた。又、會ふぜ。屹度會ふ。瀧の下で...」
三島由紀夫 豊饒の海(一)『春雪』

「方才,做了個夢。再會了。必能再會。在那千尋瀧壑之下...」

正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼(まぶた)の裏に赫奕(かくやく)と昇つた。

三島由紀夫 豊饒の海(二)「奔馬

洽在其以刀括腹之一瞬,旭日於瞼內赫奕而昇。

「これと云つて奇功のない、閑雅な、明るく開いた御庭である。數珠を繰るやうな蟬声が茲を領してゐる。その他には何一つ音とてなく、寂莫を極めてゐる。この庭には何もない。記憶もなければ何もない所へ、自分は來て了つたと本多は思つた。庭は夏の日盛りの日を浴びてしんとしてゐる...」

三島由紀夫 豊饒の海(四)『 天人五衰

「這是一處平凡無奇、閑雅明亮而開放的庭苑。猶如念珠般的蟬聲, 支配了一切。除此之外,毫無微音,寂莫至極。庭苑中一無所有。本多心想,自己竟到了一個既無記憶,亦無絲毫,虛無空亡之境地。庭苑受炎夏的盛日照臨,蕭然寂寥...」

一度自分の肉体的魅力を知った人間は、その日から、世間全体に向って、微妙な精神的売淫を始めます。世間はそれにお金か或いはもっと大事なものを支払うのです。アメリカでは、テレビでニヤッと笑う笑顔のよさ如何で政治家の人気が決り、大統領選挙にさえも響くそうです。これも一種の精神的淫売です。

三島由紀夫

人類一旦獲悉其肉體之魅力,便自該日起向著全世界,開始在精神層面上彆扭地賣淫。世上則對之支付金錢或更為珍貴之事物。於美國,如何在電視上露出爽朗的笑容,決定了政治家的聲望,其影響甚至能波及大統領選戰。這亦是一種精神性的賣淫。

身の動きが自由に成ると逸速く僕は驅寄つて廣間の一隅の小さなしかし重重しい木彫を施した扉を開けた。其れは奇妙な程容易く開いたので、僕は扉の間から頭を差入れて部屋の様子を覗ふ事が出來た。一瞬茲の廣間と全く同じやうな室内が覗かれた。と思ふ間も無く、僕は額を打付けた。扉の向ふには鏡が張詰られてゐたのである。
「ラディゲは鏡中へ入つて了つたのだ」と僕は痛みを堪へて獨言した。しかし僕は其中へは入れ無かつた。
一九四八、三、三〇。 

三島由紀夫ドルジェル伯の舞踏会・裸體と衣裳』

身體一恢復自由,我便急速衝向大廳一隅,打開那小巧而沉重,施加木彫的門扉。其扉意外地可以輕易打開,故我將頭顱伸入扉間,得以窺見房間的模樣子。一瞬,與此大廳如出一轍的室內望入眼簾。不消幾時,我的額頭激烈的撞上。門扉的對面,竟貼著鏡子。
「Radiguet 已遁入鏡中。」我忍受著痛楚獨言。然而,我卻無以涉入其間。
一九四八、三、三〇。 
三島由紀夫『d'Orgel伯爵舞會(Le Bal du comte d'Orgel)・裸體與衣裳』

 理智と官能との渾然たる境地にあつて、音楽をたのしむ人は、私には羨ましく思はれる。音楽会へ行つても、私は殆ど音楽を享楽する事が出来無い。意味内容の無い事の不安に耐へられ無いのだ。音楽が始まると、私の精神は慌しい分裂状態に見舞はれ、ベートーベンの最中に、昨日の忘れ物を思ひ出したりする。
音楽と云ふものは、人間精神の暗黒な深淵の淵の處で、戯れてゐる物のやうに私には思はれる。斯ういふ恐ろしい戯れを生活の愉楽に加添へ、音楽会や美しい客間で、音楽に耳を傾けてゐる人たちを見ると、私はさういふ人たちの豪胆さに驚らかずにはゐられ無い。
 音と云ふ形の無い物を、厳格な規律の元に統制した此の音楽なる物は、何か人間に捕へられ檻に入れられた幽霊と謂つた、物淒い印象を私に惹き起す。音楽愛好家達が、斯うした形の無い暗黒に対する作曲家の精神の勝利を簡明に信じ、安心して其の勝利に身を委ね、喝采してゐる点では、檻の中の猛獣の演技に拍手を送るサーカスの観客と變りが無い。しかしもし檻が破れたらどうするのだ。勝つてゐると見えた精神がもし敗北してゐたとしたら、どうすのだ。音楽会の客と、サーカスの客との相違は、後者が萬が一にも檻の破られる危険を考へてもみない所に在る。私はビアズレエの描いた「ワグネルを聽く人々」の、驕慢な顏立ちを思ひ出さずには居られない。
 作曲家の精神が、もし敗北してゐると仮定する。其の瞬間に音楽は有毒な恐ろしい物に成り、毒 ガス のやうな致死の効果を齎す。音は溢れ出し、聴衆の精神を、形の無い闇で、十重廿重に圍こんで了ふ。聴衆は自ら其と知らずに、深淵に突き落される......
 所で私は、何時も制作に疲れてゐるから、斯ういふ深淵と相渉るやうな楽しみを求め無い。音楽に對する私の要請は、官能的な豚に私をしてくれ、と云ふ事に尽きる。だから私は食事の喧騒の間を流れる淺墓な音楽や、尻振り踊りを伴奏する中南米の音楽をしか愛さ無いのである。

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 何か藝術の享受に、サディスティックな物と、マゾヒスティックな物が有るとすると、私は明瞭に前者であるのに、音楽愛好家はマゾヒストなのでは無からうか。音楽を聞楽しみは、包まれ、抱擁され、刺される事の純粋な楽しみでは無からうか。命令してくる情感に只管受動的である事の歡びでは無からうか。如何なる種類の音楽からも、私は解放感を感じた事が無い。

三島由紀夫『小説家の休暇』音楽について

 我十分羨慕得以縱身理智、官能渾然境地而享受音楽之人。縱使參加音樂會,我也幾乎無法享樂音樂。我難以忍耐對不含意義之內容的不安。每當音楽開始,我的精神就陷入慌亂的分裂狀態。就是聆聽貝多芬的演奏,也會想起昨日紛失之物。
 竊以為,所謂音樂,恰如遊興於人類精神之暗黑深淵。每逢見到將這種玩火自焚的遊興加添於生活的愉樂,在音樂會富麗堂皇的大廳豎耳傾聽音樂者,筆者往往無法不詫異其豪膽。
 將名為音聲之無形物體,統制於嚴格規律之下的音樂,帶給我的印象,猶如遭捕獲而囚於牢籠間之幽靈般猛烈。音樂愛好家簡明地相信、作曲家精神勝利於如斯無形之黑暗,安心委身於此勝利之間,喝采鼓舞。這儼然與馬戲團觀眾對檻中猛獸之演技拍手無異。然而,若是牢籠破裂,該當何如?或是精神看似勝利,實則敗北,又當何如?音楽會與馬戲團觀眾的決定性差異,便在後者未嘗考慮萬一牢籠破損的危險。我無法不想起 Aubrey Vincent Beardsley 筆下「聆聽 Wagner 之眾人」那驕慢的容顏。
 假設作曲家的精神萬一敗北。轉瞬之間,音樂化作有毒之劇害,帶來如毒瓦斯般的致死力。音樂滿溢而出,將聴眾的精神以十重廿重的無形晦闇包圍。聴眾被推入萬壑深淵,永劫不復而毫無自覺 ......
 然而,我無論何時都因創作而疲憊,故不求此般與深淵相渉之娛樂。我對於音樂的要求,就是讓筆者化作官能之豚而已。是以我唯愛用餐時喧囂膚淺的音樂,以及為擺臀舞蹈伴奏的中南美音樂。

