■続日本紀
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/syokki/syokki28.htm
巻廿八始め。
■菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
039 八月十五夕,待月。席上各分一字 得疏。
一更待月事何如 疑是遙旻月步徐 為向東頭千萬報 白雲雖密意猶疏 其一 二更待月事何如 不見金輪度碧虛 雨腳忩忩雲蔟蔟 秋風為我可乖疏 其二 三更待月事何如 目倦心疲望裏疏 酒是十巡詩百詠 怪來不照我閑居 其三 四更待月事何如 鐘漏頻移意有餘 縱使清光纔透出 當勝徹夜甚簷疏 其四 五更待月事何如 物色人情計會疏 不恨雲中天已曉 應知陰雨我三餘 其五
■陸奥話記
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/mutuwaki/mutu.htm
準備中、第三まで。
■日本元号早見表
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/explain/column/gengo.htm
■富野&庵野語録倉庫
http://wijayu.at.infoseek.co.jp/
■カムナガラとは?
漢字は「惟神」、あるいは「随神」。神の御心のまま。随神の道は神道の事。
折口信夫による「神自身」「神其物」とある。
鎮魂祝詞
畏しや打ち靡く 天の限り 尊きろかも打ち続をく 地の極み 萬の物を生み出て 統べ治め給ふ 大神 世の限り有りの尽尽 落つる事無く 漏るる事無く命を分かち 霊を通はし 稜威 輝き給ふ 神の御名を 天照國照統大神と称へ奉りて言祝ぎ真祝ぎに 鎮魂の神業 仕へ奉りて 大神の厚き尊き霊威を 蒙り奉り 霊を祓ひ清めて 己が命を明め悟り 弥益益に高き 命受けむと 大神の御前に 仕へ奉らくを 命人の心の 傾き曲ひ過ち犯し悩める罪を 始めて霊に 深く負ひ持てる 先世の穢 人に代はりて負へる罪に 依りて身を苦しめ罪を 重ねて家族親族を 悩まし世の人をさえ穢し苦しむる事を 悲しみ憤りて除かむと 神誓誓し奉り 幾千の人の罪に 足掻き憂瀬に落ちて 悩めるをば我罪ぞと悟り憐れと思ひ 導き助くる事こそ 己が命ぞと 雄心高く動かし 恵みの心深く動まし 神祝ぎに御祝ぎし奉らくを 曲事禍業は 科戸の風の 天の八重雲を 吹き払ふ事の如く 悪祓ひ祓ひ去らしめ給はむ 霊輝き直霊栄へて 白玉の清き霊は 高筍の直直と 生ひ出でしめ給ひ 努しみ勇ぶる心は 初日影豊栄登に差し登りて 大神の吉祓の御蔭 蒙りて吉事に 吉事居付かせ給ひて弥弥集へる命人の霊を 清め輝かし給はむ 大神の 高き御恵み 深き導きを 頂き奉りて命を 横さの道に 迷ひ入らしむる事無く 疑ひ惑ふ事無く 真澄の鏡影も 朗らに教へ悟し給ひ 弥高き命に 廻り出でしめ給ひて 吾良く 人良く今良く 後良き成り行きに 出でしめ給はむ 各も各も楽しく 面白の心持ちて 神笑らぎに笑らぎ 笑ましめ惟神 神遊ばしめ 給はむ 斯くしこそ美し大道 畏き御教の儘に 命は美保貴彦命の 荒魂の雄雄しく 和魂の優しく 幸魂の爽やかに 奇魂の明らかに事に 及び物に当たりて 誤つ事無く 違ふ事無く 漏るる事無く 揺ふ事無く 玉鉾の玉の 真柱立ち 並ぶ命人の思ひは 大神の御心 命人の為すは 大神為さしめ給ふ事に 隔てなく 叶ひ合ひ極まりて 吾良く 人良く 今良く 後良き 神の御國を 今の現に 此れの命人より 始めて現はれ 出でしめ給ふ ぞと神祝ぎ祝ぎ奉る事を 嬉しみ尊び忝み奉りて 八平手 百平手 打ち上げ打ち亮らし 舞ひ立ち舞ひ出で 舞ひ退き舞伏しつつも 拝みも 奉らくと 白す『鎮魂祝詞』より
■カタカムナ古事記
http://www3.ocn.ne.jp/~x484kok8/kojiki.html
■駄目の台湾の証
http://home.pchome.com.tw/discover/azel4531/2005-07-02_11-39-12.JPG
http://home.pchome.com.tw/discover/azel4531/2005-72-111548.JPG
http://home.pchome.com.tw/discover/azel4531/DSCN9850.JPG
例の台湾産鍵っ子です。
■なんくるないさぁ
それはは沖縄方言で「なんとかなるさ」「だいじょうぶ、なんてことないよ」という意味です。
つまり、株式会社フォグの社訓そのもの。
■風水嵯峨さんの日記
http://www5.big.or.jp/~sword/hps/
2005-10-12、気楽にカップラーメンとの風雨来記2。
2005-10-11、靖国神社について「論じる事が出来る人」は靖国で泣かないよ。
全然違う二つの文章になりますが、ともに観てください。