式年遷宮

式年遷宮について、判らない筈がないけれど、実は余り詳しくなかったんです。
何で詳しくなかったんでしょうか、それは『日本書紀』にはその記録が見当たらないから。

神宮式年遷宮(じんぐう しきねん せんぐう)は伊勢神宮式年遷宮のことである。伊勢神宮では、20年ごとに内宮・外宮の御正殿を始め全ての建物・鳥居・宇治橋を建て替え、御神宝も造り替える。そして、ご神体も新神殿に遷る。20年ごとに行なわれる。690年、持統天皇の御代に始まり、戦国時代などの中断期を除き、1993年の第61回式年遷宮まで連綿と続けられてきており、現在、第62回神宮式年遷宮の各行事が進行中で2013年には、正遷宮(神体の渡御)が予定されている。


0685年(天武14年):式遷の制を制定
0690年(持統4年):第1回内宮式遷(686年説もある。)
0692年(持統6年):第1回外宮式遷(687年説もある。)
0709年(和銅2年):第2回内宮式遷(元明
0711年(和銅4年):第2回外宮式遷(同)
0729年(天平元年):第3回内宮式遷(聖武
0732年(天平4年):第3回外宮式遷(同)
0747年(天平19年)9月:第4回内宮式遷(同)
0749年(天平勝宝元年):第4回外宮式遷(孝謙
0766年(天平神護2年):第5回内宮式遷(称徳)
0768年(神護景雲2年):第5回外宮式遷(同)
0785年(延暦4年)9月18日:第6回内宮式遷(桓武
0787年(延暦6年):第6回外宮式遷(同)
0810年(弘仁元年)9月:第7回内宮式遷(嵯峨)
0812年(弘仁3年)9月:第7回外宮式遷(同)
0829年(天長6年)9月:第8回内宮式遷(淳和)
0831年(天長8年)9月:第8回外宮式遷(同)
0849年(嘉祥2年)9月:第9回内宮式遷(仁明)
0851年(仁寿元年)9月:第9回外宮式遷(文徳)
0868年(貞観10年)9月:第10回内宮式遷(清和)
0870年(貞観12年)9月:第10回外宮式遷(同)
0886年(仁和2年)9月:第11回内宮式遷(光孝)
0889年(寛平元年)10月:第11回外宮式遷(宇多)
0905年(延喜5年)9月:第12回内宮式遷(醍醐)
0907年(延喜7年):第12回外宮式遷(同)
0924年(延長2年)9月:第13回内宮式遷(同)
0926年(延長4年)9月:第13回外宮式遷(同)
0943年(天慶6年)9月:第14回内宮式遷(朱雀)
0945年(天慶8年)12月:第14回外宮式遷(同)
0962年(応和2年)9月:第15回内宮式遷(村上)
0964年(康保元年)9月:第15回外宮式遷(同)
0981年(天元4年)9月17日:第16回内宮式遷(円融)
0983年(永観元年)9月:第16回外宮式遷(同)
1000年(長保2年)9月16日:第17回内宮式遷(一条)
1002年(長保4年)9月:第17回外宮式遷(同)
1019年(寛仁3年)9月17日:第18回内宮式遷(後一条)
1021年(治安元年)9月16日:第18回外宮式遷(同)
1038年(長暦2年)9月16日:第19回内宮式遷(後朱雀)
1040年(長久元年)9月15日:第19回外宮式遷(同)
1057年(天喜5年)9月:第20回内宮式遷(後冷泉)
1059年(康平2年)9月:第20回外宮式遷(同)
1076年(承保3年):第21回内宮式遷(白河)
1078年(承暦2年):第21回外宮式遷(同)
1095年(嘉保2年)9月:第22回内宮式遷(堀河)
1097年(承徳元年)9月:第22回外宮式遷(同)
1114年(永久2年)9月16日:第23回内宮式遷(鳥羽)
1116年(永久4年)9月:第23回外宮式遷(同)
1133年(長承2年)9月16日:第24回内宮式遷(崇徳)
1135年(保延元年)9月:第24回外宮式遷(同)
1152年(仁平2年)9月:第25回内宮式遷(近衛)
1154年(久寿元年)9月:第25回外宮式遷(同)
1171年(承安元年):第26回内宮式遷(高倉)
1173年(承安3年):第26回外宮式遷(同)
1190年(建久元年)9月16日:第27回内宮式遷(後鳥羽)
1192年(建久3年)9月:第27回外宮式遷(同)
1209年(承元3年)9月16日:第28回内宮式遷(土御門)
1211年(建暦元年)9月:第28回外宮式遷(順徳)
1228年(安貞2年)9月16日:第29回内宮式遷(後堀河)
1230年(寛喜2年):第29回外宮式遷(同)
1247年(宝治元年)9月16日:第30回内宮式遷(後深草
1249年(建長元年)9月26日:第30回外宮式遷(同)
1266年(文永3年)9月16日:第31回内宮式遷(亀山)
1268年(文永5年)9月15日:第31回外宮式遷(同)

