初代

■初代・善悪二元論


 其者、善を行う魂なれば、悪無くして生きられぬ。己を善なる者と信じねば、築上げた屍山血河に圧殺されると恐怖する故。我が討ったのは悪しき者。滅ぼされて然るべき邪な者。ならば我は正当なり。罪の意識等持っておらぬし持ってはならぬ。世には正義と悪がある。我が滅ぼして良い邪悪が要る。人は二種のみ。で無くば戦乱を許容出来る筈も無い。
 故に其者、天を二つに分断した。善なる者と悪しきもの、光と闇が喰らい合いながら共生する空を流れ出させた。人が神座という巨大な力を生出した時代、その争奪によって疲弊し切った世に生まれた身であればこそ、二元論に逃げ込まねば生きて行けなかった哀れな女。これぞ始まりの理、始まりの座、初代の神が背負った真実の総てである。


 以降、神座が奪い合いを常とするようになったのも、或いはこの神の呪いやも知れぬ。戦乱は無限に続く。始まりの座がそうした理を生んだのだから、この宇宙に真なる平和は有り得ない。その結果を見届ける為、女と共にあった男は永劫の流離を自身に課する。あらゆる宇宙、あらゆる座、あらゆる戦乱期の中枢に関わり続け、さりとて主演には断じて成らず、女に操を捧げたまま、不能者として物語を流れていく者。
 どうのような座の理からも、ある意味で外れている特異な存在。我等はこの男を、観測者と呼んでいる。そしてこの男が現れた時こそ、輙当代の座が亡滅する兆しである。故に、この文を読んだ者に強く願う。どうか御身よ、観測者と出会っていてくれ。アレは滅びるのだと言ってくれ。我らが生み出したあの者は、存在してはならぬ者だったのだ。

■二代・堕天奈落(畜生道


 其者、二元論に於ける善側の王の一人として生まれるものの、完全なるその善性から、悪を滅ぼし尽くせぬ己に悲憤を抱く。我と我が民たちは善故に、縛る枷が無数にある。犯せぬ非道が山程ある、それは戦に於いて致命的な遅れを生むと判っていても、善である以上は決行できない。事実、善の側は開闢以来、常に劣勢へと立たされていた。善とはそうでなければならないという理の元、世界の覇権を狙うのは常に悪。敗亡の淵で足掻き続ける光こそが善なれば、男は常勝の王たり得ない。
 民を守れぬ、兵を生かせぬ。善たる己が悪を一掃出来ずにいる。その不条理に掛ける憤りが有した重量は、悪が無ければ存在できぬという始まりの理を凌駕した。我が民達よ、悪を喰らう悪と成れ。一つで良い、その魂に獣を飼うのだ。
 聖者の堕天──新たな理は、天下万民に刻込まれた原罪として具現する。男の法はある意味、二元論以前の状態に世を戻したとも言えるだろう。人は誰しも、心の中に一塊の闇を持つ。そうした自然さを取戻したという意味でなら、男は偉大な存在だった。彼こそ尤も人に近い神座であろう。罪を抱いて堕天せよ。禁断の果実を食さねば、人は人たりえない。これぞ二代目の理、二代目の座、二代目の神が背負った真実の総てである。


■三代・悲想天 (天上道) [PARADISE LOST] Satanail


 其者、ただ何処までも潔癖だった。他者は元より、己に宿る罪それ自体が許せ無かった。原罪という獣を魂に持つ人の世は、文明の爛熟と共に腐り始める。それは当然の事であり、破壊と再生の円環こそが二代目の理なのだが、男はそれを許容できない。
 一度目の過渡期に於いて中心に立った男は、既存文明を破壊するという所業を前に極限を超えて悲嘆した。我は何と罪深い悪なのか。我のような者を生んだ存在は、何と底知れぬ痴愚なのか。罪を拭わんとするその祈り、救済の嘆きを持って男は座を塗り替える。あらゆる罪業の駆逐された、穢れ無き純白の天上楽土。
 歴代の座に於いて、人の悪性を完全に駆逐したのは彼一人。その清さ、その聖性。彼こそ神と言う概念に対する、尤も普遍的な印象を具現させた者と言えるだろう。清らかであれ。罪を犯すな。我欲を捨てろ。だがその徹底した潔さ故、この治世に人間性は存在しない。完璧な管理社会であり、数理的な整然さのみが満ちている。合理的、かつ論理的。人の愚かさを理解しないし認めない。
 それは男の性質そのままであり、ならばこそ亀裂が走れば退陣する事を迷わない。我の法に過ちが有ったなら我は要らぬと、責任感という我執が欠如した在り方。万象、まるで電子の機械の如く。これぞ三代目の理、三代目の座、三代目の神が背負った真実の総てである。