ハードの日々

先生に「そんなに疲れたらちょっと寝た方がいいぞ。」といわれました。


菅家文草
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225 書懷贈故人


    在遠相思一故人 花前月下海邊春 劉歆舊說君聞曲 莫黨同門妒道貞

菅原道真菅家文草』巻第三0225


神武天皇詔敕謹解

    • 昔我が天つ神、高皇產靈尊、大日孁尊、此の豐葦原の瑞穗の國を舉げて、我が天つ祖、彥火瓊瓊杵尊に授け給ひき。ここに彥火瓊瓊杵尊、天の關を闢き、雲路を披きて仙蹕を駈せて戾りましき。是の時に、運は鴻荒に屬ひ、時は草昧に鍾れりき。故、蒙くして正しきを養ひ、此の西偏を治らしめしき。皇祖皇考、神にしてまた聖にましまし、慶を積み、暉を重ね、多に年序を歷たり。而はあれど、遼邈なる地、猶いまだ玉澤に霑はず、遂に邑に君あり村に長あり、各自疆を分ら、用ちて相凌き礫らしむ。抑又、鹽土の老翁に聞けるに、東に美き地あり、青き山四に周れり。其の中に亦、天の磐船に乘りて飛び降る者ありと曰しき。余謂ふに、彼の地は必天業を恢弘くし、天の下に光宅なる足りぬべし。蓋し六合の中心か。厥の飛び降りし者は、謂ふに饒速日か。何ぞ就きて都せざらめや。
  • この詔敕は、始めに天孫降臨の御事蹟に就いて仰せられて居る。「昔我が天つ神」から「此の西の偏を治らしめしき」までがそれで、今假に第一節とする。次に天孫降臨以後の御事蹟、及び當時の實情に及ばれて居る。「皇祖皇考」より「用ちて相凌ぎ礫らしむ」までがそれで、今これを第二節とする。次に鹽土の老翁の言を舉げさせられ、東方に善き國の有る事を仰せられれ、その地に都すべき事に及ばれて居る。「抑又」から「何ぞ就きて都せざらめや」までがそれで、今これを第三節とする。斯くの如く便宜三節に分つてその御旨趣を謹解しょうと思ふ。
     第一節、大意、昔我が天つ神にまします高皇產靈尊と大日孁尊天照大神の御事。)とが、この豐葦原の瑞穗の國を舉げて、我が祖先にまします彥火瓊瓊杵尊にお授けになつた。そこで彥火瓊瓊杵尊が天の戶をお開きになり、雲の八重立つ道を押し分けて、先驅の者を先立ててお降りになつた。この時に、世は未開化の狀態であつたので、これに應じて正しい道を養ひ給ひ、この西の方面を御統治に相成つた。