お盆放浪、伊勢三日目

■お盆放浪、伊勢三日目

ついに伊勢神宮125社巡拝においで最後の地、外城田地域を挑戦する。この地域の神社は分部も広いし、山中に位置するところも少なくない。旧正月では滝原宮の後ここに来ようと思ったけど時間の余裕をみて急に田丸地域を変更した。振り返って見ると正しい選択でした。
朝一ゲストハウスから出発、丁度昨日滝原宮へ行きたい女性と時間が被ったので一応途中までは同じ。(滝原宮の場合、伊勢市から多気まで行く必要あり。)朝は曇りだったので田丸平野を眼下に收めそうな榛原神社を最後に、まず御船神社から始める。ここで気づいたのは、やっぱり地図と実際の地形とは微妙に違うこと、例え河と表示された所にすでに伏流になったりする。手持ちの本も結構古いのでその分變化ありかもしれない。


御船神社倭姫命外城田川を遡る際にこの地で船を泊まったのが名称の由来。同座である牟彌乃神社は寒川比古命寒川比女命を祭り、大水上神の御子で川守の神という。特筆すべきなのは、入口に石灯篭の常夜燈があり、伊勢神宮摂社末社にしては華やかな部類だと思う。


河を越えて田んぼの真ん中に佇む森があり。直感で進んだら朽羅神社に的中。入口から少し進んだら巨大な木の根があり、神宮域内には基本木を伐ることが禁じられるので雷かなにかの原因で倒れて人の手を施したのかと思う。社殿は新しく、近頃建て直したのだと思う。祭神の千依比賣命千依比古命、ともに大歳神の御子で田野農耕の神として祀られる。


これからやや遠いところに回らないと次の津布良神社へは辿れない。途中雨が降り始めて、一旦幸神社で雨宿りをしてから再出発。津布良比古命、津布良比賣命は大水上神の御子で田野の水神として信じられ、小道に入ってから道が分からなくなり、水神の性格もあるので一度池のほうに進んだら外れ、同じ丘でも池の反対側に位置する。境内は柔らかい苔に覆われるが、同じく美しい苔生のある宇治山田神社とはまた趣が違う。



本日最大の難関、鴨神社。大水上神の御子にして農耕灌溉の守護神。倭姫命が大日山の中腹に社地を定められたという。地図を見るだけかなり厳しいとは予想したけど実際に登ってみたらはるかに厳しい。「鴨神社参道、これより1100mと書いた石碑」までは良いとして、竹林を越え、伊勢自動車道の下を出るとどこか道なのかを全然分からない。いくつ試行錯誤の末にとある山道を見つけ、(但し、あの山道へつなげる道は無さそう、只管草むらを踏み分けるのみ。)とにかくのぼる。雨が止んだはずだけど湿度が高く、正直カメラには湿気があんまり宜しくないのでしんぱいしつづ登る。蜘蛛の巣も多いので適当に枝を拾い杖として使い登り、山の中腹というものの、全然神前神社みたいな階段もなく、迷うだっのかという不安が心の中で拭けなく進む。進めると進むほど道が怪しくなり、最終的に山の頂に登った所で比較的に道らしい道らしいに出た。何所へ進めば辿り付けるのかイマイチ分からず、携帯で地図と調べたらかなり遠いところへ行ったとの表示だけど、恐らく現在地の場所に精度問題があるのでGPSをOnしてみたら...Over HeatでShut down..._| ̄|○ とりあえず右手を歩いてい見て勘でU Turn、殆ど諦めた所でで鴨神社へ降りる道標を発見。かなり降りてからようやく足元の崖の麓に神社を発見!まさに熊野古道の伏拝王子の気持ちとか思う。しかも、神社を修繕している人ががいる!話してみたらここへくる参拝者は結構迷ったそうだ、出会ったとき高確率で「ああ、まさか人が居るとは思わなかった!」とか言われそうという。この気持ちが分かるわ...マジで冗談抜きで遭難しそうだから。元道をそのまま引き返すのも微妙なので、的山公園への道に出てから降りる、ここは断然行きやすい。降りる前に、鴨神社の近くにある倭姫命が使ったという氷室の泉へ參って、再び残りの125社參りへ。



田乃家神社及び同座の田乃家御前神社は墓地の隣にある、祭神は大神御滄川神大神御滄川御前神。農家の守り神として伝えられる。
東外城田神社及び外城田小、永壽寺を過ぎで蚊野神社、同座・蚊野御前神社に参り。祭神は大神御蔭川神と大神御蔭川御前神、この地の田野を潤す灌溉用水の神という。125社もついに最後の榛原神社だけ残る。


