お盆放浪、伊勢一日目

■お盆放浪、伊勢一日目

伊勢行きのバスですが、松江、津、伊勢市などを経て、二見浦で降りるのは私だけだ。
伊勢神宮の参拝に関して、本当は二見浦で禊をしてから外宮として内宮、最後に朝熊山というのが順番である。


前回は夕方の二見浦を見たくて、本当は二見浦の見所は日出だけど、夏場だとここで宿泊でもしないかぎり難しい。それでも朝の二見浦は夕方と違う風貌を呈して心地よい所である。


二見浦


前回も続きメインの目的は伊勢神宮125社巡りであり、案の定地図を頼っても摂社・末社がどれも少々搜し難かった。江神社を目指しながら行きすぎで榮野神社へ至った。幸い、普通は無人神社の榮野神社であるが今日は祭りがあって神職から道を聞けて見つかった。五十鈴川の河口で入江近くの位置に鎮坐するのが名前の由来であるが、山の麓にある。また俗に蒔絵明神と云う。江神社の近くに猿田彦岩や大江寺があり、大江寺が元興玉社とも言われる場所で元興玉社の小さい社がある。


それから神前岬の方向を向けて山を登る。かなり険しい参道であるが、山の麓から神前神社の表示が在り、石段も鋪設され階段の終点には神社があることが分かるだけ安心感がある。山の頂には皇大神宮攝社神前神社とそれと同座である許母利神社、荒前神社が坐す。荒前比賣命は國生神の御子である。急な坂道であるが涼しい林中にあり、そこで山蟹と出遭うのも面白かった。


それから天照大神素戔嗚尊との誓約によって生まれた女神・須佐乃乎命御玉道主命を祭る粟皇子神社へ向かう。別名淡海子神で海岸鎮護の神であり、本当は池ノ浦からアクセスしたほうが便利だけど、一旦『お伊勢さんを歩く』の地図をしたがって、松下社経由で松下駅の反対側の小径に入る。松下社について、蘇民將來を祭る蘇民祠があり、また主殿には祭神三柱で素戔嗚尊菅原道真、また不詳神一座があり、少し珍しい組み合わせである。って、小径に入って海に出ることではなく、山に登る感じになり、道迷ったのかと思うけどそうでもない。登り道の続き下がり、山を越えて海岸を出る路線だそうだ。但し下がり道が終えたら道が無くなり、田ぼんと行って良いかどうかの場所に出て、とりあえず農道とも言え難く、叢や泥の上に細い木板がある所を踏み分けて進む、ようやく海に出た。海岸を沿って海の屋があり、そこでまた道を尋ねて粟皇子神社。やっぱり神社の名前を言い出したらあんまり知られなくて、海の屋の人が確かにお社が有った...って感じだった。粟皇子神社を後に、何故かホテル経由でようやく道に戻った。これで二見地方の神社は一通り参ったので、池ノ浦のバス停からかんバスにのり鳥羽へ。


鳥羽から電車で志摩赤崎におり、志摩国の赤崎神社を参る。鳥羽の観光案内所から志摩国一宮伊射波神社の行き方も聞き、歩いて行くつもりだったけど、正直自分のやり方は冬場ならともかく夏場ではかなりキツイ。バスが進められたので赤崎神社前でバスを乗って安樂嶋へ。ちなみに、安樂嶋行きのかもめバスはかんバスの一日切符も適用であることは帰り道でようやく分かった...(汗)
あと、ここで気づいたけど、山登りの道が激しいのと湿度が高いせいか、カメラのセンサーにゴミが入った。(死)台湾に戻ってからCleaningに出そうと思ったけど後ほど出雲で大変羽目になったはこの時にはまだ知る由もない...


志摩國一宮は二ヶ所あり、一つはその前に參った伊雑宮(いざわのみや)、もう一つはこの伊射波(いざわ)神社。原因として伊雑宮は官社として一宮にしていいか、という懸念である。同じ発音での社としては瀧原宮多岐原神社を連想する。伊射波神社は一宮として規模が小さい、変わりにあんまりに人が無く山の中で海を面して靜に佇むよき所である。宮司はいつも神社にいるわけではないので、ご朱印を求める場合は先に電話で宮司と連絡を取り、おおむね宮司家で頂ける。実際、バスの降り場に伊射波神社へと、伊射波神社宮司家への道標がある。また、宮司家からの見渡しも大変ステキな景色である。伊射波神社の奧に領有神の道を通って海上守護神領有神の社へでる。そこのまた、絶景。戻りになるど流石に何本の山も越えたのかかなり疲れが溜まり、水飮んで休んだりする。バス停のどころにお盆踊りの準備をしていて涼しい風景である。


志摩國一宮 伊射波神社


鳥羽経由で内宮に参拝。正宮御垣内に位置する興玉神宮比神屋乃波比伎神は一般に参拝不可なので、正宮より遥拝する形となる。
また、内宮の宇治橋の対面にある饗土橋姫神社の隣にある津長神社は、前回行き損ねたので今度行ってみようと思ったけどなんと道路が封じられた。どうや津長神社大水神社らは修繕中につき、饗土橋姫神社同座になるようだ。ちなみに、正宮、別宮は20年一度式年遷宮を行うけど、攝社・末社・所管社に関しては40年一度に作り変え、また20年毎に修理と云う形となる。この年は作り変えであれば、20年後は基本簡単な修理となるのが基本で、先後次序は特に無く、調查により先後が変わるし、また鎮座地により痛みの具合も違う為それぞれの状態にで修理・遷宮を行う。実際にこの目で津長神社を見えず、125社めぐりとして些か微妙ですが、饗土橋姫神社で参拝する形になった。
おはらい町で赤福氷を頂く、おかげ横丁まで散歩してきた。連続してハードな旅路ではいいリラックスと言えよう。帰り道で斎宮の広告を載せたかんバスを見た、近頃かなり意欲的活動している斎宮歴史博物館・体験館の姿勢に脱帽である。



かんバス


時間の余裕がありそうなので直接外宮へではなく寄り道で猿田彦神社を寄った、天鈿女命を祭る佐瑠女神社に参拝。結構佐瑠女神社例祭のポスターが有名だけど今度は張ってなかった。また、帰りから気づいたのは、昔は無かったはず佐瑠女神社にも御朱印が頂けるようだ、失念。もっとも時間も遅くなって受付時間が過ぎたのかも。
外宮にもどって、大津神社への道は相変わらず開いてなかった。神宮護衛に尋ねたら警備・安全上の理由で朝7~8時くらい開けて午後4時で閉まるらしい。確かに、一般参拝不可の上御井神社に近いし、いつまでも開けるのが宜しくないかもしれない。その後、大宮所の境界を首護する四至神を参拝し、写真を撮り、どうもかなり一般人にパワーストーンとして扱われる所が気にするけどね...

猿田彦神社 佐瑠女神社

外宮 四至神


夜は久しぶりのユメビトハウス、偶然にも旧正月のメンツも揃って縁を感じた。かなり美猫のアルーだけど、窓の明けかたら会得して外で喧嘩したりするようで、今はかなり貫禄のある顔つきに。ユメビトハウスの夜食会は相変わらず楽しい。