これは本当に幹久だと?

蜻蛉日記の電子テキストをやってみると...

 傅の殿、初めて女のがり、遣り給ふに、代はりて。

  今日ぞとや辛く待ち見む我が戀は無始以來なるべし

道綱母

◎傅の殿:藤原道綱。◎本詩,道綱初通文與女,其母代作。◎無始以來:此云はじめもなきがこなた。



 度度の返り事無かりければ、杜鵑の形を作りて。

  飛び違ふ鳥の翼を如何なれば巢立つ嘆きにかへさざるなむ

道綱

◎嘆き:以嘆息「嘆き」諭「嘆木」。◎かへさ,以「返さ」諭「孵さ」。

とがあります。
つまり、藤原道綱が初めて女性にラブレターを出る時、
そのラブレターの内容が道綱母が書いてやったの、一応親が認可するというわけ。
そして、返事がなくてどうやら振られたみたい。その道綱が...トホホ


菅家文草
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140 傷藤進士,呈東閤諸職事


    我等曾為白首期 何因一夕苦相思 披書未卷同居處 捻藥空歸已葬時

    不校秋聲喪父哭 猶勝曉淚夢兒悲 此生永斷俱言笑 且泣將吟事母詩

    猶勝云云:余先皆所有,今而喻之。

    且泣云云:東閤孝經竟宴,進士事母之詩。故云

菅原道真菅家文草』巻第一0140


聖徳太子伝暦
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 廿二年四十三歲,甲戌,春正月八日, 始製法華經疏.

 三月,太子舍人-宮池鍜師之壯犬,咋折一鹿之脛.太子視而痛之.令舍人放之.復同犬咋折同鹿之四脛,為三段.太子怪之.誓夢見之,欲識其緣.入於夢殿,夢見艷僧到自東方,謂太子曰:「此鹿與犬過去宿業也.鹿為嫡,犬為妾.時嫡折妾子之脛,因之九百九十九世,結怨而來于今.千世正滿足耳.」古人云:「聖人不夢.」而儲君聖性通物,無知不達.如來妙義,何義不徹.而託辭夢見,令信鄙俗.獨恣說,邪枉致疑.故有此言.

 秋八月,蘇我大臣臥病.太子奏,為大臣出家僧尼一千人.太子自授五戒.


田村草子
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去程に俊仁五十五の御時、つくつく思召(おほしめ)しけるは、其れ日本僅かの國也、唐土(たうど)に渡りてきり従へ、末代まで名を殘さばやと思ひ、時の關白光隆(みつたか)してそうもん申さければ、真に思ひ立ちたる事、止むるに及ばずと仰出されける、俊仁悦び、三千艘の舟に五十萬騎打乘、神通の物の具対して二月の末に打立給ふが、それかし程の物か渡らんに、徴なくては叶うまじとて、神通の鏑矢一つ射給へば、其の矢明洲の津に止まり、七日七夜響き亙(わた)れば、人皆驚きさはぎ、禮門(れいもん)を引かせらるるに、吐かせ(は)かせ考へて曰く、日本の將軍此の國を従へんとて來るなり、日本はそくさんの小國なれども、人の智恵(ちゑ)ふかふして、心が唸り、其上神國として、弓矢の謀り事を得たり、如何(いか)てか凡夫(ぼんぶ)の力にて伏せくべし、佛力ならて頼み方無し、恵果(けいくわ)和尚、千百萬の不動明王,矜迦羅(こんがら)、制吒迦(せいたか)引きぐして、明州の津にて防ぎ給ふ、俊仁御覧じて、如何にや汝何者ぞ、我矢先には取ても敵うまじ、速やかに引き退くべしと仰ける、不動(ふどう)の給うやう、汝小國の臣として大國を従へん事思ひも寄らず、急ぎ本朝に歸るべしとて、降魔利劍(ごうまのりけん)の光を放つて振り給ふ俊仁も神通の劍を抜き、戦ひ給ふが、不動の利劍戰敗けて、次第次第に退きけり、不動敵はじと思ひ、 金剛 童子( こんがうとうじ)を日本へ遣はして、鞍馬の毘沙門(びしやもん)へ申さけるは、俊仁、唐土を従へんとてよせ候、大方は防ぎ候へとも、敵ひ難く候、願はくは、この度の合戦(かつせん)に、俊仁入來(いりき)を落とし、我に力を添へて度給へば、たもん仰らけるは、如何でか日本の大將に不覚を計かせ候べき、とくとく歸り給へと仰せければ、俊仁御力はいよいよ勝り、劍の光輝きけり、不動敵はじとで、刹那か間に、又自ら鞍馬へ御輿成て仰せけるは全く此國を堅きと思ふには非ず、此度俊仁に負けぬものならば、佛力廢()りて、信ずる者薄くなり、いよいよ邪道鬼神(じゃたうきんち)力を得て、眾生三途に歸らん事疑(うたか)ひ有べからず、願はくは俊仁がいりきを、落として度給へと仰ければ、たもんでんの御返事に、此國は佛法盛んして、佛神力を添へ給ふ、然るを日本の賢臣で祝(いわう)の真堀(まほり)をば、如何でかうしなひ候べきやと仰せければ、不動重(かさ)ねてのたまわく、假令俊仁が如く王法をも守り、佛法繁盛(はんじゃう)の國と成すばしとの給ひければ、其時毘沙門、俊仁と拘(かか)わりに、日本の守護(しゅご)して、眾生を助け給はんとの仰せこそ嬉しけれ、其儀ならば急ぎ御歸ありて、俊仁打給ふべしと有しかば、不動大に悦び、歸り給ひて、又戰ひ給ふ程に、俊仁の劍の光劣り、不動の利劍に戰ひ負けて、三つに折れて、靈山(りゃうぜん)へこそ、参上(まひあが)りけれ、其時俊仁、無念に思ひ、不動の舟に乗り移り、引組(ひつくん)で、上を下い返し給ふ程に、利劍落ち掛かり、俊仁の首を打落とせば、不動首を取て、矜迦羅、制吒迦も打徒然(つれつれ)、唐土へ歸り給ふ、三千艘の舟共は、浪に揺られ、風に放されれ、慈(いつく)ともなく、揺られて行こそ哀しけれ。


■年賀状コーナー
http://applepig.idv.tw/kuon/special/contribution/mimai/2666ny/2666_ny.htm
IGT避難用出張版のelielin様からの年賀イラストを頂きました。
犬っ子ってのはやっぱり旧正月の方が気分有って素敵です。どうも有難う御座います。
挑戦者の経営も頑張って下さい。体を壊さない限り(汗)......