階段を登り、山や茂みの中に天須婆留女命御魂、御前神を祀る榛原神社が鎮座する。御名から分かるように、昂星を祭る神社である。日本神話においで星神が極めて少なく、稀少な存在である。ようやら、星の出具合で農耕を占い信仰が由来である。ここから田園風景を一望でき、125社參りはここで幕を引いた。


伊勢神宮125社全參詣達成



外宮に戻り、遷宮館の特別解説を参加した。遷宮館の紹介と、1:1 外宮 1/4 模型が解説付きで拜める。遷宮館は前回も行ったけど、あんまり時間が無くさらっと見回ったので、今度は丁度解説コースにあわせてゆっくり見ることになった。そこは色々興味深い話を拝聴させていただいた。外宮模型に関して大きさこそ1:1なのだが、側面から1/4だけ原寸大で作られたものには流石に圧巻。凝宝珠ならず居玉(すえたま)は瑪瑙か翡翠かその当たりの造りかと思われがちだけど違う、実は金物であり銅の上に青・黄・白・赤・黒と五色の漆塗を何層も重ねて恰も宝珠のように仕上げたのを聞いて驚いた。また、外宮の中唯一つの内宮仕様建築の所があり、天照大神が外宮に出向かって食事するという御饌殿である。あと、柱と梁の間わざと隙間を残して、それが20年を初とぴったりと合うことも初耳であった。
解説が終え、個人的に解説員に聞いたのは、摂社・末社遷宮に関すること。正宮・別宮は20年一度で、定められた順で造替えと遷宮を行うが、鴨神社で聞いた話では摂社・末社の造替えは40年一度だそうだ、但しその順はよく分からない。頂いた返事に関して、摂社・末社は基本40年一度造替えを行い、造替え後の20年は基本の修理を行う、こんな感じで修理を挟んで40年で生まれ変わる。但し、先後の順は決めておらず、建物の痛み具合を調査の上に調整する。もちろん、場所によって痛みが激しい神社は優先に修理もしく造替えするという。
最後、解説コース用のイヤフォン・マークを返却した際に、なんと解説コース申し込みのお礼として遷宮館紹介冊子が頂ける!写真禁止の遷宮館だけあって、貴重な写真や解説を載せるこの冊子は間違いなく重宝である。


ちなみに、外宮の創立は『日本書紀』に記載がなく、社伝の『止由氣儀式帳』によれば雄略天皇の代であることがわかる。

天照坐皇大神、始巻向玉城宮(垂仁)御宇天皇御世、國國處處大宮處求賜時、度會(乃)宇治(乃)伊須須(乃)河上(爾)大宮供奉。爾時、大長谷天皇(雄略)御夢(爾)誨覺賜(久)、吾高天原坐(弖)見(志)眞岐賜(志)處(爾)志都眞利坐(奴)。然吾一所耳坐(波)甚苦。加以大御饌(毛)安不聞食坐故(爾)、丹波國比治(乃)眞奈井(爾)坐我御饌都神、等由氣大神(乎)、我許欲(止)誨覺奉(支)。爾時、天皇驚悟賜(弖)、即従丹波國令行幸(弖)、度會(乃)山田原(乃)下石根(爾)宮柱太知立高天原(爾)比疑高知(弖)、宮定齋仕奉始(支)。是以、御饌殿造奉(弖)天照坐皇大神(乃)朝(乃)大御饌夕(乃)大御饌(乎)日別供奉。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~kokakuro/kodaishi/ise/ise3-1.htm

夜はまた夜食会。125社巡り達成のことも有って、伊勢の地酒・おかげさまを買って皆で飮もうかと思う。事実伊勢にいる際は毎日飮んでた...
積極的料理を作るご家族一行は今日居なさそうで、皆合わせて料理を作ったけど速度が遅い、昨日や一昨日に比べたらそんなに盛り上げって無かった...と思った所でおかげ横丁で料理人として仕事している人が突然現れ、カレー、燒き伊勢うどん、燒き茄子など、次と次と色んな料理をハイスピードで仕上げてしかも終わりが見えないし、おまけにポテトチープなどお菓子を持参していて、あと私以外もやっぱりお酒を持ってくる人が大勢に居て、また「伊勢の夜に」と乾杯したけど私には正に豐受大神の荒魂による祟りにしか見えず、皆を暴食の大罪に墜ちさせるOut of Controlな夜が始まった......