宇宙と惑星と

機動戦士ガンダムUC 宇宙と惑星と

読了。ついに箱の所在地を突き止め、フル・フロンタルの素性もついほぼ確定になりました。
ネェル・アーガマで、連邦とジオンが国の制約から開放して同じ目標の為に手を合う...そんな都合のいい話あるもんか、やっぱりなかったのですね。一瞬でもこういう可能性を信じたくても、現実としてうまくいかない方が合理的にと言えます。逆に、ジオンに制圧されたネェル・アーガマが、独立行動の口実に成れるかも知れません。事実、『閃光のハサウェイ』においで、ブライト・ノアがこの件の罪が問われなかったのではないかと思います。なお、バナージとミネバとリディとの関係は、『閃光のハサウェイ』においでハサウェイとギギとケネスとの関係を似てなくもないと、二巻から思ってます。
アクシズ・ショック」の話について、福田はやっぱりそれをサイコ・フレームの共鳴、感応波のオーバーロード、サイコフィールドに帰結したかったのです。小説『ターン・Aガンダム』では全身がナノ・マシンからなる絶対な力が、ここでは全身がサイコ・フレームとの類似性が伺えます。芸がないな、と思った事もありますが気にしない。(おい)とにかく、こいういう構造上、サイコ・フレームの力を強調する必要もあります。「アクシズ・ショック」について、個人は永瀬唯氏の偶然な擬似ミノフスキー・クラフト現象説に同感していますので、思念がサイコ・フレームを経由して物理的力を発生する説には些か納得し難いところがあります。理屈として説明できないとアーロンも言ったが、科学で説明できない物に全面的に信用できるほど私の脳味噌が幸せな構造を成っていませんから。
ネオ・ジオン、ビスト財団、評議会以外に、共和国軍との登場も本巻の特色だと言えるでしょう。共和国軍の立ち位置がそのまま日本の自衛隊や九条問題になってます。言われてみればシナンジュも北臭いネーミングでした。福井は自衛隊問題に対して浅からぬ興味を抱いた事は、既に文庫版『ターン・Aガンダム』の解読に指摘されました。ターン・AではGUSOHを使ったのでUCも使うかと疑念したのですが、未だ良くわかりません。あと退艦シーンは『終戦のローレライ』を彷彿されるが、退艦したのは共和国軍だけです。


ナハトガル