古今和歌集仮名序

古今和歌集仮名序
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一、本質論

 和歌は,人の心を種として,萬の辭とぞなれりける。
 世中に或る人、事、業,刺激物なれば,心に思ふ事を,見る物、聞く物につけて,言ひ出せる也。花に鳴く鶯,水に棲む蛙の聲を聞けば,息とし生ける者,孰れか歌を詠まざりける。

 力をも要れずして,天地を動かし,目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ,男女の仲をも和らげ,彪き武士の心をも慰むるは,歌也。


二、起源論

 此の歌,天地の開け始まりける時より,居できにけり。〔天浮橋の下にて,女神男神と成り給える事を言へる歌也。]しかあれども,世に伝はる事は,久方の天にしては,下照姫に始まり[下照姫とは,天稚彥の妻也,兄の神の形,崗谷に移りて,輝くを詠める夷歌なるべし,此れらは文字の數も定まらず,歌の様にも有らぬ事ども也。]荒かねの土にては,素戔鳴尊よりぞ,興りける。

 千早振る神代には,歌の文字も定まらず,素直にして,事の心わき難かりけらし。人世と成りて,素戔鳴尊よりぞ,三十一字は詠みける。[素戔鳴尊は,天照孁貴神の弟神也。【原文ハ兄神ナリ。記紀ヨリ改ス。】女と住給はむとて,出雲國に宮造りし給ふ時に,その所に八色雲の立つを見て詠み給へる也,《八雲立つ出雲八重垣妻篭めに八重垣作るその八重垣を》。]
 斯くてぞ,花を愛で,鳥を羨み,霞を哀れび,露を悲しぶ心,辭多く,様様に成りにける。遠き所も,居で立つ足元より始まりて,年月を渡り,高き山も,麓の塵土より成りて,天雲たなびくまで追ひ昇れる如くに,此の歌も,斯くの如く成るべし。

 難波津の歌は,帝の御始め也。[大鷦鷯帝の,難波津にて皇子と着こえける時,東宮を互ひに譲りて,位につきたまはで,三年になりにければ,王仁と言ふ人の訝り思て,詠みて奉りける歌也,此の花は梅の花を言ふなるべし。]
 安積山の辭は,采女のたはぶれより詠みて,[葛城の大君を陸奥へつかはしたりけるに,國の司,事おろそかなりとて,まうけなどしたりけれど,すさまじかりければ,采女なりける女の,かはらけとりてよめるなり,これにぞおほきみの心とけにける,安積山かげさへ見ゆる山の井のあさくは人をおもふのもかは。]この二歌は,歌の父母の様にてぞ,手習ふ人の始めにもしける。


三、歌體論

 そもそも,歌の態,六つ也。唐の歌にも,斯くぞ有るべき。

 その六種の一つには,風歌。
 大鷦鷯帝を,風へ奉れる歌,《難波津に咲くやこ此の花冬ごもり今は春べと咲くや此の花》と言へるなるべし。

 二つには,賦歌。
 《咲く花に思ひつくみのあぢきなさ身にいたつきのいるも知らずて》と言へるなるべし。[此れは,唯事に言ひて,物にたとへなどもせぬもの也,この歌いかに言へるにかあらむ,その心得がたし。五つに雅歌と言へるなむ,これには叶ふべき。]

 三つには,比歌。
 《君に今朝晨の霜のおきていなば戀しきごとに消えやわたらむ》と言へるなるべし。[此れは,物に比へて,それが様になむあると様に言ふ也。この歌よくかなへりとも見えず。たらちめの親のかふこの繭篭りいぶせくもあるかいもにあはずて。かやうなるや,これにはかなふべからむ。]

 四つには,興歌。
 《我が戀はよむともつきじ荒磯海の濱の真砂はよみ尽くすとも》と言へるなるべし。[此れは,萬の草木,鳥けだ物につけて,心を見する也。此の歌は,隠れたる所なむなき。されど,始めの風歌と同じやうなれば,少し様をかへたるなるべし。須磨のあまの塩焼く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり,この歌などやかなふべからむ。]

 五つには,雅歌。
 《偽の無き世なりせばいかばかり人の言の葉嬉からまし》と言へるなるべし。[此れは,事のととのほり,正しきを言ふ也。此の歌の心,さらにかなはず,とめ歌とや言ふべからむ。山櫻あくまで色を見つる哉花散るべくも風吹かぬ世に。]

 六つには,頌歌。
 《此の殿はむべも富けりさき草の三つば四葉に殿造りせり》と言へるなるべし。[此れは,世を譽めて神に告ぐる也。此の歌,いはひ歌とは見えずなむある。春日野に若菜つみつつ萬世を祝ふ心は神ぞ知るらむ。此れらや,少しかなふべからむ。大凡,六種に分かれむ事はえあるまじき事になむ。]


