四月馬鹿

日本人が一番重視している日は何の日?と聞かれたら、今までネットを見に来た私が断言する、四月馬鹿だ。


そういえば去年の出し物...



大日本史

 橘良基,左京人。【三代實録。】左大臣諸兄之後也。祖常主,參議。【三代實録。參取公卿補任。】父安吉雄,攝津守。良基幼而篤學,早有風概,明練治體,清正立己。仁壽三年,除左京少進。數年,遷民部少丞。天安初,太宰大貳正躬王妙選僚屬,請良基為少監。以非其好,不肯赴。帝怒,奪其官。貞觀元年,起為木工少允,邀式部少丞,尋轉大丞。六年,授從五位下,任伊豫權介,政有能聲。十一年,敘從五位上,遷常陸介。秩既滿,新司拘留不遣。十六年,朝議以無負,累擢為越前守。元慶中,進正五位下,任丹波守,以幹理稱。進從四位下,遷信濃守。勸督農耕,輕其租課,家有贏儲,戸口繁衍,治為當時之最。然而情在進取,不能以退素自守。又性強梁,無所推屈。己之所惡,雖僚佐未嘗含容焉。仁和元年,管內筑摩郡民辛犬甘秋子,為怨家坂名井子、繩麻呂等所燒居宅,家口八人焚死。秋子詣太政官訴之。遣使推訊,子繩麻呂等承服,乃使禁子繩等至京師。良基故縱子繩等,更捉秋子,令子繩等以他物毆傷秋子。秋子訴冤,太政官下符放秋子,譴責良基曰:「既遣敕使推問辨糺,若有出入,國有恒典。而牧宰任意,改行其事。為吏之道,豈如此乎。」詔少監物布勢敏行推問之。敏行還奏,良基對捍詔旨。於是,召良基下於刑部省,推斷未竟,卒,年六十三。
 良基素清貧,家無儲蓄。中納言在原行平賻以絹布,得殯葬焉。良基歷五國守,每秩罷歸,不載資糧。教子孫以潔身。子在公嘗問治國之術。答曰:「雖有百術,不如一清。」其操守如此。【三代實録。】子澄清,延喜中,至從三位中納言。【公卿補任。】澄清子忠正,敘從五位下。【橘氏系圖。】先是,王及源、藤、橘氏,皆有氏長者號,【職原抄。】其氏第一人為之。【江家次第、職員抄。】唯橘氏衰微,雖有長者號,止知學館院領而巳。【職原抄。】其氏爵以是定舉敘之。【江家次第、西宮記、職原抄。】所謂是定者,擇其人命之。【職原抄。】攝津守藤原中正妻,澄清女也,生女,侍攝政兼家,生大納言道隆。以故,詔道隆為是定。【公事根源。】自後橘氏敘爵,皆屬藤原氏。【職原抄、公事根源。】

http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm


■FLAG 白州冴子

FLAG ―戦場カメラマン・白州冴子― (HJ文庫)

FLAG ―戦場カメラマン・白州冴子― (HJ文庫)

読了。星二つ。良い悪いが共に並存している微妙さがどう評価すればいいなのかを迷ってます。
白州冴子は馬鹿だし。特殊部隊の人は一見エリートだけど色々と間抜け。
あとは説得力の無さか説明の不足か...時々突っ込まずに居られない場合もあります。*1
ええ、「も」あります。秀逸などころがそれなり秀逸だと思います。だから評価が困る。
宗教、政治の理由で、世の中が個人の望む通りにうまく動かない、そいう切なさが本作の核の一つではないか。
また、それでも微かな希望を話さない、脆くけれどもそれを信じたいというのはもう一つの核でしょう。
最後、外部の理由で全ては徒なるに。特に追記に白州冴子が文字通りイキナリ死んだのも。
そういう処は如何にも高橋節らしいに見られますが....
前述の理由によって虚しさと同時に死ぬまで間抜けだなと思わずツッコンでいた私がいる。
説得力の関係で、虚しさよりも鬱の方が本当の気持ちに近いのかも?トホホー
DEAD POINTの続篇だと期待していた私がやや不満が残ってます。



ヴァルキリープロファイル

CM聞いたら、あれ?と調べてみるとやっぱり冬馬由美だね。

私は魂を選定するもの。私と共に行く気は無いか?

http://d.hatena.ne.jp/jiubei/20060227

セシリー・フェアチャイルドの時から冬馬由美の声がとても気に入っています。


■MEMO 藤井(輝)研究室
http://www.microfluidics.iis.u-tokyo.ac.jp/index_j.html
screenshot
■MEMO 大島研究室
http://www.oshimalab.iis.u-tokyo.ac.jp/olab3/home.html
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*1:特にFLAGがラ・ポー寺院に在ったかもしれないと思った時、わざと武力突破して偵察確認すると、何もしないままアッサリと脱出。なところがけっこうアレだな...相手が侵入されたと知っても依然FLAGをそのまま置くという確信は何処から来たのでしょう。また、そういうヤツは偽造し易いし、奪還しても相手が「本物は我らの元にあり」と言われた終わりだね。だからこういう任務にどれ程の意味があるのかは疑います。色々と理不尽だな...