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 在藝術享受上,似乎存在著 Sadistic 與 Masochistic之別,而我儼然屬於前者。音樂愛好家,則蓋是 Masochistic 吧?所謂聆聽音樂的悅樂,豈非為其所包攝、抱擁、穿刺的純粹悅樂?豈非單純地、被動地從順於被命令的情感的悅樂?無論是何種音樂,我都無以體會解放感。

三島由紀夫『小説家の休暇』關於音楽

トーマス・マンも云ふやうに、藝術とは何か極めて如何わしい物であり、丁度日本の家のやうに之の後ろに便所があるやうな、さう云ふ構造を宿命的に持つてゐる。

三島由紀夫「パリにほれず」

恰如 Paul Thomas Mann 所言,藝術實為極度不雅、下流之物。恰如日本民家,壁龕之後緊隨茅廁一般,宿命地備有此般構造。

三島由紀夫「パリにほれず」

僕はね、品のいいものと悪いものと非常に区別するのだよ。それでやはり、ウンコと言うよりも便通と言ったほうが品がいいと思うのだよ、おれは。そうしてね、そういうもののリファインメントというものだけに、そういうような怪しげなものにだけ言語の洗練がかかっているのだというふうに、僕は考える。

三島由紀夫

筆者極度偏執於上下品之分。竊以為,「排便」較「拉屎」稍雅。僅消藉此枝微末節之精製,如斯光怪陸離之更迭,言語自然步步洗鍊,逐而完臻。

三島由紀夫

嘘の言葉を、其れと知りながら使ふと云ふのは、紛れもないニヒリズムの兆候である(だから小説家と云ふ人種は油断ならないのだ)。催眠術師、魔術師、扇動家、感傷家、悲壮趣味、ヒロイズム、……此等は皆ニヒリズムの兆候である。
三島由紀夫『一つの政治的意見』

知其誑語而用之,無疑乃虛無主義之徵兆。(是以對小説家,不可掉以輕心。)催眠術師、魔術師、搧動家、感傷家、悲壯趣味、英雄主義、……此疇皆為虛無主義之徵兆。
三島由紀夫『一つの政治的意見』

 文学はおそらく、もっとも知性に抵抗を与える素材を取り来って、それを知的に再構成するという職分を持っており、これこそ知的冒険であり、水の力で以て火を消さずに、火を水で包んで結晶させるような一種の魔術なのである。

三島由紀夫『陶酔について』

 文學恐怕是汲取最與知性牴觸之素材,而將之再構化作知性產物的一種職分。此其方是知性之冒險。不以水之力滅火,而是將火包攝於水中,令其結晶的一種魔術。

三島由紀夫 『有關陶醉』

人間の神の拒否、神の否定の必死の叫びが、実は「本心からではない」事をバタイユは冷酷に指摘する。その「本心」こそバタイユの所謂「エロティシズム」の確信であり、ウィーンの俗悪な精神分析学者等の遠く及ばぬエロティシズムの深淵を、我我に切り拓いて見せてくれた人こそバタイユであつた。

三島由紀夫

Bataille 冷酷地指謫道 ── 人類使盡渾身解數拒絕神、否定神之吶喊,其實並非真情。那份「真情」洽是 Bataille 所謂「情色主義」的確信。維也納出身的精神分析學者 ( Sigmund Freud ) 之疇,其俗惡眼界所遠遠望塵莫及的情慾深淵,將之開拓、示現在我輩眼前的,正是 Bataille。

相較於十七世紀為主知主義時代,十八世紀則堪稱情色主義時代、虐待主義時代。同樣地,十九世紀為科學實証主義時代,二十世紀則或為其反動,而再度迎來情色主義時代也未可知。
Georges Albert Maurice Victor Bataille『Eroticism』

なぜ大人は酒を飲むのか。
大人になると悲しいことに、酒を呑まなくては酔へないからである。
子供なら、何も呑まなくても、忽ち遊びに酔つてしまふことができる。

成人何以飲酒?成人之哀,在無酒而不醉。
稚童不消暢飲,卻可倏忽遊興而得酣。【三島由紀夫

拾遺和歌集、万葉集試訳

拾遺和歌集 卷第八 雜歌上
https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/syuui/syuui08.htm
https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/syuui/syuui.htm


万葉集試訳

4209 詠霍公鳥歌一首 【并短歌。】
 多爾知可久 伊敝波乎禮騰母 許太加久氐 佐刀波安禮騰母 保登等藝須 伊麻太伎奈加受 奈久許惠乎 伎可麻久保理登 安志多爾波 可度爾伊氐多知 由布敝爾波 多爾乎美和多之 古布禮騰毛 比等己惠太爾母 伊麻太伎己要受
 谷近(たにちか)く 家(いへ)は居(を)れども 木高(こだかく)くて 里(さと)は在(あ)れども 霍公鳥(ほととぎす) 未來鳴(いまだきな)かず 鳴聲(なくこゑ)を 聞(き)かまく欲(ほ)りと 朝(あした)には 門(かど)に出立(いでた)ち 夕(ゆふへ)には 谷(たに)を見渡(みわた)し 戀(こ)ふれども 一聲(ひとこゑ)だにも 未聞(いまだき)こえず
 雖然吾構室 垣內所居近谷邊 雖然吾處鄉 木高葱鬱山里間 然彼霍公鳥 時至今日未來鳴 欲得其鳴聲 欲聞郭公鳥囀喧 晨曦朝日昇 出立門戶放眼望 黃昏夕日降 見渡谷隘覽不止 雖然戀幾許 至今久俟待徒然 縱令一聲未得聞
久米廣繩 4209

「家(いへ)は居(を)れども」,與「家居はすれども」同。
「木高(こだかく)くて」,樹木高聳繁茂。
「聞(き)かまく欲(ほ)りと」,「と」表原因、理由。
「一聲(ひとこゑ)だにも」,表達至少希望能聽聞一聲鳥囀之情。

4210 【承前,反歌。】
 敷治奈美乃 志氣里波須疑奴 安志比紀乃 夜麻保登等藝須 奈騰可伎奈賀奴
 藤浪(ふぢなみ)の 茂(しげ)りは過(す)ぎぬ 足引(あしひき)の 山霍公鳥(やまほととぎす) 何(な)どか來鳴(かきな)かぬ
 錦簇藤浪之 繁茂盛咲時已過 足曳勢險峻 嗚呼山霍公鳥矣 汝何至今不來鳴
久米廣繩 4210
 右,廿三日,掾久米朝臣廣繩和。

