■年末年始放浪記・奈良一日目
朝からJR桜井線で巻向駅へ、卑弥呼の墓といわれる倭迹迹日百襲姫命の箸墓古墳を參る。『日本書紀』によると「是墓者,日也人作,夜也神作。」といい、大変興味の深い遺跡である。次の目標は大物主神を祭る大神神社なのだが、途中檜原神社が気になったため行ってみたんですが見つかれず最終的に大神神社の大鳥居を目指して歩く。取り鉄まがい写真とか撮ったりした。
乃楽 箸墓古墳
倭迹迹日百襲姬命為大物主神之妻。然其神常晝不見,而夜來矣。倭迹迹姬命語夫曰:「君常晝不見者,分明不得視其尊顏。願暫留之。明旦仰欲覲美麗之威儀。」大神對曰:「言理灼然。吾明旦入汝櫛笥而居,願無驚吾形。」爰倭迹迹姬命,心裏密異之,待明以見櫛笥,遂有美麗小蛇,其長如大衣紐。則驚之叫啼。時大神有恥,忽化人形,謂其妻曰:「汝不忍令羞吾。吾還令羞汝!」仍踐大虛,登于御諸山。
爰倭迹迹姬命仰見而悔之急居,【急居,此云つきう。】則箸撞陰而薨。乃葬於大市。故時人號其墓謂箸墓也。是墓者,日也人作,夜也神作。故運大坂山石而造。則自山至于墓,人民相踵以手遞傳而運焉。時人歌之曰:大坂に 繼登れる 石群を 手遞傳に越さば 越し耐むかも
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki05.htm#sk05_03
大神神社は大国主神の幸魂・奇魂たる大物主神をまつる、蛇をイメージしたので手水舍も蛇。但し私的には大国主神と大物主神の性格は全く別物である。なお酒とも深く関わり、『日本書紀』崇神紀には「此神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 釀みし神酒 幾久 幾久」「味酒 三輪殿の 朝門にも 出行かな 三輪殿門を」「味酒 三輪殿の 朝門にも 押開かね 三輪殿門を」などの和歌が殘る。ちなみに龍蛇信仰が時代を過ぎると狐女房説話へ変わっていく、龍蛇類異類婚姻譚は豊玉姫命、大物主命などが挙げられる。
実際大神神社へ行ったら先ほど行き損ねたの檜原神社がまさか元伊勢 倭笠縫邑であるとは、それは行かざるを得ない。よって山邊道を沿って檜原神社へ。その道頭に三島由紀『奔馬』に書かれた笹百合が御神花の狹井神社があり、三島由紀夫紀念碑が立たれている。なお久延彦神社、若宮社なども山邊道を立つ前に先に回った。山邊道には萬葉歌碑が多く、興味深く拝読させた。神武帝が皇后と出会った狹井河聖蹟も山邊道にあり、特に大神神社から檜原神社の間の山邊道は一回行ってみる價値があると思う。
乃楽 山邊道 神武天皇 狹井河聖蹟
乃楽 狹井神社 三島由紀夫紀念碑(豐饒之海 奔馬)
檜原神社に到着、正面は鳥居ではなく注連柱が立つ、大津皇子関連の二上山夕日が一望できる。拝殿・本殿がなく、三つの鳥居で祭る形となる。のち、豊鉏入姫命を祭る豊鉏入姫宮を創建、元伊勢の起点として重視視される。また山邊道を沿って大神神社へ戻り、三輪駅から桜井駅へそこで多武峰行きのバスで談山神社へ向かう。
談山神社といえば多武峰縁記から始める大化改新関連の史跡と大量な芸術品。社殿は全然神社らしくなく、ただし芸術品を展出する殿内はなんと撮影可能!在り難く撮らせていただいた。頂上に天智帝、藤原鎌足大化改新御相談所があり、上るのが苦勞だけど非常に価値あり。朱印は何種類ある。
乃楽 談山神社
乃楽 談山神社 傳天智帝、藤原鎌足大化改新御相談所
また奈良へ戻り、井上内親王を祭る御神霊社を參る。御神こと怨霊信仰が誠に興味深い、人間の後ろめたい気持ちの表れと思う。そのあとは東大寺へ、『久遠の絆』關係の舞台をはじめ色々吟味させていただいた。
夜のゲストハウスはまた面白かった。山辺道の話が出て、話し込んだら隣の人が「私も聞いて良い?」と割り込んで、盛り上がったところがマジで旅の醍醐味だと思う。この日も写真を整理しながら遲くまで色々話した。お陰で翌日の計画もまだ立ててない。