やっぱり読めぬ...

前賢故実
大蔵善行以降がやっぱり識別率が悲惨でした。
紀友則

紀貫之

共に分かりません。

唯一特定できるのは凡河内躬恒でした。

 凡河內躬恒,善和歌,與紀貫之壬生忠岑等並稱。【八雲御鈔。】?平中,為甲斐少目。【古今和歌集序、敕撰次第。?平中據歌仙傳。】醍醐帝召之候御書所。【大鏡。】延喜中,候御廚子所。【家集。】歷丹波權目、【歌仙傳。】淡路權掾,【作者部類】遷和泉大掾,【歌仙傳、大鏡裏書。】授六位。【大鏡裏書。○作者部類作五位。】與撰古今和歌集。【本書序、八雲御鈔、敕撰次第。】帝嘗召躬恒於階下問曰:「以月比弓弦,其義如何?汝其作歌以對。」躬恒即詠曰:「照月を(氐流津岐遠),弓張としも(由美波利斗志毛),言ふ事(以布古斗)は(波),山邊を指して(捓摩倍遠佐志氐),いればなりけり(以禮婆奈利計利)。」帝甚嗟賞,賜御衣。【大鏡、大和物語。】其家有櫻樹,每花盛開,賓客填門,躬恒有感於世態,謂花落無復至者。乃作歌曰:「我が宿の(和我邪駑能),花見がてらに(波奈美我氐羅珥),來る人は(坎流比斗波),ちりなむのちぞ(知利奈牟能知層),戀しかるべき(古比志加流倍喜)。」世傳稱焉。【古今和歌集目録】

まさに『大日本史』そのままでしたから。
さらに出典は大和物語【百三十二】や大鏡でした。

おなしみかとの御時躬恒をめして月のいとおもしろき夜御あそひなとありて月をゆみはりといふはなにの心そそのよしつかうまつれと仰給ひけれはみはしのもとにさふらひてつかうまつりける

照月をゆみはりとしもいふことは山へをさしていれは成けり

ろくにおほうちきかつきて又

白雲のこのかたにしもおりゐるは天津風こそ吹てきつらし

http://etext.lib.virginia.edu/japanese/texts/AnoYmtm/f-horizontal0-0.html

  こと夏はいかが鳴きけむほととぎすこの宵ばかりあやしきぞなき W
それをだに、けやけきことに思(おも)ひ給(たま)へしに、同じ御時、御遊びありし夜、御前(おまへ)の御階(みはし)のもとに躬恒(みつね)を召(め)して、「月を弓張(ゆみはり)といふ心はなにの心ぞ。これがよしつかうまつれ」と仰(おほ)せ言ありしかば、
  照る月を弓はりとしもいふことは山辺をさしていればなりけり W
と申(まう)したるを、いみじう感ぜさせ給(たま)ひて、大袿(おほうちき)給(たま)ひて、肩にうちかくるままに、
  白雲(しらくも)のこのかたにしもおりゐるは天(あま)つ風(かぜ)こそ吹き手きぬらし W

http://j-texts.com/chusei/rek/fokgmall.html

もう一つは古今67

わが宿の花見がてらに来る人は散りなむのちぞ恋しかるべき

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk01.htm#067

白女は古今集に一首しかありませんから、アレでしょうと思いますが全然読めませんので仕方ありません。
http://home.cilas.net/~jikan314/yamatoeiga/jikun3.html#10-50
出典は『十訓抄』でした。
一応関連画像を張ろうか...

追記:
紀貫之集』巻十

 紀の国に下りて帰り上りし道にて、俄に馬の死ぬべく病ふところに、道行く人々立留りて云ふ「これは、ここにいまする神のし給ふらん。年ごろ社もなく、しるしも見えねど、うたてある神なり。さきざきかかるには命をなん申す」と言うに、御幣もなければ、何わざもせで、手洗いて「神おはしげもなしや。そもそも何の神とか聞えん」と問へば「蟻通の神」と言ふを聞きて、よみて奉りける。馬の心地やみにけり
かき曇りあやめも知らぬ大空にありとほしを(在リト星ヲ)ば思ふべしやは

http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkcwx505/Nohpage/Nohfurusato/Furu02Aridoshi/NohFuru02.html


■読了

前回より見せ場が多いのですが、やっぱり展開が遅いというイメージがあります。
普通、小説一冊でOVA3話分が出来そうですが、これで二冊で1話分という感じがあります。
最期に親子を引き合わせるのが、作者の善意だと思います。普通、擦れ違いそうですから。