「茂(しげ)り」,茂盛,此引申指藤花繁茂滿開之時期。
「何(な)どか來鳴(かきな)かぬ」,「何(な)ど」乃質問原因、理由之疑問副詞「何」與「とて」之組合。

4211 追同處女墓歌一首 【并短歌。】
 古爾 有家流和射乃 久須婆之伎 事跡言繼 知努乎登古 宇奈比壯子乃 宇都勢美能 名乎競爭登 玉剋 壽毛須氐弖 相爭爾 嬬問為家留 妗嬬等之 聞者悲左 春花乃 爾太要盛而 秋葉之 爾保比爾照有 惜 身之壯尚 大夫之 語勞美 父母爾 啟別而 離家 海邊爾出立 朝暮爾 滿來潮之 八隔浪爾 靡珠藻乃 節間毛 惜命乎 露霜之 過麻之爾家禮 奧墓乎 此間定而 後代之 聞繼人毛 伊也遠爾 思努比爾勢餘等 黃楊小櫛 之賀左志家良之 生而靡有
 古(いにしへ)に 有(あり)ける態(わざ)の 奇(くす)ばしき 事(こと)と言繼(いひつ)ぐ 千沼壯士(ちぬをとこ) 菟原壯士(うなひをとこ)の 空蟬(うつせみ)の 名(な)を爭(あらそ)ふと 玉剋(たまきは)る 命(いのち)も捨(す)てて 爭(あらそひ)に 妻問(つまど)ひしける 處女等(をとめら)が 聞(き)けば悲(かな)しさ 春花(はるはな)の 匂榮(にほえさか)えて 秋葉(あきのは)の 匂(にほ)ひに照(て)れる 惜(あたら)しき 身盛(みのさか)りすら 大夫(ますらを)の 言勞(こといたは)しみ 父母(ちちはは)に 申別(まをしわか)れて 家離(いへざか)り 海邊(うみへ)に出立(いでた)ち 朝夕(あさよひ)に 滿來(みちく)る潮(しほ)の 八重波(やへなみ)に 靡(なび)く玉藻(たまも)の 節間(ふしのま)も 惜(を)しき命(いのち)を 露霜(つゆしも)の 過(す)ぎましにけれ 奧津城(おくつき)を 此間(ここ)と定(さだ)めて 後世(のちのよ)の 聞繼(ききつ)ぐ人(ひと)も 彌遠(いやとほ)に 偲(しの)ひに為(せ)よと 黃楊小櫛(つげをぐし) 然刺(しかさ)しけらし 生(お)ひて靡(なび)けり
 曩古往昔時 口耳相傳有此事 以其珍且奇 存而不忘流今世 千沼壯士與 菟原壯士益荒男 空蟬憂世間 爭賭名譽相各競 玉剋魂極矣 毅然捨命不顧身 決鬥爭拚死 窈窕淑女君好逑 菟原娘子等 吾聞其事己心悲 春花之所如 爭妍鬥豔欣向榮 秋葉之所如 赤光映照織錦紅 惜也惻隱哉 年華雖花樣 不忍二狀士 難堪絮絮其愛語 遂與垂乳根 父母告別離家去 杳無人煙兮 隻身出立佇海邊 朝夕徘徊而 滿來擊岸潮與汐 頻頻八重波 漂蕩逐浪靡玉藻 節間之所如 火石光間可惜命 露霜不久長 香消玉殞撒手去 故造奧津城 定娘子墓在此間 欲令萬世後 口耳相傳聞繼人 奉為彌遠後 可以相念追偲而 執黃楊小櫛 然刺插枝植茲哉 生意盎然繁茂矣
大伴家持 4211

「有(あり)ける態(わざ)の」,「けり」表承傳之事柄,「態(わざ)」為含有由緣之故事,「の」表同格。
「奇(くす)ばしき」,與「奇(くし)び」、「奇(くし)み」、「奇(くす)し」同源。
「名(な)を爭(あらそ)ふと」,賭上名譽欲得佳人。古俗不允許外來之人結婚,菟原娘子故鄉之年輕人欲排除將奪取娘子之千沼壯士。
「匂榮(にほえさか)えて」,「匂(にほ)え」乃「匂(にほ)ゆ」之連用形,容光煥發貌美之狀。
「惜(あたら)しき」,可惜。
「身盛(みのさか)りすら」,此云娘子正值美好年華卻捨身自殺之事。
「言勞(こといたは)しみ」,過分奉承。
「靡(なび)く玉藻(たまも)の」,自「朝夕」以下四句,為娘子遍尋死所徘徊海邊而雙眼所見景色之描寫,亦為下文「節間(ふしのま)」之序。
「節間(ふしのま)も」,比喻短時間。海藻之疇一般無節,但用以隱喻「世間」。
「露霜(つゆしも)の」,「過(す)ぐ」之枕詞。
「過(す)ぎましにけれ」,「過(す)ぐ」承上為露霜消逝之意,啟下為步上冥途之語。
「奧津城(おくつき)」,神道式墳墓,播磨處女塚傳為菟原娘子之墓,東西求女塚則為爭奪其之壯士們之墓。
「黃楊小櫛(つげをぐし)」,以黃楊所製之櫛。
「然刺(しかさ)しけらし」,「けらし」乃「けるらし」之略。『蟲麻呂歌集』反歌1811有云,處女墓上之木枝朝向千沼壯士之墓而生展,此以其枝擬作黃楊。

4212 【承前,反歌。】
 乎等女等之 後乃表跡 黃楊小櫛 生更生而 靡家良思母
 娘子等(をとめら)が 後標(のちのしるし)と 黃楊小櫛(つげをぐし) 生代生(おひかはりお)ひて 靡(なび)きけらしも
 欲令娘子等 事蹟可為後世知 標誌黃楊之 小櫛更生為嚴木 代代靡生枝展矣
大伴家持 4212
 右,五月六日,依興大宿禰家持作之。

「後標(のちのしるし)と」,令後世之人得以瞻仰之印記。「標(しるし)」於此有紀念、證據之意。
「生代生(おひかはりお)ひて」,此云植物枯萎之後,復始生出新一世代。
「靡(なび)きけらしも」,「靡(なび)き」指樹枝橫向長出。傳聞處女墓之木枝朝向千沼壯士之墓而生展,顯露菟原處女之寄情。

4213 【贈京丹比家歌。】
 安由乎疾 奈吳乃浦迴爾 與須流浪 伊夜千重之伎爾 戀度可母
 東風(あゆ)を疾(いた)み 奈吳浦迴(なごのうらみ)に 寄(よ)する波(なみ) 彌千重頻(いやちへしき)に 戀渡(こひわた)るかも
 東風吹勁疾 洽猶奈吳浦迴間 歸浪之所如 頻頻千重彌萬重 終日憂愁戀慕哉
大伴家持 4213
 右一首,贈京丹比家。

「東風(あゆ)」,或稱鮎風。
「寄(よ)する波(なみ)」,以上為「彌千重頻(いやちへしき)に」之序。
「彌千重頻(いやちへしき)に」,思念如歸浪般千重無絕之狀。
本歌無題詞,卷十九尚有4219、4224二曲亦無題詞。

