大阪












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今晩(0103)のバスで東京帰り、明日到着予定になります。

今日は、物部守屋墓や関連史跡を回してみました。
久遠の絆』の設定いよると、武烈天皇により天津神の血脈が途絶になり、
土蜘蛛が活発することになりますが、実はその後にも重大な事件があります。

それは、物部氏蘇我氏の「敬神崇仏の争」であります。
聖徳太子崇峻天皇は、蘇我氏と組み、蘇我の政敵である物部を滅ばすことになりました。
絶対な権利を手に入った蘇我氏は、崇峻天皇を暗殺し、聖徳太子の子孫をも殲滅したわけです。

物部氏の滅亡により、古神道の祭祀が途絶えになり、
此れによる失われた古式・歴史・作法も多く、残念としかいえません。
ちなみに、権利の頂点にある蘇我氏は、乙巳の変によって、藤原氏により滅ばされた。


大日本史

 藤原朝成。朝成,體貌醜肥,飲啖兼人,常憂舉止不便,招醫請療。醫曰:「莫如結食啖淡。時方暑月,宜食水飯。」朝成從之,使醫視其所食。乃連水飯七八盂及啖魚鮓十數枚。醫駭曰:「如此則水飯亦不可療。乃逃去。」【今昔物語、古今著聞集。】嘗從兄朝忠入朝,村上帝見,其狀貌,心鄙之。問曰:「彼為誰?」朝忠曰:「臣弟朝成也。」問:「何所能?」對曰:「性好學問,善吹笙。」因授笙試之。曲調精妙,帝以為能,由是有恩寵。【續古事談。】天祿初,累官中納言。【公卿補任。】朝成,少有才望,【今昔物語。】與藤原伊尹爭為參議,言伊尹不可用。及大納言闕,朝成意欲任之。時伊尹攝政,朝成自詣其家,懇請拜擢。伊尹素憾朝成,不時出面,久而出曰:「子始與我同班,每欲超我而進,多方沮我。今日之事,用否在我。」朝成大愧,艴然歸家,憂鬱成疾,【古事談。】無幾而薨。【續古事談。○大鏡曰,藏人頭闕,時藤原伊尹次當補。朝成亦欲為之,乃以其意懇伊尹。伊尹許之。既而負約,朝成深啣之,由是有隙。後因事辱其家僮。伊尹怒,朝成自往謝之。按公卿補任一代要記,伊尹朝臣同日補藏人頭,其爭為頭者誤。】

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm


■生存報告
無事東京にもどりました。