メモ

本居宣長『玉かつま』

漢義からごころとは、漢國からくにのふりを好み、彼の國をたふとぶのみを言ふに非ず、大かた世の人の、よろづの事の善悪是非よさあしさあげつらひ、全てみな漢籍からぶみの趣なるを言ふ也、去るは漢籍からぶみよ読みたる人のみ、然るには非ず、書と言ふ物一つも見たる事無き者までも、同じこと也、そも漢籍からぶみを読まぬ人は、去る心にはあるまじきわざなれども、何業も漢國からくにを良しとして、彼を真似ぶ世の習ひ、千年ちとせにも余りぬれば、おのづからそのこころ世ノ中に行き渡りて、人の心の底に染み付きて、常の地となれる故に、我は漢義からごころも足らずと思ひ、これは漢義からごころに非ず、當然理也しかるべきことわりと思ふ事も、なほ漢意を離れかたきならひぞかし。

『漢字と日本人』より転載

こんな和語ばかりの文章、多分私には生まれ初めて見たのだと思います。