毎日変わってますね...

http://nippon1.jp/news/countdown/index.html

  • 帽子屋の宴まで… あと11日
  • イムリミットまで… あと10日
  • 貪欲なる愚か者...あと09日


■和辻綾

妙なところで、私が堀部秀郎氏への追悼メールも、和辻綾を取り上げました。偶然かな...?
正直、最近色々な訃報の中でも、一番ショックを受けましたのは、堀部氏の訃報です。
亡くなった御大も沢山ありますが、堀部氏は始まったばっかりではないか、残念の上に、遺憾。*1
インタビューにある「僕たちはアナログ世代の生き残り」を見るたびに悲しくなります。
再び、ご冥福を申し上げます。ありがとう、そしてさよなら。


おまけ:堀部秀郎が死去
http://www.makonako.com/mt/archives/2006/07/post_492.html
おまけ:故 堀部秀郎氏 追悼 「ここに哀悼の意を表すともに、心よりご冥福をお祈り致します」
http://www.akibablog.net/archives/img/2006-07-11-410.html
(逆に此方はインタールードを取り上げなかった、思い入りが違うのでは...?)


菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm

315 水聲 九詠第八。


    夜久人閑也不風 潺湲觸聽感無窮 石稜流緊如成曲 疑是湘妃怨水中

菅原道真 315


大日本史紀貫之
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/dainihonsi/dns219.htm

 紀貫之,父望行,為藏人,以和歌稱。【父以下至此為望行事。】貫之能書,【紀氏系圖。】尤善和歌入妙。【清案鈔、八雲御鈔、詠歌大概。】延喜中,為御書所預。【紀氏系圖、古今和歌集序。】歷越前權少掾、內膳、典膳、少內記,轉大內記,敘從五位下,為加賀、美濃介。延長中,拜大監物、右京亮,【歌仙傳。】為主佐守。【袋草子為延喜八年事,誤。】承平中,任滿歸京師。【十訓鈔、袋草子。】天慶中,為玄蕃頭,進從五位上,遷木工權頭,【歌仙傳。】敘從四位下。【近江日野大嵩社添慶八年梁牌。】九年,卒。【歌仙傳、古今和歌集目錄。】
 初得疾,自慮不起,作歌寄源公忠曰:「手に結ぶ,水に宿れる,月影の,有るか無きかの,世に社有りけれ。」及公卒,公忠作歌而悼焉。【袋草子。】
 嘗與職友則及凡河內躬恒、壬生忠岑,奉敕撰古今和歌集,【本書序、貫之家集、八雲御鈔、敕撰次第。】貫之作序,是稱其能論和歌大體。【榮華物語、八雲御鈔。】書成上之,特旨採貫之歌一百首入選。【顯昭古今集鈔。】又撰萬葉集鈔五卷。【八雲御鈔。】後又奉敕撰新撰和歌集。尋赴任土佐,既而還京,書成未進,帝崩。貫之作序,憾不及時奏御,詞甚哀切。【新撰和歌集序、十訓鈔、袋草子。】所著紀行一卷,名曰土佐日記,【土佐日記。】傳于世。
 嘗赴紀伊,夜過和泉,所騎馬伏地不進。貫之怪之。人告曰:「此地有蟻通神。今無禮而過,豈非觸其怒哉。」貫之大驚,急下馬盥漱,詠和歌曰:「 かき曇り,あやめも知らぬ,大空に,ありとほしをば,思ふべしやは。」馬即得進。【貫之家集。○袋草子源俊褚無名鈔歌詞有異同。今不悉註。◎ありとほし,此以「有りと星」喻「蟻通し」。】有集傳于世。後人撰歌仙,推貫之為右行第一,以配柿本人麻呂,【三十六人賺、袋草子。】稱為和歌祖宗。其為世所重如此。【源親房古今集註。】
 子時文,善和歌,兼能書。歷大膳大夫、內藏助,至從五位上。貫之女為內侍,亦善和歌。【參取紀氏系圖、作者部類。】村上帝時,清涼殿梅樹枯,帝使人索他梅樹可移植者。得之西京。主人書和歌繫之樹枝曰:「敕なれば,いとも畏し,鶯の,宿はと問はば,如何に答えむ。」帝覽而怪之,使人問之。即內侍家也。帝大悔之。【大鏡拾遺集為不果移植。】著紀家六帖。【袋草子。】
 貫之姪友則。


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■「俺」「僕」「わたし」「私」と「あたし」「わし」
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一人称の事ですが、普段は「私」だけど、ネタを振るときはネタによりけりとなります。
ちなみに、この日記では日本も「にほん」が一般用で「ニッポン」がネタ用ということで(以下略)...



*1:確かに出道14年余りですが、この辺りがよっやく裏仕事から表舞台に立ち、氏の将来への期待は大きいです。亡くなった御大の方は、残念だけどお疲れ様でした、と言う気持ちです。氏への気持ちは、本当はこれからではないか、と思わない筈がありません...