4214 挽歌一首 【并短歌。】
 天地之 初時從 宇都曾美能 八十伴男者 大王爾 麻都呂布物跡 定有 官爾之在者 天皇之 命恐 夷放 國乎治等 足日木 山河阻 風雲爾 言者雖通 正不遇 日之累者 思戀 氣衝居爾 玉桙之 道來人之 傳言爾 吾爾語良久 波之伎餘之 君者比來 宇良佐備弖 嘆息伊麻須 世間之 猒家口都良家苦 開花毛 時爾宇都呂布 宇都勢美毛 无常阿里家利 足千根之 御母之命 何如可毛 時之波將有乎 真鏡 見禮杼母不飽 珠緒之 惜盛爾 立霧之 失去如久 置露之 消去之如 玉藻成 靡許伊臥 逝水之 留不得常 枉言哉 人之云都流 逆言乎 人之告都流 梓弓 爪弦夜音之 遠音爾毛 聞者悲彌 庭多豆水 流涕 留可禰都母
 天地(あめつち)の 初(はじ)めの時(とき)ゆ 現身(うつそみ)の 八十伴緒(やそとものを)は 大君(おほきみ)に 順(まつろ)ふ者(もの)と 定(さだ)まれる 官(つかさ)にしあれば 大君(おほきみ)の 命恐(みことかしこ)み 鄙離(ひなざか)る 國(くに)を治(をさ)むと 足引(あしひき)の 山川隔(やまかはへな)り 風雲(かぜくも)に 言(こと)は通(かよ)へど 直(ただ)に逢(あ)はず 日重為(ひのかさな)れば 思戀(おもひこ)ひ 息衝居(いきづきを)るに 玉桙(たまほこ)の 道來(みちく)る人(ひと)の 傳(つ)て言(こと)に 我(われ)に語(かた)らく 愛(は)しき良(よ)し 君(きみ)は此頃(このころ) 衷寂(うらさび)て 嘆(なげ)かひ坐(いま)す 世中(よのなか)の 憂(う)けく辛(つら)けく 咲花(さくはな)も 時(とき)に移(うつろ)ふ 空蟬(うつせみ)も 常無(つねな)く有(あり)けり 垂乳根(たらちね)の 御母命(みははのみこと) 何然(なにしか)も 時(とき)しはあらむを 真十鏡(まそかがみ) 見(み)れども飽(あ)かず 玉緒(たまのを)の 惜(を)しき盛(さか)りに 立霧(たつきり)の 失(う)せぬる如(ごと)く 置露(おくつゆ)の 消(け)ぬるが如(ごと)く 玉藻如(たまもな)す 靡臥伏(なびきこいふし)し 逝水(ゆくみづ)の 留兼(とどめか)ねつと 狂言(たはこと)か 人言(ひとのい)ひつる 逆言(およづれ)か 人告(ひとのつ)げつる 梓弓(あづさゆみ) 爪引(つまび)く夜音(よおと)の 遠音(とほおと)にも 聞(き)けば悲(かな)しみ 庭潦(にはたづみ) 流(なが)るる淚(なみた) 留兼(とどめか)ねつも
 自於遠神代 天地初判時以來 空蟬憂世間 八十伴緒諸人臣 大君顯人神 順從宸旨乘輿命 以曩古所定 世世相襲官職故 大君敕命重 誠惶誠恐遵聖慮 拜官在鄙離 隨任離京治偏國 足曳勢險峻 隔以山峰阻河川 雖然任風雲 仍有魚雁可通言 然不得直逢 相別積時累日久 憂思苦戀慕 唏噓愁嘆度日時 玉桙石柱兮 康莊大道往來人 所傳消息者 語於我身言如是 愛也哀憐兮 汝之思君此頃時 衷心寂不樂 總以悲哀嘆為行 悠悠此世間 憂忡艱辛之甚者 縱令咲花美 時移遷異不久長 空蟬浮世人 諸行無常攝理也 恩育垂乳根 慈愛賢淑御母命 其思何然哉 不識時務至如此 無曇真十鏡 見之百變不飽厭 魂絲玉緒兮 可惜惋惱盛繁間 瀰漫湧霧之 煙消雲散之所如 晶瑩置露之 消逝無蹤之所如 洽猶玉藻之 逐波漂蕩靡臥伏 逝水如斯夫 不捨晝夜難留滯 蓋是誑語哉 其人所述豈為真 抑或逆言歟 其人所告豈為實 梓弓振弦兮 張弓夜音之所如 雖為遠噂音 聞者心哀悲難耐 庭潦之所如 潸然淚下哭斷腸 泪雨滂沱不能
大伴家持 4214

「天地(あめつち)の 初(はじ)めの時(とき)ゆ」,律令官僚當忠實於自身職務者,乃是遠自天地開闢以來之傳統。
「現身(うつそみ)」,與「空蟬(うつせみ)」相類,云世間、凡人。
「鄙離(ひなざか)る」,「鄙(ひな)」乃遠離京城之意。
「國(くに)を治(をさ)むと」,「治(をさ)むと」表為了治理。
「山川隔(やまかはへな)り」,「隔(へな)り」為受山川介在,阻隔之意。
「風雲(かぜくも)」,得以來去遙遠境地之代表。此云只得藉風雲依託自己之心情、話語。
「道來(みちく)る人(ひと)の」,自京都來傳訃報之使者,為表其意外性而稱之行人。
「愛(は)しき良(よ)し」,表痛恨哀憐之情。
「君(きみ)は此頃(このころ)」,「君(きみ)」乃4216左注之藤原二郎。
「世中(よのなか)の 憂(う)けく辛(つら)けく」,世中最令人憂傷之事。
「時(とき)に」,隨著時間經過。
「御母命(みははのみこと)」,藤原二郎之母親。
「真十鏡(まそかがみ)」,「見(み)る」之枕詞。
「玉緒(たまのを)の」,藉「を」之音而為「惜(を)し」之枕詞。
「玉藻如(たまもな)す」,「靡(なび)き」之枕詞。
「靡臥伏(なびきこいふ)し」,「臥(こい)」乃倒臥、橫躺。
「逝水(ゆくみづ)の」,宛如流水一般。
「留兼(とどめか)ねつと」,此云藤原二郎之母撒手人間,無以挽留。
狂言(たはこと)か 人言(ひとのい)ひつる」,不願相信使者之訃聞,無法接受事實,直稱其為誑言逆語。
「梓弓(あづさゆみ) 爪引(つまび)く夜音(よおと)の」,警戒貴人周邊之武士,引振梓弓以除魔之音。
「遠音(とほおと)」,來自遠方之謠言。
「庭潦(にはたづみ)」,庭中滿溢之積水。

4215 反歌二首 【承前。】
 遠音毛 君之痛念跡 聞都禮婆 哭耳所泣 相念吾者
 遠音(とほと)にも 君(きみ)が嘆(なげ)くと 聞(き)きつれば 音(ね)のみし泣(な)かゆ 相思(あひおも)ふ我(われ)は
 雖為遠噂音 聽聞汝嘆千里外 我亦情泉湧 愴然號泣淚涕下 相思相念吾倆矣
大伴家持 4215

「君(きみ)が嘆(なげ)くと」,「嘆(なげ)く」原文作「痛念」。
「相思(あひおも)ふ我(われ)は」,與君同心的我。

4216 【承前。】
 世間之 无常事者 知良牟乎 情盡莫 大夫爾之氐
 世中(よのなか)の 常無(つねな)き事(こと)は 知(し)るらむを 心盡(こころつ)くす莫(な) 大夫(ますらを)にして
 空蟬憂世間 汝知諸行總無常 既然如是者 莫任哀悔情無涯 御身大夫壯士矣
大伴家持 4216
 右,大伴宿禰家持弔聟南右大臣家藤原二郎之喪慈母患也。五月廿七日。

「心盡(こころつ)くす莫(な)」,切莫悲哀毀滅到內心盡頭。

4217 霖雨霽日作歌一首
 宇能花乎 令腐霖雨之 始水邇 緣木積成 將因兒毛我母
 卯花(うのはな)を 腐(くた)す霖雨(ながめ)の 始水(みづはな)に 寄(よ)る木屑如(こつみな)す 寄(よ)らむ兒欲得(こもがも)
 可令憂卯花 破敗腐朽霖雨之 庭潦始水間 所寄木屑之所如 欲得佳人依來伴
大伴家持 4217

「腐(くた)す」,令其腐敗。長雨不斷,可令卯花殘敗。
「始水(みづはな)に」,「はな」為「端」之意。底本原文「始水逝」,按『萬葉代匠記』則「始水邇」之訛。「に」表原因、手段。
「寄(よ)る木屑如(こつみな)す」,隨著流水漂來之木屑。
「寄(よ)らむ兒欲得(こもがも)」,假想願望。若有佳人如木屑般依來就好了。

4218 見漁夫火光歌一首 【承前。】
 鮪衝等 海人之燭有 伊射里火之 保爾可將出 吾之下念乎
 鮪突(しびつ)くと 海人燭(あまのとも)せる 漁火(いざりひ)の 秀(ほ)にか出(いだ)さむ 我(わ)が下思(したもひ)を
 突銛刺鮪兮 海人白水郎所燭 漁火之所如 其當露顯秀外哉 吾人胸懷密情者
大伴家持 4218
 右二首,五月。

「鮪突(しびつ)くと」,將釣到之鮪魚以銛刺於漁船上。『古事記』下歌謠有「心戀しけむ 鮪突く鮪」云云。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/kojiki/03.htm#k0110
「漁火(いざりひ)の」,集魚燈。
「秀(ほ)にか出(いだ)さむ」,「秀(ほ)」表顯出於外。莫非該將隱藏於內心的戀慕外顯嗎。因為難耐隱戀之憂苦,不若放下矜持表現於外。

