和歌

詞花和歌集巻第七【恋上】229 題不知
瀬を速み 岩にせかる滝川の 割れても末に逢はむとぞ思ふ

新院御製(崇徳上皇)




現代語訳(岩波書店金葉和歌集詞花和歌集』より)
岩に塞かれている滝のような急流は、瀬の流れが激しいので岩で砕け割れるが、下流でまた合流するように、逢瀬を塞かれている私も、なんとしてでも行く末はあの人に逢いたいと思う。

  • 本歌は『日本書紀武烈紀にで武烈天皇が鮪臣との対歌である。
    • 大太刀を 垂れ佩き立ちて 抜かずとも 末は足しても 遇はむとぞ思ふ
  • 瀬を速み:九安百首では「行き悩み(ゆきなやみ)」と言ふ。
  • 滝川の:たきかわ、滝の如き奔流。(「の」は「ように」の意味。)
    • それ以外、谷川(たにかは)と言ふ伝本もある。
  • われても:波が砕け割れるの意味に、心を砕く意を掛ける。
    • 伊勢物語六十九段にで「をこと、われて逢はむと言ふ」がある。
    • また、「宵の間に出でて入りぬる三日月のわれて物思ふ頃にもあるかな」がある。
  • 上句は「われて」の序でありながら、恋の比喩でもある。
    • 万葉集巻十一「高山ゆいでくる水の石に触れ破(われて)ぞ思ふ妹に逢はぬ夜は」がある。
  • 悲恋以外、宮廷内紛に翻弄され政争の犧牲として譲位した院の無念と将来に賭ける執念もある。

参考:岩波書店金葉和歌集詞花和歌集』、やまとうた等。

  • 久遠の絆では、運命に翻弄された悲恋と転生を繰り返し続ける人々の事を喩す。
  • 例えどんな過酷な運命に遭っても、再会を信じて転生する、精一杯生きる人々たち。
  • 齋栞は第三章現代篇にで意識混乱しながら、東大寺の湖畔で下意識的にこの和歌を唄う。