伊勢三日目、小俣と斎宮と外宮

■放浪癖:伊勢 小俣と斎宮と外宮
伊勢三日目、年末行って開いてなかった等比復原斎宮寮迹へ行こうかと思いますが、
旅行最終日は京都から直に山梨へ戻る夜行バス便を取ったため、京都へは2/10朝移動なら時間が調整し難く、今日いくことになります。
昨年末、外から撮った等比復原伊勢斎宮寮跡「さいくう平安の社」。右は斎宮寮庁正殿、左は東脇殿で奧は西脇殿

  • 斎宮寮庁正殿:檜皮葺入母屋造、復元建物群中斎宮寮長官の權威を顯す最も格式の高い建物。復原時軒高は室生寺金堂を参考。
  • 西脇殿:檜皮切妻屋根造に東向板庇、復元建物群中床の面積が最大、饗應するための建物。復原時軒高は嚴島神社客神社祓殿を参考し、庇の形態は法隆寺聖靈院前身建物を参考。
  • 東脇殿:平入。床の面積が最小にも柱の径が最大という、壁のない構造と思われる。寮庁役人が儀礼を臨む建物。復原時春日大社の車舍を参考。


計画として、未明からJR参宮線宮川駅着、小俣地区の一番遠い湯田神社へ行き、そこそこ日光が出る際に折り返し最終的に近鉄宮町駅で斎宮へ、となります。
運がよく今回のルートの唯一の内宮攝社湯田神社で曙光を迎えることが出来ました。

これで參宮街道を沿って折り返し、宮川駅のとなりの離宮院公園・官舍神社と訪れました。昔、斎王が神宮へ向かう際に使う宿舍としたところ、建物跡として土壘が現存します。

宮川を越える一歩手前に五穀豐饒を祈る小俣神社があり、また以前参宮の者が利用せずに居られぬ宮川の渡場迹「桜の渡し迹」があります。

  • 豐受大神宮 攝社 小俣神社 宇賀御魂神


また、宮川堤(神宮用御木材儲跡もあり)を沿って南向すると「上社(かみのやしろ)」があり、境内に豐受大神宮の攝社志等美神社、大河內神社と末社打懸神社の比定地が並んでいる。志等美神社、大河內神社に至っては一つの御垣に二社並列の形でした。

それからJR山田上口の近くに、草奈伎神社と大間國生神社は同じ社地で少々離れた公園のそばに清野井庭神社が一つの社地となります。

  • 豐受大神宮 攝社 草奈伎神社 御劍仗神
  • 豐受大神宮 攝社 大間國生神社 大若子命、乙若子命

  • 豐受大神宮 攝社 清野井庭神社 草野姫命(一説、屋船神の分靈)

山田赤十字病院迹(移転済)を通って樹齡千年近い楠の巨木がおる宇須乃野神社に御同座の縣神社があります。

  • 豐受大神宮 攝社 宇須乃野神社 宇須乃女命
  • 豐受大神宮 末社 縣神社 縣神

正直今日の天氣が芳しくなく、時間に余裕があれば宮川めぐりをも考えたんですが断念、大人しく斎宮へ向かう。ただし豪雨が次と次に来て、幸い風が強いのか豪雨が來るのが早いもののさるのも早そうです。流石に神風の伊勢の国ということろでしょう。



さいくう平安の社を終わったら既にいたことのある斎宮歴史博物館及び斎宮歴史体験館を簡単に回って、外宮のある遷宮館へ行こうかと思ったのですが、現実は甘くない。
チラシを見たらなんと斎宮任內薨逝された隆子女王の墓と嵯峨帝が斎王に大巳貴命祀るよう命じたこと栗須美神社迹があるんではないか!?前回神服織機殿神社・神麻續機殿神社を回ったとき分かったら一緒に回れるのに....もっとも、伊勢物語在原業平関連史跡もあって行きたいけど遠くていけない...


二ヶ所それぞれ距離があって時間がかかります、斎宮歴史体験館をあきらめて斎宮歴史博物館だけ行ってから遷宮館へ。そう、神宮關係の施設が閉館が早いのだ。大体4時最終入場で4時半で閉まります。
斎宮歴史博物館の出し物は大体2009年とそんなに変わらないのですが、レイアウトが変わってて新鮮でした。もとい、撮影OKな博物館は重宝です。










遷宮館は写真NGですが、想像以上のボリュームがあるため期間をみたゆっくり見たいと思います。

地図を頼って下御井神社へ行ってみたら以前も行ったことがあるものの名前が知りませんでした。


外宮の裏参道近くに豐受大神宮末社の大津神社、度會國御神社があるものの、道が通ってない、たまに開けるらしいですが基準がよく分かりません。所管社の上御井神社と御酒殿神は一般参拝不可。
帰りは外宮裏参道月夜見宮を繋がる神路通を歩く、泊まっているユメビトハウスがなんと鍋Party+牡蠣大会をやってます。

https://www.facebook.com/yumebitohouse/posts/925713220882186
昨日までは神道・古代史ネタを話したものの、今日はなんとガンダムネタで盛り上がりました。
二号館オープンに向け工事ヘルパーの中川さんがなんと押井監督ファンだと、お陰様で幅広くマニアックネタを話すことが出来ました。いや、楽しかったんです。