我流の翻訳とは


菅家文草
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117 夢阿滿


    阿滿亡來夜不眠 偶眠夢遇涕漣漣 身長去夏餘三尺 齒立今春可七年

    從事請知人子道 讀書諳誦帝京篇 藥治沉痛纔旬日 風引遊魂是九泉

    尒後怨神兼怨佛 當初無地又無天 看吾兩膝多嘲弄 悼汝同胞共葬鮮

    萊誕含珠悲老蚌 莊周委蛻泣寒蟬 那堪小妹呼名覓 難忍阿孃滅性憐

    始謂微微腸暫續 何因急急痛如煎 桑孤戶上加蓬矢 竹馬籬頭著葛鞭

    庭駐戲栽花舊種 壁殘學點字傍邊 每思言笑雖如在 希見起居惣惘然

    到處須彌迷百億 生時世界暗三千 南無觀自在菩薩 擁護吾兒坐大連

    讀書云云:初讀賓王古意篇。

    悼汝云云:阿滿已後,小弟次么。

菅原道真菅家文草』巻第一0117


日本霊異記
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廿一 沙門一目眼盲使讀金剛般若經得明眼縁
 沙門-長義者,諾樂右京藥師寺之僧也.寶龜三年之間,長義眼闇盲,逕五月許.日夜恥悲,屈請眾僧,三日三夜,讀誦金剛般若經.便目開明,如本平也.般若驗力,其大高哉.深信發願,無願不應故也.


廿二 重斤取人物又寫法華經以現得善惡報縁
 他田舍人-蝦夷者,信濃國小縣郡跡目里人也.多富財寶,錢稻出舉.蝦夷奉寫法華經二遍,每遍設會,講讀既了.後復思議,猶不足心,更敬繕寫.唯未供養.寶龜四年癸丑夏四月下旬,蝦夷忽率.而死妻子量言:「丙年之人,故不燒失.丙年之人,質屬火性,遂不宜火葬.」點地作塚,殯以置之.死經七日,而甦告言:「使有四人,共副將往.廣野,次有卒坂.登於坂上,觀有大觀.於是峙視前路,多有數人,以箒掃路言:『奉寫法華經之人,從此路往,故我等掃淨.』即至待禮.前有深河.廣一町許.其河度椅.度椅者,渡橋也.有數人眾.其椅修理言:『奉寫法華經之人,從此椅度,故我修理.』到便待禮.到椅彼方,有黃金宮,其宮有王.椅本有三衢.一道廣平,一道草小生,一道以藪而塞.立蝦夷於其衢,一人入宮曰:『召.』王見之言:『此奉寫法華經之人.』即示於草小生道言:『從此道將來.』四人副至熱鐵柱,所令抱彼柱.編鐵熱燒,著背而押.歷三日夜,令抱銅柱.編銅甚熱,著背而押.又逕三日,極熱如爝.鐵銅雖熱,非熱非安.編鐵雖重,非重非輕.惡業所引,唯欲抱荷.合歷六日乃出.三僧問蝦夷言:『汝知此意不也?』答:『不知也.』僧復問言:『汝作何善?』答:『我奉寫法華經三部.唯一部未供養之也.』札出三枚,二枚金札,一枚鐵札.亦斤出二枝,一枝重倍稻一把,一枝輕減稻一把.于時,僧言:『校札之者,實如汝曰.敬寫三部法花大乘也.雖寫大乘,而作重罪.所以者何.汝用斤二,出舉之時,用於輕斤,徵納之日,用於重斤,故召汝耳.今者忽還.』還來,如前多人以箒掃道,作椅言:『奉寫法華經之人,從閻羅王宮還來之.』度彼椅畢,纔見甦還.」然而後戴所寫之經,筯發信心,講讀供養.誠知,作善來蘄,作惡來災.善惡之報,終不朽失,並受二報.唯專作善,不可作惡矣.

下巻、第廿一、第廿二を校了しました。


■我流の翻訳とは
浦木裕(24)。日本語も中国語もなかなかの上手と言えません。
興味の一つは翻訳、というより、モノを自分が読む易いようにしたいところです。
こんな自己満足の私ですが、どうやって翻訳するんのでしょか。
先ず、翻訳するものは出版向でなければ、万人受けるような配慮が要りません。
私はどうやって翻訳するのを、これから紹介しましょう。


