本棚新調、万葉集試訳

■本棚新調


万葉集試訳

2477 【承前,九三六三。】
 足引 名負山菅 押伏 君結 不相有哉
 足引(あしひき)の 名(な)に負(お)ふ山菅(やますげ) 押伏(おしふ)せて 君(きみ)し結(むす)ばば 逢(あ)はざらめやも
 足曳勢險峻 負名穴師山山菅 押伏之所如 君若暴強欲結契 妾又何由不予逢
柿本人麻呂 2477

「足引(あしひき)の 名(な)に負(お)ふ山菅(やますげ)」,背負著山名之山菅。「足引(あしひき)の」為山之枕詞。
「押伏(おしふ)せて」,借壓倒踏平山菅,比喻強暴地將對方之身體壓倒。
「君(きみ)し結(むす)ばば」,指若有此覺悟與激情,想與對方結合的話。站在女方視角對個性溫吞之戀人所言之語。

2478 【承前,九三六四。】
 秋柏 潤和川邊 細竹目 人不顏面 公无勝
 秋柏(あきかしは) 潤和川邊(うるわかはへ)の 篠目(しののめ)の 人(ひと)には忍(しの)び 君(きみ)に堪無(あへな)くに
 秋柏霑露兮 潤和川畔細竹編 篠目之所如 吾雖隱忍避人目 此情豈抑在君前
柿本人麻呂 2478

「秋柏(あきかしは)」,以秋柏為露水霑濕,而為潤之枕詞。
「篠目(しののめ)」,覆於古代豎穴住居出入口之竹條編織。與「忍(しの)ぶ」雙關。
「人(ひと)には忍(しの)び 君(きみ)に堪無(あへな)くに」,雖然能在他人面前隱藏這份戀情,但無法在心上人之前壓抑。

2479 【承前,九三六五。】
 核葛 後相 夢耳 受日度 年經乍
 真葛(さねかづら) 後(のち)も逢(あ)はむと 夢(いめ)のみに 誓約渡(うけひわた)りて 年(とし)は經(へ)につつ
 真葛遠長兮 今非逢時後有期 吾褚此夢占 望穿秋水度日徃 不覺月異已經年
柿本人麻呂 2479

「真葛(さねかづら)」,以期藤蔓長遠,而為「後(のち)も逢(あ)はむ」之枕詞。
相信夢占顯示雖然現在並非逢時,有朝一日必得相會,而日復一日等待,已然屢經年歲。

2480 【承前,九三六六。】
 路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀孋【或本歌曰,灼然,人知爾家里,繼而之念者。】
 道邊(みちのへ)の 壹師花(いちしのはな)の 灼然(いちしろ)く 人皆知(ひとみなし)りぬ 我(あ)が戀妻(こひづま)は【或本歌曰(またふみのうたにいふ)、灼然(いちしろ)く、人知(ひとし)りにけり、繼(つ)ぎてし思(おも)へば。】
 道邊路旁之 所咲壹師花所如 灼然昭顯矣 人盡皆知不得隱 吾心所繫戀妻者【或本歌曰,灼然昭顯矣,人盡皆知天下察,吾常懸心所念者。】
柿本人麻呂 2480

「壹師花(いちしのはな)」,未詳,藉類音引出「灼然(いちしろ)く」之序。

2481 【承前,九三六七。】  大野 跡狀不知 印結 有不得 吾眷
 大野藪(おほのら)に 跡狀(たどき)も知(し)らず 標結(しめゆ)ひて 在克(ありかつ)ましじ 我(あ)が戀(こ)ふらくは
 大原野藪間 漫無目的不知去 茫然標印結 如斯苦痛不得生 吾所朝暮眷戀者
柿本人麻呂 2481

「跡狀(たどき)」,狀態、樣子。
「標結(しめゆ)ひ」,占有女性。在沒想清楚出將來而與女方結婚或相戀。
「我(あ)が戀(こ)ふらくは」,「戀(こ)ふらく」原文「眷」者,『萬象名義』云:「戀也。」

2482 【承前,九三六八。】
 水底 生玉藻 打靡 心依 戀比日
 水底(みなそこ)に 生(お)ふる玉藻(たまも)の 打靡(うちなび)き 心(こころ)は寄(よ)りて 戀(こ)ふる此頃(このころ)
 其猶滄溟下 所生玉藻之所如 隨波而蕩漾 寄情舉手投足間 一喜一憂戀此頃
柿本人麻呂 2482

「生(お)ふる玉藻(たまも)の」,以上乃用以帶出「打靡(うちなび)き」之序。
「打靡(うちなび)き」,玉藻隨河水流動或隨波浪蕩樣搖擺之狀。指受到心上人吸引,因其一舉手一投足而一喜一憂之狀。
類歌3267。

