なんやろう...

カムナガラ巻九にで、鳴海先生の精劍にも意味不明な秀真文字が...うむ、「おのへたほらふくのりかりか」ってなんだろう...調べてみると件の短劍そのもののようと思います。
今度ははっきり映ったから、「りかりか」の所でやっと気づきました。
それって斉明天皇紀にある謎の童謡ではないか。そりゃそうだろう、もっとも意味不明な童謡だけど...

まひらくつのくれつれをのへたをらふくのりかりが
みわたとのりかみをのへたをらふくのりかりが
甲子とわよとみをのへたをらふくのりかりが

https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/26/douyou.htm
今でもあの童謡に対して定説がありませんので、
一体、やまむらはじめ氏はどんな解釈を作るのを楽しんで待ちます。


カムナガラ(10)4/26発売。
http://www.manganomori.net/list.asp?listid=36




菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm

183 早春內宴,聽宮妓奏柳花怨曲,應製 自此以後,讚州刺史之作。向後五首,未出京城之作。


    宮妓誰非舊李家 就中脂粉惣恩華 應緣奏曲吹羌竹 豈取含情怨柳花

    舞破雖同飄䖝朵 歡酣不覺落銀釵 餘音縱在微臣聽 最歎孤竹海上

菅原道真菅家文草』巻第三0183


古今集仮名序

  • 斯かるに,今,天皇の天の下治ろしめす事,四つの時,九の廻へりになむなりぬる。天ねき御美みの浪,八州の外まで流れ,廣き御惠みの蔭,筑波山の麓よりも繁く御座しまして,萬の政を聞し召すいとま,諸諸の事を捨て給はぬ余りに,古の事をも忘れじ,古りにし事をも興し給ふとて。今も見そなはし,後世にも傳はれとて,延喜五年四月十八日に,大內記-紀有則,御書所預-紀貫之,前甲斐少目-凡河內躬恒,右衛門府生-壬生忠岑等に仰せられて,萬葉集に入らぬ古き歌,自らのをも,奉らしめ給ひてなむ。
    • 當於斯時,今上天皇御宇天下之世,春秋四季,既歷九迴。仁紱美浪,遠愈八洲秋津之外。茂惠廣蔭,繁勝筑波山嶽之陰。在於聞召萬政,不捨諸事之際,更能兼顧今時,不忘古事。思繼既絕之風,欲興久廢之道。欲以既可覽於今日,更得傳諸後世者,以延喜五年四月十八日,詔大內記-紀友則、御書所預-紀貫之、前甲斐少目-凡河內躬恒、右衛門府生-壬生忠岑等,各以諸家私集并古來舊歌不錄萬葉者,奉敕獻之。
  • 其れが中に,梅を插頭(かざ)すより始めて,杜鵑を聞き,紅葉を折り,雪を見るに至るまで,又,鶴、龜につけて,君を思ひ,人をも祝ひ,秋萩、夏草を見て,妻を戀ひ,逢坂山に至りて,手向けを祈り,或るは,春夏秋冬にも入らぬ,種種の歌を並む,選ばせ給ひける。全て,千歌、廿巻。名付けて古今和歌集と言ふ。
    • 其中,肇以春日梅花飾首,聽聞夏日杜鵑鳴囀,攀折秋日楓紅赤葉,終見寒冬大雪紛飛。又有諭於鶴鳥、靈龜,思君祝壽,見於秋萩、夏草,戀妻慕人。至逢坂山,合掌祈神,伏願羈旅安泰。或有不入春夏秋冬部類之雜歌者。並收種種和歌,嚴選撰錄。總有千歌、廿卷。名曰『古今和歌集』。
  • 斯く,此の度,集め選ばれて,山下水の絕えず,濱の真砂の數多く積もりぬれば,今は,飛鳥川の荑になる,怨みも聞こえず,細(さざ)れ石の巌となる,悦びのみぞ有るべき。
    • 此次,選歌結集,秀作如山下流水之不絕,佳曲若濱間真砂之無數,猶急流之成洲,今為飛鳥川荑也。未聞怨言,細沙成巖,實為可喜也。

撰述論を翻訳しました。