続く

日比野暉彦さんによるコメント:

《・・・〔日本書紀から見ればイザナキの〕神が淡路に鎮座したことは明らかであるが、記のほかに「淡海の多賀」の記事はない。それで、「淡海」は「淡路」の誤りとする説もあり、古事記の写本の中にも「淡路」と写すのがある。
しかし、記では必ず「淡道」と書き「淡路」とは書かないので、これはさかしらに改字したものであると分る。
それならば淡海の多賀(滋賀県犬上郡多賀)に伊耶那岐命がなぜ祀られたかが問題になる。
日本霊異記』に、近江国野洲郡の御上(みかみ)の嶺にある、祭神を陁賀(多賀)の大神とする神社の側の堂にいる白猿の話(下、二四縁)がある。猿は太陽の神使いであるから、陁賀(多賀)の大神は太陽神ということになる。ここで前掲(省略)の「日の少宮(わかみや)に留り宅(す)みましき」(紀、神代上)が思い合される。「日の少宮」とは、天照大御神の住居である「日の大宮」に対して、「日の若返りの宮」をさす。そこに伊奘諾尊が留り住んだということは、太陽が西に沈んで翌日再び新しい生命の輝きをもって上昇してくる、その「若返り」のために夜隠れていることを意味する。「宮」はその場所である。紀によって、伊耶那伎大神が太陽神であると信じられていたことが分り、「陁賀の大神」の名で、近江の多賀に鎮座したことが十分推測できる。
近江には、日吉(ひえ)・日野・朝日山など太陽にちなむ地名が多く、『延喜式』の神名帳には、日吉神社(滋賀郡)日向(ひむか)神社(犬上郡)日撫(ひなで)神社(坂田郡)日置(ひおき)神社(高島郡)などの社があることを合せ考えると、記が「淡海の多賀」を鎮座地にしていることを疑うべきではない。
この神を始祖とする氏族はない。人間の始祖であるから特定の氏族の始祖であるはずがないからである。この神名を社名にもつものを神名帳延喜式)で見ると、伊佐奈岐宮二座(伊佐奈弥命一座。伊勢国度会郡)・伊射奈岐神社二座(摂津国嶋下郡)・伊射奈岐神社(大和国添下郡)・伊射奈岐神社(大和国城上郡・葛下郡)・淡路伊佐奈伎神社(淡路国津名郡)・伊射奈伎神社(若狭国大飯郡)がある。これによると、伊耶那伎大神は「海人(あま)族」(古代漁民集団)の奉斎神であり、その伝承が多彩な神格を形成して、結局、天照大御神の祖神として定着せしめられたものであろう。》

西宮一民著『新潮日本古典集成(第二七回) 古事記』1979(pp.326−327)

御丁寧の返事どうも有難うございます。


先ず、原典を探してみましょう。
日本書紀』神代上:

 於是素戔嗚尊請曰:「吾今奉教,將就根國.故欲暫向高天原與姐相見,而後永退矣.」敕許之.乃昇詣之於天也.
 是後,伊奘諾尊神功既畢,靈運當遷,是以構幽宮於淡路之洲,寂然長隱者矣.
 亦曰,伊奘諾尊功既至矣,紱亦大矣.於是登天報命,仍留宅於日之少宮矣.少宮,此云わかみや.

『日本書紀』神代上より

確かに、「日之少宮」の所在は言わなかったのですね。
小学館新全集『日本書紀』の註釈による、以下の説明があります。

  • 淡路:淡路島。兵庫県津名郡一宮町多賀に伊佐奈伎神社がある。履中紀五年九月條に、「島(淡路島)に居します伊弉諾神」。『延喜式』神名に「淡路伊佐奈伎神社、名神大。」とある。記は「淡海の多賀。」(真福寺本)を鎮座地とするが、「淡路の多賀。」(道果本*1・道祥寺本など。)とする写本もある。伊佐奈伎神社の存在などから、淡路説が古伝と思われる。
  • 日之少宮:「日の若宮」のこと。日は夜沈んで翌朝蘇生復活して東天に昇るが、尊がそこに常住するというのは、尊が復活する若い男性の太陽神たることを意味し、女性の太陽神たる天照大神の「日の大宮」に対応する。