2483 【承前,九三六九。】
 敷栲之 衣手離而 玉藻成 靡可宿濫 和乎待難爾
 敷栲(しきたへ)の 衣手離(ころもでか)れて 玉藻成(たまもな)す 靡(なび)きか寢(ぬ)らむ 我(わ)を待難(まちかて)に
 白妙敷栲兮 纖纖衣手兩相離 玉藻之所如 伊人萎靡今寢哉 望穿秋水甚難待
柿本人麻呂 2483

「衣手離(ころもでか)れて」,相隔兩地,無緣觸及心上人之衣袖。「離(か)れ」除物理上之距離,亦有比喻兩者關係疏遠,不復從前之意。
「我(わ)を待難(まちかて)に」,「難(かて)に」表不可能。

2484 【承前,九三七十。】
 君不來者 形見為等 我二人 殖松木 君乎待出牟
 君來(きみこ)ずは 形見(かたみ)に為(せ)むと 我(わ)が二人(ふたり) 植(う)ゑし松木(まつのき) 君(きみ)を待出(まちいで)む
 君若不來者 以為緣物偲君形 吾等倆相助 所殖栽培松木矣 常駐待君有驗哉
柿本人麻呂 2484

「君來(きみこ)ずは 形見(かたみ)に為(せ)むと」,在植樹之時做作者(女性視角)所述之言語。
「我(わ)が」,我們。上代語一般以「あれ」為單數形「われ」為複數形。
「君(きみ)を待出(まちいで)む」,松、待相關,是否有等待的意義呢。

2485 【承前,九三七一。】
 袖振 可見限 吾雖有 其松枝 隱在
 袖振(そでふ)らば 見(み)つべき限(かぎ)り 我(あれ)は在(あ)れど 其松(そのまつ)が枝(え)に 隱(かく)らひにけり
 振袖揮手者 放眼可望之極地 吾雖身在此 無奈以彼松枝故 隱吾形姿不得見
柿本人麻呂 2485

「袖振(そでふ)らば 見(み)つべき限(かぎ)り 我(あれ)は在(あ)れど」,雖然自己待在只要丈夫揮手就一定還看得見的距離。
「其松(そのまつ)」,「其(その)」乃指示現場之用法。

2486 【承前,九三七二。】
 珍海 濱邊小松 根深 吾戀度 人子姤
 千沼海(ちぬのうみ)の 濱邊小松(はまへのこまつ) 根深(ねふか)めて 我戀渡(あれこひわた)る 人兒故(ひとのこゆゑ)に
 和泉千沼海 濱邊小松根深紮 無方以自拔 吾之朝思復暮想 所戀既是人子故

 或本歌曰:「血沼之海之,鹽干能小松,根母己呂爾,戀屋度,人兒故爾。」
 或本歌曰(またふみのうたにいふ):「千沼海(ちぬのうみ)の、潮干小松(しほひのこまつ)、懇(ねもころ)に、戀(こ)ひや渡(わた)らむ、人兒故(ひとのこゆゑ)に。」
 和泉千沼海 潮干瀉生小松根 懇切之所如 吾之朝思復暮想 所戀是為人子故
柿本人麻呂 2486

「濱邊小松(はまへのこまつ) 根深(ねふか)めて」,至於「根」為止為序詞,然序詞與主題之轉換並不強烈。
「潮干小松(しほひのこまつ)」,潮干指退潮之痕跡。以上乃藉「松根」引出「懇(ねもころ)」之序。

2487 【承前,九三七三。】
 平山 子松末 有廉敘波 我思妹 不相止者
 奈良山(ならやま)の 小松(こまつ)が末(うれ)の うれむぞは 我(あ)が思妹(おもふいも)に 逢(あ)はず止(や)み無(な)む
 大和奈良山 小松末梢之所如 何以致如此 吾與朝暮懸心頭 所戀伊人不得逢
柿本人麻呂 2487

「小松(こまつ)が末(うれ)の」,末梢,藉同音而為「うれむぞは」之序。
「うれむぞは」,未詳,反語性疑問副詞。
「止(や)み無(な)む」,底本原文「止看」蓋訛,依『類聚古集』等作「止者」。

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2488 【承前,九三七四。】
 礒上 立迴香樹 心哀 何深目 念始
 礒上(いそのうへ)に 立(た)てる迴香木(むろのき) 懇(ねもころ)に 何(なに)しか深(ふか)め 思初(おもひそ)めけむ
 佇立荒磯上 所生迴香樹所如 根深情懇切 何以深邃難自拔 瘋狂依戀至如此
柿本人麻呂 2488