『Dies irae』アニメ化プロジェクト、万葉集試訳

■『Dies irae』アニメ化プロジェクト
業界に衝撃『Dies iraeクラウドファンディング初のTVアニメ化!2017年夏以降14話以上を放送予定
http://cupo.cc/archives/99408

アニメ化記念原画展
日時:2016年1月9日〜11日
場所:文化放送ディアプラスホール(〒105-8002 東京都港区浜松町1-31)
参加条件:関連商品の購入

どう証明するですね、俺はめっちゃ買ったけど


万葉集試訳

0162 天皇(天武)崩之後八年九月九日,奉為御齋會之夜,夢裏習賜御歌一首 【古歌集中出。】
 明日香能 清御原乃宮爾 天下 所知食之 八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 何方爾 所念食可 神風乃 伊勢能國者 奧津藻毛 靡足波爾 鹽氣能味 香乎禮流國爾 味凝 文爾乏寸 高照 日之御子
 明日香(あすか)の 清御原宮(きよみのみや)に 天下(あめのした) 知召(しらしめ)しし 八隅治(やすみし)し 我(わ)が大君(おほきみ) 高照(たかて)らす 日皇子(ひのみこ) 何方(いかさま)に 思(おも)ほし召(め)せか 神風(かむかせ)の 伊勢國(いせのくに)は 沖藻(おきつも)も 靡(なみ)たる波(なみ)に 鹽氣(いほけ)のみ 蟬(かを)れる國(くに)に 味凝(うまこ)り 文(あや)に羨(とも)しき 高照(たかて)らす 日皇子(ひのみこ)
 寓宇明日香 飛鳥淨御原宮間 經緯天之下 八紘四海所知馭 八隅治社稷 經綸恢弘我大君 空高輝曜照 日嗣諸皇子 彼等想如何 皇子念君情依依 其自神風之 浪重浪歸伊勢國 靡盪沖津藻 濤湧濤擊白浪間 鹽器潮香之 海味蟬滿可怜國 味凝味凍兮 心思所引難自己 高照日皇子 遠歸來詣君
持統天皇 0162

「明日香清御原宮」,即天武帝飛鳥淨御原宮。此歌詠在天武帝崩後八年,持統帝御宇七年九月九日。按『日本書紀』翌十日,奉為天武帝行無遮大會。(流水席)
「御齋會」,為參集僧侶供養食物之法會。
「靡(なみ)たる波」指波浪為風所拂,一齊靡來。而沖藻亦隨浪漂盪。
「味凝(うまこ)り」乃「羨(とも)しき」之枕詞。蓋云魚菜類煮凝美味之餚。「羨しき」指心受其所吸引、嚮往,引作皇子欲詣父齋,不辭千里自一是趕來。

• 藤原宮御宇天皇代 高天原廣野姬天皇天皇元年丁亥十一年,讓位輕太子。尊號曰太上天皇。【持統】
0163 大津皇子薨之後,大來皇女從伊勢齋宮上京之時,御作歌二首
 神風乃 伊勢能國爾母 有益乎 奈何可來計武 君毛不有爾
 神風(かむかぜ)の 伊勢國(いせのくに)にも 在(あ)ら益(まし)を 何(なに)しか來(き)けむ 君(きみ)も有(あ)ら無(な)くに
 迅風神風之 傍國可怜伊勢國 不若留彼國 今何徒勞來京畿 君已斷魂不復在
大伯皇女 0163

「伊勢國にも 在ら益を」,與其上京不如留在伊勢。「益(まし)」為與現實相反之假設詞。此云大津皇子已逝,上京無益。

0164 【承前,其二。】
 欲見 吾為君毛 不有爾 奈何可來計武 馬疲爾
 見(み)まく欲(ほ)り 我(あ)がする君(きみ)も 有(あ)ら無(な)くに 何(なに)しか來(き)けむ 馬疲(うまつか)るるに
 妾之欲晤逢 吾君斷魂赴泉路 君既不在此 今何枉費來京畿 徒令馬疲筯虛歎
大伯皇女 0164

