続日本紀以降は余り面白くない

以前も話した事が有りますが、読み物として『日本書紀』は面白いが、『続日本紀』以降は余り面白くないんです。
その要因というのは、視野の狭いからだと思います。『続日本紀』からの国史が、段々その視点が限られて、朝廷から天下を観るようになりました。例え叛乱が起こっても、その描写は叛乱そのものを描くのではなく、逆に前方の将軍が朝廷に上奏した表文として書かれていました。なんでそんな風になったのか、Munyuさんの「読者の対象としているのは、律令官人たちです。ついでに唐の人が読んでも大丈夫な体裁を整えているようですが。」との一言が良く説明したのではないか。律令官人の為の律令政治としての国史であるから、律令を従って記事も其れを強調しているのではありませんか。私から見ると、その視野が狭くなって、段々物語として面白くなくなるんです。


大日本史

 橘清友奈良麻呂第二子也。【橘氏系圖。】少而沈厚,涉獵書記。耳長六尺二寸,眉日如畫,舉止甚都。寶龜中,高麗來聘,清友以良家子、姿儀魁偉中選,接對使人。使人史都蒙善相法,問通事舍人山於野上曰:「彼少年何人也?」對曰:「京師一白面耳。」都蒙曰:「此人風骨非常,子孫大貴。」野上問命之長短。曰:「三十二有厄,過此無恙。」延曆五年,為內舍人,【文恕y實錄。】敘正五位下。【日本紀略。】八年,病卒,年三十二。清友娶田口氏,生檀林皇后。子孫貴顯,果如都蒙言。【文恕y實錄。】弘仁中,贈從三位。【日本紀略。】仁明帝即位,詔曰:「盛恕y無沫,必資加等之榮,徽烈惟照,聿修崇號之制。故敬宗尊祖,義煥曩篇;追遠飾終,不隔異代。朕外祖父從三位橘朝臣,疏基顯族,驤首高衢。外祖母從三位田口氏,毓彩芝田,騰芳償n圃。但屬運謝,已從閱川。朕以菲薄,丕承洪業,緬尋既往,想清渾之眇焉。乃詢舊章,宣縟禮而有貴。外祖父及外祖母,並宜贈正一位。山城相樂郡挊山墓、河內交野郡小山墓,置守冢各一戶。」【續日本後紀。】承和六年,贈太政大臣。【日本紀略。】八年,以相樂郡山四町為墓地。子氏公。

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm


無人ステルスジェット機、登場に向けて加速中--米海軍の航空活動を一変させる可能性
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20380403,00.htm?ref=rss
http://en.wikipedia.org/wiki/RQ-4_Global_Hawk


サイゼリヤがすげーw
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20080914/1221376683