補給物資、万葉集試訳

■補給物資


万葉集試訳

1399 【承前,五首第二。】
 百傳 八十之嶋迴乎 榜船爾 乘爾志情 忘不得裳
 百傳(ももづた)ふ 八十島迴(やそのしまみ)を 漕船(こぐふね)に 乘(の)りにし心(こころ) 忘兼(わすれか)ねつも
 百傳數繁兮 八十嶋迴榜船間 所乘之情矣 汝寄信褚憑吾者 吾妻之心不得忘
佚名 1399

「百傳(ももづた)ふ」,連數至百,「八十」、「五十」之枕詞。

1400 【承前,五首第三。】
 嶋傳 足速乃小舟 風守 年者也經南 相常齒無二
 島傳(しまづた)ふ 足速小舟(あばやのをぶね) 風守(かぜまも)り 年(とし)はや經(へ)なむ 逢(あ)ふとは無(な)しに
  繼島越嶼兮 足速小舟疾舸矣 俟風待時間 不覺年者早經去 馬齒徒長未得逢
佚名 1400

「島傳(しまづた)ふ」,接二連三巡航數島之間。島不僅指海島,亦指海上所見之陸地。
「足速小舟(あばやのをぶね)」,巡弋速度飛快之機敏小舟。男子自詡機敏果敢具行動力乎。
「風守(かぜまも)」,等待風向轉至適合發船。
類歌1390。男子自詡行事積極,卻唯獨對戀情保守怯足,錯失良機之曲。

1401 【承前,五首第四。】
 水霧相 奧津小嶋爾 風乎疾見 船緣金都 心者念杼
 水霧(みなぎ)らふ 沖小島(おきつこしま)に 風(かぜ)を疾(いた)み 船寄兼(ふねよせか)ねつ 心(こころ)は思(おも)へど
 水霧瀰漫兮 沖瀛奧津小島矣 逆風疾且勁 船以駭浪難緣近 心雖常念無所遂
佚名 1401

「水霧(みなぎ)らふ」,為水煙瀰漫所籠罩。
「沖小島(おきつこしま)に」,比喻可遠觀而無以接近之女性。
「風(かぜ)を疾(いた)み」,比喻有妨礙兩者戀情之仁

1402 【承前,五首第五。】
 殊放者 奧從酒嘗 湊自 邊著經時爾 可放鬼香
 殊放(ことさ)けば 沖(おき)ゆ放(さ)けなむ 湊(みなと)より 邊付(へつ)かふ時(とき)に 放(さ)くべき物(もの)か
 若將疏離者 當自沖瀛疏離矣 如今既經湊 將緣邊岸欲泊時 相避疏遠豈宜哉
佚名 1402

「殊放(ことさ)けば」,「殊(こと)」字與「如(ごと)」同,表同一、同類之用。「放(さ)け」表離放、疏遠。
「沖(おき)ゆ放(さ)けなむ」,反事實希求用語。遠洋・沖比喻不為他人察覺,或自身尚未陷入之狀態。
「湊(みなと)より」,湊表河口,而「より」表經由。
「邊付(へつ)かふ時(とき)に」,船靠岸之際。
「放(さ)くべき物(もの)か」,責怪對方言行之語調。
憤慨對象在即將結婚前毀約之曲。

1403 旋頭歌
 三幣帛取 神之祝我 鎮齋杉原 燎木伐 殆之國 手斧所取奴
 御幣取(みぬさと)り 三輪祝(みわのはふり)が 齋(いは)ふ杉原(すぎはら) 薪伐(たきぎこ)り 殆(ほとほと)しくに 手斧取(てをのと)らえぬ
 恭執奉御幣 御諸三輪社祝所 鎮齋大神杉原矣 伐薪樵夫者 殆將犯禁入神域 揮動手斧伐之矣
佚名 1403

「御幣取(みぬさと)り」,「幣(ぬさ)」乃奉獻予神之品物。
「三輪祝(みわのはふり)が」,三輪指座落三輪山麓之大神神社,祝乃下級神官。
「齋(いは)ふ杉原(すぎはら)」,細心潔齋鎮護,不令染穢之神杉。
「薪伐(たきぎこ)り」,取材之樵夫。比喻向深窗令孃搭訕之己身。
「殆(ほとほと)しく」,怠將。
「手斧(てをの)」,山鉈等工具。
此云犯禁接近深窗之女性,差點便將鑄下大禍。

挽歌
1404 雜挽 【十二第一。】
 鏡成 吾見之君乎 阿婆乃野之 花橘之 珠爾拾都
 鏡成(かがみな)す 我(わ)が見(み)し君(きみ)を 阿婆野(あばのの)の 花橘(はなたちばな)の 玉(たま)に拾(ひり)ひつ
 明鏡之所如 吾之日日所常見 君姿不復在 我今屈身阿婆野 拾撿花橘珠玉矣
佚名 1404

「挽歌」,哀悼人死之曲。
「鏡成(かがみな)す」,如鏡一般時時觀看親近之人物。
「阿婆野(あばのの)の」,所在未詳。
「花橘(はなたちばな)の 玉(たま)」,花橘乃橘樹開花時之稱。花橘之珠比喻火葬後之骨灰。