先ずは、古今和歌集の仮名序原文

 やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり。
 このうた、あめつちのひらけはじまりける時より、いできにけり。[あまのうきはしのしたにて、め神を神となりたまへる事をいへるうたなり。]しかあれども、世につたはることは、ひさかたのあめにしては、したてるひめにはじまり[したてるひめとは、あめわかみこのめなり、せうとの神のかたち、をかたににうつりて、かがやくをよめるえびす哥なるべし、これらはもじのかずもさだまらず、うたのやうにもあらぬことども也。]あらかねのつちにては、すさのをのみことよりぞ、おこりける。ちはやぶる神世には、うたのもじもさだまらず、すなほにして、事の心わきがたかりけらし。ひとの世となりて、すさのをのみことよりぞ、みそもじあまりひともじはよみける。[すさのをのみことは、あまてるおほむ神のこのかみ也、女とすみたまはむとて、いづものくにに宮づくりしたまふ時に、その所にやいろのくものたつを見てよみたまへる也、やくもたついづもやへがきつまごめにやへがきつくるそのやへがきを。]かくてぞ、花をめで、とりをうらやみ、かすみをあはれび、つゆをかなしぶ心、ことばおほく、さまざまになりにける。とほき所も、いでたつあしもとよりはじまりて、年月をわたり、たかき山も、ふもとのちりひぢよりなりて、あまぐもたなびくまでおひのぼれるごとくに、このうたも、かくのごとくなるべし。
 なにはづのうたは、みかどのおほむはじめなり。[おほさざきのみかどの、なにはづにてみこときこえける時、東宮をたがひにゆづりて、くらゐにつきたまはで、三とせになりにければ、王仁といふ人のいぶかり思て、よみてたてまつりけるうた也、この花は梅のはなをいふなるべし。]あさか山のことばは、うねめのたはぶれよりよみて[かづらきのおほきみをみちのおくへつかはしたりけるに、くにのつかさ、事おろそかなりとて、まうけなどしたりけれど、すさまじかりければ、うねめなりける女の、かはらけとりてよめるなり、これにぞおほきみの心とけにける、あさか山かげさへ見ゆる山の井のあさくは人をおもふのもかは。]、このふたうたは、うたのちちははのやうにてぞ、手ならふ人のはじめにもしける。
 そもそも、うたのさま、むつなり。からのうたにも、かくぞあるべき。
 そのむくさのひとつには、そへうた。おほささきのみかどを、そへたてまつれるうた、

なにはづにさくやこの花ふゆごもりいまははるべとさくやこのはな

といへるなるべし。
 ふたつには、かぞへうた、

さく花におもひつくみのあぢきなさ身にいたつきのいるもしらずて

といへるなるべし。[これは、ただ事にいひて、ものにたとへなどもせぬもの也、このうたいかにいへるにかあらむ、その心えがたし。いつつにただことうたといへるなむ、これにはかなふべき。]
 みつには、なずらへうた、

きみにけさあしたのしものおきていなばこひしきごとにきえやわたらむ

といへるなるべし。[これは、ものにもなずらへて、それがやうになむあるとやうにいふ也。この哥よくかなへりとも見えず。たらちめのおやのかふこのまゆごもりいぶせくもあるかいもにあはずて。かやうなるや、これにはかなふべからむ。]
 よつには、たとへうた、

わがこひはよむともつきじありそうみのはまのまさごはよみつくすとも

といへるなるべし。[これは、よろづのくさ木、とりけだものにつけて、心を見するなり。このうたは、かくれたる所なむなき。されど、はじめのそへうたとおなじやうなれば、すこしさまをかへたるなるべし。すまのあまのしほやくけぶり風をいたみおもはぬ方にたなびきにけり、この哥などやかなふべからむ。]
 いつつには、ただことうた、

いつはりのなき世なりせばいかばかり人のことのはうれしからまし

といへるなるべし。[これは、ことのととのほり、ただしきをいふ也。この哥の心、さらにかなはず、とめうたとやいふべからむ。山ざくらあくまでいろを見つる哉花ちるべくも風ふかぬよに。]
 むつには、いはひうた、

このとのはむべもとみけりさき草のみつばよつばにとのづくりせり
《下略》

紀貫之

紀貫之が書いた古今集の原文です。ご覧とおり女手、つまり仮名で書いたものです。
中国語、もとい漢文は、男手で真名(漢字)で書いたもので、
私がやってる翻訳の準備工作は「女手から男手へ」、と言うわけです。


