天慶六年竟宴和歌

■天慶六年竟宴和歌














http://books.google.co.jp/books?id=28O2nYpYpBMC&lpg=PA1&dq=%E7%B6%9A%E7%BE%A4%E6%9B%B8%E9%A1%9E%E5%BE%93&pg=PT66#v=onepage&q&f=true


マルドゥック・スクランブル


■古代人の宇宙観
http://homepage2.nifty.com/AXION/contents/fiction/004.html
小学時代、インド人の宇宙観を初見した時、感心せずに居られませんでした。


■Hermetica Communication
http://tlolaymen.pixnet.net/blog
ヘルメス、カバラなど。


■再臨詔車
http://forza.game-host.org/media/bbs/image/186808.jpg
http://forza.game-host.org/test/read.cgi/bbs/1213701997/?i=on


パワースーツ


■聖獣 蛇(文献集)
http://www.karakusamon.com/hebi_img.html
■蛇と日本文化
http://aitech.ac.jp/lib/kiyou/40A/A11.pdf


■ヤマト

キムラ違和感半端ない


■極道の花嫁


マヤ文明ツンデレーション世紀末オカルト学院


■台湾でも機銃掃射を喰らったのか

ある日疎開地で、突然米軍の戦闘機が何機も低空で近くの曾文渓河畔に向かって猛烈な機銃掃射を始めたので、従兄と私は庭にあった煉瓦積みの井戸のそばに身を沈めた。のちほど聞いた話だが、米戦闘機隊は日本兵が河畔の平地に不時着して修理をしていた友軍機に近寄らないよう、空中から機銃掃射でその友軍機が修理を終えて飛び立つまで、援護を続けたとのことだった。

http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2010-04-12

台灣での機銃掃射の一例。日本本土に比べれば圧倒的に少ないと思われます。
が、この例も、日本軍機の不時着にかかわり、日本で行った、明らかに「非戦闘員」を狙い撃ちした機銃掃射とは完全な同じものとは違います。


どころで、台湾での機銃掃射を調べてみると、二二八事件にかかわる機関銃掃射の説がインターネットで流布しています。私が実際に目を通った口述史では、第一人称視点による民間人に対して機関銃掃射の史料は寡聞ながら聞いたことがありませんでした。勿論「誰かから聞いた」というのが除外させていただきます。あの時は風説がはやっていますから。実際、基隆でも(駅からウチの学校の途上にある)某基地により山越の砲撃を行った風説が未だに流行ってますが、その性能と仰角を考えると物理的不可能でした。
まぁ、二二八は専門外ですから、まだ見ぬ信憑性のある資料に同時実際に機関銃掃射の情報もあるかもしれません。今度知り合いの歴史家に聞いてみようか...


ちなみに、余談ですが、電撃戦について、ハインツ・グデーリアンのその発想はベイジル・リデル=ハートから得たという風説が有名ですが、その原因はグデーリアン回顧録には「リデル=ハートの論理を感謝すべき」と述べたからでありますが、例の句は回顧録原文にはありませんでした。つまり、例の句の初出は回顧録原文ではなく、リデル=ハートのもとで出版した英訳本こそリデル=ハートの論理を電撃戦のルーツに位置付けを行いました。しかし、それは勝手にやったわけではなく、一応グデーリアンの合意を求めてからやったのです。往復書簡によると、リデル=ハートがグデーリアンに「この一文を付けたいのですが如何でしょうか」と聞いて、グデーリアンもそれを同意したわけです。戦時、リデル=ハートは間接アプローチ戦略を提出したが、実戦にいては寧ろ保守で機動作戦には反対した。己の地位を持つために、電撃戦について既に先見の明を持った事をアピールするために、英訳版にはある程度の加筆を熱望したのです。そしてグデーリアンも然り、敗戦の将としてこういう戦法は歴史の必然であって別に自分ありき故の結果ではないと言いたいと思われます。