1285年(弘安8年)9月16日:第32回内宮式遷(後宇多)
1287年(弘安10年)9月18日:第32回外宮式遷(同)
1304年(嘉元2年)12月22日:第33回内宮式遷(後二条)
1306年(徳治元年)12月20日:第33回外宮式遷(同)
1323年(元亨3年)9月16日:第34回内宮式遷(後醍醐)
1325年(正中2年)9月16日:第34回外宮式遷(同)
1343年(興国4/康永2年)12月28日:第35回内宮式遷(後村上/光明)
1345年(興国6/貞和元年)12月27日:第35回外宮式遷(同/同)
1364年(正平19/貞治3年)2月16日:第36回内宮式遷(同/後光厳
1380年(天授6/康暦2年)9月8日:第36回外宮式遷(後亀山/後円融)
1391年(元中8/明徳2年)12月20日:第37回内宮式遷(同/後小松)
1400年(応永7年)2月28日:第37回外宮式遷(後小松)
1411年(応永18年)12月:第38回内宮式遷(同)
1419年(応永26年)12月21日:第38回外宮式遷(称光)
1431年(永享3年)12月20日:第39回内宮式遷(後花園)
1434年(永享6年)9月23日:第39回外宮式遷(同)
1462年(寛正3年)12月27日:第40回内宮式遷(同)
1563年(永禄6年)9月23日:第40回外宮式遷(正親町)
1585年(天正13年)10月13日:第41回内宮式遷(同)
1585年(天正13年)10月15日:第41回外宮式遷(同)
1609年(慶長14年)9月21日:第42回内宮式遷(後陽成)
1609年(慶長14年)9月27日:第42回外宮式遷(同)
1629年(寛永6年)9月21日:第43回内宮式遷(後水尾)
1629年(寛永6年)9月23日:第43回外宮式遷(同)
1649年(慶安2年)9月25日:第44回内宮式遷(後光明)
1649年(慶安2年)9月27日:第44回外宮式遷(同)
1669年(寛文9年)9月26日:第45回内宮式遷(霊元)
1669年(寛文9年)9月28日:第45回外宮式遷(同)
1689年(元禄2年)9月10日:第46回内宮式遷(東山)
1689年(元禄2年)9月13日:第46回外宮式遷(同)
1709年(宝永6年)9月2日:第47回内宮式遷(中御門)
1709年(宝永6年)9月5日:第47回外宮式遷(同)
1729年(享保14年)9月3日:第48回内宮式遷(同)
1729年(享保14年)9月6日:第48回外宮式遷(同)
1749年(寛延2年)9月1日:第49回内宮式遷(桃園)
1749年(寛延2年)9月4日:第49回外宮式遷(同)
1769年(明和6年)9月3日:第50回内宮式遷(後桜町)
1769年(明和6年)9月6日:第50回外宮式遷(同)
1789年(寛政1年)9月1日:第51回内宮式遷(光格)
1789年(寛政元年)9月4日:第51回外宮式遷(同)
1809年(文化6年)10月16日:第52回内宮式遷(同)
1809年(文化6年)10月16日:第52回外宮式遷(同)
1829年(文政12年)9月2日:第53回内宮式遷(仁孝)
1829年(文政12年)9月5日:第53回外宮式遷(同)
1849年(嘉永2年)9月2日:第54回内宮式遷(孝明)
1849年(嘉永2年)9月5日:第54回外宮式遷(同)
1869年(明治2年)9月4日:第55回内宮式遷(明治)
1869年(明治2年)9月7日:第55回外宮式遷(同)
1889年(明治22年)10月2日:第56回内宮式遷(同)
1889年(明治22年)10月5日:第56回外宮式遷(同)
1909年(明治42年)10月2日:第57回内宮式遷(同)
1909年(明治42年)10月5日:第57回外宮式遷(同)
1929年(昭和4年)10月2日:第58回内宮式遷(昭和)
1929年(昭和4年)10月5日:第58回外宮式遷(同)
1949年(昭和24年):第59回式遷延期、宇治橋架け替えのみ実施。
1953年(昭和28年)10月2日:第59回内宮式遷(同)
1953年(昭和28年)10月5日:第59回外宮式遷(同)
1973年(昭和48年)10月2日:第60回内宮式遷(同)
1973年(昭和48年)10月5日:第60回外宮式遷(同)
1993年(平成5年)10月2日:第61回内宮式遷(今上)
1993年(平成5年)10月5日:第61回外宮式遷(同)
2013年(平成25年):第62回式遷(予定)



http://www.sengu.info/
http://isenet.jp/senguu/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E5%BC%8F%E5%B9%B4%E9%81%B7%E5%AE%AE
式年遷宮という制度の制定は、天武天皇十四年に定められ、持統天皇四年に第1回目の遷宮が行われたという、また、遷宮は造營方法を保存するための制度とも言われてます。
http://www.sunshine.ne.jp/~jupiter/FBR2.htm
調べてみると、式年遷宮という制度の制定の記録は『太神宮諸雑事記』*1によるものです。でも、『日本書紀』の天武天皇紀も持統天皇紀もこの記録を見当たらずなので興味深いところです。