『歌經標式』云「大伯內親王,大津親王に恋ふる歌。」,末句「馬疲(うまつか)るるに」作「馬疲(うまつか)らしに」。

0165 移葬大津皇子屍於葛城二上山之時,大來皇女哀傷御作歌二首
 宇都曾見乃 人爾有吾哉 從明日者 二上山乎 弟世登吾將見
 浮(うつ)そ身(み)の 人(ひと)なる我(われ)や 明日(あす)よりは 二上山(ふたがみやま)を 弟背(いろせ)と我(あ)が見(み)む
 空蟬憂世間 浮身凡人吾是耶 自於明日起 當眺河內二上山 如視胞弟化生姿
大伯皇女 0165

大津皇子賜死譯語田舍,移葬二上山
「うつそみ」同「うつせみ」,為「現(うつし)人(おみ)」之約音形。『名義抄』云:「臣(おみ),ヒト(人)。」
「胞弟」云「いろせ」,類語有「いろえ(同母兄)」、「いろね(同母姊)」、「いろど(同母弟妹)」、「いろも(同母妹)」等。

0166 【承前,其二。】
 礒之於爾 生流馬醉木乎 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言爾
 磯上(いそのうへ)に 生(お)ふる馬醉木(あしび)を 手折(たを)らめど 見(み)すべき君(きみ)が 在(あり)と言(い)は無(な)くに
 水畔岩磯上 茂然叢生馬醉木 吾雖欲折枝 然歎當翫君不在 無人能賞徒欷歔
大伯皇女 0166
 右一首,今案不似移葬之歌。蓋疑從伊勢神宮還京之時,路上見花,感傷哀咽作此歌乎。

