疫瘡

続日本紀
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/syokki/syokki12.htm
第十二巻、完成。

其在諸國,能起風雨,為國家有驗神,未預幣帛者,悉入供幣之例。
給大宮主、御巫、坐摩御巫、生嶋御巫及諸神祝部等爵。

神祇官のみならず、御巫、坐摩御巫、生嶋御巫などへの賜爵とは、これは初めてでしょう。
今度は、これまでもない疫瘡が流行し、どうしようもない、という無力感を感じる一巻。
中国と日本の思想、天下の飢荒と疫瘡の原因は、天子(天皇)の不徳のせいだと思われる。
この一巻、疫瘡のために大赦をし、施政人員の政績を監察し、それでも効かないためまた大赦をし。
という繰り返し繰り返しても、効かないものは効かない。人民と諸臣が相次に死んで、どうしようもない。
周りの人も一人一人逝ってしまう、手掛かりがない聖武天皇の当時の気持ちは良く理解できます。
巻末にも、その酷い有様を、以下のように記述した。

 春から、疫瘡が大発生する。初めは自筑紫より来て、夏を経て秋に渉る。公卿から天下の百姓まで、続く続く死んでしまう、その数は多くて、計しも切れず。近き世より以來、これあらず。

悲惨だわ、悲惨過ぎるよね。ですから、神佛に託くしか方法がないと思われます。
現代ならただの迷信だとは一般の見方ですが、あの時の人にとっては真実でしかないでしょう。
喩え普段それを見下する現代人としても、どうしようもない時にもこの道しかない、
という物語は、星野之宣宗像教授伝奇考―特別版 (希望コミックス)』の「土の女」によく表現されました。

 巫,古和名-かむなき。職員令一集解令釋:巫者,知鬼神之道也。在男曰巫,在女曰覡。一說,在男曰覡,在女曰巫,此令取此說。臨時祭式:凡御巫,御門巫,生嶋巫各一人云云,取庶女堪事充之,但考選散事官人。神名式:宮中神卅六座中,神祇官西院坐御巫等祭神廿三座中,有御巫祭神八座。

横道になるんですが、この機会を借りて、職員令と神名式に巫女を関わる記述も一緒に張ります。


菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
第十二首「八月十五夜」まで。

012 八月十五夜,月亭遇雨待月 探運得無。


    月暗重重事不須 天從人望豈欺誣 夜深纔有微光透 珍重猶勝到曉無

菅原道真菅家文草』巻第一0012

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■ヤマト
ヤマトといえば、漢字の表記はいくつの種類があります。
最初の「倭」、天武天皇頃の「日本」、聖武天皇頃の「養徳」、そして今の大和。
天平九年十二月二十七日、上記の疫瘡の故に、「徳を養うこと」を大事にしたいため、
これから「ヤマとの国」を「大倭国」から「大養徳国」に変更する、と命令した。
ですが、天平十九年三月十六日、大養徳国をまた大倭国に戻りました。
その原因は、藤原仲麻呂の暗躍であったと思われます。一説には、大養徳国という名称の提案者は吉倍真備で、この名称復帰を真備の失墜と関連付ける説(野村忠夫)もある。
そのあと、天平宝字二年頃、大倭国大和国に再び文字だけ改称され、以降固定するようになった。