四、變遷論

 今の世中,色につき,人の心,花になりにけるより,あだなる歌,儚き言のみいでくれば,色好みの家に,埋れ木の人知れぬこととなりて,まめなるところには,花すすき穂にいだすべきことにもあらずなりにたり。
 その初めを思へば,かかるべくなむあらぬ。古の世世の帝,春の花の晨,秋の月の夜ごとに,さぶらふ人人をめして,事につけつつ,歌を奉らしめ給ふ。あるは,花をそふとて,たよりなき所にまどひ,あるは,月を思ふとて,しるべなき闇にたどれる心心を見給て,さかし,をろかなりと知ろしめしけむ。

 しかあるのみにあらず。さざれ石にたとへ,筑波山にかけて君を願ひ,悦び身に過ぎ,楽しび心に余り,富士の煙によそへて人をこひ,松虫のねに友を偲び,高砂,住の江の松も,相追の様に覚え,男山の昔を思ひいでて,女郎花の一時をくねるにも,歌を言ひてぞなぐさめける。
 又,春の晨に花の散るを見,秋の夕ふぐれに木の葉の落つるを聞き,あるは,年毎に,鏡の影に見ゆる雪と浪とを嘆き,草の露,水の泡を見て我が身を驚き,あるは,昨日は榮えおごりて,時を失ひ世に詫び,親しかりしもうとく也,あるは,松山の浪をかけ,野中の水を汲み,秋萩の下葉を眺め,暁のしぎの羽掻きを数へ,あるは,くれ竹のうき節を人に言ひ,吉野河をひきて世中をうらみきつるに,今は,富士山も煙立たず也,長柄の橋も作る也と聞く人は,歌にのみぞ,心を慰めける。


五、歌聖評

 古より,斯く伝はる中にも,奈良の御時よりぞ,広まりにける。斯の御世や,歌の心をしろしめしたりけむ。

 斯の御時に,正三位,柿本人麿なむ,歌の聖なりける。此れは,君も人も,身をあはせたりと言ふなるべし。秋の夕べ,龍田河に流るる紅葉をば,帝の御目に,錦と見給ひ,春の晨,吉野の山の櫻は,人麿が心には,雲かとのみなむおぼえける。

 又,山辺赤人と言ふ人有りけり。歌にあやしく,妙なりけり。

 人麿は赤人が上に立たむことかたく,赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける。[奈良の帝の御歌,龍田河紅葉みだれて流るめりわたらば錦なかやたえなむ。人麿,《梅花それとも見えず久方のあまぎる雪のなべて降れれば。ほのぼのと明石の浦の朝霧に嶋がくれ行舟をしぞ思ふ》。赤人,《春の野に菫摘みにとこし我ぞ野を懐かしみ一夜寝にける。わかの浦に潮満ちくれば方をなみ葦辺をさしてたづ鳴きわたる》。]
 この人人をおきて,又優れたる人も,くれ竹の世世に聞こえ,片糸のよりよりに絶えずぞありける。これより先の歌を集めてなむ,万葉集と名付けられたりける。


六、六歌仙

 此処に,古の事をも,歌の心をも知れる人,僅かに一、二人也き。しかあれど,これかれ,得たる所,得ぬ所,互ひになむある。  斯の御時より此の方,年は百年余り,世は十繼になむ,なりにける。古の事をも,歌をも知れる人,詠む人多からず。今,此の事を言ふに,司位高き人をば,容易きやうなれば入れず。

 其の他に,近き世に,其の名聞こえたる人は,即ち:

 僧正遍昭は,歌の態は得たれども,誠少なし。喩へば,絵に描けるを女を見て,徒に心を動かすが如し。[《浅緑糸よりかけて白露を玉にもぬける春の柳か》。《蓮葉の濁りに染まぬ心もてなにかは露を玉とあざむく》。《嵯峨野にて馬より落ちて詠める,名にめでて折れるばかりぞ女郎花我おちにきと人に語るな。》]

 在原業平は,其の心余りて,辭足らず。萎める花の,色無くて,匂ひ残れるが如し。[《月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして。》《おほかたは月をも愛でじこれぞこの積もれば人の老いとなるもの。》《寢ぬる夜の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな。》]

 文屋康秀は,辭は巧みにて,その様身に追はず。言はば,賈人の,良き衣着たらむが如し。[《吹からに野邊の草木のし折るればむべ山風を嵐と言ふらむ。》深草帝の御国忌に,《草深き霞の谷にかげかくし照る日の暮れし今日にやはあらぬ。》]

