GW放浪、尾張一日目

■GW放浪、尾張一日目
前々からGWにはレンタル車を借りて出雲で一週間回りたいと思ったが、実は旧正月終りからなかなかゆっくり計画する時間も無く、GWは本当にに休めるかも知らずままGW突入。出社日が挟みながら後半から計画するとかなり制限が入ってた。使える時間が微妙ってこともあって出雲を後回しにするか、と何回も迷うって考えたけど、ぐずぐずのままだと機会を逃れそうだから取り合えず出雲への弾丸特攻でも行こうかと決めた。
何時もながら最初に決めないとならないのは足と宿。山梨からだと出雲直行便は勿論無く、普通東京經由ってのは無難だが今度は名古屋経由をチャレンジーしてみた。良い機会に熱田神宮を訪れたいし、名古屋からだと東京から近のはずとかもあるけど、実は東京経由の方が安そうだ。名古屋からも東京からも出雲へ行く費用があんまり差が無いけど、山梨から名古屋へでは東京への値段の倍くらいある。だけど唯の通過ではなく一旦名古屋観光を考えると別に惡くないと思う。まぁ、調べたところで東京から出雲への便は限られてて、週末以外はあんまりなさそうで、最終的は名古屋になり、しかも帰りは満席で一日早めにしたから出雲滯在を最初の三日間から二日へと短縮。
いつも東京経由だと山梨朝六時半の高速バスだけど、名古屋は朝五時半、あんまり余裕がなさそうけど間に合った。天気がそんなに恵まれず雨。幸い、名古屋に着く際は晴。名古屋駅から名鉄に乗り換え、神宮前で降りたら熱田神宮の東口、正門は南口なので一旦南口に行ってたけど、よく名神大社で見られる社名を刻まれる石碑がないものの、新緑に囲まれる入り口がなかなか心地良い。参道を歩きながらやっぱり新緑に囲まれてなかなか雰圍氣のいい境内であり、拝殿へ途中、巨大な大楠や佐久間灯篭も見所。手水舍の近くに熱田神宮の歴史が書かれて、武家・公家に関わらず古くから多くの名人と縁のあるお社であった。織田信長の信長塀、足利将軍の援助を得て西行法師が腰をかけたという二十五丁橋なども如実にこの歴史を述べている。あと蓬萊伝説では唐玄宗の使いが熱田大神を迎え、楊貴妃となったという『溪嵐拾葉集』という書物があるが、さぁどうでしょう。
但し、個人的に殘念と思うのが、明治期当たり角田忠行宮司三種の神器の天叢雲劔を奉る熱田神宮伊勢の神宮と同じく社殿であるべきと力説し、建築仕様を尾張造から神明造へ変えた所かな。神明造は簡素で神聖し、常若の代表で好きなんだけど、皆神明造にするのは聊か惜しいと感じるところは否めない。


熱田神宮 正門

熱田神宮 佐久間灯篭

熱田神宮 眼鏡の碑・二十五丁橋
 



熱田神宮の拝殿・本殿はお馴染みな平入り神明造りでGWの眞中で人多いけど静かな雰圍氣だった。ただし、ご朱印の授与ではかなり長い列となっており。拝殿の左から「こころの小径」があり、もと草薙神剣を奉安した御殿である土用殿をはじめ、極めて神聖な場所で撮影不可。個人的清水社もお勧め。正面からよく見られぬ本殿もこころの小径を通ってある程度拝観できる。宝物殿・文化館には展示室以外撮影OK、門を入ると大太刀が圧卷。宝物に刀・鎧等は軍関係が多め。


熱田神宮 拝殿

熱田神宮 宝物殿・文化館


別宮について境内では一の別宮・八剣宮が宮簣媛父神・乎止與命を祭る上知我麻神社の隣に、熱田社南正門の直ぐ傍に位置する。本殿をよく見えぬ熱田神宮に比べたら八剣宮の建築がある程度熱田神宮の構造を偲ばせる。西門から一旦境外に出て、比隣ながら出口は道を向いて(故に交通守護の神としても信仰され)境内からアクセス不可、宮簣媛母神、真敷刀俾命を祭る熱田神宮末社・下知我麻神社があり。


熱田神宮別宮 八剣宮

熱田神宮末社 上知我麻神社。

熱田神宮末社 下知我麻神社


下知我麻神社からもっと多く行くと白鳥古墳がある。日本武尊白鳥陵は普通、能褒野墓・琴弾原白鳥陵・旧市邑白鳥陵となるけど、地方の伝説では武尊が白鳥になって熱田社に飛着した地に白鳥御陵と名づけたといい。


白鳥古墳(白鳥御陵)


あとは熱田神宮近辺を散策、裁断橋趾や短歌都都逸発祥之地碑などがあり、(近くに鈴之御前社があるけど失念した。)それを後にして宮渡しの跡、七里の渡しに出てから折り返し高倉下命を祭る熱田神宮摂社高座結御子神社を參り名古屋駅へ戻る、夜九時半の夜間バスで出雲へ。今度は氷上姉子神社、鈴之御前社へ參りたいところだな。

裁断橋趾、都都逸発祥之地碑

七里の渡

高座結御子神社