日本霊異記』下、二四「依妨修行人得猴身縁」:

依妨修行人得猴身緣 第廿四
 近江國野州郡部內御上嶺有藭社名曰 陁我大藭奉依封六戶社邊有堂。
 白壁天皇御世之寶龜年中其堂居住大安寺僧惠勝暫頃修行時夢人語言為我讀經驚覺念怪明日小白猴現來言住此道場而為我讀法華經云僧問言汝誰耶猴答言我東天竺國大王也彼國有修行僧從者數千所農業怠數千者千餘數之數千也 因我制言從者莫多其時我者禁從眾多不妨修道雖不禁修道因妨從者而成罪報猶後生受此 獼猴身成此社藭故為脫斯身居住此堂為我讀法華經言然者供養行也時 獼猴答曰無本應供物僧言此村籾多有此乎充我供養料令讀經 獼猴答言朝庭臣 臣我而有典主念之己物不免我 我恣不用典主者即彼 藭社司也  僧言無供養者何為奉讀經 獼猴答言然者淺井郡有裵比丘將讀六卷抄故我入其知識淺井郡者同國內有郡也 六卷抄者是律名也此僧念怪隨 獼猴語往告檀越曰山階寺滿預大法師陳猴誂語其壇越師不受而言此猴語也我者不信不受不聽即將讀抄為設之頃堂童子優婆塞 匆匆走來言小白猴居堂上纔見九間大堂仆如徵塵皆悉折摧佛像皆破僧坊皆仆見誠如告既悉破損檀越曰僧更作七間堂信彼 陁我大藭題名猴之語同入知識而讀所願六卷抄抄成大藭所願然後乎至于願了觥無障難夫妨修善道儻得成 獼猴報故僧勸催猶不可妨得惡報故往昔過去羅作國王時制一獨覺不令乞食入境不得七日頃飢依此罪報羅 羅不生六年在母胎中者其斯謂也矣

『日本霊異記』下より

未整理の文面で読み辛い、どうもすみません。時間が有ればちゃんと整理するつもりです。

  • 猿と日神の関わりといえば、猿田彦神が「居天八達之衢、其鼻長七咫、背長七尺餘、當言七尋。且、口・尻明耀、眼如八咫鏡而赩然似赤酸醬也。」と『日本書紀』天降臨段の一書第一、あと「居天之八衢而、上光高天原下光葦原中國之藭於是有。」と『古事記』上、太陽神の性格が観られます。*2
  • なお、「アマ」は「天」でありながら「海人」でもあります。海人と関係深い対馬の阿麻氐留神社の「アマテル*3」は「天照」であり、「海照」である、天照大神の原形は海人の神という説も確かに良くあります。*4

ここから見ると、新潮日本古典集成の説明は酷くありえるですよね。



*1:実際、道果本に多賀がない。淡路の写本は『日本書紀』の記録より、『古事記』を改字する事は私も同意です。

*2:その他、太陽の使いこと猿が守る神稲の田の説もあります。異説は幾らでもあることは神話の醍醐味と思います。もっとも記紀神話は原初日本神話の整合作業ですから、異説必至は定めと言えますね。

*3:正直、ホツマツタヱの男性天照大神「アマテル神」を思い出したのです。が、古史古伝の信憑性はちょっと...ですから今度は自肅して置きます。

*4:また、大物主神にも「于時神光照海、忽然有浮來者。」光神と海神の繋がりが観られます。(『日本書紀』神代上、八岐大蛇退治の段の一書第六。)しかもあの後は三輪山で鎮座、山神となった。