 宇治山の僧喜撰は,辭かすかにして,初め,終はり,確かならず。言はば,秋月を見るに,暁雲に遇へるが如し。[《我が庵は都のたつみ鹿ぞ棲む世を宇治山と人は言いふ也。》]詠める歌,多く聞こえねば,斯れ此れを通はして,良く知らず。

 小野小町は,古の衣通姫の流也。憐れなる様にて,強からず。言はば,良き女の,悩める所あるに似たり。強からぬは,女の歌なればなるべし。[《思ひつつぬればや人の見えつらむ夢と知りせば醒めざらましを。》《色見えで移ろふ物は世中の人の心の花にぞありける。》《詫びぬれば身を浮き草の根をたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ。》衣通姫の歌,《我が夫子が来べき夕也笹が根の蜘蛛の振舞ひ今宵著しも。》]

 大友黒主は,その態,いやし。言はば,薪負へる山人の,花の蔭に休めるが如し。[《思い出て戀しき時は初雁の鳴きて渡ると人は知らずや。》《鏡山いざたちよりて見てゆかむ年へぬる身は老いやしぬると。》]

 此の他の人人,其の名聞ゆる,野邊に生ふる葛の,這ひ広ごり,林に茂き木の葉の如くに多かれど,歌とのみ思ひて,其の態知らぬなるべし。


七、撰述論

 斯かるに,今,天皇の天の下治ろしめす事,四つの時,九の廻へりになむなりぬる。天ねき御美みの浪,八州の外まで流れ,廣き御惠みの蔭,筑波山の麓よりも繁く御座しまして,萬の政を聞し召すいとま,諸諸の事を捨て給はぬ余りに,古の事をも忘れじ,古りにし事をも興し給ふとて,今もみそなはし,後世にも傳はれとて,延喜五年四月十八日に,大内記-紀有則,御書所預-紀貫之,前甲斐少目-凡河内躬恒右衛門府生-壬生忠岑等に仰せられて,萬葉集に入らぬ古き歌,自らのをも,奉らしめ給ひてなむ。

 其れが中に,梅を翳(かざ)すより始めて,杜鵑を聞き,紅葉を折り,雪を見るに至るまで,又,鶴、龜につけて,君を思ひ,人をも祝ひ,秋萩、夏草を見て,妻を戀ひ,逢坂山に至りて,手向けを祈り,或るは,春夏秋冬にも入らぬ,種種の歌を並む,選ばせ給ひける。全て,千歌、廿巻。名付けて古今和歌集と言ふ。

 斯く,此の度,集め選ばれて,山した水の絶えず,濱の真砂の數多く積もりぬれば,今は,飛鳥川の瀬になる,怨みも聞こえず,細(さざ)れ石の巌となる,悦びのみぞ有るべき。


八、未來論

 其れ,枕詞,春の花にほひ少なくして,虚名のみ秋夜の長きをかこてれば,かつは人の耳に恐り,かつは歌の心に恥ぢ思へど,棚引く雲の立居,鳴く鹿の起きふしは,貫之等が此世に同じく生まれて,此の事の時に逢へるをなむ。悦びぬる。

 人麿亡くなりにたれど,歌の事,止まれるかな。假令時移り,事去り,樂しび,悲び行きかふとも,此歌の文字有るをや。青柳の糸絶えず,松の葉の散り失せずして,柾の葛,長く傳はり,鳥の後,久しく止まれらば,歌の態をも知り,言(こと)の心を得たらむ人は,大空の月を見るが如くに,古を仰ぎて,今を戀ひざらめかも。

翻訳するための改訂原文を公開致します。


菅家文草
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145 勸學院,漢書竟宴。詠史得叔孫通


    游魚得水幾波濤 命矣孫通遇漢高 暗記龍顏奇在骨 先知虎口利如刀

    諛言不謝加新印 降見無嫌變舊袍 太史公雖稱大直 猶慙去就甚鴻毛

菅原道真菅家文草』巻第一0145


聖徳太子伝暦
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 廿八年四十九歲,庚辰,春二月,宴花之時,召大臣已下百官已上於斑鳩宮.以淨菜賜宴,唯酒任意.經三日三夜,令大臣已下荷祿物,盡力而出.

 三月上巳,太子奏曰:「今日漢家天子賜飲之日也.即召大臣已下,賜曲水之宴.請諸蕃大紱并漢、百濟好文之士,令裁詩.奏賜祿有差.
 秋九月,太子之宮,復設大宴.天皇臨而御之.群臣各上當土之歌.

 冬十二月,天有赤氣.長一丈餘,形如雞尾.太子、大臣共異焉.百濟法師奏曰:「謂之蚩尤旗兵之象也.恐太子遷化之後七年,有兵滅太子家歟.」太子頥之矣.即命大臣,令錄國記、天皇本紀并氏氏等記.


■苔経庵
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珍しい電子テキストをいくつもアップする予定のようです。