及日本姬命 徃菟道宮覽之曰 是日本中極 神風波寄伊勢宮
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sindaimonji/hotumatutae/hotuma36.htm#36
祭神宗源之 三種神器矣大恕п@ 以猿田座石 為土君神謝禮之
詔大幡主及 物部八十供奉人 五十鈴原之 荒草木根苅拂而
大石造平地 遠山近山映並木 以齋斧伐之 本末者奉於山祇
以其真中杙 廣敷立大宮柱於 底磐根峻峙 搏風於高天原而
造營悉成就
とあります。
「廣敷立大宮柱於底磐根峻峙搏風於高天原」というのは面白い表現でした。一番早く思い出させるのは、『古事記』出雲大社建立の段でした。
「唯僕住所者 如天傷寥芬q之天津日繼所知之 登陀流【此三字以音 下效此】天之御巣而 於底津石根宮柱布斗斯理【此四字以音】 於高天原 氷木多迦斯理【多迦斯理四字以音】而治賜者」実はその前の出雲神話にも「於宇迦能山【三字以音巳】之山本 於底津石根 宮柱布刀斯理【此四字以音】於高天原氷椽多迦斯理【此四字以音】而居」
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/kojiki/05_3.htm
という話があります。そこはここまで漢文風になっていませんでした。
そして『日本書紀』神代には、
「其造宮之制者,柱則高大,板則廣厚。」
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki02_1.htm
となりますから、そこまで似てません。
搏風の話なら『日本書紀』神武紀に橿原宮建立に
「於畝傍之橿原也,太立宮柱於底磐之根,峻峙搏風於高天之原,而始馭天下之天皇。」
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki03.htm#sk03_08
があります。
そして、伊勢内(外)宮神前祝詞の、
「底津石根に 大宮柱太敷立て 高天原に 比木高知りて鎮座坐す。」
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sinpaisi/jinjyanorito01.htm
も、それなり近い表現な気がします。
最後、八幡神社棟札にも、
「冬十月十八日、恒幸教左右大工、使撃神道之槌。然後、本殿・拝殿・玉垣・華表、悉皆成。仰望之、峻峙博風於高天原、柱則高太、板則広厚。速畢其功、輪奐改観者、以厳命無監神徳盛也。」
http://www11.ocn.ne.jp/~katayama/katayama4.htm
とあります。
ホツマツタヱは偽書でありながら、その作りや 和仁估の漢訳が、数多くの古典を馴染めなければ出来ない労作だと思います。ただし、ホツマの豊受大神宮は雄略天皇22年創ではなく、既に垂仁朝に丹波道主が豊受大神宮奉斎の記事が見られました。もしくはホツマに描いた豊受大神宮は今の豊受大神宮ではなく、その前身なる丹波の等由気社かもしれません。
■森喰
森林が再び広がり、至る所で村を、そして恐らくは町を破壊するだろう。インカの文明が滅亡した後、アマゾンの密林がインカの神殿や宮殿に蔓延ったように。
ジーン・ギムペル『中世の機構』
『魔道書ネクロノミコン』で見た引用、『エンブリヲン・ロード』のネタになりそう。
■猫は流体力学を知っている? 水の飲み方を科学で解明
http://www.cnn.co.jp/fringe/30000877.html
■玉世姫に興梠さん 23日に大俵まつり 玉名市 2010年11月12日
http://kumanichi.com/osusume/odekake/kiji/20101112001.shtml
玉世姫というのは玉依姫で「魂憑姫」の意味合いを持ってます。
そこで、神職家系の興梠氏を起用するのは、いい目をしてると思います。
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E6%A2%A0>興梠(こうろぎ、こおろぎ、こうろき など)は日本人の姓である。漢字・読みともに希少かつ難しいが、宮崎県の高千穂や五ヶ瀬、熊本県の阿蘇では比較的多く見られる。「梠」とは「軒」の意味であり、「興梠」とは「軒のあがった家(立派な家)」を指すとされる。また、日本神話の「神呂木(カムロギ、カムロミ)」に由来するとも言われる。同様の読みをするものに、「興梠木」「溝呂木」「趣梠」「奐梠」などがある。<<
ごおろぎ←分かる人だけ分かってください。