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オタクの娘さん4。


日本巫女史

二、太詔戶命と龜津彼女命との關係

 龜津比女命なる神名は、獨り『龜兆傳』の細註に現れただけで、其他の神典古史には全く見えぬ神なる故、其の正體を突き止めるに誠に手掛りが尠ないのであるが、此の細註に神を持つ少女、天ノ香山に住む、龜津比女命、今は太詔戶命と稱するとある意味は、既に言靈の太詔詞が神格化されて太詔戶命と成り、此れに奉仕してゐた巫女を龜津比女命と稱したのが、更に附會混糅されて龜津比女命は即ち太詔戶命であると考へられる樣に成つた物と信ずるのである。而てし斯かる例證は原始神道の信仰に於いては屢屢逢著する處であつて、少しも不思議とするに足らぬのである。
 旁證として茲に一・二舉げんに、原始神道の立場から云へば、畏くも天照神に奉仕されて最高の女性であつて、消して日神その者では無かつたのである。其れが神道が固定し、古典が整理され、天照神の御神恕yが彌が上に向上されて來た結果は、天照神即日神と云ふ信仰と成つてしまつたのである。更に豐受神にした處が、『丹後國風土記』の逸文を徵證として稽へれば、豐受神は穀神に奉仕した女性であつて、此れも決して榖神その物では無かつたのである。其れが伊勢の度會に遷座し、天照神の御饌神として神恕yを張る樣に成つたので、遂に豐受神即穀神と迄到達したのである。而して茲に併せ記す事は、頗る比倫を失ふ嫌ひはあるが、古く宮中の酒殿に酒神として祭られた酒見郎子・酒見郎女の二神も、仁恕y朝の掌酒であつて、酒神その者では無かつたのが、後には酒神の如く信仰されたのは、天照神や豐受神と同じ理由──其間に大小と高下との差違は勿論あるが、兔に角にかうした信仰の推移は宗教心理的にも民族心理的にも、良く發見される事なのである。龜津比女と太詔戶命との關係も又其れであつて、始めは龜津比女は神を持て女として太詔戶命に仕へてゐたのが、後には太詔戶命その者と成つたのである。かう解釋してこそ兩者の關係が會得されるのである。
 龜津比女が巫女であつた事は、改めて言ふ迄も無いが、唯問題として殘されてゐる事は、龜津比女の名が總てを語つてゐる樣に、此の巫女は鹿卜は龜卜に變つてから太詔戶命に仕へた者か、それとも鹿卜の太古から仕へた者かと云ふ點である。巫女が鹿卜に與つたと云ふ事は、他の文獻には見えてゐぬので、此れを考證するに困難を感ずる事ではあるが、姑らく『龜兆傳』の記す處に據れば、前揭の如く、「天香山白真名鹿:『吾將仕奉。我之肩骨內拔拔出,火成卜以問之。』」あるので、巫女は鹿卜時代から此れに交涉を有してゐた者と見て差支無い樣である。後世の記錄ではあるが、『續日本紀』寶龜三年十二月の壹岐國の卜部氏の事を記せる條に「壹岐郡人直玉主賣」とあるのは、女性の樣に思はれるので參考すべきである。


大日本史

 大伴駿河麻呂,【○萬葉集曰,大伴駿河麻呂高市大卿之孫。系圖或曰,參議道足之子。續日本紀公卿補任不載父祖。今無所考。】天平中,敘從五位下,為越前守。寶字初,坐黨橘奈良麻呂被謫。召還,授從五位上。寶龜中,累歷出雲、肥後守,敘從四位下,為陸奧按察使。以老固辭。詔曰:「聞汝駿河麻呂宿禰,衰老不能就職。然陸奧之任,固擇其人。唯汝稱朕心,故授見任。」即日授正四位下。既而兼陸奧鎮守將軍。蝦夷寇邊,駿河麻呂奏狀,請處分。敕曰:「將軍前日奏征夷便宜,以為:『一者不可伐,一者必當伐。』朕慮勞民,每事含弘。今得將軍奏,蠢彼蝦狄,不悛野心,屢侵邊境,敢拒王命。事不獲已。一依來奏。宜早發軍,應機討滅。」時海道蝦夷燒斷橋道,攻桃生城,破其西郭。守兵不能支,國司遣兵援之,馳驛以聞。【○本書不載結局,蓋脫文也。簡下文,百濟俊哲奏。潰圍而出,疑此時之事。今無所考。】迺敕坂東八國曰:「陸奧如有告急,隨國大小,差發援兵,務赴機要。」駿河麻呂又奏:「臣等計賊所為,狗盜鼠竊,雖時有侵掠,而不致大害。今屬茂草之時攻之,朕恐後悔無。」及帝以其輕論軍興,首尾異計,譴責之,駿河麻呂懼,進兵破賊,追至遠山村。其地嶮阻,夷賊所憑。歷代諸將,未嘗究討。至是覆其巢穴,降者相踵。嘉功慰勞,賜御服綵帛。六年,就拜參議,遣使宣詔曰:「嚮者夷俘構逆,侵桃生城。鎮守將軍大伴宿駿河麻呂,奉承朝委,不顧身命,討活反賊,懷柔歸服。勤勞之重,實合嘉尚。授正四位上,賜勳三等。從軍部將以下,一千七百九十餘人,量等授位。」七年,卒,贈從三位,賜絁三十匹,布壹百端。【續日本紀。】

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