■大日本史后妃伝:井上内親王・酒人内親王
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- 作者: 森田悌,黒板伸夫
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2003/11/26
- メディア: 単行本
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やっぱり、吉野皇太后は井上内親王に間違いないと思います。*1
どうして、大日本史は酒人内親王を井上内親王の娘にしなかったのでしょうか?*2その質問について、
恐らく、大日本史の大義名分論からきたのではないかと思います。
井上内親王の件、他戸とともに、連坐された者は少なくないんですが、唯一人例外したのは、酒人内親王である。
其のとき、酒人内親王がそのまま伊勢赴任に行くのです。
常識として、こういう時、斎王退下の方が余程合理なのではないか、と思います。
何故かというと、斎宮制度に多大な影響を持つ天武天皇の血脈が必要なのだ、*3と神宮の判断がしたのでしょう。
天武系から天智系へ移行する過程こそ、天武系の血が持つ井上・酒人・朝原という三代の斎王が必要であります。
なお、怨霊の話から見ると、井上内親王に対する民間の輿論や同情と朝廷の悔悛が薄々窺えます。
でも、井上内親王が復権になっても、他戸親王が復権しなかった。
それは、もし他戸親王が復権すると、桓武天皇の正統性が疑われますから。
こういう事があって、桓武天皇が酒人内親王に対して、何らの謝らなければ...の気持ちがあるでしょう。
その気持ちが、のち酒人内親王の薨伝で観られる「為性倨傲、情操不修。天皇不禁、任其所欲。」*4から窺えます。
大日本史の特色である大義名分論の上に、大友皇子の復権が鍵という気がします。
大友皇子、つまり天智・桓武系は大義であれば、天武系に悪のイメージを付くのもおかしくありません。
実は、大日本史の井上内親王伝を見る限り、井上内親王の名譽回復をしなかったのです。
一応、脚注で百川陰謀説を論及したものの、あれは信じがたいことである、と書きました。
この編輯方針によれば、桓武天皇の名譽が守れる。
そしてさらに、井上内親王と酒人内親王の関係を断絶すれば、なおさら都合が良くなります。
これにより、桓武天皇が酒人内親王に対する態度が井上内親王と無関係なものになる。
なお、井上内親王のところで天武系を没に、酒人・朝原を完全な桓武系*5になったのです。
この操作によって、天智天皇・大友皇子・桓武天皇が正統の筋書を取り、三代の斎王がそのイデオロギーの犠牲者になった気がします。
私はいつも斎王の味方です、はい。*6
たちゃなさん、斎宮志の資料を調査して下さって、*7助かりました。誠に有難う御座います。