神保町・秋葉原

■神保町・秋葉原
今日(25日)は夢想灯籠の発表会であって、ユーザ記者として参加させた頂きます。
資料はまだ整理中なので、後日にで公開するつもりですが、興味があるものは先ずここで写真をご覧ください。
ですから、先ずは発表会以外のことから話しましょう。


本来は、日本に来ても直ぐ秋葉原へ行く予定はないものの、意外にもユーザ記者の応募に当たっちゃって、秋葉原行きも決定しました。
そこで、日頃世話になっているUSO9000さんは、秋葉原行きの日に歓迎会をしてくださって、本当にありがとう御座います。
11時半くらい、御茶ノ水で取り合わせ約束なので、此方は朝起きから『日本巫女史』の校正を一段落になってから、アパートを立ちました。
御茶ノ水駅に到着したのは、ほぼ11時で、橋を越えて待ち合わせ予定のJR御茶ノ水駅へ行きました。

USO9000さんと合流して、先ずは神田明神へ行って、ご朱印を頂いて、湯島神社へ行きました。神田明神には丁度結婚式があって、神前式を拝めます。写真を撮りたいのですが、社務所ご朱印や『巫女さん入門』・『伊勢神宮の衣食住$を買ってから既に行ってしまったのです。』】」
湯島の方も行ってきたのですが、神田と違って、あまり人がない所になります。

神保中町到着して、新全集の『古今集』や『万葉集』を探したいのですが、見つかりませんでした。代わりに、新潮日­本古典集成『和漢朗詠集』や『一年目のドイツ単語­』を買いました。

イベントの件は後日に言いますが、終わったらまたUSO9000さんたちと合流して、飲み会に出頭しました。そこで色々頂きました。

沖縄料理で、泡盛は思って以上に強かったんです。



大日本史

 橘清友奈良麻呂第二子也。【橘氏系圖。】少而沈厚,涉獵書記。耳長六尺二寸,眉日如畫,舉止甚都。寶龜中,高麗來聘,清友以良家子、姿儀魁偉中選,接對使人。使人史都蒙善相法,問通事舍人山於野上曰:「彼少年何人也?」對曰:「京師一白面耳。」都蒙曰:「此人風骨非常,子孫大貴。」野上問命之長短。曰:「三十二有厄,過此無恙。」延曆五年,為內舍人,【文徳実録。】敘正五位下。【日本紀略。】八年,病卒,年三十二。清友娶田口氏,生檀林皇后。子孫貴顯,果如都蒙言。【文徳実録。】弘仁中,贈從三位。【日本紀略。】仁明帝即位,詔曰:「盛恕y無沫,必資加等之榮,徽烈惟照,聿修崇號之制。故敬宗尊祖,義煥曩篇;追遠飾終,不隔異代。朕外祖父從三位橘朝臣,疏基顯族,驤首高衢。外祖母從三位田口氏,毓彩芝田,騰芳償n圃。但屬運謝,已從閱川。朕以菲薄,丕承洪業,緬尋既往,想清渾之眇焉。乃詢舊章,宣縟禮而有貴。外祖父及外祖母,並宜贈正一位。山城相樂郡挊山墓、河內交野郡小山墓,置守冢各一戶。」【續日本後紀。】承和六年,贈太政大臣。【日本紀略。】八年,以相樂郡山四町為墓地。子氏公。

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm