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中山太郎日本巫女史』電子テキスト化プロジェクト
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http://miko.org/~uraki/kuon/furu/explain/column/miko/book/hujyosi/hujyosi01.htm
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日本巫女史

 此記事に據れば、太詔詞は全く呪文であつて、然も其の呪文の幾種類かが悉く太詔詞の名に依つて傳へられてゐる事が知られるのである。勿論、私とても僧侶の手に依つて著作された此種の文獻を、決して無條件で受容れる者では無いが、兔に角に祝詞の本質が古く呪文であつた事、及び此書の作られた南北朝頃には、未だ太詔詞なる物が存してゐた事等を知るには、極めて重要なる暗示を與へる物と考へたので、斯くは長長と引用した次第である。殊に注意し無ければ成らぬ事は、此記事に據れば、天兒屋命は純然たる公的呪術師であつて[八]、神事の宗源とは即ち呪術である事が明確に認識される點である。未だ太詔詞に就いては、記したい事が相當に殘つてゐるのであるが、其れでは餘りに本書の疇外に出るので省略し、更に太詔戶命の正體に就いて筆路を進めるとする。
 伴信友翁は「太詔戶命と申すは、兒屋命を稱へたる一名なるべし。﹝中略﹞名に負ふ中臣の祖神に坐し、果た卜事行ふにも、神に向ひて、其の占問ふ狀を祝詞する例なるに合わせて、卜庭に祭る時は、太詔戶命と稱へ申せるにぞあるべき。」と考證されたゐるが[九]、私に言はせると、是れは伴翁の千慮の一失であつて、太詔戶命とは即ち太詔詞の言靈を神格化した物と信じたいのである。畏友武田祐吉氏の研究に據れば、

 言靈信仰は、自づから言語を人格神として取扱ふに至るべき事を想像せしめる。其例として、辭代主神・一言主神の如き、言靈神では無いかと思はれる。辭代主の屢ば託宣するは史傳に見ゆる處であり。一言主も亦『鄉土研究』に據れば[十]、良く託宣した事が見えてゐる。善言も一言、惡まが言も一言と神恕yを傳へた其の神が、言靈の神であるべき事は想像せられ易い。

 とあるのは至言であつて[十一]、私は是等の辭代主・一言主に、更に太詔戶命を加へたいと思ふのである。伴翁は太詔戶命と共に卜庭の神である櫛真知命は波波加木の神格化であると迄論究されてゐながら[十二]、何故に太詔戶命の太祝詞の神格化に言及せられ無かつたのであるか、私には其れが合點されぬのである所謂、智者の一失とは此の事であらう。前に引いた『龜兆傳』の太詔戶命の細註にも「持神女、住天香山也,龜津比女命。今稱天津詔戶太詔戶命也。」となりと明記し、兒屋命と別神である事を立證してゐる[十三]。太詔戶命は言靈の神格化として考ふべきである。


大日本史

 道島島足,陸奧牡鹿郡人。體貌雄壯,志氣驍勇,菩騎射。本姓丸子,勝寶五年,改賜牡鹿連。寶字中,為授刀將曹,奉詔與坂上苅田麻呂,射殺惠美訓儒麻呂,以功擢從四位下,賜宿禰,補授刀少將,兼相模守。神護中,授勳二等,陞近衛員外中將,賜姓道島宿彌,至正四位上。景雲初,為陸奧大國造。寶龜中,兼下總守,入為內廄頭,兼播磨守。延曆二年,卒。【續日本紀。】

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