天逆鉾

Normanさんのブログ咲-Saki-最終回レビューを見ました。
一番気になるのは、神代の「天逆鉾」と言えます。*1何故ならそれは結構慣れない名詞ですから。
調べてみるところ、「天逆鉾」は「天矛沼」の別名らしいですが、どうも形も性質も全然似非ものになったようです。
「天矛沼」だったら、伊弉諾尊伊弉冉尊が日本開闢以降、国土固成を行う頃の重要神宝です。

日本書紀に「天之瓊矛」、古事記に「天沼矛」、先代舊事本紀に「天瓊矛」と書いてあります。
古代史好きとしては忘れようもないその「天矛沼」が「天逆鉾」たる別名が有るのを知りませんでした。
調べるところで、倭姫命世記には「天之逆太刀・逆桙」、ホツマツタヱには「天逆矛」があります。
今伝えている天逆鉾なるものですが、どうかこんな金剛杵みたいな形をしています。

うぬぬぬぬ、微妙ですよね...偽書のホツマをさって置き、
手元の倭姫命世記といい、どうやら中世神話時期のものですから成程本地垂迹神仏習合が盛んでいる時期であります。
どうりで神道らしくない形となってます。丁度BBS別当寺の話も出ましたんですが、どうもこの時期はあまり詳しくありません。
と言うわけ(どういうわけ?)で、近いうち高千穂峰に立つUSO9000さんが見え見えです。はい。



大日本史

 橘清友奈良麻呂第二子也。【橘氏系圖。】少而沈厚,涉獵書記。耳長六尺二寸,眉日如畫,舉止甚都。寶龜中,高麗來聘,清友以良家子、姿儀魁偉中選,接對使人。使人史都蒙善相法,問通事舍人山於野上曰:「彼少年何人也?」對曰:「京師一白面耳。」都蒙曰:「此人風骨非常,子孫大貴。」野上問命之長短。曰:「三十二有厄,過此無恙。」延暦五年,為内舍人,【文徳実録。】敘正五位下。【日本紀略。】八年,病卒,年三十二。清友娶田口氏,生檀林皇后。子孫貴顯,果如都蒙言。【文恕y實錄。】弘仁中,贈從三位。【日本紀略。】仁明帝即位,詔曰:「盛恕y無沫,必資加等之榮,徽烈惟照,聿修崇號之制。故敬宗尊祖,義煥曩篇;追遠飾終,不隔異代。朕外祖父從三位橘朝臣,疏基顯族,驤首高衢。外祖母從三位田口氏,毓彩芝田,騰芳償n圃。但屬運謝,已從閱川。朕以菲薄,丕承洪業,緬尋既往,想清渾之眇焉。乃詢舊章,宣縟禮而有貴。外祖父及外祖母,並宜贈正一位。山城相樂郡挊山墓、河內交野郡小山墓,置守冢各一戶。」【續日本後紀。】承和六年,贈太政大臣。【日本紀略。】八年,以相樂郡山四町為墓地。子氏公。

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm

■千早 『rise』 〜偽PV風味〜

■千早 その手を離さないで・・・

ねーよwwwPがドリクラへ行っちゃったのか...
ちなみに、アイドル嫌いな私がアイマスをやってません。千早はアイドルらしくないといってもね、PVを見る程度に止まります。