塩海足尼

■塩海足尼

日本武尊ゆかりの酒折宮に行ってきました。


御由緒によれば、日本武尊信濃国に向かわせる時、塩海足尼を召して、火打嚢を託し、酒折宮創立になります。
塩海足尼(しほのみのすくね)というお方があんまり馴染めなく、恐らく記紀には出てなかった人物だと思います。
どころで、足尼という表記そのものが、『古事記』『日本書紀』よりも、はるかに『旧事本紀』による可能性が高いと思います。なぜかといいますと、『古事記』や『日本書紀』では「すくね」を「宿禰」と表記する傾象があって、「すくね」を「足尼」と表記するのは、殆ど『旧事本紀』(とくに武内以前の人物では足尼という表記に拘ります。)の表現だと思います。
質問してみれば、酒折宮の方に社務所まで上がらせてお茶を飲んで雑談をもしました。本当にご親切に恐れ入ります。
先ほど確認したら、確かに『先代旧事本紀』巻第十国造本紀には「甲斐国造。纏向日代朝世、狭穂彦王三世孫臣知津彦公、此子塩海足尼、定賜國造。」があります。『甲斐国志』には御縁記がありますが、『旧事本紀』の国造起縁から発展された事だと思います。

一応、大成経も確認した方がいいかもしれませんが、電子テキストはなかなか進まなくて申し訳有りません。これからも頑張ってみます。