4219 【芽子早花歌。】
 吾屋戶之 芽子開爾家理 秋風之 將吹乎待者 伊等遠彌可母
 我(わ)が宿(やど)の 萩咲(はぎさ)きにけり 秋風(あきかぜ)の 吹(ふ)かむを待(ま)たば 甚遠(いととほ)みかも
 吾宿庭院間 秋萩已綻咲一片 時節雖未至 蓋俟秋風拂日遠 迫不及待先咲哉
大伴家持 4219
 右一首,六月十五日,見芽子早花作之。

「甚遠(いととほ)みかも」,疑問條件。萩本當在秋季綻放,卻因難堪久待秋楓時節而先行花開。

4220 從京師來贈歌一首 【并短歌。】
 和多都民能 可味能美許等乃 美久之宜爾 多久波比於伎氐 伊都久等布 多麻爾末佐里氐 於毛敝里之 安我故爾波安禮騰 宇都世美乃 與能許等和利等 麻須良乎能 比伎能麻爾麻仁 之奈謝可流 古之地乎左之氐 波布都多能 和可禮爾之欲理 於吉都奈美 等乎牟麻欲妣伎 於保夫禰能 由久良由久良耳 於毛可宜爾 毛得奈民延都都 可久古非婆 意伊豆久安我未 氣太志安倍牟可母
 海神(わたつみ)の 神命(かみのみこと)の 御櫛笥(みくしげ)に 貯置(たくはひお)きて 齋(いつ)くとふ 玉(たま)に増(ま)さりて 思(おも)へりし 我(あ)が子(こ)にはあれど 空蟬(うつせみ)の 世理(よのことわり)と 大夫(ますらを)の 引隨(ひきのまにま)に 繁離(しなざか)る 越路(こしぢ)を指(さ)して 延蔦(はふつた)の 別(わか)れにしより 沖波(おきつなみ) 撓眉引(とをむまよび)き 大船(おほぶね)の 搖(ゆ)くら搖(ゆ)くらに 面影(おもかげ)に 元無見(もとなみ)えつつ 如斯戀(かくこ)ひば 老附(おいづ)く我(あ)が身(み) 蓋(けだ)し堪(あ)へむ哉(かも)
 海若綿津見 嚴神尊命所擁持 御櫛笥之中 珍藏貯置納妥善 嚴齋護玉矣 呵護愛憐甚彼玉 掛念懸心頭 如是我之愛子者 空蟬憂世間 夫唱婦隨實攝理 隨大夫壯士 應其所邀招請而 遠離隔繁山 背都指徃越路去 延蔦枝岐兮 相訣別去日以來 瀛浪沖津波 曲撓柳眉引細長 猶乘大船兮 晃蕩搖曳影幢幢 俤影汝光儀 其幻無由映眼簾 如斯戀慕者 我身垂暮增羸老 蓋猶風中殘燭哉
坂上郎女 4220

「海神(わたつみ)」,海若、海童,綿津見神
「御櫛笥(みくしげ)に」,海神所持有之寶箱。
「齋(いつ)くとふ」,密藏、珍藏。
「世理(よのことわり)と」,世間一般夫唱婦隨是自然的道理。
「大夫(ますらを)の 引隨(ひきのまにま)に」,隨著大伴家持之邀請而遷至其任所,與之共同生活。
「繁離(しなざか)る」,遠離而有繁山區隔,蓋引家持4071之語。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m18.htm#4071
「延蔦(はふつた)の」,「別(わか)れ」之枕詞。以其枝葉自根處分別生長而言。
「沖波(おきつなみ)」,「撓(とを)む」之枕詞。沖瀛處之巨浪稱為撓浪。
「撓眉引(とをむまよび)き」,彎曲細長之柳眉。此形容坂上大孃之美貌。
「大船(おほぶね)の」,「搖(ゆ)くら」之枕詞。
「搖(ゆ)くら搖(ゆ)くらに」,搖曳不止之狀。
「元無見(もとなみ)えつつ」,「元無(もとな)」為無由地。
「老附(おいづ)く我(あ)が身(み)」,自己逐漸年老之身體。以和銅八年穗積親王薨去之時,坂上郎女年約二十,則於今天平勝寶二年蓋當五十五歲左右。
「蓋(けだ)し堪(あ)へむ哉(かも)」,蓋當難堪。云此身已老,旦夕且死。

4221 反歌一首 【承前。】
 可久婆可里 古非之久志安良婆 末蘇可我美 彌奴比等吉奈久 安良麻之母能乎
 如此許(かくばかり) 戀(こひ)しくしあらば 真十鏡(まそかがみ) 見(み)ぬ日時無(ひときな)く 有(あ)ら益物(ましもの)を
  諸事誠難料 早知戀慕如此許 無曇真十鏡 應當珍惜別去前 朝暮端看無闕時
坂上郎女 4221
 右二首,大伴氏坂上郎女賜女子大孃也。

「如此許(かくばかり) 戀(こひ)しくしあらば」,早知離別之後會如此思念的話。
「見(み)ぬ日時無(ひときな)く 有(あ)ら益物(ましもの)を」,把握一切日時詳觀看不斷,直至滿足為止。

4222 九月三日宴歌二首
 許能之具禮 伊多久奈布里曾 和藝毛故爾 美勢牟我多米爾 母美知等里氐牟
 此時雨(このしぐれ) 甚莫降(いたくなふ)りそ 我妹子(わぎもこ)に 見(み)せむが為(ため)に 黃葉取(もみちと)りてむ
 嗟呼此時雨 汝莫甚零降如斯 愛也吾妹子 為使其觀茲秋意 手折黃葉留袖中
久米廣繩 4222
 右一首,掾久米朝臣廣繩作之。

「我妹子(わぎもこ)に 見(み)せむが為(ため)に」,按次曲可知,廣繩之妻此時人在奈良。或云添於書信贈之。

4223 【承前。】
 安乎爾與之 奈良比等美牟登 和我世故我 之米家牟毛美知 都知爾於知米也毛
 青丹良(あをによ)し 奈良人見(ならひとみ)むと 我(わ)が背子(せこ)が 標(しめ)けむ黃葉(もみち) 地(つち)に落(お)ちめやも
 青丹良且秀 欲令奈良京人見 愛也吾兄子 所以標結山黃葉 凋零舞落散一地
大伴家持 4223
 右一首,守大伴宿禰家持作之。

「奈良人見(ならひとみ)むと」,欲使身在奈良之人見之。奈良人指廣繩之妻。
「標(しめ)けむ黃葉(もみち)」,標者標結,常用於不欲自己喜歡的女性被他人奪去而標示守護,主張所有權之譬喻。
「地(つち)に落(お)ちめやも」,徒然地散落於地。

元亨釋書卷九、万葉集試訳

■元亨釋書 卷九 感進
https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/mokuroku/genkou/genkou09.htm


万葉集試訳

4200 【承前,第二。】
 多祜乃浦能 底左倍爾保布 藤奈美乎 加射之氐將去 不見人之為
 多祜浦(たこのうら)の 底(そこ)さへ匂(にほ)ふ 藤浪(ふぢなみ)を 髻首(かざ)して行(ゆ)かむ 見(み)ぬ人(ひと)の為(ため)
 布勢多祜浦 映照水底增豔色 絢麗藤浪矣 折枝髻首而歸者 奉為未得見人也
內藏繩麻呂 4200
 次官內藏忌寸繩麻呂。

