田村草子電子テキスト完成


田村草子
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/monogatari/tamura/tamura.htm

 去程に將軍の御幾方(いくはう)、いよいよ優りける、斯くて俊宗、鈴鹿御前と尚淺からぬ仲と成り給ひけるか、鈴鹿御前、唯風の心地と仰られしが、次第にをもらせ給ふ、俊宗心憂く思し召し、様様の御祈りあれば、鈴鹿此由聞し召し、我はかりに此界に生るる也、此世の機縁付きたれば、如何に祈り給ふとも甲斐有まし、遑申て田村殿、聖林(しやうりん)を愛をしみ給へと言ひ捨てて、終に虛しく成給ふ、俊宗の御嘆き、中中申はかり無し、余り悲しみ給ひて、一七日焦(こ)がれじににしに給ふが、やがて冥土に行き給ひて、倶生神(くしやうじん)を呼び、汝は十王の下人か、されは我娑婆(しやば)の田村の大將軍俊宗也、汝が主に対面申た聞由(きよし)申べしとの給へば、倶生神(くしやうじん)大きに怒り、娑婆(しやば)にて は何者にてもあれかし、今我等にさやうの事を言はん物、無間(むけん)へ落とすべしとて、黒き鬼と赤き鬼か、引き立てんとしけるを、高足だにて、ころころと踏みたをし、我言ふ事を聞くまじきかと仰ければ、倶生神覇気を消し、唯呆れ果てたるばかり成り、ややありておきあかり、是非の子細も無く十王の前に逃げて行き、此由斯くと申ければ、十王出給ふ、其時俊宗、我妻七日以前に身罷りて候、急ぎ返し給はるべしとの給へは、其れは定業(ぢやうごう)限りあれは叶ふまし、汝は非業(ひごう)成り、急ぎ返れと仰ければ、定業(ぢやうごう)なればこそ返してたべと申候へ、非業(ひごう)成れば言い分は無し、返し給はずは、狼藉(らうぜき)の有べしとて、和諧印(くわかひのいん)を結び和(な)げ給へば、大釈奠(しやくでん)やけ上がる、その時大通連(とうれん)を抜き給ひて、驅け回り給ふ、此大通連は、文珠の化身(けしん)なれば、十王も倶生神も、如何で容易く思ふべき、閻魔(ゑんま)王は獄卒(ごくそつ)を召し、斯の者を返せと仰ければ、獄卒(ごくそつ)申けるは、定業(ぢやうごう)の者也、其上早からだも候はず、如何はせんと申ければ、鈴鹿と同じ時に生まれた女の美濃國東海(とふかい)と言ふ所有、彼に取り替へよと仰ければ、獄卒承て、斯のからに取替へて、田村の前に出しけるか、有しより姿も変はり、容(かたち)劣りければ、俊宗は腹を立て、元の如くに成して度給へと仰ければ、第三の冥官(みやうくはん)を御使ひにて、東方浄瑠璃(じゃうるり)世界の祝寶積(いわうほうしやく)の薬を進め給へば、尚其の昔より、慈(いつく)しくならせ給ひけるとかや、さて帝釈(たいしゃく)の給ふは、今より三年の暇を取らする也と其の給ひける、冥土の三年は娑婆の四十五年也、さてこそ田村將軍と鈴鹿御前の御契りは、二世の縁とは申なれ、有難りきためし也。
 さても此の大將軍(しやうぐん)は、観音(くはんをん)の化身にてましませば、眾生濟度(しゆじやうさいど)の方便(はうべん)に、假に人間と現れ給ふ、又鈴鹿御前は、竹生嶋(ちくぶしま)の弁財(へんざい)天女なるか、篤(あつ)き邪神を助け、佛道(ぶつだう)に入給ふべきとて、様様に変化(へんげ)給ふも、御慈悲深(じひふか)き事也。させ末代の試(ためし)には、清水寺の御建立(こんりう)、大同二年に聖眾 (しやうじゆ) して、大同寺と申せしか、水の御中身(みなかみ)清くして、、流れの末も久方の、空も和(どか)に巡る日の、掛け清水寺とし改めて、尚此寺の坂の上なる、田村だうの軒ばの松の深碧、千代萬代の蔭染めて、貴賎(きせん)訓示(くんじ)揺(ゆ)する事、佛法繁昌(はんじやう)の故也。此草子見給はん人人は、いよいよ觀音(くはんをん)を信じ給ふべし。

管理人はこういう文体がへたれだから当て漢字は正しかどうかが保証しかねます。


菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm

167 釣船 廿頌十五。


    曲岸無他產 蕭疏一釣翁 小船迷落葉 輕緒惱涼風

    不問歸家後 唯期送老中 竹竿如可學 我宅有孤叢

菅原道真菅家文草』巻第一0167


■『前賢故実』「日本武尊
http://blog.goo.ne.jp/kuonkizuna1601/e/1db242facc90797b1c3cbab196eca196

日本武尊(やまとたける
 日本武尊。一名日本童。名又曰小碓。景行天皇皇子。容貌端正,身長一丈,力能扛鼎。
 天皇遣皇子征熊襲,時年十六。女裝竊入其家,剌魁帥川上梟帥殺之。賊咸寒毛股栗。
 四十年,蝦夷叛。於是,拜大將軍,征東夷。吉備武彥、大伴武日為之副。皇子先到伊勢,拜皇太神宮。進到駿河浮島原,虜乃偽降,誘皇子令獵,燎原以攻之。皇子提天叢雲劍,剪伐草莽,鑽燧縱火,會大風起,烟焰反掩賊軍。虜皆潰散。進入陸奧,至蝦夷境,所向悉摧破。眾虜震怖。終俘酋長,邊境乃安。



征東夷凱旋之日,入尾張至尾津,得嘗所遺失之劍於松下。歌曰:

  尾張(をはり)に 直(たた)に向(むか)へる 一(ひと)つ松(まつ)あはれ
  一(ひと)つ松(まつ) 人(ひと)にありせば 衣著(きぬ)せましを 太刀佩(たちは)けましを

菊池容斎前賢故実

■年賀コーナー
http://applepig.idv.tw/kuon/special/contribution/mimai/2666ny/2666_ny.htm
貴崎涼様から寒中見舞いを頂きました。