1405 【承前,十二第二。】
 蜻野叫 人之懸者 朝蒔 君之所思而 嗟齒不病
 秋津野(あきづの)を 人懸(ひとのか)くれば 朝撒(あさま)きし 君(きみ)が思(おも)ほえて 嘆(なげ)きは止(や)まず
 每逢聞人言 大和蜻蜓秋津野 吾憶君往時 朝日野中撒灰景 哀愁歎息不能
佚名 1405

「秋津野(あきづの)を」,秋津野所在未詳。或大和之美稱。
「人懸(ひとのか)くれば」,「懸(か)く」乃揚言,說出口之意。
「朝撒(あさま)きし」,火葬翌朝,散撒骨灰。當時庶民普遍不造墓,而有散骨之習俗。

1406 【承前,十二第三。】
 秋津野爾 朝居雲之 失去者 前裳今裳 無人所念
 秋津野(あきづの)に 朝居(あさゐ)る雲(くも)の 失去(うせゆ)けば 昨日(きのふ)も今日(けふ)も 亡人思(なきひとおも)ほゆ
 每見秋津野 朝日居雲消散去 憶彼煙雲者 無論昨日或今日 皆念故人方寸悲
佚名 1406

「朝居(あさゐ)る雲(くも)の」,此云作者見朝雲,連想比時近親火化之煙雲。

1407 【承前,十二第四。】
 隱口乃 泊荑山爾 霞立 棚引雲者 妹爾鴨在武
 隱國(こもりく)の 泊荑山(はつせのやま)に 霞立(かすみた)ち 棚引(たなび)く雲(くも)は 妹(いも)にかもあらむ
 盆底隱國兮 長谷泊荑山頂上 湧霞漫天邊 流連棚引之雲者 可是吾妻所化哉
佚名 1407

「棚引(たなび)く雲(くも)は 妹(いも)にかもあらむ」,0482有柿本人麻呂火葬土形娘子泊荑山時歌「隱國の 初荑山の 山際に 猶豫雲は 妹にかもあらむ」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m03.htm#0428

1408 【承前,十二第五。】
 狂語香 逆言哉 隱口乃 泊荑山爾 廬為云
 狂言(たはこと)か 逆言(およづれこと)か 隱國(こもりく)の 泊荑山(はつせのやま)に 廬為(いほりせ)りと云(い)ふ
 狂言妖語哉 亦或逆言惑眾哉 人云汝結盧 盆底隱國泊荑山 撒手永眠豈寔哉
佚名 1408

狂言(たはこと)」,誑語,或精神異常者所述之言。『新撰字鏡』云:「誑,くちばしる。又たはこと、又くるひてもの云。」
「逆言(およづれこと)」,妖言,惑眾之語。『天武紀』云:「有人登宮東岳,妖言(およづれこと)而自刎死之。」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki29.htm#sk29_02 於此,並用狂言、逆言之語,表示不願相信人死噩耗之狀。
「廬為(いほりせ)りと云(い)ふ」,此將下葬山野之事以宿於羈旅之形述之。

1409 【承前,十二第六。】
 秋山 黃葉𢘟怜 浦觸而 入西妹者 待不來
 秋山(あきやま)の 黃葉憐(もみちあは)れと 衷觸(うらぶ)れて 入(い)りにし妹(いも)は 待(ま)てど來坐(きま)さず
 汝云秋山之 黃葉繽紛令人憐 神貌黯然而 迷入山中吾妻矣 雖久待之不來歸
佚名 1409

「黃葉憐(もみちあは)れと」,雖云紅葉可人憐愛。古俗以為,人死之後,其魂紛入山野。常見和歌以尋求紅葉迷失山林為死亡之隱喻。http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m02.htm#0208
「衷觸(うらぶ)れ」,死者往赴冥界之黯然表情。『萬葉集』3303「川荑を 七荑渡りて 衷觸れて 夫は逢ひきと 人そ告げつる」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m13.htm#3303

1410 【承前,十二第七。】
 世間者 信二代者 不徃有之 過妹爾 不相念者
 世間(よのなか)は 誠二代(まことふたよ)は 行(ゆ)かざらし 過(す)ぎにし妹(いも)に 逢(あ)は無(な)く思(おも)へば
 浮生世間者 一旦徃去莫復來 今思吾愛妻 撒手人間離世後 無由相逢可知之
佚名 1410

「誠二代(まことふたよ)は 行(ゆ)かざらし」,人生莫有二度。「行(ゆ)く」表經過。
「過(す)ぎにし妹(いも)に」,「過(す)ぐ」乃死亡之敬避表現。

1411 【承前,十二第八。】
 福 何有人香 鄢髮之 白成左右 妹之音乎聞
 幸(さきはひ)の 如何(いか)なる人(ひと)か 鄢髮(くろかみ)の 白(しろ)く成(な)る迄(まで) 妹(いも)が聲(こゑ)を聞(き)く
 何幸之有者 得以至福如此矣 鄢髮執其手 與之偕老化白髮 尚得日日聞妻聲
佚名 1411

