続く、藤原道綱の話
尚、返り事せざりければ。
細蟹のいかになるらむ今日だにも知らばや風のみだるけしきを
道綱
◎細蟹:ささがに、蜘蛛也。◎いかに、以蜘蛛「絲(い)」諭「如何(いか)」。◎みだる:以蜘蛛絲為風吹「亂(みだれ)」諭書信「見(み)」否。
やっぱり振られた。トホホ。
■菅家文草
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141 去冬,過平右軍池亭,對乎圍碁,賭以隻圭新賦。將軍戰勝,博士先降。今寫一通,詶一絕,奉謝遲晚之詶。
先冬一負此冬詶 妬使隻圭相坐隱 閑日若逢相坐隱 池亭欲決古詩流
■聖徳太子伝暦
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廿三年,乙亥,夏四月十五日,製法華經疏竟.此經疏者,自前製了,傳於漢士.而今復為製釋.諸蕃法師等義理妙說,并夢金人所授不可思議之義.以問惠慈法師,法師亦領悟,發不思議,嘆未曾有.故稱-上宮後疏.謂弟子曰:「是義非凡.將還本國,欲傳聖趣.」
冬十一月,高麗惠慈法師,歸本國.太子修師資之禮,厚賜祿物.法師不受,曰:「愚僧為殿下之弟子,何返以殿下為弟子耶.」臨別流淚啟:「難會易別,人道之常.一天同覆,住魂於殿下之前.僧望必會淨土.珍重珍重.」太子亦酸鼻惜別矣.
■田村草子
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其中に將軍の屍骸の有る舟は、人に知らせん為にや、八重の潮道(しほぢ)を分けて、博多の家に着きける。俊宗は、此由(よし)聞(きこ)し召(め)し、急ぎ降り給ひて、斯の御屍骸を取收め、様様の御訪(おんとふらひ)ありて、なくなく都へ上がり給ひて、年月を送り給ふに、大和國奈良坂山にかなつぶをうつ、靈山といふ沙門(しやうのもの)出きて、都へ参る見付き物を、道にで奪ひ取、多くの人の命を絶つ事天下の嘆きならずや、急ぎ年胸に向ふて、従へよとの宣旨下りければ、俊宗承はり、五百よきの軍兵を引具(ひきぐ)して、奈良坂山へ向はれけるか、謀り事に色よき小袖余た、古津(こつ)川にで濡らしたる躰にして、木木の枝に掛け並べて置き、靈山を今や今やと待ち給ふ。暫くありて、丈二丈余りの法師の、眶(まかぶら)高く、髖(ほうぼね)怒り、真に恐ろしき有様にて、高き所に駈け上がりて、荒布(あらめ)辛しや、此山を通るとて、かやうなる物を飾(かさ)りて見せたるは、此の奉仕を束(たば)からんためか、よしよし其儀ならば、手並みの程を見すべし、尚(なを)も良き物の有らば、残さず致すべしとて、躍り上がり笑ひける。俊宗駒掛け寄せての給ふやう、是は御門へ参る御物也、我命の有らん限りは、取らるる事有ましそと仰せられければ。義強(ぎこは)なるくはじやめかな、悉しくは思へとも、余りくはじやめが言葉のにくければ、かなつぶてを持つて、唯一つの菖蒲(しやうぶ)にせん、三郎潰(つぶ)ててとなづけて、金目は三百兩、角の數は百八十三、受けて見よと言ふままに、肱(ひぢ)を開け、一振り振つて打ければ、天地響きなる神の如し、去れ共俊宗騒がすして、扇(あふき)にて打落とし給へば、又次郎潰て取出し打ちけるをも、同じ勝手に打落とし給へば、靈山興覚顔(けうさめがほ)にて立けるが、さりとも太郎潰てに置きて、山を楯につく共、微塵になさん物をとて、金は六百兩、角は數を知らず、唐(もろこし)に五百年、かうらい高麗(かうらい)國に五百年、日本の地に棲む事八十年、此山に只三歳也、萬の寶を取事も、皆此潰ての惜(いと)くなり。あたら小賢(こざか)童(わらは)を殺さんも無惨(むさん)なれ共、口のさがなき故に、只今暇(いとま)取(と)らするぞ、念佛申せと言ふままに、目(め)ての足を強く踏み、ゑいやと打ければ、百千の雷(いかつち)の一度に落(お)つるかと覚えて、着も魂(たましゐ)も身に添(そ)はず、五百よきの兵(つはもの)は、皆平伏(ひれふ)して、驚(をと)もせず、唯暗闇にこそなりたりけれ、去れ共俊宗少も騒がず、馬立直し、一違ひ違ふて、響き渡るかな潰(つぶ)ては、三つながら内落とされ、今は力を失ひ、言い少したる口を抱へて、元の山に立しの番(ばん)と、足速に歩みける、俊宗駒駈け寄せ、如何に御坊の潰て程こそ無く共、三代相傳して持たる鏑矢一筋、減算(げんざん)に入れば有るべきとて、神通の鏑にてい給ふに、靈山坊が耳の根(ね)、三寸のきてなり渡り、元より飛行自在(ひぎやうじざい)の物なれば、七日七夜海山駈けて逃げけれ共、更に離るる事無し、俊宗は春日山に陣(ぢん)を取り、靈山坊を待ち給ふ。