「底(そこ)さへ匂(にほ)ふ」,藤浪宛如照臨水底般地盛開。讚美藤花盛咲之美。
「次官」,介。

4201 【承前,第三。】
 伊佐左可爾 念而來之乎 多祜乃浦爾 開流藤見而 一夜可經
 些(いささか)に 思(おも)ひて來(こ)しを 多祜浦(たこのうら)に 咲(さ)ける藤見(ふぢみ)て 一夜經(ひとよへ)ぬべし
 聞彼花已凋 愁念稍晚不逢時 來此多祜浦 見其藤浪咲一面 流連忘返可經夜
久米廣繩 4201
 判官久米朝臣廣繩。

「些(いささか)に 思(おも)ひて來(こ)しを」,聽聞家持4139「散りにけり 盛過ぐらし 藤波花」之曲,以為不幸恰巧沒趕上花盛之時。 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m19.htm#4139
「一夜經(ひとよへ)ぬべし」,感嘆布勢水海多祜浦藤浪之美,流連忘返而值得在此渡過終夜。

4202 【承前,第四。】
 藤奈美乎 借廬爾造 灣迴為流 人等波不知爾 海部等可見良牟
 藤浪(ふぢなみ)を 假廬(かりいほ)に造(つく)り 浦迴(うらみ)する 人(ひと)とは知(し)らに 海人(あま)とか見(み)らむ
 手折藤浪而 花餝假廬屋形舟 巡迴多祜浦 人不知我來遊興 以為海人白水郎
久米繼麻呂 4202
 久米朝臣繼麻呂。

「藤浪(ふぢなみ)を 假廬(かりいほ)に造(つく)り」,已藤花裝飾屋形船之屋頂。
「浦迴(うらみ)する」,巡迴灣內。
「人(ひと)とは知(し)らに 海人(あま)とか見(み)らむ」,他人不知是官人舟遊,以為是在地漁夫。

4203 恨霍公鳥不喧歌一首
 家爾去而 奈爾乎將語 安之比奇能 山霍公鳥 一音毛奈家
 家(いへ)に行(ゆ)きて 何(なに)を語(かた)らむ 足引(あしひき)の 山霍公鳥(やまほととぎす) 一聲(ひとこゑ)も鳴(な)け
 一旦返家時 當與親人語何哉 足曳勢險峻 山嶺霍公鳥也者 冀汝一喧為言草
久米廣繩 4203
 判官久米朝臣廣繩。

「何(なに)を語(かた)らむ」,歸鄉之後當以何事為為話題?若霍公鳥可以在此一喧,便可以之為題與家人傾訴在外的風情了。

4204 見攀折保寶葉歌二首
 吾勢故我 捧而持流 保寶我之婆 安多可毛似加 青盖
 我(わ)が背子(せこ)が 捧(ささ)げて持(も)てる 保寶葉(ほほがしは) 恰(あたか)も似(に)るか 青蓋(あをききぬがさ)
 愛也吾兄子 所以攀折而捧持 保寶葉枝矣 其貌姿形神似也 貴人儀仗青傘蓋
惠行 4204
 講師僧惠行。

「我(わ)が背子(せこ)が」,此云家持。
「保寶葉(ほほがしは)」,木蓮科落葉高木,其葉可用於包裹食物。
「恰(あたか)も」,恰巧、剛好。
「青蓋(あをききぬがさ)」貴人所使用之附柄織物青傘。

4205 【承前。】
 皇神祖之 遠御代三世波 射布折 酒飲等伊布曾 此保寶我之波
 皇祖(すめろき)の 遠御代御代(とほみよみよ)は い敷折(しきを)り 酒飲(さけの)むと云(い)ふそ 此保寶葉(このほほがしは)
 皇祖皇宗之 曩古源遠諸御世 敷折作酒盞 以暢杜康盡酣飲 是茲保寶葉也矣
大伴家持 4205
 守大伴宿禰家持。

「皇祖(すめろき)」,歷代天皇
「い敷折(しきを)り」,「い」為接頭語,「敷折(しきを)り」蓋指將其保寶葉折作三角錐狀,以為酒杯。

4206 還時,濱上仰見月光歌一首
 之夫多爾乎 指而吾行 此濱爾 月夜安伎氐牟 馬之末時停息
 澀谿(しぶたに)を 指(さ)して我(わ)が行(ゆ)く 此濱(このはま)に 月夜飽(つくよあ)きてむ 馬暫(うましま)し止(と)め
 指其澀谿而 長趨直入我行去 還時在此濱 吾欲滿喫此月夜 還願停馬暫流連
大伴家持 4206
 守大伴宿禰家持。

「月夜飽(つくよあ)きてむ」,欣賞月夜直至心滿意足為主。
「馬暫(うましま)し止(と)め」,「止(と)め」為命令形。

4207 廿二日,贈判官久米朝臣廣繩霍公鳥怨恨歌一首 【并短歌。】
 此間爾之氐 曾我比爾所見 和我勢故我 垣都能谿爾 安氣左禮婆 榛之狹枝爾 暮左禮婆 藤之繁美爾 遙遙爾 鳴霍公鳥 吾屋戶能 殖木橘 花爾知流 時乎麻太之美 伎奈加奈久 曾許波不怨 之可禮杼毛 谷可多頭伎氐 家居有 君之聞都都 追氣奈久毛宇之
 此間(ここ)にして 背向(そがひ)に見(み)ゆる 我(わ)が背子(せこ)が 垣內谷(かきつのたに)に 明(あ)けされば 榛小枝(はりのさえだ)に 夕去(ゆふさ)れば 藤繁(ふぢのしげ)みに 遙遙(はろはろ)に 鳴霍公鳥(なくほととぎす) 我(わ)が宿(やど)の 植木橘(うゑきたちばな) 花(はな)に散(ち)る 時(とき)を未(ま)だしみ 來鳴(きな)か無(な)く 其處(そこ)は恨(うら)みず 然(しか)れども 谷片付(たにかたづ)きて 家居(いへゐ)せる 君(きみ)が聞(き)きつつ 告(つ)げ無(な)くも憂(う)し
 身居在此間 背向遠望而可見 愛也吾兄子 宅邸垣內坐谷間 拂曉夜明者 在其榛梢小枝上 日落夕暮者 藤浪錦簇繁茂中 遙遙悠遠兮 鳴囀啼喚霍公鳥 以我庭宿間 所植香菓木橘之 轉俄散其華 凋零時節未至故 杜鵑不來鳴 其處理宜無所恨 雖然如此者 構室造屋在谷傍 家居而生息 君既常聞彼鳥喧 卻不相告甚可憎
大伴家持 4207

「此間(ここ)にして」,「にして」為「ありて」之意。
「垣內谷(かきつのたに)に」,掾之公館在於谷旁。
「遙遙(はろはろ)に 鳴霍公鳥(なくほととぎす)」,按其後4209之曲,則或為家持之誤會。
「花(はな)に散(ち)る」,花朵一片片地散落。
「時(とき)を未(ま)だしみ」,「未(ま)だしみ」指未到其時節。
「其處(そこ)は恨(うら)みず」,「其處(そこ)」指霍公鳥不予來鳴之事。
「谷片付(たにかたづ)きて」,與山谷相接。
「憂(う)し 」,無法如願而不愉快。此為可憎之意。

4208 反歌一首 【承前。】
 吾幾許 麻氐騰來不鳴 霍公鳥 比等里聞都追 不告君可母
 我(あ)が幾許(ここだ) 待(ま)てど來鳴(どきな)かぬ 霍公鳥(ほととぎす) 一人聞(ひとりき)きつつ 告(つ)げぬ君(きみ)かも
 吾人待幾許 卻總吝嗇不來喧 山霍公鳥矣 汝命獨自賞其囀 卻不來告甚可憎
大伴家持 4208

「我(あ)が幾許(ここだ)」,原文「吾幾許」可訓「あ」或「わ」,而以「待(ま)て」之主詞而言,「あ」較為一般。

拾遺和歌集卷七、万葉集試訳

拾遺和歌集 卷第七 物名歌
https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/syuui/syuui07.htm
https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/syuui/syuui.htm