「幸(さきはひ)の 如何(いか)なる人(ひと)か」,何等幸福之人,方能...之意。「か」字乃連接助詞,故文末為連體中止形。
本曲不直述喪妻之慟,以稱羨他人得以白頭偕老,間接哀歎喪偶之悲。

1412 【承前,十二第九。】
 吾背子乎 何處行目跡 辟竹之 背向爾宿之久 今思悔裳
 我(わ)が背子(せこ)を 何處行(いづちゆ)かめと 辟竹(さきたけ)の 背向(そがひ)に寢(ね)しく 今(いま)し悔(くや)しも
 親親吾夫子 莫知汝命何處去 早知如此者 憶及過往如辟竹 背向而寢今甚悔
佚名 1412

「我(わ)が背子(せこ)を 何處行(いづちゆ)かめと」,吾夫不知身去何方。隱諱表示天人永隔之狀。
「辟竹(さきたけ)の」,「背向」之枕詞。劈裂竹子之後,往表背相疊,無以同向相對。
後悔未能在夫君生前把握春宵纏綿之曲。類歌3577,而男女立場相反。

1413 【承前,十二第十。】
 庭津鳥 可雞乃垂尾乃 亂尾乃 長心毛 不念鴨
 庭鳥(にはつとり) 雞垂尾(かけのたりを)の 亂尾(みだれを)の 長心(ながきこころ)も 思(おも)ほえぬかも
 庭鳥常鳴鳥 雞之垂尾亂尾矣 吾不如彼尾 能持悠心垂且長 哀切心焚殆毀滅
佚名 1413

「庭鳥(にはつとり)」,雞之枕詞。當時家雞形似野雞,飼作報時之用。
「雞垂尾(かけのたりを)の」,「雞(かけ)」字來自雞名之音。
「亂尾(みだれを)の」,以上乃引出「長」字之序。
「長心(ながきこころ)」,悠長之心境。
喪偶悲慟之曲。

1414 【承前,十二十一。】
 薦枕 相卷之兒毛 在者社 夜乃深良久毛 吾惜責
 薦枕(こもまくら) 相枕(あひまき)し子(こ)も 在(あ)らばこそ 夜更(よのふ)くらくも 我(あ)が惜(を)しみせめ
 若有佳人在 得以相枕與共者 方惜春宵短 今後孤枕無人伴 何恨夜更惜天明
佚名 1414

「薦枕(こもまくら)」,以菰薦所製之麤枕。
「相枕(あひまき)し子(こ)も」,相枕之妻子。
此云,妻子在世,方惜春宵苦短,今日天人永隔,唯恨秋夜之長。

1415 【承前,十二十二。】
 玉梓能 妹者珠氈 足冰木乃 清山邊 蒔散漆
 玉梓(たまづさ)の 妹(いも)は玉哉(たまかも) 足引(あしひき)の 清山邊(きよきやまへ)に 撒(ま)けば散(ち)りぬる
 玉梓華杖兮 吾妻姿形不復在 今化猶玉珠 足曳峻嶮清山邊 掬之蒔撒散紛紛
佚名 1415

「玉梓(たまづさ)」,妹之枕詞。本指信使所攜之杖,引申為互通信息之用。
「妹(いも)は玉哉(たまかも)」,昔日書信往來之妻子,今日化作珠玉一般。骨灰之隱喻。
「撒(ま)けば散(ち)りぬる」,散骨行為之描寫。

1416 或本歌曰
 玉梓之 妹者花可毛 足日木乃 此山影爾 麻氣者失留
 玉梓(たまづさ)の 妹(いも)は花哉(はなかも) 足引(あしひき)の 此山蔭(このやまかげ)に 撒(ま)けば失(う)せぬる
 玉梓華杖兮 吾妻姿形不復在 今化猶木花 足曳峻嶮此山蔭 掬之蒔撒逝消零
佚名 1416

「妹(いも)は花哉(はなかも)」,其云妻子如花般凋落消散。
蓋1415之異傳。

1417 羈旅歌
 名兒乃海乎 朝榜來者 海中爾 鹿子曾鳴成 𢘟怜其水手
 名兒海(なこのうみ)を 朝漕來(あさこぎく)れば 海中(わたなか)に 鹿子(かこ)そ鳴(な)くなる 憐(あは)れ其鹿子(そのかこ)
 朝渡名兒海 榜船而見滄溟間 牡鹿不勝戀 渡海呼妻鳴蕭瑟 嗚呼可憐其鹿子
佚名 1417

「名兒海(なこのうみ)」,所在未詳,或與1153「住吉の 名兒の濱邊」同。
「鹿子(かこ)そ鳴(な)くなる」,鹿子表小鹿,又隱身為水手。按『攝津國風土記逸文:「牡鹿不勝感戀,復渡野嶋。海中遇逢行船,終為射死。」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/itubun/itubun01.htm 『播磨國風土記』餝磨郡:「大牝鹿,泳海到就嶋」http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/fuudo/harima/harima01.htm#sikama