王仁

時間が無いので、同じく既有ネタにします。m(__)m


 菊池容齋『前賢故実』より


【應神朝】王仁(わに)

 王仁阿直岐,并百濟人也.
 初百濟王阿花失禮,應神天皇敕削封疆.阿花懼,使其子阿直岐,來朝謝罪,貢良馬.阿直岐素通經典,天皇使皇子稚郎子,從學焉.阿直岐更薦其國學士王仁.天皇徴之.
 明年,阿花使王仁來,獻論語及諸書.無幾,阿花卒.敕遣阿直岐繼王位,複賜其所削地.
 後天皇崩,皇太子知其兄大鷦鷯賢,以天位讓之.大鷦鷯固辭.相讓三年,太子決意自殺.群臣勸進,猶未聽.
 王仁久在本朝,通國語,乃作梅花歌獻之.大鷦鷯尊於是初踐祚矣.

『前賢故實』王仁


色々な処が『日本書紀』の「王仁=應神」説がありますが、私はそう思ってない。
その原因は、『古事記』にも「王仁」についての記事がありますが、「和邇(わに)」と書ったのですから。
確かに、「王仁」は「オウジン」でも読みます。そこは「王仁=應神」説の支持者の立論になります。
が、しかし、万葉仮名を使う『古事記』には「オウジン」ではなく、「ワニ(和邇)」と書くのはおかしいじゃないか?
もっとも『日本書紀』より『古事記』の方はより読み方を重視してます。
ですから、「王仁」は「ワニ」と読むのは間違わないと思います。