補給物資、万葉集試訳

■補給物資


万葉集試訳

0171 皇子尊(草壁)宮舍人等慟傷作歌廿三首
 高光 我日皇子乃 萬代爾 國所知麻之 嶋宮波母
 高光(たかひか)る 我(わ)が日皇子(ひのみこ)の 萬代(よろづよ)に 國知(くにし)らさまし 島宮(しまのみや)はも
 空高輝光曜 吾君日並皇子尊 天不從人願 汝本應坐此島宮 御宇天下治萬代
舍人 0171

「高光(たかひか)る」與「高照(たかてら)す」相類,並為「日の皇子」之枕詞。
「まし」與事實相反之假設語,在此省略「若君存命者(便得鎮坐此島宮而治理天下萬世)」之假定。
「はも」此有逡巡「而今後島宮又將何去何從」之意。『萬葉集』3-284「逢(あひ)し子等(こら)はも 」與之用法相同。

0172 【承前,第二。】
 嶋宮 上池有 放鳥 荒備勿行 君不座十方
 島宮(しまのみや) 上池(かみのいけ)なる 放鳥(はなちとり) 荒(あら)び勿行(なゆ)きそ 君座(きみいま)さずとも
 飛鳥川之畔 嶋宮庭園上池間 放飼禽鳥者 汝莫心慌情意亂 縱使明君不復在
舍人 0172

「荒(あら)び」,此為表示心亂情迷「荒れすさぶ」之上二段動詞「荒ぶ」。

0173 【承前,第三。】
 高光 吾日皇子乃 伊座世者 嶋御門者 不荒有益乎
 高光(たかひか)る 我(わ)が日皇子(ひのみこ)の い座(ま)しせば 島御門(しまのみかど)は 荒(あ)れざら益(まし)を
 空高輝光曜 吾君日並皇子尊  汝若存命者 飛鳥嶋宮華御門 不致荒廢仍欣榮
舍人 0173

「荒(あ)れざら益(まし)を」,此云「不致荒廢而可也。」當時嶋宮已開始荒廢,有人事全非之感。

0174 【承前,第四。】
 外爾見之 檀乃岡毛 君座者 常都御門跡 侍宿為鴨
 外(よそ)に見(み)し 真弓岡(まゆみのをか)も 君座(きみま)せば 常御門(とこつみかど)と 侍宿(とのゐ)する哉(かも)
 本思無由緣 不值瞥見真弓綱 以君今座者 視之常宮亙御門 侍宿其邊守殯宮
舍人 0174

「外(よそ)に見(み)し」指與自身無緣,而不抱關心,僅稍瞥見而莫細視。真弓岡乃草壁皇子永眠之墓所,然若非皇子仙逝,舍人亦不對該地有所慕思。
「常御門(とこつみかど)」乃永久不變之宮殿。然御門少用於陵墓,或書之常宮亦可。侍宿指不寢番人。

0175 【承前,第五。】
 夢爾谷 不見在之物乎 欝悒 宮出毛為鹿 佐日之隈迴乎
 夢(いめ)にだに 見(み)ざりし物(もの)を 欝悒(おほほ)しく 宮出(みやで)もするか 佐檜隈迴(さひのくまみ)を
 縱令在夢中 莫有見在此物者 欝悒喪垂首 參上出仕殯宮哉 步此佐日檜隈迴
舍人 0175

「夢(いめ)にだに 見(み)ざりし物(もの)を」,此云作夢都沒想到皇子薨逝而自身奉仕殯宮。
「欝悒(おほほ)しく」有二解,一為「朦朧不明」一為「心中鬱悶」,此為後者。「欝悒」見於楚辭、文選。
「佐日之隈迴」,即明日香村檜前。さ字為接頭語。此在島宮前往佐田之途中。

0176 【承前,第六。】
 天地與 共將終登 念乍 奉仕之 情違奴
 天地(あめつち)と 共(とも)に終(を)へむと 思(おも)ひつつ 仕奉(つかへまつ)りし 心違(こころたが)ひぬ
 吾思與天地 相共終極永事君 雖念茲在茲 然奉仕者不如願 此情相違不得叶
舍人 0176

「天地(あめつち)と 共(とも)に終(を)へむと 思(おも)ひつつ 仕奉(つかへまつ)りし」此云一心以為能奉仕皇子直至天荒地老,然事與願違。

0177 【承前,第七。】
 朝日弖流 佐太乃岡邊爾 群居乍 吾等哭淚 息時毛無
 朝日照(あさひて)る 佐田岡邊(さだのをかへ)に 群居(むれゐ)つつ 我(わ)が泣淚(なくなみた) 止(や)む時(とき)も無(な)し
 朝日照臨下 高市佐田之岡邊 宮人群聚居 吾等哭淚號泣者 永無息時莫有歇
舍人 0177