今のどころ、私が手掛かりした原文が、こうなっています。

 和歌は、人の心を種として、萬の辭とぞなれりける。世中に或る人、事、業、刺激物なれば、心に思ふ事を、見る物、聞く物につけて、言ひ出せる也。花に鳴く鶯、水に棲む蛙の聲を聞けば、息とし生ける者、孰れか歌を詠まざりける。力をも要れずして、天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ、男女の仲をも和らげ、彪き武士の心をも慰むるは、歌也。
 此の歌、天地の開け始まりける時より、居できにけり。[天浮橋の下にて、女神男神と成り給える事を言へる歌也。]しかあれども、世に伝はる事は、久方の天にしては、下照姫に始まり[下照姫とは、天稚彥の妻也、兄の神の形、崗谷に移りて、輝くを詠める夷歌なるべし、此れらは文字の數も定まらず、歌の様にも有らぬ事ども也。]荒かねの土にては、素戔鳴尊よりぞ、興りける。千振る神代には、歌の文字も定まらず、素直にして、事の心わき難かりけらし。人世と成りて、素戔鳴尊よりぞ、三十一字は詠みける。[素戔鳴尊は、天照孁貴神の弟神也、女と住給はむとて、出雲國に宮造りし給ふ時に、その所に八色雲の立つを見て詠み給へる也、八雲立つ出雲八重垣妻篭めに八重垣作るその八重垣を。]斯くてぞ、花を愛で、鳥を羨み、霞を哀れび、露を悲しぶ心、辭多く、様様に成りにける。遠き所も、居で立つ足元より始まりて、年月を渡り、高き山も、麓の塵土より成りて、天雲たなびくまで追ひ昇れる如くに、此の歌も、斯くの如く成るべし。
 難波津の歌は、帝の御始め也。[大鷦鷯帝の、難波津にて皇子と着こえける時、東宮をたがひに譲りて、位につきたまはで、三年になりにければ、王仁と言ふ人の訝り思て、詠みて奉りける歌也、此の花は梅の花を言ふなるべし。]安積山の辭は、采女のたはぶれより詠みて[葛城の大君を陸奥へつかはしたりけるに、國の司、事おろそかなりとて、まうけなどしたりけれど、すさまじかりければ、采女なりける女の、かはらけとりてよめるなり、これにぞおほきみの心とけにける、安積山かげさへ見ゆる山の井のあさくは人をおもふのもかは。]、この二歌は、歌の父母の様にてぞ、手習ふ人の始めにもしける。
 そもそも、歌の態、六つ也。唐の歌にも、斯くぞ有るべき。
 その六種の一つには、風歌。大鷦鷯帝を、風へ奉れる歌、

なにはづにさくやこの花ふゆごもりいまははるべとさくやこのはな

と言へるなるべし。
 二つには、賦歌、

さく花におもひつくみのあぢきなさ身にいたつきのいるもしらずて

と言へるなるべし。[これは、ただ事に言ひて、ものにたとへなどもせぬもの也、このうたいかにいへるにかあらむ、その心えがたし。いつつにただことうたといへるなむ、これにはかなふべき。]
 三つには、比歌、

きみにけさあしたのしものおきていなばこひしきごとにきえやわたらむ

と言へるなるべし。[これは、ものにもなずらへて、それがやうになむあるとやうにいふ也。この歌よくかなへりとも見えず。たらちめのおやのかふこのまゆごもりいぶせくもあるかいもにあはずて。かやうなるや、これにはかなふべからむ。]
 四つには、興歌、

わがこひはよむともつきじありそうみのはまのまさごはよみつくすとも

と言へるなるべし。[これは、よろづのくさ木、とりけだものにつけて、心を見するなり。このうたは、かくれたる所なむなき。されど、はじめのそへうたとおなじやうなれば、すこしさまをかへたるなるべし。すまのあまのしほやくけぶり風をいたみおもはぬ方にたなびきにけり、この哥などやかなふべからむ。]
 五つには、雅歌、

いつはりのなき世なりせばいかばかり人のことのはうれしからまし

と言へるなるべし。[これは、ことのととのほり、ただしきをいふ也。この哥の心、さらにかなはず、とめうたとやいふべからむ。山ざくらあくまでいろを見つる哉花ちるべくも風ふかぬよに。]
 六つには、頌歌、

このとのはむべもとみけりさき草のみつばよつばにとのづくりせり
《下略》

まだまだ途中ですから、未だ変更しなかった言葉も沢山有りますが。
要する、漢字で表記できるものを、できる限り漢字で表記します。
これから、元よりもっと男手らしき文章を、漢文に変更しますのは、我流の翻訳方。
ここで一番必要のは、語言力ではなく、経験と考察力と思います。
特に、真名序や記紀神話を知らず調べずに喩えどんな語言力が有っても、こういう翻訳方は向かないと思います。


但し、かの「真名序」もこの「仮名序」の翻訳だけど、
略した物は少なくないから察すると、無くなったところは本来、漢文に向かないと思われます。
こういうモノを漢文に翻訳することはもっとも不適切かも知れませんが、へたれながら翻訳してみます。




■クリスマスと日本人の宗教感(西野神社社務日誌より)
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20051224
クリスマスがケーキで祝い、除夕がお寺の鐘声を聞きに行って、そして新年は神社で初詣にいく..
という話はよく気からましたが、神社の立場から見るとどうなんでしょう。
>栃木県の日光に鎮座する、世界遺産にも指定されているある有名な神社では、
>毎年、崇敬者のケーキ職人からクリスマスケーキの奉納を受けているそうです。
いや、それはビックリしました。^^;