またも徒然

ホツマツタヱ
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sindaimonji/hotumatutae/hotuma27.htm
巻廿七白文


前賢故実
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石川年足まで


アメリカからみた【戦艦大和撃沈】第二次世界大戦


難波宮跡近くで宮殿の白壁出土、焼けた痕跡も 日本書紀記述裏付け

 国史跡「難波宮(なにわのみや)跡」(大阪市中央区)近くで、古代史最大のクーデター「大化の改新」(645年)後に孝徳天皇が築いた「難波長柄(ながら)豊碕(とよさき)宮」の宮殿に使われたとみられる土壁の破片が大量に見つかり、大阪市博物館協会・大阪文化財研究所が13日、発表した。土壁の一部は表面が白く塗られ、宮殿が白壁だったことが判明。高熱で焼けた痕跡もあり、686年に宮殿が焼失したという日本書紀の記述を裏付けた。宮殿跡で白壁が出土したのは全国初という。
 土壁の破片は最大20〜30センチで、数センチ大のものも含めると千点以上が出土。壁は厚さ40〜50センチと推定され、建物は強固な構造だったとみられる。土壁のうち数十点は、漆喰(しっくい)か白土で白く塗られていた。天皇が国家的儀式などを行った「内裏(だいり)前殿」など中心施設に用いられた可能性が高いという。
 土壁は通常、長い年月の間に風化して粉状になるため、発掘で見つかる例は少ない。土壁は炎で赤く変色している部分があり、686年の火災で土器のように焼き固まったため、残ったらしい。
 難波長柄豊碕宮は652年に完成。686年に焼失したが、奈良時代の744年、同じ場所に聖武天皇が首都「難波宮」として再建した。
 現地説明会は16日午前10時から。JR環状線森ノ宮駅下車、西へ徒歩10分。問い合わせは大阪市博物館協会((電)06・6943・6836)。

朱鳥元年春正月,壬寅朔乙卯,酉時,難波大藏省失火,宮室悉焚。或曰:「阿斗連藥家失火之引,及宮室。唯兵庫職不焚焉。」

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