万葉集試訳

4194 更怨霍公鳥哢晚歌三首
 霍公鳥 喧渡奴等 告禮騰毛 吾聞都我受 花波須疑都追
 霍公鳥(ほととぎす) 鳴渡(なきわた)りぬと 告(つ)ぐれども 我聞繼(われききつ)がず 花(はな)は過(す)ぎつつ
 雖然人相告 杜鵑霍公鳥也者 已鳴渡過者 然而我未嘗聞間 藤花咲盛時已過
大伴家持 4194

「告(つ)ぐれども」,主語為家持周遭之人。
「我聞繼(われききつ)がず」,他人聽聞之後,家持並未接著聽到。
「花(はな)は過(す)ぎつつ」,藤花咲盛之時節已過,仍未聞霍公鳥哢。

4195 【承前。】
 吾幾許 斯努波久不知爾 霍公鳥 伊頭敝能山乎 鳴可將超
 我(わ)が幾許(ここだ) 偲(しの)はく知(し)らに 霍公鳥(ほととぎす) 何邊山(いづへのやま)を 鳴(な)きか越(こ)ゆらむ
 蓋不知我身 苦待戀慕至幾許 霍公鳥哢晚 究竟是自何山邊 翱翔飛越鳴渡哉
大伴家持 4195

「幾許(ここだ)」,激烈如此。
「偲(しの)はく知(し)らに」,不知道作者內心之思慕。
「何邊(いづへ)」,與「いづれ」、「いづく」、「いづち」皆為表示空間之疑問詞。

4196 【承前。】
 月立之 日欲里乎伎都追 敲自努比 麻泥騰伎奈可奴 霍公鳥可母
 月立(つきた)ちし 日(ひ)より招(を)きつつ 打偲(うちしの)ひ 待(ま)てど來鳴(きな)かぬ 霍公鳥(ほととぎす)かも
 自於卯月立 日日無闕招其至 如是苦戀慕 引領期盼未來鳴 嗚呼薄情霍公鳥
大伴家持 4196

「月立(つきた)ちし」,本指新月自西空浮起,此云曆法上之四月一日
「打偲(うちしの)ひ」,「打(うち)」為接頭語,元曆校本原文作「歌」,此依神宮文庫作「敲」。
「待(ま)てど來鳴(きな)かぬ」,3983題詞有「立夏四月,既經累日,而由未聞霍公鳥喧」之語。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m17.htm#3983

4197 贈京人歌二首
 妹爾似 草等見之欲里 吾標之 野邊之山吹 誰可手乎里之
 妹(いも)に似(に)る 草(くさ)と見(み)しより 我(わ)が標(しめ)し 野邊山吹(のへのやまぶき) 誰(たれ)か手折(たを)りし
 自吾見彼草 其姿形似妹光儀 故我標結之 野邊山吹尚稚嫩 還冀他人莫手折
大伴家持 4197

「妹(いも)に似(に)る」,「妹(いも)」指留女女郎。大伴家持為大孃所代作。
「草(くさ)と見(み)しより」,山吹雖非草本植物,但以低木枝細,故云草也。
「標(しめ)し」,標示為自己所有。
類歌1347「君に似る 草と見しより 我が標めし 野山淺茅 人莫刈りそね」 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m07.htm#1347

4198 【承前。】
 都禮母奈久 可禮爾之毛能登 人者雖云 不相日麻禰美 念曾吾為流
 由緣(つれ)も無(な)く 離(か)れにし物(もの)と 人(ひと)は言(い)へど 逢(あ)はぬ日數多(ひまね)み 思(おも)ひそ我(わ)がする
 雖然他人云 我身薄情不流連 倏然別去者 然而不逢日苦多 實則朝暮憂戀慕
大伴家持 4198
 右,為贈留女之女郎,所誂家婦作也。【女郎者,即大伴家持之妹。】

「由緣(つれ)も無(な)く 離(か)れにし物(もの)と」,此引4184留女之曲。「山吹の 花取持ちて 由緣も無く 離れにし妹を 偲ひつるかも」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m19.htm#1484
「人(ひと)は言(い)へど」,「人」指留女。
「日數多(ひまね)み」,「數多(まね)し」表日數之多。
「家婦」,此云大伴坂上大孃。

4199 十二日,遊覽布勢水海,船泊於多毗灣,望見藤花,各述懷作歌四首 【第一。】
 藤奈美乃 影成海之 底清美 之都久石乎毛 珠等曾吾見流
 藤波(ふぢなみ)の 影成(かげな)す海(うみ)の 底清(そこきよ)み 沈(しづ)く石(いし)をも 玉(たま)とそ我(わ)が見(み)る
 藤浪咲一面 映照倒影水海之 清澄見底故 眼見沉水卵石者 洽似寶玉能混珠
大伴家持 4199
 守大伴宿禰家持。

「影成(かげな)す海(うみ)の」,倒影所映射之湖岸。
「沈(しづ)く石(いし)をも」,相較於徐徐下沉之「沈む」,「沈く」表沉置水底的靜置狀態。
「玉(たま)とそ我(わ)が見(み)る」,對於布勢水海清澄之具體表現。

拾遺和歌集卷六、万葉集試訳

拾遺和歌集 卷第六 別歌
https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/syuui/syuui06.htm
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万葉集試訳

4188 【承前,反歌。】
 藤奈美能 花盛爾 如此許曾 浦己藝迴都追 年爾之努波米
 藤浪(ふぢなみ)の 花盛(はなのさかり)りに 如此(かく)こそ 浦漕迴(うらこぎみ)つつ 年(とし)に偲(しの)はめ
 每逢藤浪之 花咲滿開綻放時 往往當如此 榜舟漕迴布勢海 年年來賞翫勝景
大伴家持 4188

「浦漕迴(うらこぎみ)つつ」,「迴(み)る」為巡迴。
「年(とし)に偲(しの)はめ」,「偲(しの)ふ」為賞翫、感銘。

4189 贈水烏越前判官大伴宿禰池主歌一首 【并短歌。】
 天離 夷爾之在者 彼所此間毛 同許 己呂曾 離家 等之乃經去者 宇都勢美波 物念之氣思 曾許由惠爾 情奈具左爾 霍公鳥 喧始音乎 橘 珠爾安倍貫 可頭良伎氐 遊波之母 麻須良乎乎 等毛奈倍立而 叔羅河 奈頭左比泝 平瀨爾波 左泥刺渡 早湍爾 水烏乎潛都追 月爾日爾 之可志安蘇婆禰 波之伎和我勢故
 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にしあれば 彼所此間(そこここ)も 同心(おなじこころ)そ 家離(いへざか)り 年經行(としのへゆ)けば 空蟬(うつせみ)は 物思繁(ものもひしげ)し 其故(そこゆゑ)に 心和(こころな)ぐさに 霍公鳥(ほととぎす) 鳴(な)く初聲(はつこゑ)を 橘(たちばな)の 玉(たま)に合貫(あへぬ)き 蘰(かづら)きて 遊(あそ)ばむ端(はし)も 大夫(ますらを)を 伴(とも)なへ立(た)てて 叔羅川(しくらがは) 漂上(なづさひのぼ)り 平瀨(ひらせ)には 小網刺(さでさ)し渡(わた)し 速瀨(はやきせ)に 鵜(う)を潛(かづ)けつつ 月(つき)に日(ひ)に 然(しか)し遊(あそ)ばね 愛(は)しき我(わ)が背子(せこ)
 天離日已遠 身居鄙夷遠國者 無論汝或吾 皆是同心道合也 離家去故土 已然歷月經年矣 空蟬憂世間 憂思念繁情難斷 誠然因其故 欲慰此心令平和 杜鵑霍公鳥 所鳴啼泣初聲矣 混與花橘而 貫為五月藥玉矣 結蘰織環而 遊興端午此時節 大夫伴緒等 結伴相率以出遊 日野叔羅川 漬濡此身溯溪上 安穩平瀨間 張羅小網渡一面 湍急速瀨間 放諸鸕鶿令鵜潛 幾月復幾日 如斯遊興盡歡愉 憙哉愛也吾兄子
大伴家持 4189