「馬醉木(あしび)」,躑躅科常䖝低木,今作「あせび」。有毒,馬食之而如醉,故名。花多開於早春,而花房自晚夏始展,依日照可綻至臘月上旬。



0167 日並皇子尊殯宮之時,柿本朝臣人麻呂作歌一首 【并短歌。】
 天地之 初時 久堅之 天河原爾 八百萬 千萬神之 神集 集座而 神分 分之時爾 天照 日女之命【一云,指上,日女之命。】 天乎婆 所知食登 葦原乃 水穗之國乎 天地之 依相之極 所知行 神之命等 天雲之 八重搔別而【一云,天雲之,八重雲別而。】 神下 座奉之 高照 日之皇子波 飛鳥之 淨之宮爾 神隨 太布座而 天皇之 敷座國等 天原 石門乎開 神上 上座奴【一云,神登,座爾之可婆。】 吾王 皇子之命乃 天下 所知食世者 春花之 貴在等 望月乃 滿波之計武跡 天下【一云,食國。】 四方之人乃 大船之 思憑而 天水 仰而待爾 何方爾 御念食可 由緣母無 真弓乃岡爾 宮柱 太布座 御在香乎 高知座而 明言爾 御言不御問 日月之 數多成塗 其故 皇子之宮人 行方不知毛【一云,刺竹之,皇子宮人,歸邊不知爾為。】
 天地(あめつち)の 初(はじ)めの時(とき)の 久方(ひさかた)の 天河原(あまのかはら)に 八百萬(やほよろづ) 千萬神(ちよろづかみ)の 神集(かむつど)ひ 座集(つどひいま)して 神謀(かむはか)り 謀(はか)りし時(とき)に 天照(あまで)らす 日女尊(ひるめのみこと)【一云(またにいふ),指上(さしあ)がる,日女尊(ひるめのみこと)。】 天(あめ)をば 知(し)らしめすと 葦原(あしはら)の 瑞穗國(みづほのくに)を 天地(あめつち)の 寄合(よりあ)ひの極(きは)み 知(し)らしめす 神尊(かみのみこと)と 天雲(あまくも)の 八重搔(やへか)き分(わ)けて【一云(またにいふ),天雲(あまくも)の,八重雲分(やへくもわ)けて。】 神下(かむくだ)し 座奉(いませまつ)りし 高照(たかて)らす 日皇子(ひのみこ)は 飛鳥(とぶとり)の 清御原宮(きよみのみや)に 隨神(かむながら) 太敷(ふとし)きまして 天皇(すめろき)の 敷(し)きます國(くに)と 天原(あまのはら) 石門(いはと)を開(ひら)き 神上(かむあが)り 上座(あがりいま)しぬ【一云(またにいふ),神登(かむのぼ)り,座(いま)しにしかば。】 我(わ)が大君(おほきみ) 皇子尊(みこのみこと)の 天下(あめのした) 知(し)らしめしせば 春花(あるはな)の 貴(たふと)からむと 望月(もちづき)の 滿(たたは)しけむと 天下(あめのした)【一云(またはいふ),食國(をすくに)。】 四方人(よものひと)の 大船(おほぶね)の 思褚(おもひたの)みて 天水(あまつみづ) 仰(あふ)ぎて待(ま)つに 何方(いかさま)に 思(おも)ほし召(め)せか 由緣(つれ)も無(な)き 真弓岡(まゆみのをか)に 宮柱(みやばしら) 太敷(ふとし)き座(いま)し 殯宮(みあらか)を 高知(たかし)りまして 朝言(あさこと)に 御言問(みことと)はさず 日月(ひつき)の 數多(まね)くなりぬれ 其事故(そこゆゑ)に 皇子(みこ)の宮人(みやひと) 行方知(ゆくへし)らずも【一云(またにいふ),刺竹(さすたけ)の,皇子(みこ)の宮人(みやひと),行方知(ゆくへ)らにす。】
 古陰陽渾沌 天地初分開闢時 久方高天原 天安河原百磐間 眾數八百萬 千萬神祇諸神矣 神集集於斯 諸神會合集座而 神謀計禱方 謀計可禱之方時 天照徹六合 大日孁貴日女尊【一云,日輝射上兮,大日孁貴日女尊。】 御高天之原 馭治久方天上事 葦原千五百 秋之水穗瑞穗國 天壤無窮盡 天地相依合極處 照臨天下之 彼神尊天孫 搔分天雲之 八重雲道別道別【一云,分天八重雲,稜威之道別道別。】 天降高千穗 座奉葦原中津國 空高照輝曜 日胤皇子誰 飛鳥明日香 偉哉清御原宮矣 唯神隨神兮 造宮太敷營御殿 為代代天皇 顯人之神所治國 瀛真人天皇 今開天原岩屋戶 登天神上矣 幽隱常世退去矣【一云,登神歸天原,幽隱御座常世者。】 弘宇我大君 草壁日並皇子尊 汝若治天下 度其治世想如何 必猶春花茂 繁榮艷貴美不絕 復如望月盈 凡事圓滿無遺憾 八紘天之下【一云,所治食國間。】 六合四方蒼生者 猶乘大船兮 思褚囑託寄安寧 待望天甘霖 仰首苦冀澍恩澤 然吾大君者 宸思如何念何方 薄情無緣由 徑在真弓之岡上 宮柱高豎矣 太敷座兮板廣厚 如是築殯宮 營宮高聳居其上 朝言不賜下 御言不語亦不問 日經月累之 積日數多光陰逝 以其事之故 皇子宮人手無措 不知何去又何從【一云,刺竹根芽盛,皇子宮人手無措,不知何去又何從。】
柿本人麻呂 0167