七日目に盼り、俊宗の御前に参り、手を合申けるは、如何なる精兵(せいびゃう)と申とも、五町十地様に、巖石(がんぜき)までつへ際(きは)とを砂(すな)と承て候へ、今日まで七日ヶ間、海に入はう海に入り、山に登れば山に登り、耳の根には慣れす候、如何なる御弓ぞや、今日よりして悪路を總べからず、命を助け候はは、御郎等(らうどう)と成申さんと、なくなく申ければ、俊宗聞し召し、繪入(ゑい)りよはかりがたし、先戒(いまし)めて参るべしとて、鐵の鎖繩(くさりなは)にて括(くく)り、五百よきか中に取り込め、都に歸り給へば、御門ゑいらんましまして御勘(かん)は申計りなし、靈山は、船岡(ふなをか)山にてきり、首を八十人して掻(か)き、獄門の前に掛けて、行き来の者に見せ給ふ、やがて俊宗は、十七にで將軍司を給り、陸奧の國初瀬(はつせ)の郡(こほり)に、越前 ( ゑちぜん )を添へて下され、栄花(ゑいぐわ)に郡給ひけり。
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■類聚国史目録
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類史 卷九十八 職官部 四
敘位 四 起延曆廿五年四月、盡天安二年三月
類史 卷百 職官部 五
敘位 五(闕)
類史 卷百一 職官部 六
敘位 六 起貞觀十九年正月、盡仁和三年正月
類史 卷百二 職官部 七
敘位 七(闕)
類史 卷百三 職官部 八
敘位 八(闕)
類史 卷百四 職官部 九
敘位 九(闕)
類史 卷百五 職官部 十
敘位 十(闕)
類史 卷百六 職官部 十一
敘位 十一(闕)
類史 卷百七 類史 卷百八(闕)
類史 卷百九(闕)
類史 卷百十(闕)
類史 卷百十一(闕)
類史 卷百十二(闕)
類史 卷百十三(闕)
類史 卷百十四(闕)
類史 卷百十五(闕)
類史 卷百十六(闕)
類史 卷百十七(闕)
類史 卷百十八(闕)
類史 卷百十九(闕)
類史 卷百二十(闕)
類史 卷百二十(闕)
類史 卷百二十一(闕)
類史 卷百二十二(闕)
類史 卷百二十三(闕)
類史 卷百二十四(闕)
類史 卷百二十五(闕)
類史 卷百二十六(闕)
類史 卷百二十七(闕)
類史 卷百二十八(闕)
類史 卷百二十九(闕)
類史 卷百三十(闕)
類史 卷百三十一(闕)
類史 卷百三十二(闕)
類史 卷百三十三(闕)
類史 卷百三十四(闕)
類史 卷百三十五(闕)
類史 卷百三十六(闕)
類史 卷百三十七(闕)
類史 卷百三十八(闕)
類史 卷百三十九(闕)
類史 卷百四十(闕)
類史 卷百四十一(闕)
類史 卷百四十二(闕)
類史 卷百四十三(闕)
類史 卷百四十四(闕)
類史 卷百四十五(闕)
類史 卷百四十六 文部 上(闕)
類史 卷百四十七 文部 下
國史 敘位附出、講國史附
講國史
律令格式 敘位附出
撰書類史 卷百四十八(闕)
類史 卷百四十九(闕)
類史 卷百五十(闕)
類史 卷百五十一(闕)
類史 卷百五十二(闕)
類史 卷百五十三(闕)
類史 卷百五十四(闕)
類史 卷百五十五(闕)
類史 卷百五十六(闕)
類史 卷百五十七(闕)
類史 卷百五十八(闕)
類史 卷百五十九 田地部 上
田町段
挍田
班田 使附出
口分田
公田 收公田附
收公田
官田
乘田
隱田
屯田
牧田
敕旨田 敕旨島附
損田
易田類史 卷百六十(闕)
類史 卷百六十一(闕)
類史 卷百六十二(闕)
類史 卷百六十三(闕)
類史 卷百六十四(闕)
類史 卷百六十五 祥瑞部 上
日
月
星
雲
雨
露
雪
雞
山雞
鴙
鴈
鷹
鸕鶿
烏
鷰
雀
鳩
鴿
鵄
茅鴟
巫鳥 木菟鷦鷯
鳥類史 卷百六十六 祥瑞部 下(闕)
類史 卷百六十七 災異部 一(闕)
類史 卷百六十八 災異部 二(闕)
類史 卷百六十九 災異部 三(闕)
類史 卷百七十 災異部 四
旱 祈雨附出
類史 卷百七十一 災異部 五
類史 卷百七十二 災異部 六(闕)
類史 卷百七十三 災異部 七
火
蝗
凶年
三合歲
疾疫 皰、瘡、咳嗽等附出類史 卷百七十四 佛道部 一(闕)
類史 卷百七十五 佛道部 二(闕)
類史 卷百七十六 佛道部 三(闕)
類史 卷百七十七