「鄙(ひな)にしあれば」,越前、越中相鄰而皆遠離京師。底本原文「夷等之在者」蓋「夷爾之在者」之訛,改之。
「彼所此間(そこここ)も」,「彼所(そこ)」指池主,「此間(ここ)」指家持。身處異鄉,皆心戀京師。
「其故(そこゆゑ)に」,此云上文懷土之念。
「心和(こころな)ぐさに」,舒發鬱情。
「玉(たま)に合貫(あへぬ)き」,「合(あ)へ」為與共。將霍公鳥之鳴聲合以花橘之蕾,共同串為五月藥玉之擬物表現。
「遊(あそ)ばむ端(はし)も」,「端(はし)」表時間點,此云約一個月後之端午節句
「大夫(ますらを)を」,此云池主所屬之越前國廳官人。
「伴(とも)なへ立(た)てて」,「伴(とも)なへ」表率領。
「平瀨(ひらせ)には」,流速緩慢之淺瀨,與「速瀨」相對。
「小網刺(さでさ)し渡(わた)し」,「小網」為四手網,「刺し」為張設,「渡し」乃一整面。
「鵜(う)を潛(かづ)けつつ」,使鵜潛水漁獵。或藉其將鮎魚趕入網中之漁法。
「月(つき)に日(ひ)に」,每月每日。
「然(しか)し遊(あそ)ばね」,「ね」表希求。應當如此遊樂散心。
「愛(は)しき我(わ)が背子(せこ)」,「愛(は)し」表憐愛、懷念。

4190 【承前,反歌第一。】
 叔羅河 湍乎尋都追 和我勢故波 宇可波多多佐禰 情奈具左爾
 叔羅川(しくらがは) 瀨(せ)を尋(たづ)ねつつ 我(わ)が背子(せこ)は 鵜川立(うかはた)たさね 心和(こころな)ぐさに
 日野叔羅川 漬身速瀨溯溪上 愛也吾兄子 當放鸕鶿以鵜漁 遊興盡歡慰此情
大伴家持 4190

「鵜川立(うかはた)たさね」,「立(た)たさね」有催促之意。

4191 【承前,反歌第二。】
 鸕河立 取左牟安由能 之我波多波 吾等爾可伎无氣 念之念婆
 鵜川立(うかはた)ち 取(と)らさむ鮎(あゆ)の 然鰭(しがはた)は 我(われ)に搔向(かきむ)け 思(おも)ひし思(おも)はば
 鵜漁川瀨間 所以捕獲鮎魚矣 冀可將彼鰭 贈予我身為緣物 若汝意之所向者
大伴家持 4191
 右,九日附使贈之。

「然鰭(しがはた)は」,「然(し)」為其之意。
「我(われ)に搔向(かきむ)け」,「搔(かき)」為削下以為漁獲證明之意。
「思(おも)ひし思(おも)はば」,若心思所向,有此意之時。

4192 詠霍公鳥并藤花一首 【并短歌。】
 桃花 紅色爾 爾保比多流 面輪乃宇知爾 青柳乃 細眉根乎 咲麻我理 朝影見都追 妗嬬良我 手爾取持有 真鏡 盖上山爾 許能久禮乃 繁谿邊乎 呼等余米 旦飛渡 暮月夜 可蘇氣伎野邊 遙遙爾 喧霍公鳥 立久久等 羽觸爾知良須 藤浪乃 花奈都可之美 引攀而 袖爾古伎禮都 染婆染等母
 桃花(もものはな) 紅色(くれなゐいろ)に 匂(にほ)ひたる 面輪中(おもわのうち)に 青柳(あをやぎ)の 細眉根(ほそきまよね)を 笑曲(ゑみまが)り 朝影見(あさかげみ)つつ 娘子等(をとめら)が 手(て)に取持(とりも)てる 真十鏡(まそかがみ) 二上山(ふたがみやま)に 木暗(このくれ)の 茂谷邊(しげきたにへ)を 呼響(よびとよ)め 朝飛渡(あさとびわた)り 夕月夜(ゆふづくよ) 幽野邊(かそけきのへ)に 遙遙(はろはろ)に 鳴(な)く霍公鳥(ほととぎす) 立潛(たちく)くと 羽觸(はぶれ)に散(ち)らす 藤波(ふぢなみ)の 花懷(はななつ)かしみ 引攀(ひきよ)ぢて 袖(そで)に扱入(こきれ)つ 染(し)まば染(し)むとも
 錦簇桃花之 艷麗鮮紅曳生姿 容光甚煥發 花顏品貌面輪中 青柳之所如 纖秀長眉根矣 曲垂展笑顏 觀見所映朝影而 婀娜娘子等 執而取持在手中 無曇真十鏡 負名匣蓋二上山 木蔭下暗間 花葉繁茂溪谷邊 啼囀呼鳴響 朝日飛渡越大虛 亦於夕月夜 微光幽渺野邊間 遙遙悠遠兮 鳴囀啼喚霍公鳥 穿梭飛潛而 觸羽一振散零落 澎湃藤浪之 紫花盛咲惹人愛 引攀折其枝 扱入衣袖納懷中 縱為所染不足惜
大伴家持 4192

「匂(にほ)ひたる」,發出嫣紅之光芒,引申指人面龐容光煥發之狀。
「青柳(あをやぎ)の」,美人細長之柳眉。
「細眉根(ほそきまよね)を」,「眉根(まよね)」與眉通。
「笑曲(ゑみまが)り」,微笑而柳眉自然下垂之意。
「朝影見(あさかげみ)つつ」,早朝理容時在鏡中所見之姿儀。
「真十鏡(まそかがみ)」,以上乃藉鏡箱之「蓋(ふた)」帶出「二上山(ふたがみやま)」之序。
「呼響(よびとよ)め」,底本原文「呼等米爾」,元曆校本作「呼等爾米」,蓋皆「呼等余米」之訛,改之。
「幽野邊(かそけきのへ)に」,「幽(かそけ)き」為物事朦朧,輪廓不清之狀。
「羽觸(はぶれ)に散(ち)らす」,「羽觸(はぶれ)」指鳥類飛翔時其羽翼所觸及之狀。「に」表藉由。
「袖(そで)に扱入(こきれ)つ 染(し)まば染(し)むとも」,「とも」表放任,無所謂。下文省略「よし」。

4193 【承前,反歌。】
 霍公鳥 鳴羽觸爾毛 落爾家利 盛過良志 藤奈美能花【一云:「落奴倍美,袖爾古伎納都,藤浪乃花也。」】
 霍公鳥(ほととぎす) 鳴(な)く羽觸(はぶ)れにも 散(ち)りにけり 盛過(さかりす)ぐらし 藤波花(ふぢなみのはな)【一云(またにいふ):「散(ち)りぬべみ、袖(そで)に扱入(こきれ)れつ、藤波花(ふぢなみのはな)。」也(なり)。】
 縱為霍公鳥 鳴啼振羽稍觸者 即倏凋零落 嗚呼咲盛時已過 妍哉藤浪花也矣【一云:「殆要凋零矣,惜也折枝扱袖中,妍哉藤浪花也矣。」】
大伴家持 4193
 同九日作之。

「羽觸(はぶ)れにも」,雖與長歌之「立潛(たちく)くと 羽觸(はぶれ)に散(ち)らす」類似,本文所指則更為纖細、脆弱之狀況。光是停於枝頭就令藤花凋零之樣貌。