「天地之 初時」,天地開闢之時。『日本書紀』云:「古天地未剖,陰陽不分,渾沌如雞子,溟芷而含芽。及其清陽者,薄靡而為天;重濁者,淹滯而為地。精妙之合摶易,重濁之凝竭難。故天先成而地後定,然後神聖生其中焉。」
「天河原」,天安河原天照大神幽居天岩戶時,諸神會合,計其可禱之方。『古事記』云:「八百萬神神集集賜,神議議賜。」
「天照 日女之命」即天照大神。『日本書紀』作天照大日孁尊
「天地(あめつち)の 寄合(よりあ)ひの極(きは)み」,天地於無限遙遠之彼端極點相接。表空間廣大,時間悠久。
「神之命等 天雲之 八重搔別」,神命蓋指天津彥彥火瓊瓊杵尊,『日本書紀』云:「皇孫乃離天磐座,且排分天八重雲,稜威之道別道別,而天降於日向襲之高千穗峰矣。」
「日之皇子」,承上指瓊瓊杵尊,啟下謂天武天皇之二重雙關。
「敷(し)きます國」,敷字在此有君臨之意。「知(し)らしめしせば」,せば為與是實相反之假設。
「貴(たふと)からむ」,此以春花咲繁喻權勢極盛。「滿(たたは)しけむ」指圓滿無缺。
「大船の」為思褚之枕詞。如大船般可靠。
「天水(あまつみづ)」為仰待之枕詞。旱天期待天澍甘霖之狀。
「由緣(つれ)も無」,表毫無關係。與皇子生前顏行無關。
「朝言」,早朝慰問舍人之言語。「其事故(そこゆゑ)に」,「そこ」為「そのこと」之略。
「刺竹(さすたけ)の」,「宮」「宮人」之枕詞。刺竹衍根冒芽,有祝福繁榮之意。
「行方知(ゆくへ)らにす」,らにす類似「得難(えかて)に」,表不可能之意。

0168 反歌二首 【承前,反歌。】
 久堅乃 天見如久 仰見之 皇子乃御門之 荒卷惜毛
 久方(ひさかた)の 天見(あめみ)る如(ごと)く 仰見(あふぎみ)し 皇子(みこ)の御門(まかど)の 荒(あ)れまく惜(を)しも
 其高聳何如 猶見遙遙久方天 昂首仰見兮 皇子御門雖宏偉 日漸荒廢令人惜
柿本人麻呂 0168

此云草壁皇子之宮殿宏偉高聳,須仰見如瞻天。然思人已不在,宮殿今後必當日益荒廢,甚惋惜之。

0169 【承前,反歌第二。】
 茜刺 日者雖照者 烏玉之 夜渡月之 隱良久惜毛
 茜刺(あかねさ)す 日(ひ)は照(て)らせれど 烏玉(ぬばたま)の 夜渡(よわた)る月(つき)の 隱(かく)らく惜(を)しも
 暉曜緋茜射 雖與日並照天下 然惜烏玉之 漆鄢晚夜所渡月 為雲所蔽莫得見
柿本人麻呂 0169
 或本,以件歌為後皇子尊(高市皇子)殯宮之時歌反也。

「茜刺(あかねさ)す」、或書「茜射(あかねさ)す」,日之枕詞。
此以「日、夜」,「茜、鄢」相對,又云叢云蔽月,憶草壁皇子生前,歎其之死。

0170 或本歌一首 【承前,或本歌。】
 嶋宮 勾乃池之 放鳥 人目爾戀而 池爾不潛
 嶋宮(しまのみや) 勾池(まがりのいけ)の 放鳥(はなちどり) 人目(ひとめ)に戀(こ)ひて 池(いけ)に潛(かづ)かず
 飛鳥川之畔 嶋宮庭園勾池間 放飼禽鳥者 其悲君王慕故人 不潛池下不為獵
柿本人麻呂 0170

「嶋宮」乃蘇我馬子宅。按『大日本史』云:「馬子家於飛鳥河上,穿池築島,因稱島大臣。」『日本書紀』云:「大臣則稻目宿禰之子也。性有武略,亦有辨才。以恭敬三寶,家於飛鳥河之傍。乃庭中開小池,仍興小嶋於池中。故時人曰嶋大臣。」後考嶋宮亦草壁皇子之宮。宮中庭園有石造曲尺狀水路,蓋為勾池。
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dns231.htm
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki22.htm#sk22_14