あの・・・アドルさん・・・・せまいです・・・ 158:84:56:85

■あの・・・アドルさん・・・・せまいです・・・ 158:84:56:85

何やってんの!



メイドが好きじゃない、その反面に姫神が大好き。考えてみればメイドって主従関係があまりも明確という事からなのではないと思います。
ロボットが好きなんですが、アンドロイドにはちょっと...というのも同じく、物語の中でアンドロイドがいつも人になるように頑張っているのはモチーフの定番なんですが、機械なら機械で殊更上へいけるかもしれない可能性を忘れず、デウス・エクス・マキナでも目指そうの方が私的気が合います。
ですから、女性に求めるものも、殊更上へ目指すべきなのではありませんか。


300<スリーハンドレッド>特別版(2枚組) [DVD]

300<スリーハンドレッド>特別版(2枚組) [DVD]

 先日、ようやく300<スリーハンドレッド>を鑑賞致しました。
 アヴァロンから始まるような方法論もここまで成れるとは嬉しい事です。絵では「加え」により作者の意図を現れるですが、撮影になると「消す」によって其れを為します。アヴァロン類の場合、「添え」も「消す」はどちらも可能で、その自由度は類比にならないほどの境になるはずです。ちなみに、音響を弄ったことも明白です。あと、フルコマならぬ「貯め」によるアクション演出も如何にも東方的方法論が窺えます。例え「最初は添え・消す両方ともやったのですが、最後は殆ど消すだけになっています。」という押井監督の証言(イノセンス創作ノート)があるものの、その消すにしても昔より遥かな自由度を実現できるため、この手の映画はどこまで進化できるのは楽しみです。



 そして、憑座なるオラクルの少女がトランス状態になってご宣託を伝えたビジュアルは綺麗過ぎます。依童といえば、神子・即ち巫女ということでもあります。そこに託宣師が敵国と組む事により、無実な宣託が伝わった事が大変面白いと思います。『日本巫女史』精神文化に於ける巫女の職務にはこう言いました。

 巫女の發生を「於成(をなり)神」信仰に在ると考へた私は、更に神其の者としての巫女の位置を說かねば成らぬのであるが、我が古代の文獻に現はれた所では、既記の如く、巫女の社會的位置は一段と引き下げられて、漸く神の代理者、又は神と人との間に介在する憑座(ヨリマシ)としてのみ傳へられ、神託を宣べる時だけ神として崇拜されたのみで、更に民俗に見るも、傳説に徵するも、巫女を神其の者として信仰した事象を捉へる事が困難なのである。

 それはつまり、巫女たる存在は、「神そのもの(つまり姫神)→神の代理者(巫女王)→神と人との間に介在する憑座(神主)→輔助神職」という風に、社會地位が段々引き下げられました。どうしてこういう事になるのか、男性の介在は重要だと思います。女性の神性は何処から来たのは、先ずは生命を生み出す産霊的な力に、シャーマンになりうる高度感受性やトランス状態に成り易い事も相俟って、自然に神性として崇められたのだと思います。ですが、男と言うものは権力欲の深い生物であり、『魏書倭人伝』に「女王」と「男弟」があり、それは大和では斎宮天皇琉球王朝では聞得大君と男王、姫彦制と言いヲナリ・エケリと言い、女性の「マツリゴト」は「祭事」で男性の「マツリゴト」は「政事」という事からも良く分かると思います。祭政一致から祭政分立になっても、神意を都合よい解釈する力を、政を司る男性が欲しかったのではありませんか。そこに、社會地位の引き下げになる鍵があると思います。
 「憑座なる少女」と「託宣師たる老男」。まさに「神主」と「審神者」という図式を描いたのではありませんか。『古事記』では神功皇后が神主で武内宿禰審神者、『日本書紀』に成ると神主は依然として神功皇后でありながら審神者は中臣烏賊津使主になります。つまり、憑座として女性を排除不可能だとしても、「審神者(男)」によってトランス状態な「神主(女)」の宣託をアレンジすることは可能なのかもしれません。特に藤原氏では日本権力者の権化だけあって、そういうことはやりかねないと思います。『古語拾遺』では「中臣・齋部二氏、相副奉禱日神。猿女之祖、亦解神怒。然則三氏之職、不可相離。而今伊勢宮司、獨任中臣氏、不預二氏。所遺三也。」「神祇官神部可有中臣・齋部・猿女・鏡作・玉作・盾作・神服・倭文・麻績等氏、而今唯有中臣・齋部等二三氏、自餘諸氏、不預考選、神裔亡散、其葉將絕。所遺十也。」があります、藤原の前身たる中臣だけ残って、他の神職部族が段々排除される羽目になります。『古事記』で武内の仕事が『日本書紀』では中臣の仕事になるのも、この辺の働きがあるのではないかと思います。なお、その流れが続くと、巫女が輔助神職に成り下げるのも無難な事だと思います。ちなみに、今の巫女は結髪・束髪が大事なのですが、『日本書紀』天武紀によれば昔のかんなぎにとって、黒髪ストレートロング垂髪が大事だとわかりますなぜなら長い髪の毛だったからこそ、巫女の神がかりすることが保証されていたようにも受け取られたそうです。
 自分の中の神なる女性像は巫女であり姫神である、現代の巫女よりも男性の介在なし形こそ美しいだと信じております。故にメイドだの、パンチラだの、男性の介在がはっきり過ぎるフェチシスムが好きにならないのではないかと思います。「元始女性は太陽であった。−平塚雷鳥(1886-1971) 」それを目指して世間中の女性像をも維新復古できるように願いたいと思っております。




追伸:『古エッダ』巫女の予言はなんと静かなイメージのもつ挿絵がついています。これでは巫女より聖書の先知のイメージに近くなりますね。
できれば長元託宣事件みたに、狂乱な様相を現れてくだされば、もっと鬼気めいた「顕神明之憑談」な雰囲気にも成るでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E3%81%AE%E4%BA%88%E8%A8%80



■【けんぷファー】三郷雫まとめ

けんぷファーそのものにはそんなに興味がありませんが、雫会長はいい会長でした。
会長の為にアニメを見よかと迷ったのですが、まとめて下さって感謝。って、あの最終回はないだろう。普通。



喰霊の台湾版DVDが!
http://www.prowaremedia.com.tw/091211-order.htm
経済的問題で日本版DVDを全巻購入することをできませんでした。ううう買わなきゃ...