余談ですが、『朝霧の巫女』では唯一巫女の気品が持つ方・日瑠子陛下の言葉を借りて:

...この伊勢は、式年遷宮により古い殿舍を捨て新宮に移ることで生まれ変わり
美しく莊重に保たれています。


ですが、我が国は現世はどうでしょうか
ここは捨てられ緩慢に朽ちるばかりの世界でないか
神々はとうに別の世界へその座所を移されたのではないか、そう思える時があります。


天照大神からは久しく何のお言葉も賜われでないでいます
──今や、世界は孤独な金魚の缽のよう、
水は干上がり、その虚には、自身の張り裂ける声で埋められて行く


私には、それがとても重たく、つらい......

朝霧の巫女』巻四より


余談の余談、実は『古語拾遺』にも、神・人の境界が遠くなる事を嘆く話があります。

 前件神代之事、説似盤古。疑冰之意、取信寔難。然我國家、神物靈蹤、今皆見存、觸事有效、不可謂虚。但中古尚朴、禮樂未明、制事垂法、遺漏多矣。方今聖運初啓、照堯暉於八洲。寶暦惟新、蕩舜波於四海。易鄙俗於往代、改紕政於當年。隨時垂制、流萬葉之英風。興廢繼絶、補千載之闕典。若當此造式之年、不制彼望秩之禮、竊恐後之見今、猶今之見古矣。

古語拾遺』より

ところで、白陛下のその雰囲気と気品...ロリでなければ本当にハマしちゃうかも(汗)。
久遠の絆平安編には、高原万葉の前世たる螢も、そうらしきセリフがあった。
言葉を変えて言えば、リアルの世界ではこんな思想を持つ女性が居れば惚れちゃうかも...


が、日瑠子と言えばやっぱり蛭子(ひるこ)と連想してなんか不祥な予感がします...
でも、もし『ホツマツタヱ』の和歌姫(=ひるこ)ならいいけれど...
宇河弘樹氏は古史古伝も詳しいのようでこのように期待してもいいでしょうか?




おまけ

伊勢内宮神前祝詞いせないくうしんぜんのりと

神風かむかぜ伊勢國いせノくに 折鈴五十鈴原さくすずいすずノはらの 底津石根そこついわねに 大宮柱太敷立おほみやばしらふとしきたて 高天原たかまノはらに 比木高知ひぎたかしり

鎮座坐しずまりましま掛巻かけまくあやに とうと天照皇大御神あまてらすすめおおみかみ また御称みな憧賢木厳之御魂天疎向津比売之命つきさかきいずのみたまあまざかるむかつびめノみこと

また御号みな天照大日霊之命あまてらすおおひるめのみことの 大朝廷おおみか祝斎いわいまつりを 云巻いわまく畏加礼かしこかれ

天津日嗣知食皇命あまつひつぎしろしめすすめらみことの 大御代おおみよを 常磐ときわに 堅磐かきわに まも

奉給たてまつりたまひ うつし青人草あおひとぐさをも めぐさきわたまへる ひろあつ御恩頼みめぐみに むくたてまつると

称辞竟奉ただえごとをへまつりて おろがたてまつさまを たいらけく やすらけく 聞食きこしめせと かしこみ かしこみも もう



伊勢外宮神前祝詞いせとつみやしんぜんのりと

神風かむかぜ伊勢國いせノくに 渡会わたらい山田やまたはらの 底津石根そこついわねに 大宮柱太敷立おおみやばしらふとしきた 高天原たかまノはらに 千木高知ちぎたかし

しずま座坐まします 外宮豊受皇大神とつノみやとようけノすめおおがみ また御号みな保食大神うけもちノおおがみとも 稲荷大神いなりノおおがみとも 申奉もうしたてまつりて

蒼生等あおひとくさらが くいいくべき五穀いつくさのたなつものはじめ 諸諸もろもろ食物衣物おしものきものいたまでに 生幸なしさきわたま
ひろあつ御恵みめぐみに むくたてまつると 称辞竟奉ただえごとをへまつりて おろがたてまつさま

たいらけくやすらけく聞食きこしめせと かしこみ かしこみも もう


実は明日はまだ試験があるので今日はこの辺で(死)...



*1:鈴鹿文庫:233、大神宮諸雑事記、175、21、74、写一冊。未電子化。