「朝日照(あさひて)る 佐田岡邊(さだのをかへ)に」蓋為實景,而非枕詞。此歌指朝晨哭禮而為言。
草壁皇子尊舍人慟傷歌,或云部分為柿本人麻呂所作,然人麻呂所詠輓歌未有描寫哭泣之例。

0178 【承前,第八。】
 御立為之 嶋乎見時 庭多泉 流淚 止曾金鶴
 御立(みた)たしの 島(しま)を見(み)る時(とき) 潦(にはたづみ) 流(なが)るる淚(なみた) 止(と)めそ兼(か)ねつる
 顧見日並尊 皇子屬意島庭時 潦兮溢水流 吾等流淚霑襟濕 欲止無方淚泣下
舍人 0178

「御立(みた)たしの」,皇子生前常佇此亭,衍申有屬意、鍾情之意。
「島(しま)」有庭園、泉林之意,指島宮。
「潦(にはたづみ)」為溢水之流狀,此為「流」字之枕詞。

0179 【承前,第九。】
 橘之 嶋宮爾者 不飽鴨 佐田乃岡邊爾 侍宿為爾徃
 橘(たちばな)の 島宮(しまのみや)には 飽(あ)かぬかも 佐田岡邊(さだのをかへ)に 侍宿(とのゐ)しに行(ゆ)く
 侍衛飛鳥之 橘地島宮不足哉 蓋是意未盡 今至佐田岡邊處 侍宿其邊守殯宮
舍人 0179

「飽(あ)かぬかも」,此為疑問條件語。「飽く」有「滿足」、「厭煩」之意。
全詩意為「難到守衛島宮仍不滿足,還至佐田岡邊之殯宮侍宿嗎。」頗具自嘲之感。

0180 【承前,第十。】
 御立為之 嶋乎母家跡 住鳥毛 荒備勿行 年替左右
 御立(みた)たしの 島(しま)をも家(いへ)と 棲鳥(すむとり)も 荒(あ)らび勿行(なゆ)きそ 年替(としか)はる迄(まで)
 以彼日並尊 皇子常佇島宮者 為家棲鳥矣 汝莫心荒情意亂 守喪直至歲易時
舍人 0180

「棲鳥(すむとり)」記紀鳥取部(ととりべ)、鳥飼部(とりかひべ)、養鳥人(とりかひひと)等部族,律令時代為園池司所轄。此指受其放飼宮庭中之鵝鳥、鶴之類。
「年替(としか)はる迄(まで)」,此指守喪須到新年為止。願庭鳥莫慌亂。

0181 【承前,十一。】
 御立為之 嶋之荒礒乎 今見者 不生有之草 生爾來鴨
 御立(みた)たしの 島荒礒(しまのありそ)を 今見(いまみ)れば 生(お)ひざりし草(くさ) 生(お)ひにける哉(かも)
 今見日並尊 皇子常佇島宮庭 庭池荒礒間 過往未嘗生之草 今日生來荒漫焉
舍人 0181

「島荒礒(しまのありそ)」島宮庭園池間以石所組之造景。昭和六十二年出土之明日香島庄遺跡有長廿五米之水路膻越,其岸石山水嚴峻,蓋模吉野宮瀧所造。

0182 【承前,十二。】
 鳥桖立 飼之鴈之兒 栖立去者 檀岡爾 飛反來年
 鳥座立(とぐらた)て 飼(かひ)し雁子(かりのこ) 巢立(すだ)ちなば 真弓岡(まゆみのをか)に 飛歸來(とびかへりこ)ね
 鳥座禽屋間 所飼雁之雛子矣 汝若離巢者 還願飛去真弓岡 翱翔顧念復歸來
舍人 0182

「鳥座(とぐら)」即「鳥屋」。按『類聚名義抄』,原文「鳥桖」之「桖」自為「栖」之俗字。
「雁の子」蓋為鵝鳥、天鵝之雛。『仙覺抄』云:「日本紀には鴨をぞ大く、其池には花垂れたりけると云へるとかけり。」

0183 【承前,十三。】
 吾御門 千代常登婆爾 將榮等 念而有之 吾志悲毛
 我(わ)が御門(みかど) 千代常(ちよとこ)とばに 榮(さか)えむと 思(おも)ひてありし 我(われ)し悲(かな)しも
 吾度日並尊 皇子玉門常容華 屹立迄千代 誰知事與己願違 徒有空悲更唏噓
舍人 0183

「常(とこ)とば」指永久。類語見足石歌「止己止婆爾(とことばに)」等。