時間が無いので、以前書いたものをネタにします。>
祓戸四柱神とは、瀬津比咩神(せおりつひめのかみ)、速開都比咩神(はやあきつひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、速佐須良比神(はやさすらひめのかみ)です。
この四柱神の名前は、祓詞に有りながら、記紀で見られません。
それは、祓詞の独創神ではなく、実は別の名を使ってるじゃないか。
『日本の神々の事典―神道祭祀と八百万の神々』では、以下の同神説を提倡します。
瀬津比咩神=八十枉津日神
速開都比咩神=速秋津日子・速秋津日売二柱神
気吹戸主神=日神直日大直毘神
速佐須良比神=須勢理毘売命
この件、 一部の引用出典は『倭姫命世紀』 です。
一つ、荒祭宮の条には:
八十枉津日神也.一名,瀬織津比咩神
倭姫命世紀より
一つ、多賀宮の条には:
名-伊吹戸主,亦名-日神直日大直毘神,是也.
倭姫命世紀より
参考、『倭姫命世紀』原文の電子テキストはこちらで。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/sintou_gobusyo/yamatohime01.htm
また、『神話浪漫館』と言うサイトは、現代語訳があります、他も色々あります。
http://nire.main.jp/rouman/sinwa/sinwa.htm
下の両件は『日本の神々の事典』から引用、吉田神道説には、中臣祓解によるこの記載があります。
「速開比都比咩トハ月神ノ御事也.或ハ水門神トモ申也」
中臣祓解より
でも、「潮の八百会に坐す」について、異論があります。
このために、本居宣長のが以下の説明によって、「速開比都比咩ハ水門神トモ申ナリ」の部分を賛同した。
速秋津日子・速秋津日売二柱神は、古事記に水戸神と有るを、此に塩の八百会に坐と云るは甚く処違ひたれども、是に深き由有り。其は潮の八百会はこの顯国の海上の堺にて、根の国方へ潮の沒往の門口なれば、此亦彼方の水戸なり。
中臣祓解より
このように、吉田神道説を肯定します。
最後、同じ本居宣長氏が速佐須良比咩についての説明は:
大国主神が八十神の禍事によっり根の国におもむき、須勢理毘売のじゃからいにより顯国へ帰り、大事な仕事をする事ができた。これは速佐須良姫の神徳により、人々が罪穢れを祓い福を得るのと、ことのおもむきが同じである。世の中の凶事は全て黄泉国にはじまり、結局また黄泉国に帰るのが祓いの本義であるという。
ですが、今度、本居宣長説は吉田神道説と違います。(中臣祓解:「須佐之男ガ根の国二座ス時、速佐須良ひめト申ス」)
ちなみに、倭姫命世紀が偽書とされますが、作者を先人仮託の事を除て、同じく神道五部書の他より、倭姫命世紀の内容は大丈夫だと思います。
本来、日本は八百万の神々の国から、諸説あるのも当然の事です。
例えば、ホツマツタヱ(また偽書)では、蛭子を蛭姫(昼姫)こと和歌姫に、女神になります。そして天照大神を男神になったことも。
あと、ホツマじゃないが、豊受姫命も、男神説女神説がともにあります。
つまり、記紀以前は諸説あるの状態だと考えられます。馴染めの神々は、限れない数の伝説から整合したモノ。
例え、記紀では飽食神を殺した神が違います。それは、整合の時がどの伝説に誰が誰と同神なのか、という独自の解釈が違うからのではないか?(最初から関係ないの可能性もあります。)
同じ事で、天武天皇が記紀を作ろうと詔したとき、或る原因(政治か皇統か地位かいろいろ)によって、祓戸四柱大神をそれぞれ別の名を書きましたが、こういう自分にとっては不利のものを史書によって変更すること、記紀だけに限らず、中国の史書も沢山あります。
ですが、御禊祓は大事なことだから、その畏みの関係で、中臣祓まで変更することがしないではないか。
例えば壬申の乱のち、物部麻呂が石上麻呂に改名したが、鎮魂祭の時がわざと物部の名を用いたのも似ている状態ではないかと独断に思います。
以上、中臣祓解と本居宣長の学説は、日本の神々の事典から引用したものです。
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殆ど未整理のため、雑文乱文どうもすみません。